いがみの権太の野球日記、笛猫茶番の劇・8月19日

平成二十二年八月十九日
 小田さん! 最愛の嫁(よめ)さん、の誕生日に吉見投手を好リード、七回には二塁打を放ってジャイアンツに引導まで渡してくれ、本当によかった。おめでとう。
 今夜、ドラゴンズが巨人を破ったあと、ナゴヤドームのお立ち台に吉見投手、荒木選手ともども上がってのヒーローインタビュー。その晴れ舞台で小田選手が告白したのが“嫁の誕生日”である。ボクは、こんな小田さんのひょうきんで素直な気持ちをイイな、と純粋に思った。

 ともあれ、ドラゴンズはきょうも巨人に勝った。
 今季二度目の七連勝でセ・リーグでは五月二十二日いらいの二位浮上だ。本拠地での連勝も十二に伸ばした。勝利の瞬間、ナゴヤドームは歓喜のるつぼと化した。吉見は昨年七月いらいの完封で十一勝目。
 きょうの試合では、二回に相手巨人の失策と2四球などで2死満塁としたところで、ベテランの仕事師・荒木が中前に2点適時打を放ち、均衡が破れた。七回には小田が二塁打を放って1点を加えて突き放し3―0として、そのまま逃げ切った。

 昨日、ドラゴンズの山井が巨人を相手にノーヒットノーランを目前にして九回表に打たれたが、けさの中日スポーツは、◆“あと1人”は20例以上、だと紹介。「今回の山井は9回無死から打たれたが、まだまだ序の口。プロ野球では9回2死、つまり“あと1人”からノーヒットノーランを逃したケースだけでもこれまでに20例以上ある」と説明している。上には上、があるもんだ。

『ねぇ~』   こすも・ここ
 

       『なぁに』  シロ

 【笛猫茶番日常の劇】このところの暑さでオカンのMが、少しグッタリしているので大丈夫? と聞くと「冷房が効き過ぎて。昨晩はお腹が痛かったが、もう直ったので心配しないで」とのこと。これだけ暑い、と誰だってからだは確かにおかしくなるよね。
 テレビでは二十代の若者が熱中症で亡くなった、などと連日の酷暑と熱中症の多発、そして野菜の生育不足を報じています。一方で、ビールや氷、その他の飲料水は、いつもの年に比べて二~三割増の売れ行きだとか。まさにこの世は悲喜こもごもの繰り返しなんですよね。

☆大阪府高槻市の府営住宅ベランダで十七日、市立小学校3年の女児が物干し竿にタオルをかけて首を吊った状態で死亡していた。この少女に一体、何があったのか。

 アフガン戦争に関わる秘密文書をインターネット上で公開する民間ウエブサイト「ウィキリークス」に9万件以上の秘密文書が流れた問題で、米政府とウィキリークスが対決姿勢を強めている。警視庁組織犯罪対策5課が十八日、元歌手で俳優の無職、清水健太郎容疑者(五十二歳)を覚せい剤取締法違反容疑(使用)で逮捕した。清水容疑者といえば、「うそ」が大ヒットしたころが懐かしいのだが……。

平成二十二年八月十八日
 人が何と言おうが、中日ドラゴンズは、やはり、いいチームだ。選手もファンもよい人ばかりの集まりである。名古屋独特の口の悪い文化でもあるが、時に負けがかさむと、監督や選手を一方的に罵って口汚くなる一部ファンも居るには居るが、だ……
 ボクの場合、第一、今のような強いときのドラゴンズ戦士たちを見ていると、何よりも心身ともに休まる。そればかりか、この日のテレビ中継(東海テレビ)解説者でОBの谷沢健一さんも、ゲストの立浪和義さん、そしてドラゴンズ公式ファンクラブ・名誉会員の峰竜太さんも皆、いい人ばかりに思えてくるから不思議だ。(ほんとに、いい人たちばかりだ。)

 そして、見方によっては、こうした罵り合いの輪こそが、中日一家たる所以かとも時に、思う。それだけ、選手や監督、コーチ陣らスタッフを取り囲むファンの人々の目が、みなドラゴンズが勝つことだけに神経を集中させているのである。気合が入っているのだ。勝てば喜び、負けたら悲しむ。喜怒哀楽が激しい、口汚い郷土愛の固まりこそが、ドラゴンズのファン魂なのかもしれない。

 今夜、ナゴヤドームで行われた対巨人戦。最終回に一発を浴び、ノーヒットノーランこそ逃したものの、山井投手がよく投げ、3―1でドラゴンズは勝った。五回裏、2死満塁からの若武者・野本のタイムリーも、およそ一カ月ぶりの素晴らしい一打だった。右手首にデッドボールをうけながらの六回裏、谷繁の二打席連続2塁打も胸のすく当たりだった。
 ちなみに巨人の坂本はそれまでノーヒットだったが、九回裏に十七打席目にして本塁打を打ち、この瞬間、山井のノーヒットノーランは淡雪と消えた。いずれにせよ、ドラゴンズの本拠地での連勝は、これで十一勝目。この連勝記録は昭和二十九年にドラゴンズが初めて日本一になった年以来の記録だという。この年の日本一は、戦後生まれで、まだ幼かったボクの意識のなかにも、なんとなくラジオニュースなどでおぼろげに残像として残っている。

 今夜のテレビ中継の解説に当たった谷沢さん。かつてボクが若き新聞記者として志摩半島を飛び回っていたころ、昭和四十九年当時に真珠の海・英虞湾を見下ろす賢島で彼が自主トレをしていた際、本社からの手配で取材したことがある。当時、美しくて気品のある奥さまにおいしいコーヒーをごちそうになり、ご本人が自主トレのさなかに、あれやこれやと話し合いながら取材をさせていただいたことがある。

 少しスランプに陥っていた谷沢さんは日本酒をからだにぬって筋力回復を目指したり、裸足にこだわって黙々とランニングに励むなど、大変な努力家でもあった。志摩では、あのころ、山崎豊子さん原作の「華麗なる一族」の映画ロケもあり、山本陽子さんや佐分利信さんら大物俳優が志摩観光ホテルに終結、確かドラゴンズがセ・リーグ優勝を巨人から、もぎ取った年でもあった。

 中日スタヂアムの平岩治朗社長が、伊勢エビ漁で知られる浜島町黒崎の浜で手首を切って入水し、家族に毛筆でしたためた「わが敗残の記」を遺して亡くなったのは、これより一年ほど前の四十八年五月だった。いわゆる中スタ事件の始まりだった。不動産事業に手を突っ込んでの失敗など、プロ野球の社会に、当時の世相の一端を垣間見ることができた。一方で、英虞湾では悪性赤潮(プランクトン・ギムノディニウムが大量発生)で真珠母貝のアコヤガイが次々と死んで逝った。

 【笛猫茶番日常の劇】今夜も、アタイはテレビの前に陣取り、何げない表情でいました。そしたら、ドラゴンズがまたしても勝っちゃいました。オトンったら「こすも・ここよ。おまえが、こうして野球を見てくれたからこそ、きょうも勝った」と嬉しそうだったよ。でも、アタイは、アタイのためにドラゴンズが勝った、だなどとは、これっぽっちも思ってはいません。選手一人ひとりに力がついてきたからだと思っています。むろん、落合采配もよいですね。

☆北海道日高山系の沢で東京理科大のワンダーフォーゲル部員四人が流された事故で北海道警は十八日早朝からヘリコプターで行方不明の三人を捜索、下流の沢沿いで三人の遺体を発見した。広島航空基地を飛び立った海上保安庁のヘリが墜落、四人が死亡、一人が行方不明となっている。
 それにしても、ことしの夏はヘリコプターがよく墜ちる。もしかしたら、操縦技術と整備士とのチームワークに問題があるのでは。昔、空飛ぶ記者として何度となく、取材ヘリや双発ジェットに乗ったボクとしては信じられない多さだ。あのころは(いや、今でもに違いないが)、機長と整備士の阿吽の呼吸がすばらしかった。

☆プロ野球福岡ソフトバンクホークスの王貞治会長(七十歳)の母、王登美さんが十六日、肺炎のため東京都内の病院で死去した。百八歳だった。毎日新聞一面によれば、中国の歴史学者の間で「沖縄返せ」の声が高まってきているという。

平成二十二年八月十七日
 巨人も、中日も、だ。両チームともに選手が戦後まもないころ着ていた昔の白いユニホームを着てナゴヤドームで戦っているのをテレビで見た。ドラゴンズの場合は初めての日本一に輝いた1954年当時の復刻ユニホームである。

 ドラゴンズとジャイアンツ。今夜はチェンが先発したが、非の打ちどころのない好投で、6―1でドラゴンズが勝った。2軍落ちしていたブランコが先発メンバーとして久しぶりに、姿を見せたかと思うと、四回に特大3ランで先制し、五回には和田のソロで加点、六回にも相手チームの失策などで2点を奪う理想的な試合運びとなった。終わってみれば、ドラゴンズの圧勝だった。チェンも8イニングを3安打1失点で切り抜け、自身初の二ケタ勝利となる十勝目をあげたのである。ドラゴンズは、これで五連勝。本拠地ナゴヤドームとなると、十連勝だ。

 今夜のボクは、何が何でも往年のユニホーム姿を見てみたい。ボクの目には、どう映るのか。というわけで、きょうはテレビをつけ、中継を見たが、白いユニホーム姿は一人ひとりが天使のようでもあり、シンプルそのもの。なんだかボク自身までが、過ぎし日のドラゴンズ戦に吸い込まれてゆきそうな、そんな錯覚にとらわれたのである。
 めったに褒め言葉を使わないMも思わず、「昔の方がはるかに、かっこいいじゃないの」と心底から、ため息まじりに、感嘆の声をあげた。ボク自身に言わせてもらえば、郷愁を呼ぶ、幸せの黄色いハンカチならぬ、白いユニホームといえようか。

 いつのまに来ていたのか。今夜も愛猫のこすも・ここがボクの隣のイスにちょこんと座ってテレビをボクと一緒に観戦。あまりに大人しいので「ここ」と呼ぶと、彼女は「きょうも勝つから」「ホラッ、勝ったでしょ」といった感じでお腹をゴロゴロさせたのである。きょうから、ボクは、こすも・ここを本気で「勝ち猫」と呼んで拝むことにしよう。「ここ」に来て、ドラゴンズは、いよいよ後半の進撃を始めたのである。

