ミステリー「死角の狙撃者」

「東京ジョイパーク」の開園式では、今まさに記念のテープカットが始まろうとしていた。
 園内の広場ではワゴンに乗せた色とりどりの風船が束になって、作業服を着た係員に運ばれていた。五百人を超える招待客たちは、群れをなして我れ先に入園しようと、皆がチケットを握って待っていた。
 広場の巨大な壇上に立った東京ジョイパーク園長の大沢滝三は、小柄な身体を黒いタキシードで装い、唾を飛ばし、両手を振りながら熱弁していた。
 その広場では、久し振りの非番で招待を受けていた吉山刑事が、大きなあくびを連発していた。と、その時、背後から肩をトントンと叩く者がある。振り向くと一眼レフのカメラを持った、ポニーテールにジーンズスタイルが似合う若い女性が頭をペコンと下げていた。
「吉山刑事さんでしょう。私は東都日報の新人カメラマン香川由美子と申します」と言って名刺を差し出した。
「君も招待を受けたのかね」
「はい。遊びだったら楽しいのに、残念ながら仕事です」
「それは、お気の毒に。まあ、お仕事頑張りたまえ」
「はい、吉山刑事さん」と言って、由美子はカメラを握って東京ジョイパークの正面会場をパシパシと撮り始めていた。
 吉山刑事は、自分のコートの裾をグイッと引っ張られているのに気づき、見下ろすと「くまのプーさん」のワッペンを貼りつけたハンチング帽を被った子供が、片手に福袋を持ってニコニコと見上げている。
 吉山刑事は余裕の笑顔をつくりながら言った。
「どうしたんだい、坊や。もしかして迷子になっちゃったのかな」
「・・・おじさん、探偵だろ。秘密作戦で捜査中なの?」
「どうして探偵ってわかっちゃったのかな」
 すると男の子は、自信たっぷりに胸を張って言った。
「だって、さっきおじさん黒いメモ帳にコソコソ何か書いてたもん。僕の目はごまかせないよ。・・・ああっ、ママがいた!」
 子供は群集の中へ走り去って行った。ブラブラ振り回す福袋のすみに『北村太郎』と書いてあった。
「今日は、どうも背後に注意だな」と吉山刑事は丸刈り頭をボリボリと掻いた。
「吉山刑事さーん」写真を撮り終えた由美子が手を振りながら近づいて来た。
「あの大沢滝三という園長は元大手ゼネコンの会長だったって話よ。地元の商業団体に後押しされて園長役に抜擢されたんだけど、バックには有力な政治家がついているって噂もある人よ」
「例の竹見芳郎議員だろ。以前、汚職疑惑で新聞をにぎわせた男だな」
「へぇー、なんだ。周知の事だったんだ」
「新聞を読んでいれば分かる話だよ」
 由美子は体裁悪く頷くように、くるりと背中を向けて壇上を熱心に見上げていた。
 やがて大沢園長の開会の式辞が終わり、あちらこちらでパラパラと拍手が起こった。そして皆が見守る中で、白い手袋をした数人の関係者が手にしたハサミで赤いリボンテープが切られた。
 白い鳩が一斉に飛び立ち、空一杯にカラフルな風船が舞いあがった。その時、思いがけない事態が発生した。開会式のお祝いの爆竹が鳴らなかったのだ。集まった参加者たちが、しだいに騒めき始めていた。慌てた女性司会者が透き通る声でその場をとりつくろい、急きょ楽団の演奏に移った。

 由美子が振り返り、吉山刑事に近くを指差しながら言った。
「園長さんがいるわ。彼に話を聞きたいから吉山刑事さんも付き合って下さいね」
「良いが、私のアルバイト料は高くつくぞ」
「はい、はい。後ほど高級レストランで豪華なご馳走を用意しております」
 大沢園長が額の汗を赤いハンカチで拭きながらこちらへ向かって来た。そこへ由美子が駆け寄ったが、大沢園長は吉山刑事を見つけ、やあーと声をかけた。そして吉山刑事は、由美子を押し退けるような格好で園長と握手をした。
「お久し振りですな、大沢さん。何年ぶりになりますかな」
「例の国谷殺しの一件以来ですから、もうまる五年です」
「もうそんなになりますか。早いものですな」と言って嬉しそうに丸刈り頭を掻いた。
