「積雪」 黒宮涼
今でも時折思い出す。色々な野菜を育てていた畑と、ミカンの木。ゆずの木もあった気がする。小学校入学の記念樹でもらったさくらんぼの木は、実をつけなかった。花壇には母が育てていた色とりどりの花が植えてあった。考えたら、実家より広い敷地の家なんてたくさんあるし、それと比べたら狭いんだろうけれど、幼いころの私には広すぎて、十分な遊び場であり冒険の場であった。家が増築されるまでは。
私の住んでいる愛知県は雪があまり多く降ることはないが、雪が積もると、私は子どものころからワクワクした。それは今もあまり変わらない。何故だろうと考えてみると、楽しい思い出ばかり蘇ってくる。幼いころの雪の日の記憶といえば、実家の庭に作った大きな雪だるまに、かまくら。滑り台。姉二人と、父と一緒に遊んでいた。そのころ、家はまだ離れを増築する前で、庭と畑があった。あの日はいつもより多く積雪があり、朝になって玄関を出ると雪が屋根からどさっと音を立てて落ちてきた。
「雪、すごいね。真っ白!」
一面真っ白の畑が目に飛び込んできて、私は思わずそう言ってはしゃいだ。雪の上を歩くと足跡が付いた。父の大きな足跡に合わせて、私も歩こうとして転びそうになった覚えがある。家の前の道路を挟んで向かいの家を見ると、端に小さな雪だるまが置いてあった。
「かわいい」
「誰が作ったんだろうね。近所の子かな」
母とそんな会話をした。
どうしてそんなところに作ったのかは知らないが、とにかく可愛いと思った。私たちはその小さな雪だるまに対抗して、大きな雪だるまを作った。庭に植えてあった南天の木の実を目玉にしたものだから、すごく小さな目の雪だるまになった。あれは今思い出しても面白い顔だった。大きな顔に対してのバランスの悪い目。鼻。口。かまくらを作ったときは、天井が低いうえに狭いので、幼い私たちが入るだけで精一杯だった。
私の中であの頃の思い出はとても煌めいていて、眩しい。それから数年後には畑もなくなり、庭も小さくなった。家が広くなったことは嬉しかった。増築した家ができたその年の冬、雪が積もった。私は早速、足跡で庭を荒らした。それから、小さな雪だるまを作った。大きなものが作れるほど、広くはなかったからだ。
「狭いね」
私はいいながら、建ったばかりのコンクリート造りの家に向かって雪の玉を投げた。一緒に遊んでいた姉も、面白がって雪を投げた。壁に当たった雪は割れて、落ちた。壁には雪の跡がついた。家が建ったことは純粋に嬉しい。けれどその分、失ったものもあったことに私は寂しさを覚えたのだ。何度か雪玉を投げたがむなしくなり、私は手を止めた。どこか複雑な気持ちになり雪で遊ぶのをやめて家に入った。以来、雪が積もっても家の庭で遊ぶことはなかった。 雪が降るたびにその時のことを思い出す。嬉しくて、でも寂しく感じたあの時のことを。変わらないものはないのだと思い知らされた。冷たいコンクリートに当たって砕け散った雪玉のことを一生忘れないのだろうと思う。
今年も雪が降った。何もこんな日に外に出かけることはないだろうと自分でも思ったが、私は雪の中を歩いて買い物に行く。舞い散る雪の中、私は思う。
「積もらないかなあ」(完)