 【笛猫茶番日常の劇】お父さん、きょうはお休みを取ってオカンのMを伴い、名古屋駅西のシネマスコーレにまで行ってきたのだから。Mが「キャタピラーをみたい。みたいの」と、うるさく言っていたので一緒に見てきたそうです。戦争がニンゲンたちの全てを失ってしまう。いい例である。

 中国の戦場で戦い帰国したものの、顔は焼けただれ、両手足を亡くした夫・久蔵。久蔵は軍神と祭り上げられるが、妻のシゲ子には食欲と性欲を強く求める日々が始まった。食欲と性欲を求められながらなお、軍神の妻として、たくましく生きようとするシゲ子。シゲ子を演じ切る女優、寺沢しのぶのやり切れなさがよく出た、それこそ迫真の演技が、とても良かったそうです。
 でも、物知りのオカンによれば、この映画は、江戸川乱歩が昭和四年に雑誌『新青年』に発表した短編小説「芋虫」が原作で「乱歩の小説の方が、もっと激しく、かつ、いやらしいばかりか、軍神を軽蔑するどころか、反戦思想にあふれ、より人間らしかった。それに比べたら、今一、リアリティーに欠け、弱かった」とのことでした。オトンは、それでも例によって何かに、かぶれてしまったようで「寺沢しのぶが良かった。決して悪くなんかはない。優れた映画だった」と話していました。

 そう言えば、ボクたちは戦後まもない少年のころ、町の四辻で物乞いをしていた手や足、目、耳、時によっては下半身のない復員兵をよく見たものである。あの人たちが、いわゆる「軍神」だったのか。戦争という、なんとも徒労の世界に巻き込まれたものだ。

 オトンは、本当を言えば、近場(ちかば)の江南市内にあるコロナでスタジオジブリの映画「借りぐらしのアリエッテイ」を見たかったみたい。でも、ね。Mが右向け右! と言えば、すぐ言うことを聞いてしまう優しい性格なので、とうとう見えない縄か何かに結わえ付けられるようにしてシネマスコーレの方に行ってしまった。(オトンたら、本当は「アリエッテイが見たかった」んだよ)なんて、こんなことをオカンのMに密告しようものなら、「何、言ってるのよ。あなたには月刊モエの巻頭大特集の映画『借りぐらしのアリエッテイ』を読んでもらったはずだわ」と逆襲されそうだってサ。だから、今夜の話は、これだけにしておこうよ。

 やれやれ、オトンも、Mも。いつも二人は映画やら、小説、俳句などの話ばかりしているのだから。あ~あ、それこそ、いやんなっちゃうな。

☆京都の夏の風物詩「京都五山送り火」が十六日夜、京都市街を囲む山々でともされ、京の夜空に「大」の送り火が浮かんだ。民主党名古屋市議団が河村たかし市長に対抗する市長候補の擁立に乗り出す方針を固めた。

 三重県桑名市と東京都練馬区で十七日午後の最高気温が三八・二度に達し、全国でこの日一番の暑さになった。総務省消防庁によると、この夏、(八月十五日までに)熱中症で病院に運ばれた人が全国で3万人を突破、愛知が最多で2530人に達した。名古屋では、きょう一日に三百八十六人もが救急搬送された。

 夏の甲子園で滋賀代表の北大津が千葉代表・成田に6―3で破れ、八強入りならず。それにしても二年生エースの岡本は、よく投げた。

平成二十二年八月十六日
 きょうはプロ野球の試合がない。そう思うと、ナントナク肩の荷がおりたような気がする。不思議だ。ボクの全身に張り付いている、あの緊張感からも解き放たれている。試合結果を気にする必要もない。とはいっても、視線は自ずと中日新聞夕刊スポーツ欄に行ってしまう。

 デ、具体的な紙面内容はといえば、だ。米大リーグ・カブスの福留がカージナルス戦で日米通算1500安打を達成。中日ドラゴンズ時代は9年間で1175安打、大リーグ三年目で325安打となり、通算十二年目で到達したことになる。(それから、テレビニュースによれば、レッドソックスの松坂投手がメジャー500奪三振を達成したそうだ)

 夕刊では毎度楽しみにしているスポーツライター樋口浩一さんの「大リーグ」情報もなかなか読ませる。それによると、「大リーグの公式戦は残すところおよそ一カ月半。いよいよ終盤を迎えるが、気になるのはポストシーズンに日本人選手が1人も出場できなくなるのではないか、ということだ。」とし、日本人選手の歩んだ過去の栄光の道を振り返っている。そして彼はこうも言い切る。
 「今年は多くの日本人大リーガーが苦しんでいる。ポストシーズンに1人も進出できないかもしれないという事態は、その苦闘を象徴している。外国で働くのは本当に大変なことだとあらためて思う。野茂がドジャースでデビューを飾ってから15年。年ごとに大リーグで存在感を増してきた日本人選手にとって、今季は一休みのシーズンになるかもしれない」と。

 話は変わる。今朝、ある見目麗しい女性から教えられた。きょうは、ドラゴンズの新井良太選手の二十七回目の誕生日だ、とのこと。心から、おめでとう。そして、これからの大飛躍に期待しよう。ファンはみな、1軍定着を願っている。

 【笛猫茶番日常の劇】きょうは、お盆明け。というより、アタイたちにとっては、おニイちゃんKの誕生日ということの方が大ニュースです。
 で、オトンとMに聞いてみると、当時は御巣鷹山に日航ジャンボが落ち(十二日)、オトンは空飛ぶ記者として連日、小牧空港を基地に関連取材に飛び回っていたそうです。それでも、三人目はなんとか、見目麗しい女の子を、と思っていたら小牧市民病院の余語院長から「イガミさん、おめでとう。残念ながら、またしても男のお子さんでした。でも、すばらしい玉のような、賢そうなかわいいお子さまですよ」と連絡があったんだとサ。
 オトンは女の子で期待はずれだったが、ますます仕事に張り切ったんだってよ。「その子がいまでは二十五歳か。年をとるはずだ」と、きょうのオトンとMは少しばかり感傷的みたい。
 そうそう。その余語先生といえば、乳がんの権威で、いつだったか。乳がんを克服した方ばかりに集まってもらい、手術後の体調管理や健康維持について先生を囲んだ懇談会があり、オトンはその模様を取材したそうです。どの女性も病を吹き飛ばしてたくましく生きる姿がキラキラ輝いていたーオトンは乳がんの話になるとは、決まってあの余語先生を思い出す。

☆夏の甲子園は、岐阜代表の土岐商が東海大相模(神奈川)に0―3で負け、惜しくも8強入りを逃した。リオデジャネイロ発共同(中日十六日付夕刊)によると、南米コロンビア西部カリ郊外で三月下旬に何者かに連れ去られ、左翼ゲリラ、コロンビア革命軍に監禁されていた花卉栽培業の筒井雅夫さん(六十八歳、高知県出身)が十五日、事件発生から約四カ月半ぶりに解放され、無事保護された。

 オバマ大統領がニューヨークの「グラウンドゼロ」近くのモスク建設計画に関連、いったん明言した支持を撤回。十一月に控えた中間選挙で与党・民主党の苦戦が予想され、イスラム教徒との共存が政治問題化するのを避けるのが狙い、とみられる。鹿児島県阿久根市の竹原信一市長の解職請求(リコール)に向け、市民団体・阿久根市長リコール委員会が十六日午前、市選管に必要書類を出した。

平成二十二年八月十五日
 終戦記念日の八月十五日だ。部屋にはボク一人しかいない。六十五年前だったら、玉音放送を聴いていたかもしれない。

 その同じ日の夕方。ボクはこぶしを握って「ヨシッ、やった。きょうもいい勝ち方だ」と、自身を鼓舞するように、ガッツポーズをしてみせた。戦争ではないが、ドラゴンズは勝った。勝ってくれたのだ。これで2試合連続サヨナラ勝ちの四連勝だ。お盆でこの世に帰って来ていた多くのドラゴンズファンの仏たちが皆、太鼓叩いて笛吹いてござるかも、ね。

 きょうのナゴヤドームは、デーゲーム。
 ボクの予感どおり、ドラゴンズは接戦の末の見事な逆転勝ちだった。中田賢が先発し二回に2点こそ奪われたが、四回裏に、このところ新しい風を吹き起こしているニューウエーヴの旗手・堂上直倫の4号2点ホームランで同点に追いつき、延長に入った十回裏に、相手チームの失策と敬遠、四球などで1死一、二塁としたところで森野が左越え安打を放って逆転サヨナラ勝ちしたのである。勝利投手は浅尾で、8勝目となった。

 ボクは素人の目ながらも、きのう、きょうの試合を見て、ドラゴンズらしさが再び戻ってきた、そんな気がしてならない。ベテランも、新人も、監督・コーチ陣も、である。1点の重みを大事にする、「中日らしさ」が戻ってきたのだ。「1点の重み」は、新聞とて同じで、「1部の重み」を大切にするところに、物事すべての出発点がある。

 デ、きょうの試合に関しては、もはや何も言うことはない。あさってからの試合を今の調子で一つひとつこなしていけば、セ・リーグ優勝も決して夢ではない。おそらくファンのみんながそう願っているだろう。

 【笛猫茶番日常の劇】お父さんとMがきょう、そろってオトンの方の墓参りに行き、その足で九十歳の母がいる実家に顔を出しました。着くや「もう、お盆も終わりだから、おまえたちに片付けてほしい」と言われ、仏壇横にご灯明として飾られていたジャンボ岐阜提灯三基をオトンとMが四苦八苦して、片付けてきたんだってサ。

 それから「もう、おかあちゃん、来年はおれへんかもしれんで。野菜もつくれえーへんかもしれへん。最近、畑に出るとすごく疲れるの。ほんとに疲れてしまうようになってまった…。まあー、やっぱあ、おかあちゃんも歳なんだよな。亡くなったお父ちゃんが『オレ、そろそろ死ぬような気がする』と言っとらしたが、分かる気がするの」とえらく気弱いことを言いながら「もってけ」と言うので、またまた、おいしいスイカを半分切ってもらってきたみたい。
 けどね。アタイ思うんだよね。「大(おお)お母さんの場合は、大お父さんより、元々からだが丈夫なんだから。百歳ぐらいまでは、生きられる気がするの」