「あの頃はずいぶんとお世話になりましたね。・・・ところで、こちらの方は」
 真っ赤な顔をした由美子が二人の間に割り込んだ。
「え、ええ、東都日報の香川と申します。このたびは東京ジョイパーク開園おめでとうございます。少々、お話しをお伺いしたいのですが」
 仕事の邪魔はしないよとばかりに、吉山刑事はその場を離れた。すでにジョイパークの入場ゲートは女性コンパニオンたちで開かれ、一団となった招待客が歓声を上げながらあちこちのテーマパークへと散らばって行った。
 
 今日は吉山刑事にとって久し振りの休日だった。本当なら、自宅の布団の中で一日中いびきをかいて寝ているはずだったが、地元でもあり是非にとの招待を受けていた義理の付き合いだった。
 吉山刑事はコートのポケットからハッカ菓子を一粒、口に含んだ。そして近くにベンチはないかとキョロキョロしていると、背後からどこかで聞き覚えのある声がした。
「やれ、やれ、またも背後かな」と呟きながら振り向くと、親友の推理作家、森野健太郎だった。
 子供たちがグルグル回るメリーゴーラウンドに歓声を上げながら乗っている直ぐ傍の噴水の前で、森野は上品なジャケットに不似合いな格好で、大柄な背広の男に両手を合わせて何度も頭を下げていた。
「だから今週中には絶対、間に合わせるからさ。今日は勘弁してくれないか、本当だから」
「先生の『絶対に、本当に』は、いつも『嘘』なんですよ。私が何十回、聞かされたと思いますか!・・・さあ、一緒に自宅まで帰りましょう」
「・・・分かった。じゃあ田村君、あそこにあるオープンカフェで昼飯を食ってからそうしょう。もう、嘘は言わないから、君は僕を信じたまえ」
 吉山刑事は、なるほどと合点がいった。どうやら、森野は出版社から原稿の締め切りをせかされている最中らしい。そう言えば以前、「僕はね、いつも執筆に行き詰まったら近くの公園で環境を変えて、新しい構想を練るんだ」と聞かされた記憶があった。このパークもその延長線上だなと納得した。
 吉山刑事は、ドラマを見るような気分に浸りながら眺めていた。
その時、耳元で由美子の大声が響いた。
「あのう、吉山刑事さん、せっかくの開園初日ですよ。ボーとしてないで楽しみましょうよ」
「ふうむ、それもそうだな」
 吉山刑事はパーク内をグルっと見渡した。華やかに飾られたメリーゴーラウンド。歓声とともに上空を蛇のように滑走するジェットコースター。『恐怖の館』の看板を掲げた洋館。その隣の大きな噴水広場では、子供たちがいろいろなアニメのキャラクターから風船をもらっていた。遠くには巨大なドーナツ型の大観覧車がゆっくりと回っているのが見えていた。
 オープンカフェへと消えた森野と田村を見据えて、吉山刑事は微笑みながら由美子に言った。
「ここらでちょっとひと休みしないか。そこの喫茶店でコーヒーでも一杯どうかね」
 決めかねている由美子の背中を押しながら吉山刑事は言った。
「さあさあ、お嬢さん座った、座った」と強引に、広場に一番近いテーブルについた。
 背の高いハンサムなボーイが注文を聞きに来た。由美子はピンク色のコートを脱いで気取った様子でボーイに言った。
「そうね。わたしはホットミルクを頂こうかしら」
そして吉山刑事がフウと溜息をついて言った。
「俺はホッとコーヒーをブラックで頼む」
 飲み物がくる間、吉山刑事は隣のテーブルに居る森野と田村の話し声に耳を傾けていた。
 森野は話しに夢中で傍に居る吉山刑事に気付く様子はなかった。
 由美子は撮り終えたフィルムを整理したり、懸命になってメモ帳に何やら書き込んでいた。
 隣から田村の声が聞こえた。
「・・・実はね、先生。さっき、黒田の姿を見かけたんです。先生もご存知でしょう。例の」
「ゆすり屋の黒田だろう。ぼくも奴の噂は耳にした事があるが」
「さては先生の事だ。何か弱みでも握られているんじゃないですか」
「おい、冗談を言うな。僕に後ろめたい事なんて何もないぞ。君こそ何だね、被害者の一人じゃないのか」