 ところでね。オトンのおかあさんによれば、「できたスイカはみんなおまえたち子どもたちに、おすそ分けしてしまい、おかあちゃんひとかけらも食べとらへんよ」とのこと。オトンはこれにはビックリして「そりゃ、アカンわ。自分でも食べやあーせんと」と言い、あれでも気をつかって半分切って残してきたんだってサ。いつまでたっても親は親、子は子だわ、なも(なんだか、アタイまでが名古屋弁をつかうようになってしまったがや。)

 オトンとMは、ほかに買い物などをして家に帰ってきた。そしたら、なも。今度はお天気雨がザアーザアーと降り出し、M曰く「ちょうど良い時に降り出してくれたわ」と。オトンは天を仰いで「これは、きっと戦争で亡くなった兵隊さんたちの雨だ。涙雨なんだよ」と、ポソリとつぶやいてたよ。でも、雨がこのように喜ばれることもあるんだよね。
 それはそうと、きょうは終戦記念日。平和のありがたみをみんなでかみしめなければ。当然ながら、戦争なんかしてはいかんに、きまっとる、がや。アタイの考えもおんなじだよ。もちろん、シロちゃんだって。

☆戦後六十五回目の終戦記念日。和歌山県太地町のイルカ漁を批判的に描いた米ドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ」の上映がきのう(十四日)から、名古屋市千種区の名古屋シネマテークで始まった。上映は九月十日まで。

平成二十二年八月十四日
 きょうはボクの動きと同時進行させ、試合結果にまで辿り着いてみたい。現在、午後六時半。これから書き始める。ナゴヤドームでの試合は続いているが、テレビ中継の方はつい先ほど堂上直倫がタイムリーを放ち2点を入れ、広島に3―2と肉薄したが、そこまで。一番の見どころで中継が終わる午後六時がきてしまったからだ。
    ×    ×
 朝。一番で、Mのお父さんの墓参りに二人で出かけた。昼過ぎにはナゴヤドームへ。1、2軍の7月度月間賞の受賞選手(1軍は和田、2軍は小池)に対する公式ファンクラブ会員プレゼンターによる授賞式に立ち会った。この後は、新聞社に戻ってけさの記事のホームページへのアップ、その他の雑用などをこなし、午後四時過ぎには社を出る。出がけに確かめたところでは、きょうは、あのマサさんが先発投手だ。マサさんと知っただけで胸がときめく。マウンドに立った瞬間、観客の間から大きなドヨメキと歓声、拍手が起きたに違いない。

 午後四時二十八分。地下鉄鶴舞線丸の内駅のプラットホーム。ボクは電車を待つ間、お盆で人けのないこのホームで「マサさん、打たれないで、打たれてないよね」と呪文を唱えたあと携帯のドラゴンズ情報・実況掲示板を開いた。となんと、ナゴヤドームの方は、中0―2広島でやられている。いや、打たれている。「とはいえ、この程度なら、まだまだ持ちこたえてくれるはずだ」と自らに言って聞かせる。

 そして。午後五時半過ぎ。わが家にとって、忘れられない事件が起きたのはボクが帰宅直後のことだ。自室に入り、テレビをつけプロ野球中継を見ていると、なんと愛猫こすも・ここがボクのそばに寄り添うようにして座り、テレビ画面に両の目を釘付けとしたのである。一緒に中継を見守っていると、堂上直倫がタイムリーを放ち、一点差に迫ったが、中継はここでストップ。他番組との関係上、無情にも止められたのである。それでも、ドラゴンズ情報をチェックして知ったのだが、ドラゴンズはすぐに3―3に追いついた。

 ボクは、その後「ごはんだよ」のMの声に夕食を食べ、ニュースに気をつけたが、午後七時前の段階ではなお3―3のまま。試合は続き、どうやら十一回裏、ドラゴンズの攻撃に入ったようだ。ボクはここで「きょうは、こすも・ここがオレと一緒に初めてプロ野球の中継をニンゲンの目となって真剣に見た記念すべき日だけに、何とか勝ってほしい」と神さま、仏さまに祈るほどの心境である。

 結局、この日はこすも・ここの熱い視線が通じたのか。ドラゴンズは十二回裏、代打前田章宏が二塁打を放ち代走・岩崎達にかわったところで無死1、2塁から、巧者荒木が右前にはじき返して、決着をつけ、抑えの岩瀬が今季初勝利した。延々、4時間14分に及ぶ消耗戦は今季九度目のサヨナラ勝ちだ。ちなみに新婚まもない前田は今季初、プロ2本目の安打。プロ九年目にして初めてのお立ち台にたった。
 まさに、こすも・ここが「勝利の招き猫」になったのである。勝手な解釈ばかりではあるが、ボクがテレビの野球中継を見ると、ドラゴンズは負けてしまうが、こすも・ここがテレビを見た日には、ドラゴンズは勝つことが分かった。
 わが家に『勝ち猫・ここ』という、また新しい神話が生まれたのである。いまは午後九時近い。

 【笛猫茶番日常の劇】アタイねえ。きょうは、お父さんと一緒に、ほんの少しの間だけれども、テレビで中継していたプロ野球、ドラゴンズ対広島戦を見てしまいました。野球観戦はアタイ、きょうが生まれて初めてなんだ。ホンの少しだけの間だったけれど、テレビの前でオトンと一緒になり応援したら、最初のうち負けていたドラゴンズが後半に追いつき、とうとう逆転勝ちしてしまった。これも、ドラゴンズファンの皆さまの熱視戦を、監督さんはじめ選手一人ひとりが感じてくれればこそ、です。みなさん! 本当に心からの応援ありがとう。

 それからね。きょうの1軍プレゼンターを務めた春日井市に住む大脇一男さん。この方、七十七歳ですが、これまで二度にわたる大手術でがんを克服され、「野球をやっている中学1年の孫と一緒に和田選手にお会いでき、本当に嬉しかったです。これで寿命が伸び、きょうのよき日のおかげで百歳まで生きられるかもしれません。今や、和田選手のいない中日ドラゴンズなんて、考えられません。ことしはセ・リーグ優勝をしてもらい、首位打者もぜひ、取ってほしい。出来れば、セ・リーグと日本シリーズのMVPも」と話しておいでだったそうですよ。
 オトンが言うには、大脇さんは現在も社会保険労務士として社会貢献されているばかりか、この地方では大脇一荘のペンネーム(中日川柳会相談役)も持ち、知る人ぞ知る“風流びと”でも有名。この日は、色紙に自宅で書かれた ♪胴上げへ 背番号5が 舞う 日本晴れ(伝統川柳)を持参し、和田選手に手渡された、とのことです。チョット、いい話でしょ。

 それから、もうひとつ。きょうは、ナゴヤドーム内を歩いていて、かつてドラゴンズの名外野手だった平野謙さん、ケンちゃんにもバッタリ出くわしたんだってサ。ケンちゃんと言えば、NHKテレビの連続ドラマ「わがふるさとは平野金物店」の作者で知られるエッセイスト内藤洋子さんの弟さん。デ、ケンちゃんとは、お姉さんのことなどで話に花が咲き、しばらく立ち話をしてしまったそうです。
 名刺を見て初めて知りましたが、ケンちゃんって。野球評論家・解説者だけでなく、現在は茨城県鹿嶋市の『かしま観光大使』でもあるんだって。持てる男はいつまでも持てるもんだ、とはオトンの感想でした。ナイトウさん! ステキな弟さんもって鼻高々だよね。

☆名古屋、東京など空襲被害者の全国組織「全国空襲被害者連絡協議会」が十四日、発足した。(14日付中日新聞)。現代の代表的女性歌人河野裕子さんが乳がんで死去。六十四歳だった。夏の甲子園の連覇を目指した中京大中京高校が早稲田実業に21対6の大差で敗れた。

平成二十二年八月十三日
 勝つ、ということは本当にいいことだ。精神安定上もよい。ドラゴンズが、あのマエケン、広島きっての投手前田健太を七回裏に打ち崩し、5―1で勝った。吉見投手はこれで10勝6敗と、かつての川上憲伸投手に並ぶ3年連続の二ケタ勝利をあげた。一方で、これまでに12勝をあげているマエケンは6敗目を喫した。七回裏、1死満塁から荒木の中前打で2点を勝ち越し、英智の犠打で追加点を取るなど手堅い攻めとなった。あとは浅尾、高橋で逃げ切るという理想的な展開となった。きょうも、やはり投手の出来不出来が決め手といえよう。

 それから、特筆すべきは、きのうの本欄でボクが「そろそろ、やってくれそうだ」と書いた予感がずばりと的中し、若き新井が2安打とマエケン撃ちでいよいよ、真価を発揮してくれたことである。アライといえば、ボクの職場仲間の若きそのけなげな女性が心を投げ出してまで応援しているだけに、これを機に浅尾、兄弟船・堂上両選手らに続く若手の旗手に育ってほしい。

 なんども勝手に言わせてもらうが、ドラゴンズという船団には今、どうにも止まらないほどの勢いでニューウエーブの波が押し寄せている。これとて、落合監督ならでは、の天性ともいえる“采配の妙”があればこそ、だと率直に思う。今シーズンは若手選手にどんどん期待できる場面でチャンスを与えてきている。それだけに、与えられた選手の方は、これはもう「もぎ取る」ほかない。残るシーズン、敵に勝つ前に、味方に勝たねばならないシ烈なプロ魂を見守りたい。この際、若手連には、ボクの大好きな言葉『人に勝つより、自分に勝て』と訴えておきたい。

 【笛猫茶番日常の劇】いまはニンゲン社会で言うお盆なのだって。それで、だろうかしら。このところのお父さん、いろんな発想が浮かんでいるみたいで、そのつどメモを取っている。つい最近も、ある発想が沸き起こり「こうした時には一気に、書き始めなければ、な」と言いながらアタイだけに、その内容を教えてくれた。でも、これこそ作品が書きあがるまでのオトンとアタイの秘密なのだから。悪いけれど、シロちゃんだけには内緒のヒ・ミ・ツで教えてしまうけれど。だって、彼女の場合は、口がすごく固いから漏らす心配は、ありません。
 オトンの信念、教えようか。それはね、今、願っていることとか実現させようとしていること、そうした大切なことは「口に出したら、いかん」だって。「口に出したら、その瞬間から水がポロポロと漏れるように逃げていってしまう」。だから、オトンは自分がこれから成し遂げようとすることは決して口には出さない。それが「オレさまの美学」なんだって。