さっきのボーイが飲み物を運んで来た。さっそく由美子はホットミルクを飲み始めた。
 そして一息つき、声を落として言った。
「今の話、私にも聞こえちゃった。ゆすり屋の黒田の話、結構、被害が出ているって噂ね。・・・私も他人事って思えない感じだわ。これでも、ならず者や極道の世界にひとりで潜入カメラルポした事があって、危ない橋を渡った経験もありでさ。でも、吉山刑事さんが秘密を握られていたら、ちよっと笑える」
「俺なら秘密を盗られる前に、奴の悪事を暴いて手錠をかけてやるさ。刑事の特権って事だ」
 誰かが。吉山刑事の背中を突ついた。驚いて振り返ると、背中に黒い拳銃の銃口が向けられていた。
「そこを動くな。動いたら一発であの世行きだぜ」
呆然とした吉山刑事の顔が、水しぶきを浴びた。ズブ濡れで見下ろすと、さっきの太郎君が片手に水鉄砲を構えてニヤニヤしていた。吉山刑事は顔を拭きながら、しかめ面で言った。
「ふむ、北村太郎君。その最新兵器も、君の宝物かね」
太郎君は満足げに水鉄砲を福袋に入れ、うなづいて言った。
「今日もいろいろ集めたんだ。これは片方の耳がちぎれたテディベア、それに、これは黄色いティシュペーパー、それからこれはアニメの百円ライターそれから・・・」
「ふんふん、君の発表会はまたにしょうね。実はおじさんたち、今忙しいんだ。ほら、あそこに大きなライオンさんがいるだろう。あそこへ行って風船をもらっておいで」
 しばらく、太郎君は目を細くして吉山刑事を見つめていたがニッコリ笑ってどこかへ去って行った。
 その様子を見ていた由美子が不思議そうに言った。
「吉山刑事さん、あの坊やと息が合ってる。デカ、チビの名コンビで映画になりそう」
「何を言っとるか。俺は本物の刑事だぞ」
「吉山刑事さん、そこにお化け屋敷があるわ。どれだけ怖いか見物しましょうよ。本物の刑事さんが一緒だと心強いわ」
 由美子はぶつぶつ呟く吉山刑事をおだてながら、行列の最後に並んだ。やがて順番が来ると、二人は黒いゴンドラに乗り込み並んで座った。
「・・・やだ、真っ暗じゃない。気持ち悪いわね」
「お化け屋敷は大概そうなっているものだ。知らなかったのか」
 ガタンとゴンドラが止まり、そばの大きな棺の蓋が開くと、中から吸血鬼ドラキュラが勢いよく飛び出し、由美子の目の前を覆うドラキュラに「うあー」と悲鳴を上げていた。またゴンドラが動き出し、暗闇のあちこちから怪物の笑い声が響いた。血まみれの女の生首が宙を飛ぶ。しかし吉山刑事は、子供騙しのからくりに、丸刈り頭をぼりぼり掻いて退屈している様子だった。そして、やおら由美子を振り返ると真面目な顔で尋ねた。
「おい、そろそろ本音を言えよ。いい年をしてお化け屋敷とは笑わせるよ。いったい、君の目的は何なのだ」
 由美子が少し肩をすくめて答えた。
「・・・あの黒田の一件なの。わたし結構、情報通でね。それで実は・・・」
「俺が、以前に黒田と関わっていた事を言いたいんだろう。君は誤解しているのだよ。俺はあくまでも別の事件捜査で黒田と接触していただけなんだ。事情聴取したに過ぎない」
「そしたら例のゆすりの件の事、吉山刑事さんは、全然被害状況を知らないんだ」
「噂は聞くが、全く別件だな」
 天井からミイラ男がガタンと顔を出した。何かが、ほどけた様な声で由美子がいった。
「な~んだ、考え過ぎちゃった」
 そのあと、怪物たちのオンパレードがしばらく続いた。やがて広場に戻った二人はそこで推理作家の森野と出くわした。由美子は、名刺を差し出し自己紹介をした。そして、ちゃっかりと言った。
「吉山刑事さんとは、今日が初対面でして厚かましく、ご指導を受けながら、ご同行させて頂いてます」
 よくも言ったものだと、呆気にとられた吉山刑事は、由美子の顔をまじまじと見据えた。
 三人は人込みをかき分けて庭園の横のベンチに座った。吉山刑事が口を開いた。
「森野さん、最近、執筆活動のほうはいかがですかな。先程あなたの姿を、お見かけしましたが、かなりご苦労されている様子ですね」