 オトンは、きょうこんなことも話していました。
 「あのな、こすも・ここ。きょうナ。帰りに社の7階から4階まで来たところで、エレベーターのドアが勝手に開き、しばらくしたら、また閉じた。エレベーターの中には他に女性一人が乗っていた。ドアが開くと姿こそないが、誰かが透明人間になって乗り込んできた、そんな気がして仕方ないんだよ。一緒に居た女性もオレと全く同じ、人が乗り込んでくるような、そんな気配を感じ“アラ、なんだか不思議”な気がする、と話していた」
 だってサ。

 そう言えば、今夜はお盆の迎え火の日なんだ。だから、姿、形の見えない大勢のヒトたちが天から地上に降りてきているんだ。Mとオトンの、それぞれのお父さんや、能登半島と大垣でMたちと共に過ごした、あの優しさにあふれた伝説の姉さん“てまり”も地上に帰ってきているーそんな気がするんだ。みんな、ステキなヒトたちばかりなんだよ。

☆戦前のプロ野球で活躍し、太平洋戦争でともに戦死した三重県伊勢市出身の西村幸生と沢村栄治両投手の母校が終戦記念日の十五日、伊勢市で追悼試合をすることになった。(13日付中日新聞の朝刊1面から)夏の夜空を彩るペルセウス座流星群が、十三日未明に、最盛期を迎えた。アラブ首長国連邦の首都アブダビで小型バスがトレーラーに追突し、乗っていた日本人男性四人全員が死亡した。(13日付、中日新聞夕刊から)

 十三日付朝日新聞朝刊1面トップによれば、「100歳以上不明279人」「本社集計 兵庫・大阪に集中」。朝日は、この日朝刊の天声人語で「これはもう、おめでたい国というほかない。最高齢記録がずんずん更新されている。神戸市が125歳の女性なら、大阪市は127歳の男性だという。長生き関西、130歳も夢じゃない。おいおい▼日ごと広がる高齢者の所在不明問題。次々と出てくる長寿者は住民登録上の話で、実際には長らく行方知れずの人ばかりだ。……」と皮肉っている。

平成二十二年八月十二日
 午後九時台のNHKテレビのスポーツニュースー。
 横浜球場でのドラゴンズの勝利(対横浜戦、1―0)を知り、「勝って何より。お盆でもあるし…(お盆は関係ないか)」と私。ビジター連敗も「7」で止まってよかった。素直にそう思った。そして、さっそくドラ☆パ・メルマガ8月12日号を開いてみると、【ケータイ中スポ】◆ネルソン2勝目◆和田つないだ左前打◆(2軍では)松井佑が豪快弾、ときた。簡潔明瞭である。

 次に、これもケータイのドラゴンズ情報によれば、ネルソン、浅尾、岩瀬と継投、捕手も小田、谷繁となっており、「投手戦を制した。7回無死一、三塁から森野の中犠飛で均衡を破り、この1点を継投で守りきった。先発ネルソンは7回途中まで粘り2勝目。浅尾、岩瀬とつないで反撃をしのいだ。……」と要点だけを紹介し分かりやすい。やはり、このところのオレ流語録で落合監督の口癖にもなっているとおり『野球はピッチャー』の気がする。

 わずか一点差のゲーム展開。そのなかにも浅尾をはじめ堂上兄弟に岩崎達…らの名前が並び、ボクがこのところ大いにこだわるドラゴンズのニューウエーブ、すなわち、新しい風は確実に吹き始めているのである。これまで低迷してきた新井も、そろそろ、やってくれそうだが、どの選手もボクたちファンの胸に迫ってくるプレーを見せてくれたら、それでいい。

 【笛猫茶番日常の劇】けさは雨の強い降りのなか、Mとオトンが愛用のゴミ運搬車でゴミ出しをしました。オトンはいったん帰宅すると、こんどはおニイ(兄)を江南駅まで送ったんだよ。いつもなら、おニイも自転車で会社に行くところだが、あまりに速い雨脚に送った方がいい、とオトンが判断したためです。
 そして、家に着いて今度は自分の出勤準備をしていると、「サンルームの天井部分から水漏れがしている」とMの声。「さっそく業者に電話をしてみたが、お盆休みに入るので午前中に見に伺います、とのことだった」の言を背に、オトンは家をあとにしたのですが…。
 オトンたら。このところの睡眠不足もたたり、上小田井で乗り換えるところを栄生まで「寝過ごしてしまった」そうです。やれやれ、ですね。
 きょうは、夕方になり、台風4号がオチアイさんのふるさと・秋田県に上陸したが、秋田への台風上陸は「観測史上初めてのことだ」と言うのにも驚いたよ。

 夜、帰って風呂から出たところへ、オトンの妹が訪れ、「うちの畑で出来たから」と立派なキュウリばかり数本をわざわざ届けてくれたのです。イイジマさん(妹さんの旦那さん)が育てたそうで、それはそれは見事な出来栄えのキュウリだったんだってサ。

☆乗客乗員五百二十人が死亡した一九八五年の日航ジャンボ機墜落事故は十二日、発生から二十五年を迎え、遺族らは早朝から、犠牲者が眠る墜落現場「御巣鷹の尾根」(群馬県上野村)に慰霊登山をした。私は墜落した翌日の未明から早朝にかけ、本社機「はやたか二世」に乗って現場上空へ。被災現場の惨たんたるありさまを空からルポし1面で報道したが、つい昨日のようである。

☆夜に入り、日本相撲協会の武蔵川理事長が辞任し、元大関・魁傑の放駒親方(巡業部長)が新しい理事長に就任した、とのニュースが飛び込んできた。魁傑さんの記者会見の様子を見る限り、現役時代同様に誠実な人柄が相撲界を立て直してくれる気がする。NHKの解説委員室副委員長の影山日出夫さん(五十六歳)がNHK放送センターのトイレで首をつった状態でぐったりしているのが見つかった。一体何があったのか。

 円高ドル安が加速、十二日の東京外国為替市場の円相場は一時84円台まで上昇した。JR東海、JR東日本、名鉄、名古屋市交通局は十一日、2013年春から、各鉄道会社・機関が発行するIC乗車券と付随する電子マネー機能の総合利用化を実施する、と発表。

平成二十二年八月十一日
 今夜の横浜スタジアムは山井が先発し、ドラゴンズが三回表、この日5番に抜てきされた堂上剛裕の2号2ランで先制しながらも直後に横浜に追いつかれ、今度は五回に弟直倫の初の猛打賞を決める2点二塁打でそのままいけるかと思ったがすぐにカスティーヨのホームランなどで逆転されるという打撃戦となり、最後は9―6で敗れた。とはいえ、堂上兄弟を台風の目にドラゴンズに新しい風が起きていることは事実だ。

 今夜は、正直言って凄く悔しい。「堂上兄弟で二度まで勝ち越したのに…」との思いは誰もが同じだろう。でも、たとえ負けはしたが、堂上兄弟を中心としたドラゴンズの新しい風たちが着実に、日に日に力をつけてきている。そんな気がする。今夜は巨人もヤクルトに負けてくれ、首位とのゲーム差は変わらないが、ドラの自力優勝の可能性が消えた。それにしても、ヤクルトは強い。これで八連勝である。ドラゴンズに3・5ゲーム差にまで迫っている。

 新しい顔といえば、四試合連続本塁打を放ち、打てば史上最年少の五試合連続本塁打が期待された、日本ハムの中田翔内野手(二十一歳)が昨日のロッテ戦で今度は4打席連続三振の“怪記録”を残すなど、ドラゴンズの堂上兄弟選手と並んでプロ野球界の若手のなかで目が離せない存在になってきた。大物の片りんが感じられる。

 【笛猫茶番日常劇】アタイは相変わらず、お父さんを朝早く、というか、未明から起こしています。デ、ないと、この欄がとても立ちゆかないもの。Mには、時折、「あまり泣かないで」と言われるがオトン付きのアタイである限り、これからも泣いて大声をあげて、起こし続けます。オトンは約束は生きている限り守る人間です。
 今シーズン中は、どんなことがあってもシーズン中の試合が全部(むろん、クライマックス、日本シリーズも含めます)終わるまで、このアタイたちのつぶやきとも言える笛猫日記を書き続けると約束してくれているのです。だからアタイたちの役割は重要で、けさもオトンの枕元でニャンニャン、ニャニャンと泣き続けて起こしたのです。

 いまは午前四時前です。オトンは「分かった。分かったから。ありがとう。こうして、おまえが起こしてくれればこそ、この連載もなんとか続けられるんだ」とアタイの頭をなでて起きだしてくれ、まずアタイたちに猫缶を開けて食事を出し、アタイたちがこぼしてしまっていた水もきれいに拭き取ってくれました。オトンの毎朝の文筆活動は、ここから始まり、アタイはその間できるだけオトンの気持ちを乱さないように、と泣かないでいるのです。むろん、シロちゃんだって同じです。

 ただ、病み上がりのMだけには、ゆっくり寝て体力を少しでも回復してほしく思っています。どうかすると、Mまでが一緒に起きだしてくるからです。これでも、アタイたちなりに気を使っているんだから。

☆米ユタ州の高速道路で日本人観光客を乗せた小型バスが横転、三人が死亡し十二人が重軽傷を負った。WHО(世界保健機関)が新型インフルエンザの「終息」を、昨年六月の大流行の宣言から一年二カ月ぶりに宣言した。国の借金が900兆円を突破。

 読売新聞によれば、百歳以上の高齢者の所在不明が相次いでいるなか、神戸市で市内に住む百歳以上計八百四十七人(七月末現在)のうち百五人の所在が確認されていないことが分かった。このうち東灘区の125歳の女性をはじめ二十一人が、厚生労働省が確認している国内最高齢の113歳以上とされている。まさに、この世は奇々怪々である。