 森野は恥ずかしそうに照れ笑いしながら言った。
「ええ、最近は不可能犯罪ものの作品にこだわっていましてね。朝から晩まで頭を抱えて孤軍奮闘ですよ。出版社のほうは従来の本格ハードボイルドを続けろってガミガミ噛み付くんですけど、本格推理とハードボイルドの融合がそろそろ底を突いてきまして・・・」
「フィリップ・マーローの退場という訳ですね。それで不可能犯罪ってどういうものなのですか」
 由美子がつまらなさそうにバッグの中身をゴソゴソ探っている。それを眺めながら森野が言った。
「よくある密室殺人の応用とでも言えば分かりやすいでしょう。衆人環視の殺人、足跡のない殺人、消えた凶器、人間消失、エトセトラって事ですよ」
「ほう、なかなか興味深い事件ですな。しかし現実的な観点から考えると、なかなか・・・」
「そう、そこなんですよ。何故、犯人はそんな回りくどい犯行方法をとったかと、考えるとついペンが先に進まなくて、悩む時がありますねえ」
 三人が腰掛けているベンチの周辺までも、人込みで溜息が漏れる様な窮屈さだった。その中でキョロキョロとして迷い足の田村の大柄な姿が見えた。その時、森野と田村の視線がピタリと合った。
 森野は急に立ち上がると慌てて言った。
「ぼ、僕、少し急用を思い出したのでこれで失礼します。香川さんお仕事がんばってね」
 そう言い残して森野は群集の中へ消えて行った。そのあとを「森野さん、森野さん」と怒りの叫びで田村が必死になって追いかけて行くのが見えていた。
 
 吉山刑事はまたハッカ菓子を一粒、口にした。由美子はしばらくカメラを構えて辺りを撮影していたが、急に振り向いて吉山刑事に言った。
「吉山刑事さん、観覧車に乗りませんか。せっかくの御招待初日だし、パークの全景を観るのは当然だと思いませんか」
「乗るのはいいが、また君とご同行かね」
 由美子は思わず舌を出していた。そして慌てた様子で笑顔を向けて誤魔化した。
「東京ジョイパーク」の中でも大観覧車は、そのスケールで一番の人気を博しているアトラクションだった。二人はまた行列の最後に仲良く並んだ。吉山刑事は観覧車を見上げた。悠に数十メートルはある巨大な輪状の乗り物を眺めてフウと息を吐いた。
 由美子がポケットからフィルムを落としたらしく、かがんでゴソゴソしている。二人の前には茶色のコートを着て中折れ帽を深くかぶった大柄な男がいた。その男は煙草を吸っているらしく、辺りに白い煙が漂っている。彼を見て、吉山刑事は何故か妙な予感を感じていた。しばらくしてようやくゴンドラに乗る順番が近づいて来た。
 由美子が写真を撮ろうと吉山刑事を追い抜いた。その時、吉山刑事の背後で大声がした。振り向くと福袋を持った太郎君が後ろに並んでいた。
「おじさんたち、カメラ撮っているけど、もしかして外国のスパイなの?」
「あれ、しまった。ばれちゃったね。でもこれは二人だけの秘密だから誰にも言っちゃいけないよ。約束だぞ」
 驚いた太郎君は首をすくめて、目をパッチリと見開いた。
 前にいる茶色のコートの男が停止しているゴンドラの扉をくぐって中へ入った。行列の人々は大観覧車の巨大さに、驚きの声でざわめいている。誰かが、大きなくしゃみを二連発しているのが響いていていた。
 男はドスンと座席に身を沈め、係員が急いでとびらを閉めてロックした。ゴンドラの中で、男は肩の辺りをもぞもぞとまさぐっている。
 写真を撮り終えた由美子が戻って来て言った。
「そろそろ乗車よね。吉山刑事さん乗りましょうか。ジョイパークの綺麗なパノラマが撮影できるわ」
 刑事の勘なのか気になる前の男は、ゴンドラの中で肩の辺りをもぞもぞと、まさぐっている。
 吉山刑事と由美子の乗り込んだゴンドラも扉が閉まった。ゆっくりと回転しながら上昇していく。二人は向かい合わせに座り外の景色を眺めていた。遊園地に溢れかえった客たちの姿がどんどん小さくなっていく。空はうっすらと曇っていた。由美子が吉山刑事にカメラを構え、思索に耽る彼の顔にシャッターを切った。
 吉山刑事が言った。
「肖像権侵害だぞ。俺の顔をどうするつもりだね」
「敏腕刑事、休日の素顔って所ね。何かに使わせてもらうわ」
「違法行為を見逃す訳にはいかんな、黙って返しなさい」
「冗談よ。あとで現像してプレゼントするから」
 それから由美子は身を乗り出して外の景色をパシパシ撮り始めた。吉山刑事もパークの全景を頭に記憶するかのように見入っていた。どうやらゴンドラが頂上まで上がったようだった。周りは見渡す限り空が広がっていた。吉山刑事が一粒ハッカ菓子を口に入れようとした瞬間、近くでパーンと爆発音がした。びっくりした由美子が立ち上がって天井に思いっ切り頭をぶつけた。
「いたたたた。いったい、何の音なの。びっくりしたじゃないの」
「・・・たぶん爆竹が鳴ったんだろう。開会式でしくじったのを憶えているだろう」
「本当にそうかしら。何だか悪い予感がするんだけど・・・」
 由美子はバッグから大きな包みを取り出した。開くと中から賑やかな色とりどりの弁当が出てきた。
「これでも手作りなの。結構、時間かかったのよ。よかったら召し上がって下さい」
「それは、それは気が利くじゃないか君は。ちょうど腹ごしらえの時間だよ。旨そうだな」
 吉山刑事が海苔巻きとタコ型のウインナーをつまんだ。しばらく二人はモグモグと弁当を堪能していた。
 やがて群集のざわめきが聞こえ始め、ゴンドラが地上に近づいて来た。
 吉山刑事が窓に顔を近づけて言った。
「何やら騒いでいるぞ、事故でも起こったかな」
由美子も顔を出して覗き込んだ。どうやら二人の前のゴンドラで人だかりができている。
 二、三人の係員が慌しく右往左往している。そうこうするうち、二人のゴンドラに係員がやって来て、扉を開いて言った。
「申し訳ありませんが直ぐに降りて下さい。事故が起こりました」
 吉山刑事は慣れた手つきで、内ポケットから警察手帳を見せて言った。
「現場は前のゴンドラだね。見せてもらおうか」
 その係員は頷くと、こちらですと彼を誘導した。やはり彼の予感は的中していた。前のゴンドラの扉が大きく開かれ、座席の床に茶色のコートの男が血まみれで倒れていた。その背中に拳銃で撃たれた様な痕跡があった。横で由美子が呆然と立ち竦んでいた。
 吉山刑事はゴンドラの中を注意深く観察したが、拳銃の類はどこにも落ちていなかった。
吉山刑事が考え深げに言った。
「確かにこの男性は一人でゴンドラに乗った。そして射殺されたとみて間違いない。すると狙撃した人物はいったいどこから・・・」
 その時、太郎君がゴンドラから降りて来て言った。
「お、おじさんたち、本当は殺し屋だったの。そうなの」と、逃げ腰の太郎君は顔を真っ赤にして怯えていた。
「ちょっと待った。太郎君、大丈夫だよ。これが警察手帳、おじさんは刑事だから安心しなさい」
「そうなの。おじさんは正義の味方なんだ。良かった」と言って太郎君は、走り去って行った。
 由美子が突然、目覚めた様に大きな声で言った。
「こ、これって一大スクープなのよね。撮っておかなくちゃ」
吉山刑事はコートのポケットから携帯電話を取り出すと、署に連絡した。
 そして急きょ現場に駆けつけた安井刑事が言った。
「被害者の所持品によれば、名前は黒田三郎、男性、五十二歳、都内のN区に居住しています。その他は捜査中ですが、吉山さんもご承知のように・・・」
「ゆすり屋の黒田か。こいつも、とうとう息の根を止められたか」
 部下の安井刑事から説明を受けて、しばらく吉山刑事は考えていた。現場のゴンドラでは数名の鑑識係官が仕事を続けている。黒田の死体はすでにパトカーで運ばれていた。吉山刑事は事件に至る一部始終を、安井刑事に話して聞かせた。
 安井刑事が言った。
「ゴンドラの外から射殺した形跡は全くありません。とすれば、どうやって黒田を殺し、逃亡したか・・・この事件はちょっと厄介なものになりますね」と宙を見据えた。