 千葉県警が元衆議院議員浜田幸一容疑者(八十一歳)を背任容疑で逮捕した。

平成二十二年八月十日
 「こんにちは。暑い日が続いております。(略)現地の夕方からの天気が心配です。プロ野球の開催そのものが年に一度の山梨県ですし、ドラゴンズ戦となると、僕が応援するようになった過去二十八年間には一度もありませんでした」で始まる特別急行『あずさ21号』からのメールは、さらに次のように書かれていた。

 「高校時代を僕は、山梨県の日大明誠で過ごしました。本日の舞台である小瀬球場のこけら落としは、高校3年の夏でした。同級生に、今年日ハムで活躍している木田優夫投手がいますが、彼の最後の夏に辛うじて間に合った形です。3年の夏は僕も校内の応援リーダーを引き受けさせていただいていたので、思い出がぎっしり詰まった球場です。(中略)
 いつか、その舞台でドラゴンズの試合を、と高校卒業以来の24年間、ずっと思い続けていました。やっと願いが叶うのか、と感無量です。列車は山梨県に入りましたが、明らかに空模様が怪しいです。……妻は現地に先行しております」
 以上、ボクの胸元に野球ボールさながらにヒューッ、と軽やかに飛んできたのが、東京都調布市に住む、あの“むさしのガブリ”H氏の『あずさ21号』からの球である。

 Hさん夫妻のように、ファンの思い出がいっぱい染み込んだ小瀬球場。今夜は、その地方球場で心配された空模様のなか、ドラゴンズ対横浜戦が行われた。試合の方は、残念無念のひと言、先発のチェンが七イニング4失点で打線もつながらないまま4―0の完敗、横浜は連敗を4で止め、先発清水が9勝目をあげた。
 野球とは。まさに勝ったり負けたり、喜んだり悲しんだり、悲喜劇の文化だな、とつくづく思う。負けても、明日がある。あすは。あすこそは、勝ってほしいーというのが、正直なファン心理だ。

 けさは起きて、中日スポーツの1面見出し「松井 今オフ退団へ 来季エンゼルス契約更新せず」にどっきりした。松井といえば、石川県の出身。ボクたちも、かつて能登に住み長男が同じ年であることもあり、イチロー同様ことのほか親近感を持っている。それだけに、もし事実としたなら、ファンにとっては悲しいことだ。記事にもあるとおり「残留は厳しいが今後の8、9月でどれぐらい成績を残せるか。あと一カ月半あまり、今後の野球人生をかけた戦い」が続く。

 【笛猫茶番日常の劇】きょう、お母さんのMったら。火曜は仕事が休みだからゆっくりしていればよいのに、昼間どこかへいそいそと出かけていってしまい、帰るまでアタイとシロ、すごく心配したんだから。夜、オトンが帰り、ふたりの会話を聞くと、どうやら名古屋の「文化のみち二葉館」に行ってきたみたい。二葉館といえば、明治三十三年のパリ万博で一躍有名になったマダム貞奴、すなわち日本人で初めての女優で知られる川上貞奴が電力王・福沢桃介と暮らした「二葉御殿」として知られるが、Mの目的は貞奴さんではなくて、そこで開催されている故春日井建さん(歌人)に関する作品展だったみたい。オトンは「あまり、無理しちゃいかんぞ」と言いながらも、少しばかりうれしそうだったよ。

 文学といえばMがオトンに向かってこう言っていました。
 「そう言えば、リュウセイさん(長谷川龍生大阪文学学校校長・詩人)が詩のセミナーを開くのだってね」と。きょうの中日新聞夕刊文化欄を読んでのことで、リュウセイさんたちの「二〇一〇年歴程・夏の詩のセミナー」が二十七~二十九日まで岐阜県中津川市の馬籠ふるさと学校で開かれるそうです。テーマは「詩の向こう側」だそうよ。オトンは、文学界の大先輩でもあるリュウセイさんが、まだまだご健在であることに、ホッとしたみたい。

☆七月十七日に全面施行された改正臓器移植法で本人の意思表示がなくても家族の承諾で提供が認められるようになった。これに伴い、交通事故で入院していた千葉県下の男性(二十代)を九日、臓器移植法に基づく脳死と判定のうえ、法改正後初の脳死移植が行われることになった。
 日韓併合百年に当たって菅直人首相が、過去の植民地支配に対し「痛切な反省と心からのおわび」を表明、韓国が返還を求めていた朝鮮王朝時代の祭礼や主要行事を絵や文で記録した「朝鮮王儀軌」(宮内庁所蔵、約百六十冊)などについて「近くお渡ししたい」と話した。中国の土石流の死者は337人に、七十四歳の女性が三十四時間ぶりに救出された。

平成二十二年八月九日
 きょうは月曜日なので、ドラゴンズの試合はない。あげくに、休刊日ときており、本日付朝刊も、中日スポーツも、わが家には届かない。唯一の救いが、駅やコンビニ用に発行された中日スポーツである。
 新聞がないとなると、この“駅売り版”ほど、貴重な存在はない。特に昨日はドラゴンズが阪神に三連勝したあとだけに、駅売りはありがたい。その駅売りの中日スポーツを読み、ボクの目に入ったのが、2軍落ちしたブランコ選手だ。先発メンバーはじめ、出場選手の名前が書かれたテーブルから「一塁・ブランコ」の名前は消えていた。やはり、これまでも、それなりの成績を残し、子どもたちからは特に人気のある選手だけに、残念だ。

 とはいえ、勝負の世界で仕方ない。ホームランを打てなくなったブランコを使うわけには、いくまい。このうえは、2軍でしっかり調整して、この試練を乗り越え一日も早く1軍に帰ってきてほしい。

 【笛猫茶番日常の劇】きょうのお父さん、昼間社内のエレベーターの中で珍しい人物に、それこそ二十数年ぶりにバッタリ出くわしたんだってサ。それというのも、オトンが七尾支局長をしていたころ、羽咋通信局員だったという当時の部下が六階でエレベーターに乗り込むや、オトンの存在に気がつき『あの~、イガミさんじゃないですか」というので、よく見ると青年時代の面影を残した彼であった、というのです。
 彼はオトンが「ええ~、と」と口ごもると、あの懐かしい物言いで「○○です。転勤でこちらに来ました」の返事。
 オトンは半ば、少しだけ立派にそれは見事に、たくましく中年太り化した男をしげしげとながめながら「その口調、思い出した。羽咋に居た○○くんか」と言うと「ハイそうです」の答えが帰ってきたそうです。あの○○記者独特のイントネーションばかりは、昔と少しも変わらなかったというのだ。それにしても、とっても嬉しくて懐かしかったんだって、サ。
 きょうも、いろいろあったそうですが、オトンにとっては一番の大ニュースでした。

☆長崎は九日、被爆から六十五年の原爆の日を迎えた。甲子園球場で開かれている全国高校野球選手権大会で二度目の二連覇を狙う中京大中京(愛知)が南陽工(山口)を2―1で破り、二回戦に進出することとなった。中国西北部の舟曲県で八日未明に豪雨による大規模な土石流が発生、これまでに百二十七人が死亡、千二百九十四人が行方不明となった。被災者は周辺地域を含めて五万人を超えて約四万五千人が緊急避難した。

平成二十二年八月八日
 日曜日。ナゴヤドームではデーゲームがあった。
 昼過ぎMと家を出かけてスーパーや実家回りなどをして帰宅。家に入るや、ケータイのドラゴンズ情報で10対0の阪神戦圧勝を確かめ、こんな言葉は大嫌いだが「死ぬほど疲れていた」(ボクの美学からすれば、この表現はチト大げさすぎて落第だが)ので、そのまま二階の寝室まで行き、布団に飛び込むようにうつ伏せになったあと、すぐに大の字になり寝てしまった。
 デ、ついつい寝込んでしまい、たった今になり「アッ、しまった。九日朝になってしまったか」と飛び起き、対阪神戦が気になり、ケータイを手にドラゴンズ情報をクリック、大勝を確認したところで、既に勝利を確認していた自分に気がついた。なんてボクは馬鹿なのだろう。ことほど左様にバタついたのも、我輩が本欄で連載している“いがみの権太の野球日記”の執筆と作品の「熱砂」アップを抜かってしまったか、と危惧したからである。

 というわけで、きょうのデーゲームはドラゴンズの圧勝だった。いま評判の中日新聞のケータイ・ドラゴンズ情報によれば、「投打がかみ合って3連勝。中田賢は抜群の制球で4安打に抑え、今季2度目の完封で4勝目。打線は3回に荒木の適時打などで2点を先行。その後も着実に加点した。…」とある。なんでも、あの小田捕手が「やりましたあ~」と絶叫を繰り返した、とのこと。そうそう、ドラゴンズにはつい先日から、ボクが指摘したように、どうにも止まらないほどの“新しい風”が吹き始めているのだ。

 そういえば、きょう試合が始まる直前に、あの東京在住の秘密のドラゴンズ博士・X氏から、次のようなメールが入っていたことを思い出した。
 「権太さまがおっしゃるように新風が確かに吹き始めていますね。今日も甲子園の借りをしっかり返してもらえることを願い、先制できたら一気に勢いで3タテいけることを信じて応援します」
 X氏の願いは、お見事、天に通じた。

 話は変わるが、鳴り物入りで昨シーズン、日本ハムに入団した、あの中田翔内野手が昨日まで三試合連続本塁打を放ったという。中田といえば、わがドラゴンズには茶目っけたっぷりの人気者、ブーちゃん・中田亮選手がいる。いやいや、オレの存在を忘れるな! と力投したのが、イケメン投手、中田賢である。日ハム・中田選手の活躍に負けじ、とドラゴンズ若手選手たちの軍靴の音が、このところ日に日に高く、大きくなってきた。“新しい風”を起こし始めた若竜たちよ! いざ、進軍せよ! 快進撃のチャンスを逃すな。

 【笛猫茶番日常の劇】「今夜はパチパチの八月八日だから、滋賀の都・大津では琵琶湖大花火をやっているはずだ。懐かしいな」。
 お父さんとMの珍道中を間近で見ていると、ニンゲンたちが生きている世界ってヤツ、楽しくて面白いなっ、て思う。それなのに、オトンたら。「オレも年を食んだものだ。自分では、いつまでも青春真只中にいるつもりなのに周りの目が現実離れ? してオレを見てるんだ、ってよ。「オレは今でも何でも出来るのに、一体全体なんてことだ」と勝手に怒っているオトンって、やっぱりイヤだな。だからMに「いつまでもジタバタしなさんな。いい加減にあきらめな」って言われるンだよ。