「・・・不可能犯罪か、そう言えばさっき森野さんがそんな事を言ってた所だな」
 そこへ当の森野がやって来た。息を切らせてハアハア言っている。
「よ、吉山さん、黒田が殺されたって聞きましたが本当ですか」
「噂、千里を走るってやつか。これであなたも一安心ってものですな」
 森野が血相を変えて答えた。
「め、滅相もない。悪い冗談は止めて下さい」
「ゆすられている被害者は相当な数の人らしいですよ」と、由美子が、首を突っ込んできて言った。
「私、ちょっとフィルムがなくなったので買って来ます」と、言い残し走って行った。
 安井刑事は聞き込みに姿を消していた。あとに残った森野と吉山刑事は、外壁に身を寄せて話した。
「それではまさに僕の言っていた不可能事件ですね。刑事さんはどうお考えですか」
「自殺という可能性もあるのですが、そうなると何故、自分で背中を撃つ必要があるのか。そして凶器が消えている点が、疑問に残ります。森野さん、あなたが名探偵ならどう推理なさいますか」
「僕なら殺人と捉えますね。例えば犯人はあらかじめゴンドラにこっそり乗り込んで、黒田を撃ち殺し群集に紛れて逃げていったとか・・・」
「それは少し無理なところでしょう。事件の一部始終を、我々や並んだ人たちが見ていたのですから」
「ふうむ・・・」
 森野は慎重な口調で言った。
「確か、刑事さんは上空で暴発音が鳴ったといいましたよね。それはもしかしたら銃声だったのかもしれません。近くのゴンドラに乗った犯人がガラス窓越しに黒田を狙撃したのでは」
「ゴンドラの窓ガラスには傷ひとつ残っていませんよ」
森野は黙り込んだ。帰って来た由美子がじっと森野の顔を覗き込んでいる。
 そこへ近づく人影があった。安井刑事が小柄な若い女性を同伴していたのだった。上品な身なりで高級ブランドのハンドバックを下げている。
 安井刑事が紹介した。
「こちらの方が証言して下さいました。今日、黒田に呼び出され、会う約束をしていたとおっしゃっています」
 吉山刑事と由美子が頭を下げた。その女は島崎智美と名乗った。彼女の話によれば、今日の昼過ぎの三時に噴水広場のベンチで、黒田に二百万円を手渡す約束だったらしい。彼女も秘密を握られていた。
「こんな事を言ってはなんですが、黒田が殺されて、内心ホッとしています。黒田に被害を受けた方は何十人もいたと聞いています。いっそうのこと私も殺してやりたいくらい憎いですよ」
 興奮する女性を、吉山刑事がまあまあとなだめて言った。
「島崎さんとおっしゃいましたね。あなた、お昼の一時過ぎどこにいらっしゃいましたか」
 智美はしばらく困惑した表情で考えてから言った。
「アリバイですね。多分、その頃なら待ち合わせ場所近くのオープンカフェで昼食をとっておりました。そこのボーイさんに聞いてもらえば分かると思います」
 吉山刑事の合図でさっそく安井刑事がカフェへ駆けて行った。ふと気付くと森野の姿がなかった。また、田村に見つかったのか、まるで子供の隠れん坊遊びかよと、笑いが込み上げていた。
 やがて智美は安井刑事に連れられてパトカーの中へ消えて行った。
 久し振りの休日に、また事件を抱えてしまい、やや疲れ気味だった吉山刑事は休憩場所を求めて近くを見渡してみた。それを察した由美子が、前方の山小屋風の建物を見つけて言った。
「あそこならゆっくり出来ますよ。確か釣堀小屋があったはずだから」
 二人は人波をかき分けて小屋に辿り着いた。驚いた事に、入場ゲートの傍で大沢園長が釣り竿を抱えてベンチに腰掛けていた。大沢園長は二人に気付くと表情を変えて言った。
「これはご両人、お出ましですか。しかし開園式の日にこんな事態になるとは・・・」
「心中お察しいたします。しかしご安心ください。われわれ警察が間違いなく早期解決に向けて捜査を進めていますので」
 由美子が真面目な顔で大沢園長に尋ねた。
「大沢さん、あなたはお昼の一時過ぎにどこにいらっしゃいましたか」