 きょうのオトン、午前中、部屋に閉じこもって何やら読み物をしていたかと思うと、午後になり例の調子でMに急に「行くぞ」とひと言。いっとき、スーパーで天気雨に見舞われながらも、和田の実家で待つ満九十歳のおかあさんチへ出向いたんだってサ。
 「おかあさんから、大きなスイカをもらってきちゃった」とM。Mがアタイたちに話してくれたところによれば、スイカは九十歳のオトンのおかあさんの手作り。近くの畑に出かけ手塩にかけつくってくれた超大玉。それが、またまん丸で重くて。「おかあさん、九十歳なのに、車を自分で運転して畑に行き息子たちのために、わざわざ取ってきたんだってサ。おまけに、おかあさんが言うには『スイカ栽培ひとつをとっても、他の人なんかには負けちやいませんよ』だって。」

 でもネ。このおかあさんが、きょうMたちにこう、しみじみと話したそうです。
 「おかあさんも、この先そうそう長生きは出来ない気がするの。このところ、ちょっとも、思うように歩けんようになってきた。まあ~、わたしもあまり長ないよ。だから、おまえたちも、しっかりしてよ」と。
 そこでアタイとシロは思うのです。オトンたちがこんなにも仲が良い一方で、どうして、いまのニッポン社会で高齢者の所在不明があんなにもゾクゾクと果てしなく出てくるのか。無縁社会のひとつの証明とはいえ、アタイたちには、とても理解ができないんだよ、ネ。何かが壊れている。

☆「45歳目前 なお気迫」「マサ23年連続勝利」「『結果を恐れずに』けが乗り越え快挙」(中日新聞八日付朝刊見出しから)。いったん航路廃止が表明されていた三重県鳥羽市と愛知県田原市を結ぶ伊勢湾フェリー(本社・鳥羽市)が三重、愛知両県と鳥羽、田原両市の行政支援で存続することになった。

 大阪府警が、大阪市西区のマンションに2児を遺棄した母親を近く殺人容疑で再逮捕。石川県警小松署が森喜朗元首相の長男祐喜石川県議(四十五歳)を酒気帯び容疑で逮捕した。

平成二十二年八月七日
 立秋。
 きょうは東京在住でドラゴンズのことなら何でも知っている、とかねてK氏から教えられていた、うわさのXさんにナゴヤドームで直接、お会いしてドラゴンズはじめプロ野球のあれこれにつき、じっくりお話を伺った。たまたま、この日は二百勝達成投手(これまで通算二百五勝)の、あの山本昌広さんが先発初登板という絶好のシナリオにも恵まれた。

 マサさんが投げるデーゲームを一緒に見ながら、駆け出し記者時代丸出しに根掘り葉掘りと聞いたが、やはり、Xさんはドラゴンズ、いやプロ野球に関することなら、聞きしに優る物知り男だと思い知った。
 デ、今後はドラ博士・X氏と勝手に命名させていただく。それもそのはず、このX氏、激務にありながら、あれやこれや、とやり繰りして年間のドラゴンズの全試合のうち、三分の一は観戦するという、大変な努力家かつ、驚異的人物でもある。家族おそろいでの観戦も結構の数に及び、一家でドラゴンズを愛している。まさに仕事を除けば人生の大半をドラゴンズに充てている、そんな男だ。

 さっそく観戦しながら、X氏に「きょう阪神に勝つには、どうしたらよいのか」と質問を浴びせると、彼曰く「マサさんの場合、ドラゴンズが先取点を取るかどうか、がカギです。実を言いますと、きょうがマサさんのラストゲームになることだって十分ありえます。祈る気持ちで参りました」のひと言。
 幸い、この日のマサさん、一回表に森野のエラーでいきなり訪れた1死二塁のピンチを切り抜けた。ドラゴンズは一回裏に和田の犠牲フライで1点を先取、その後の試合展開は、まさにX氏の予言通り、マサさんが期待に応える形で低めを丁寧につく投球で好投、四回裏には堂上直倫の2ランなどで3得点し4―0と引き離し、六回に1失点を浴びはしたが、今季初めての勝利投手、通算二百六勝に輝いたのである。

 ボクはここで、今しみじみと思う。
 マサさんの好投や堂上直倫らの活躍を見るにつけ、昨夜の野球日記にボクが書いた通り、やはり、きのうから新しい風が吹き始めているのだ、と。あの峰竜太さんが始球式で投げた、とんでもない逆三角波が神風を起こし、ドラゴンズを上昇気流に乗せたような、そんな気がしてならない。

 ところで、きょうはドラ博士・X氏から、いろいろ学んだ。改修されたナゴヤ球場のお披露目試合で川相2軍監督が仕掛けた開門に合わせての選手たちのお出迎えと声かけ・ハイタッチ、さらには1、2軍の月間賞選手に対する公式ファンクラブ会員によるプレゼンター制度の定着、新入団選手歓迎会への参加、ドラゴンズ室内練習場での練習見学会とお楽しみ抽選会の実現など。年々、向上しているファンサービスにファンがどれほど喜んでいることか、ということを改めて痛感した。

 だが、X氏の話はむしろここから、だった。X氏は自らの他球場での豊富な観戦経験を元に「まだまだ、やっていただきたいことはいっぱいある」と続けた。
 具体的には、ヒーローインタビューを受けた選手はインタビューのあと、スタンドまで行って観客にあいさつし、ボールを投げ、ネット越しにハイタッチするようになり確かに一歩、前進はした。でも、ね。ここで場内を、手を振りながら一周してくれたなら、ファンはどんなに喜ぶことか。日本ハムのようにお立ち台でのヒーローインタビューを、いっそ子どもにやらせてみてはどうか。もっと新鮮で選手の気持ちを引く質問が飛び出し、観客も注目するはずだ。
 それから、他球場のように、試合後、グラウンドをたとえいっときでも観客に開放できないものか。チアドラガールにしても、我々ファンには、まだまだ遠い存在だ。(これは、いろいろクリアすべき問題もあるでしょうが)できたら応援席でファンと一緒に応援する時間帯があってもいいのではないか。まだまだ選手やグラウンドとの垣根は高いーなど等です。

 X氏の提言を話し出せば、きりがないのできょうのところは、この辺でご勘弁を。それより、マサさん! 二十三年連続の勝利の達成、おめでとう。X氏の言は、これから、折に触れ紹介させていただければ、と思っている。
 とにもかくにも、きょうは、あの不死鳥・マサさんが今季初勝利し、ドラゴンズの逆襲劇が始まったことだけは、間違いない。博士の場合は東京在住のため、どうしてもビジター応援が多くなりがちなだけに、これまで何度敗戦に泣かされ続けたことか。今シーズンは、きのうまでの観戦結果が実に十八勝三十三敗。「行けば負ける」の繰り返しで「このままだと、東京で応援しているドラゴンズファンが逃げていってしまう」と、そんな危機感のなかで毎日を過ごしている、との告白まで聞きました。
 このうえは、本拠地はむろん、ビジターでも勝って勝って勝ちまくってほしい。マサさんには、次の価値ある1勝に期待したい。ボクとしてはただ、ただ祈るのみなのだ。

 【笛猫茶番日常の劇】今夜は、お仕事から帰ってきたお父さん。ひと足先に独りで自転車に乗って行ってしまったMを迎えがてら、江南市内の報光寺境内まで歩いて出かけていった。江南市や江南青年会議所などが主催する第二十回「街並み新発見」七夕コンサートを鑑賞するためで、オトンが境内に着いたときには、コンサートも終わる寸前だったとか。それでも当地方では希少価値ともいえるサックスジャズオーケストラによる「スイング・スイング・スイング」を聴け、オトンもMも本当にうれしそうだった。

 帰りは、Mが自転車を引き、オトンが歩きながら七夕飾りでにぎわう愛栄通りを、二人でそぞろ歩き。帰宅するやオトン曰く「江南もなかなか、やるじゃないか。捨てたもんじゃない。オレが昔、七尾商工会議所のみんなとアメリカ西海岸のモントレーまで行って和倉温泉に引っ張ってきたモントレージャズオーケストラと比べても、決して劣らない。ジャズを愛する江南びとの熱気が伝わってきて、ステキだった。一日中、動き通しで疲れたが、やっぱあ現場百回だよね。現場に行き、この目で見なくちゃ」だって。

 この人って。いつまで新聞記者のつもりでいるのかしら。だけど、アタイもシロちゃんもそんなオトンが大好きなんだ。そういえば、きょうはオカンのMもよく頑張ったよ。昼間、手術後初めての俳句教室に出向き、その足で俳句仲間と一宮まで食事会に行き、帰ったらオトンたちのためにカレーライスを用意し、そしてかつて和倉温泉で魅せられたジャズを聴きに報光寺まで出かけたというわけ、病み上がりなのであまり無理はしてほしくないのだけれど…。でも楽しければ、からだにも、きっといい。そう信じてる。きょうも、めまぐるしいほどの一日でした。

☆不明の百歳以上が全国19都道府県で七十五人に。「名城・堀川まきわら祭り」が六日、開幕し白く輝く名古屋城を背景にちょうちんを連ねた船がゆらりと進んだ。
 大相撲の夏巡業が始まり、横綱白鵬がけいこ相手に野球賭博問題で謹慎していた力士の一人、幕内豊響を指名し、手荒く出迎えた。「彼らにはこれを機に、壁を壊していってほしい」と白鵬。元大関・大麒麟(元押尾川親方)が、すい臓がんで東京都内で死去。六十八歳だった。

平成二十二年八月六日
 午後十一時半を過ぎた。眠い。でも、書かなければ。
 きょうは納得のいく、実りある日であった。人間、納得のいく日なんて。そうは、ざらにゃあ、ありゃしません。納得の第一は、今夜のナゴヤドーム。何よりもドラゴンズが阪神に4―1で完勝したということである。第二は、あの根っからのドラゴンズ党党首(投手)ともいえる、われらが峰竜太さんのさえわたったトークショーである。その中で峰さんご本人同様、天下一、家族思いの落合さん(落合博満監督)だと知り、さすがは中日一家の一員だ、と思ったことである。
 そして、もう一つが圧巻・納得のクリーンヒット、すなわちどうにもぶったまげた始球式だった。これらはいずれも、いがみの権太である「私」のあくまで感覚的見解なのだが。ドラゴンズそのものに新しい風が、吹き始めた。それもナゴヤドームであった峰さんの始球式の、その瞬間をきっかけに、だ。公式ファンクラブのマスコットであるガブリもその衝撃の名場面を見ていたのである。