 吉山刑事が由美子をジロリと睨んで言った。
「君はいつから刑事になったのかね。それは俺の台詞だ。・・・大沢さん、いかがですかな」
 大沢はボンヤリと上を見上げて言った。
「午前中はお偉いさんの挨拶回りで終りました。そのあと事務所で昼食をとって、昼からは園内の視察で大忙しでした」
「何か気になるような事に気付きませんでしたかな」
「さあて、そうですね。・・・そうそう、観覧車の上で銃声を聞いた時、私はちょうど入場ゲートの前にいましたね」
 ふうむと吉山刑事は唸り声を上げて言った。
「大沢さん、ご一緒に魚釣りでもいかがですか」
 大沢は気落ちした様子で答えた。
「遠慮しときます。活きのいい魚がたくさん釣れますから、お二人でどうぞお楽しみください」
 二人は椅子に腰かけ、やや濁っている池に泳いでいる魚を見ながら釣り糸を垂れて太公望をきめた。
 ポッンと由美子が言った。
「私の直感では森野さんが犯人みたい。決め手はないんだけど、弱みを握られていつも逃げ回っている人みたいだし、何だか、彼のジャケットに拳銃が似合っているようで」
 吉山刑事はあきれ返って由美子を睨んだ。しかし彼女は真剣な顔をしている。
 釣堀小屋の中では何人もの親子連れが、釣れた魚のバケツを覗いては歓声を上げている。一時間程で二人は鯉と鮒を六匹釣り上げた。そのバケツを係員に返し、外に出た。

 由美子が小声で言った。
「吉山刑事さん、いつもの名推理は出てこないのですか」
 吉山刑事はしかめ面で黙っていた。その時、前方から吉山刑事を呼びながら駆けてくる親子連れが見えていた。それは太郎君とグレーのロングコートを着た綺麗な女性だった。
 吉山刑事が、ややうろたえて言った。
「おや、太郎君じゃないか。こちらは誰なのかな・・・」
すると、その女性は頭を下げて言った。
「わたくし、太郎の母親の北村芳江と申します。先ほどは太郎が刑事さんに大変ご迷惑をお掛けしていたようで申し訳ありませんでした」
 芳江の隣で太郎君が黙って下を向いている。彼の片手にした福袋が揺れている。
 由美子が太郎君に声をかけた。
「ママが見つかって良かったね。・・・お母さんも心配されたでしょう」
 芳江が微笑んで言った。
「そうなんです。最初の開会式ではぐれてしまって、捜したんですが見つからなくて、あちらこちらと捜し周りました」
 吉山刑事が口を挟んだ。
「園内放送でもしてもらって、お客さんに協力を呼びかけても良かったですね。実際に私も福袋を持った太郎君に何回も会っていましたからね。しかし、元気なお子さんだ」
「そうすれば良かったですね。落ち着きのない子で、ちよっと目を離すと、いなくなって・・・」
 そう言うと芳江は少し涙ぐんだ。吉山刑事が身を乗り出して言った。
「北村さん、あなた。事件の事はご存知ですかな」
 芳江は慎重に答えた。
「はい。・・・実は私、事件の時あの観覧車に乗っていたんです。観覧車の上から太郎の姿を見つけようとしたものですから・・・」
「その時、銃声は聞こえませんでしたか」
「聞こえました。あれは確か観覧車に乗ってから直ぐの事だったと思います」
 隣の太郎君が芳江の腕を振って言った。
「ねえ、ママ、僕の指につけるお薬ないの」
 由美子がしゃがんで太郎君の顔を正面に見て尋ねた。
「太郎君、指を怪我したの」
「うん、さっき、メリーゴーラウンドに乗ったら、お馬さんと柱の間に指を挟んで痛くなったの」
 芳江が太郎君の手を引いて言った。
「これから医務室へ連れて行きますわ。そうそう、わたくしに何か御用がありましたらご連絡下さい。これ、主人の名刺です」
 そう言うと、大急ぎで芳江と太郎君はその場を去った。吉山刑事は手渡された名刺を見て言った。
「おや、これは驚きだ。北村さんは大手ゼネコンの社長夫人だぜ。確かこの会社、ジョイパークの建設に関わっていたはずだ」
 二人は顔を見合わせ驚きの表情をした。由美子が心配そうに言った。
「でも太郎君の指、大丈夫なのかな」