 これだけでは、何のことやらさっぱり分からない人々に、さらに詳しく分析させていただく。
 その一。吉見が先発し、浅尾、岩瀬とつなぐ必勝パターンにお兄ちゃんの堂上剛裕、さらには和田らが打ちドラゴンズの勝ちパターンが甦り、阪神に完勝したことだ。先発オーダーもまた、荒木、英智、和田ときて4番に森野を据え、思い切ってブランコをはずす荒療治に出るなど落合野球本来の、オレ流にこだわった戦略に、それなりの試行錯誤と効果が見えた。
 その二。先日のドラゴンズ運営委員会で第一号名誉会員であるスタジオジブリ代表・鈴木敏夫さんらに次ぐ公式ファンクラブの名誉会員に選ばれた峰竜太さんのトークショーを他の会員のみなさまとナゴヤドーム内のフレックスルームでお聴きできたこと。
 そして、その三は始球式での峰さんの出来栄えで、この瞬間から新しい風が吹き始めた。これはどういうことか、と言うと峰さんの投げた球。これが、何の因果か。一度バウンドしてしまい逆三角波を描いたことである。逆三角波とは球がホームよりも相当前で、はね返ったということ。これは見方によっては、このところの連敗続きに峰さんが“やけくそ球(きゅう)”を敢えて投げたーということか。 いやいや、そんなはずはなく、一生懸命投げ過ぎてそうなってしまったーの二説があるが、どうやら一生懸命投げすぎたあげく(ピッチャーマウンドが高いこともあり)球が、ワンバウンドしてしまったらしい。それでも球速はしっかり56キロ、出たという。

 ボクは、この峰竜太の“投げやり球”では決してない、渾身の“変化球”を見た瞬間、こう思ったのである。
 「ヨシッ、これは屈折の美学、即ち“はねっ返し”だから、これからのドラゴンズは上昇することはあっても、下降することはない」
 引き分けを挟んでの五連敗とも別れを告げ、いよいよきょうから名手・落合野球の真骨頂、逆転の嵐が吹き荒れ、またまた強いドラゴンズが見られるということだ。

 それと、きょうの始球式には、われらが公式ファンクラブのマスコット・ガブリが、これまでの艱難辛苦を乗り越えて峰さんの始球式に立ち会い、初めてナゴヤドームのグラウンドに立たせていただけた、という歴史的な日でもあったのだ。ガブリは、あのスタジオジブリの宮崎駿さんが現役時代の「落合博満」の神主打法をヒントにデザイン化した不世出のマスコットである。名前は約六千七百通の公募の中から選ばれ、敵チームを「ガブリ」と食ってしまう、そんな願いが込められた縁起大明神でもある。このガブリが、いよいよ晴れ舞台・ナゴヤドームのグラウンドに立ったからには、負けるはずがないのである。

 しばらくしたら、こんな声が聞こえてきそうだ。
 「おう、おめえ(峰竜太)~か。こないだは、ありがとよ。よお、やってくれた。ところでミ・ド・リ、げんきでいっか。ノ・ブ・コも元気でいるだべ。安心してな。おかげで、ここまで追いついちまっただ」
 やっぱり、このお方、人にはあれこれ批判される監督さんだが、それだけ存在感があるって、ことだに。根っからは信子さんとフクシくんを「世界でいっちば~ん」愛してる憎めない、人間的にも弱くって、けれど粘り強~い東北人なんだ、なもしーとは、ただいま裏の文学界、闇の世界で人気沸騰中の“いがみの権太さん”、すなわちボクの話だべ。

新しい風といえば、ガブリがナゴヤドームグラウンドに初めて立ったこの日、堂上剛裕、直倫両選手が兄弟そろってヒーローインタビューのお立ち台にたった。剛裕は二回1死からの先制二塁打、直倫は八回1死満塁からのダメ押し中前打が評価された。ニューヒーローたちによる『かぜ』が間違いなく吹き始めている。

 【笛猫茶番日常の劇】この世は、みな茶番、ニンゲンたちは、あの人は好きだとか嫌いだとか、言いながら、みんな茶番劇の海のなかを、歩いているんだね。
 人には好き嫌いがある。でも、オトンは峰さんの顔を見ながら、この人はドすごい、やはり信州信濃の産だ、と思ったんだってサ。信州といえば、こんな都々逸があるんだよ。
♪信州信濃の 新蕎麦よりも わたしゃあんたのソバがいい
 峰さんも、落合さんも、そして全てのドラゴンズファンも、だ。み~んな「あんたのソバがいい人」ばっかり。家族思いなんだよね。
 それから、もう一つ。峰さんの義父、すなわち、ミドリさんの本父の三平さんが、またいいお人でした。ボクは少年のころから、その三平さんが大好きでした。峰さんによれば、人の悪口を言ったことがないんだってサ。だから、あれほどまでに皆さんに愛されていたんだよね。峰さん、結婚後、三平さんの運転手だったそうだが、そのころの苦労と努力が今になって、どんなに生きていることか。これこそ、目に見えない遺産、宝だよね。

☆米英仏代表と国連事務総長が初出席し、広島で六十五年目の「原爆の日」。秋葉忠利市長、菅直人首相らが核廃絶の祈りをした。パン・キムン国連事務総長は平和記念式典後、広島市内の国際会議場で「包括的核実験禁止条約の二〇一二年発効を目指す」と語り、「被爆者の方々が生きている間に実現させたい」とも。

 厚生労働省が百歳以上の高齢者の所在不明問題を受け、都道府県や政令指定都市などに対し各地の百歳以上の全員に面会するよう、指示した。

平成二十二年八月五日
 いやはや、何たることだ。ドラゴンズの負けが頭に来てい過ぎたのか。それとも、いよいよボケの始まりか。とんでもない過ちをしでかしてしまった。というのは、ボクは昨日・八月四日と一昨日・八月三日のこの野球日記でドラゴンズとヤクルトの対戦球場を「ナゴヤドーム」と書いていた。
 これは、明らかに誤りで、昨日も一昨日も、そして今夜もヤクルトを相手に戦場はナゴヤドームではなく、神宮だったのである。つい先ほど、そのことに気付き、訂正しておいた。読者の皆さん、基本も基本を、間違ってしまい、お許しください。

 そのドラゴンズ、今夜も神宮で対ヤクルト三連戦の最終日を戦ったが、由規(よしのり)投手に苦もなくひねられ、5―1で完封されて敗れ去った。泣くに泣けないとは、このことか。言葉もない。人間、弱いときはこんなものである。
 でも、テレビ画面で見る限り落合監督の表情が悪びれるでもなく、サバサバした表情で、なかなかよい顔をしていたのでボクはホッと、安心したのである。今夜も帰宅後、舞と一緒に後半をテレビ観戦したが、あの158キロという剛速球を投げ下ろしてくる由規投手にかかっては、ある程度は仕方がない。相手投手をほめておこう。

 ボクは、そう合点した。今夜はドラゴンズについて何も書きたくはない。書けば愚痴ばかりが出てしまう。だから、やめたぁ~と。誰かさん、いや、この地方が生んだ青春歌謡歌手・舟木一夫さんの歌に確か♪かなしいことがあるように 楽しいこともあるんだ~よ 涙の隣を見つめてごらん……、といった歌詞があったが、ボクの今の心境そのものなのである。
 きっと「愉しい」ことも、訪れてくれるはずだ。あすは勝つ。いや、きっと勝ってくれる。

 【笛猫茶番日常の劇】今夜は珍しくお父さんとお母さんのMが、テレビでドラゴンズ対ヤクルト戦を見ていた。Mが言うには「昔居たことがある三重県のテレビが大好きなのでたまたま、チャンネルをそこにしたら野球中継が流れていた。ただ、それだけのことなのよ」だってサ。結局、オトンも見てしまったので負けることになってしまった。オトンにはテレビの野球中継、それもドラゴンズ戦だけは見てほしくなかったのに。だってMがいつも、こう言っているじゃない。
 「お父さんがテレビでプロ野球中継を見たら、ドラゴンズはなぜか負けてしまう」と。ジンクスに逆らうことは、とうとうできなかったって、わけ。

☆トヨタ自動車が四日、二〇一一年三月期連結決算の業績予想を上方修正し、売上高を当初予想の十九兆二千億円から十九兆五千億円、本業のもうけを示す営業利益は二千八百億円から三千三百億円に引き上げると発表した。大手予備校を全国展開する学校法人「河合塾」が十六億円の申告漏れ。日本相撲協会の武蔵川理事長(元横綱三重ノ海)が職務復帰。また同武蔵川理事長に胃がんが見つかり、名古屋場所中に東京都内の病院で胃の全摘出手術を受けていたことが分かった。月内にも辞意表明の見通しだという。

 各地で百歳以上の高齢者の所在確認が取れなくなっている問題で新たに千葉、茨城、京都、兵庫、和歌山、愛媛などで所在不明のケースが続出。NHKなどのまとめでは、不明者は計五十七人以上となった。国連のパンキムン事務総長が長崎を訪問。爆心地から核全廃を訴えた。

平成二十二年八月四日
 どこのチャンネルか、は知らない。
 帰宅して風呂から出て食事をし、居間に行くと、テレビがプロ野球中継にしてあり、ボクは久しぶりに画面に見入った。おそらく、妻Mの仕業に違いない。今夜は堂上剛裕、直倫の兄弟選手が「6番・右翼」「7番・二塁」の並び打順で同時スタメンで出ているはずだが。なんとか勝ってほしい… 
 (既に回は)九回表の神宮球場。ドラゴンズの攻撃だが、二死一、二塁で荒木がバッターボックスに立っている。なんとか、荒木に打ってもらい、逆転への口火を切ってほしいところだが、残念無念。荒木は右飛に終わり、ゲームセット。とどのつまりは、2ー4で、またしてもわがドラゴンズは、ヤクルトに、それも紙一重の差で負けてしまったのである。あ~あ

 「勝つ日があれば、負ける日もあるって。みんな一生懸命、よく、やってるよ。たまには負ける日だって、あるよ。それでいいじゃないか」と独り言をつぶやくボク。妻は妻で「きのうも負けたじゃない。あなた甘すぎるよ。何言ってるのよ」とボクを責め、容赦ない。

 ここでボクは妻に「人生、だから面白い。平和な時もあれば、波風が立つことだってあるのだから。みんな一生懸命に生きている。何もドラゴンズばかりが勝っていいことはない。み~んな、そのうちこの世から消えていくんだから。無限の宇宙にあって、つかの間の仲間じゃないか」と切り返してみた。
 命を取られるわけでもあるまいし、みんな同じこの星の下で生きているのだから。勝ったり、負けたりでも構わない、ただ見応えのある試合だけはしてほしい、とボクは願っている。

 それでも、Mは合点がいかないようだ。「ドラゴンズ、ドラゴンズって。あなた何もいい事なんかないじゃないの。せめて、勝ってくれなきゃあ」とボクの顔を睨みつける。でも、やはり負けることだってあるよ、とあくまでボクは負けてはいない。

 【笛猫茶番日常の劇】お父さんいわく「この町も、いよいよ七夕まつりが始まるのだなっ」て。でも、アタイには、ピンとこないの。七夕って、やはり七月七日なのに。今ごろから、だなんて。おかしいよ。でも「広報こうなん」によれば、八月六日から八日までが江南七夕まつり兼市民サマーフェスタなんだよネ。これも江南市民にとっては、ちいさな幸せかもね。

 以前からのオトンの知人で、日本ペンクラブの作家仲間である林郁さん。郁さんは、かつては日本のウーマンリブ運動の旗手の一人でもあったが、その彼女から「山の神さん」(社会評論社発行)という題の一冊の本が送られてきた。さっそく読ませてもらいます、イクさん! ありがとう、だってサ。

☆四日付中日新聞一面見出しは「愛知県知事選 民主候補に2氏名乗り 石田氏・御園氏 県連幹部に伝える」というもの。

 また、読売新聞一面見出しは「100歳以上 所在不明15人 本社調査 名古屋、津島など」、毎日新聞の見出しも「100歳超 不明18人」「所在確認 行政に限界」「家中 入れない」となっている。まさに、現代社会に降ってわいて起きたミステリーとは、このことか。

平成二十二年八月三日
 安打8本を打ち、四球を7個選びながら天敵村中投手の前にきょうも崩れ去った。あのつなぐ落合野球はどこに行ってしまったのだ。十一残塁など「下手過ぎる!」

 一昨日は阪神に7―8で、今夜もヤクルトに2―3で、ドラゴンズはいずれも、一点差で負けた。一昨日は甲子園で、そして今夜は神宮球場で一敗地にまみれた。ボクは、こうした時は決まって、相手チームのファンに喜んでもらえたから、いいじゃないか、と。自身の本心とは別に、無理をしてエールを送りはするのだが。けれど、やっぱり馬鹿馬鹿しい。下手過ぎるのだ。ドラゴンズが勝たなければ、ボクたちのすべての生理機能が、いったん停止状態に陥ってしまうのだ。

 今夜は吉見と並ぶ、もう一人のエース・チェン投手を先発で出しながら、打線はチェンを援護することが出来なかった。これでドラゴンズは一引き分けを挟んで三連敗。オールスター前のあの破竹の勢いは、一体どこに行ってしまったのか。が、ここは我慢のしどころだ。この際、全員でセ・リーグ奪取を目指してほしい。まだまだ首位争いに残る力は十分にある。ドラファンたちも決してあきらめてはいない。

 【笛猫日常茶番の劇】きょうのお父さん、帰宅するや、夕顔の花を見るため裏庭に行こうとしたが「もう咲いてなんかいないよ。夕顔は一度限りの儚い命なのだから」とのMの言葉に「なんだ、そうか。可哀そうに」だってサ。たった一日しかない命だった、だなんて…。アタイだって、夕顔のこと、可哀そうでたまらないんだから。

☆東京都杉並区で今度は都最高齢の百十三歳の女性が所在不明。住民登録上は同居している七十九歳になる娘さんは「死んでいるか生きているか分からない」と話している。今夜のNHKニュースによれば、所在不明の百歳以上の高齢者は、ほかに分かっただけでも名古屋市などでも計四人に及んでいる。まさに都会の死角で起きている十大事といえる。それにしても行政側は百歳以上という長きに至るまで生きてきた高齢者の所在を把握しないでいるのか。

 織田信長が居城を構えて天下取りの足がかりとした岐阜、愛知県清洲、小牧と滋賀県近江八幡の四市が二日、信長公居城連携協議会を、設立した。名古屋の河村たかし市長が市議会解散を求める署名集めを二十七日から始める、と明言。

 天皇陛下が三日、大相撲の名古屋場所で初の三場所連続全勝優勝を果たし、四十七連勝を達成した横綱白鵬へのねぎらいとお祝いを伝える書簡を、日本相撲協会の村山弘義理事長代行に送られた。「これ以上のものはありません。心から喜んでおります。光栄でございます」と白鵬。

平成二十二年八月二日
 月曜日でプロ野球はない。
 あらためて新聞に目を通し、昨夜の対阪神での惜敗(7―8)を振り返る。 「小さなミスが命取り 首位3連戦白星なし」(2日付中日新聞「球心」より)「四死球で岩田自滅」の記事が胸に突き刺さった。
 ワードクリックにある「10本打っても、負けるときは負ける。野球とはこんなもんだ」(落合監督)の『野球』を『人生』に置き換えてみたりする。あとで何を言おうが「負けは負けである。勝つためには、小さなミスをしないことだ」。
 それでも中日スポーツ1面では「球宴後は好調を維持している」森野選手会長に触れ、「全6試合で安打を放つており、25打数12安打で打率4割8分、5本塁打。…球宴では“お祭り”にもかかわらず、ベンチで落合監督から打撃指導を受け、7打数5安打と活躍。復調のきっかけをつかみ」の下りに、あすからのドラゴンズの戦いへの期待を持たせてくれる内容だ。
 もうこれ以上は負けられないのである。

 全国高校野球の方は、地方大会のラストゲームとなった大阪大会決勝で履正社が大体大浪商を3―0で破り十三年ぶり二度目の甲子園出場を決め、これで全国の代表校四十九校のすべてが出そろった。いよいよ、夏の甲子園が七日から始まる。

 【笛猫茶番日常の劇】きょうのわが家のトップニュースは何といっても、お母さんのMが手塩に育てた夕顔が初めて花開いたことです。お父さんが帰るやいつものように主語無し言葉で「咲いたよ」とだけ言うので最初のうちポカンとしていたオトンも「何がだ」と言いながらもピンときたらしく「あっ、そうか」とあわてて裏庭に駆け出し、デジカメでパチパチとやったんだ。
 真っ暗な闇夜に何も言わないで浮かんだ真っ白な夕顔。それは見事で、オトンはMに向かって「よう、やった。おめでとう。よくやった」だってサ。アタイたちも初めて見せてもらったが、確かに白鳥のような、いや、シロちゃんのような気高さには、脱帽しました。

 その昔、小牧にいたころ、読者から「月下美人が咲きました」との連絡で取材に訪れたあの日。月下美人の妖艶さにしばらく、うっとりしたものだが、今夜の夕顔にはそれを上回る「何か」が感じられる、とはオトンの弁でした。

☆名古屋港水族館で一日未明、ベルーガ(シロイルカ)の雌ホワイトが雄の赤ちゃんを生んだ(記事には「小さな命が誕生する瞬間に立ち会った」とあるが、いい記事である)。警視庁組織犯罪対策三課が、野球賭博で山口組系組員ら四人を逮捕。ブラジリアで開かれているユネスコの世界遺産委員会が、冷戦下で米国が核実験を繰り返したマーシャル諸島のビキニ環礁の世界遺産登録を決めた。

平成二十二年八月一日
 残念無念。今夜の甲子園。ボクが大いに期待している先発・岩田投手、さらには二番手・清水昭投手と、ともに乱調で、森野、和田、堂上直倫らの六本塁打攻勢がありながら、首位阪神に7―8で破れた。ボクとしては、昨晩あれだけ頑張ったのだから、きょうは仕方がないと案外、淡白である。とはいえ、首位から一歩後退の五ゲーム差と聞くと、やっぱり勝ってほしかった。
 今夜は七年ぶりの一試合六本塁打、和田の一回28号2ランによる通算250本塁打達成…と記録づくめなのに負けてしまった。あ~あ。きょうは、きょう、明日は明日の風が吹くか。人生、なかなか思い通りにはいかない。

 【笛猫茶番日常の劇】きょうは、日曜日。お父さんは名古屋へ同人誌の集まりで出かけ、お母さんのMは庭の草引き、お兄(にい)は家の中の掃除とMの買い物の手伝いに、と皆、忙しそうだった。オトンは、名古屋から帰ると草引きの手伝いをしたあと、あとは自室に籠り、相変わらず執筆に追われていました。

 それでも、夕方になると、久しぶりに横笛を吹いてくれ、なんだか気持ちが落ち着きました。二、三年前に比べると、随分、笛の音色もよくなり、この調子だとすごいレベルにまで到達しそうな、そんな気さえしたのです。アタイを前に、吹いてくれたのは「酒よ」と「さくら」「越後獅子」で、うっとりと聞かせてもらいました。

☆埼玉山中で日本テレビの記者二人が取材中、遭難死した。第五十四回全国選抜長良川中日花火大会が昨夜、岐阜市の長良川河畔で行われた。アニメやゲームのキャラクターに仮装した若者たちが国内外から集う「世界コスプレサミット2010」が三十一日、名古屋市で開幕、コスチュームをまとった七百人が大須商店街を練り歩いた。

平成二十二年七月三十一日
 いまは午後十一時二十分過ぎ。
 テレビ、ラジオから自然に流れてくる結果を心なしか待ったが、なかなかニュースに遭遇するチャンスに巡り合えない。デ、心ならずもケータイでドラゴンズ情報を見ることにした。なんと、甲子園でのドラゴンズ対阪神戦は十二回裏で、5