「お馬さんと柱か・・・」
 吉山刑事は顎をなでて思案していた。そしてある事実に閃いた。
「・・・なるほど、そういう訳だったのか、納得がいくな」
「いよいよ、吉山刑事さんの名推理、開始よね。わくわくするわ」
 吉山刑事はじっと下を向いていたが、ゆっくりと顔を上げて由美子に言った。
「さあ、もう一度、恐怖の館へ行こう。そこで黒田を殺した殺人犯を追い詰めるとするか」
呆気にとられた由美子を従えて、吉山刑事はお化け屋敷に向かった。
 ゴンドラに乗った二人はあっという間に暗闇に包まれた。やがて吸血鬼の棺の前に行き着くと、吉山刑事はゴンドラを降りた。
「さあ、君も降りたまえ、事件の真相を話そうじゃないか」
 由美子は不満気な顔つきで、ゴンドラを降りて来た。
「ここなら誰にも邪魔されない。・・・君から真実を教えて欲しい。そうさ。香川由美子君、何故、君は黒田を殺したんだね」
 しばらくの沈黙のあと、由美子が口を開いた。
「ばれちゃったか。やっぱり吉山刑事さんにはかなわなかったようね」
 吉山刑事が真面目な口調で話し始めた。
「初対面の君が何故、俺と一緒にずっと行動を共にしているのか、少し疑問を抱いていたんだ。君も黒田にゆすられていたんだな。それが動機だろう。そして、今日、黒田がこの遊園地を訪れることを情報通の君は事前に知っていた。そして犯行の機会を窺っていた。拳銃を隠し持ってね。以前に極道の世界に潜入した事があった君だ。拳銃を入手するのは簡単だったろう。そして核心の事件当時だが、君はカメラで黒田が観覧車へ向かうのを発見した。そして俺を同行させて彼に接近した。それでだ。俺はうっかり基本的で肝心な事に思いが至らなかった。それに気付かせたのが太郎君の指を挟んだ『あいだ』だよ。その言葉がヒントになったよ。あの時、被害者は茶色のコートで俺たちの直ぐ前にいた。そのあとだった、君はカメラを持って俺を追い抜き黒田の背後に出た。そして君はコートの『あいだ』から消音器をつけた拳銃で彼に発砲した。その時、君にとっては運良く、誰かの大きなくしゃみと重なって、銃声音がかき消されることになった。そして撃たれた勢いで黒田は、のめり込んで座席にへたり崩れた。彼が肩の辺りをまさぐっていたのは、きっと撃たれた痛みでもがいたせいだろう。しかし係員は気付く事もなく扉を閉めた。やがて絶命した黒田を乗せてゴンドラは上昇していった」
 そこで由美子が絶望した口調で尋ねた。
「上空で聞こえた銃声はなんだったの、吉山刑事さん」
「太郎君だよ。彼は福袋に百円ライターを入れていた。そして落ちていた開会式の爆竹もこっそり拾っていたんだろう。太郎君は我々の直ぐ後ろのゴンドラに乗っていた。そこで事故が起こった。何かの拍子に爆竹にライターの火がついて爆音が響いた。それを銃声と勘違いしたんだ。太郎君がさっき恥ずかしそうにしていたのでピンときたよ。子供に悪気はないさ」
 由美子が紅潮した顔で言った。
「そうよ。わたしは黒田にゆすられていたわ。組組織から拳銃を受け取っている現場写真を撮られてしまって黒田から、ばらすぞと脅迫されていたわ。世間に知れたらわたしの人生台無しでしょう。それに、これから先もずっとお金を要求され続けると思うと・・・ただ、護身用にと思って手に入れただけだったのに・・・」
「全く残念な結果だね。君にご馳走になったお弁当旨かったのにな。君も追い詰められて犯罪に手を染めてしまったんだな」
 いつの間にか由美子の片手に拳銃が握られ、銃口は吉山刑事に向けられていた。しかし吉山刑事は首を振って、彼女の後ろを指差した。彼女が驚いて振り返ると、そこには数人の刑事が立ちはだかっていた。由美子はあきらめて拳銃をゆっくりと床に捨てた・・・。
 遠ざかるパトカーを見送って、吉山刑事はベンチでハッカ菓子を口へ放り込んだ。日はもうすぐ暮れようとしていた。
「これで俺の休日も、もう終わりか・・・」
 広場にいる大勢の客たちも帰り道を急いでいた。その人波を潜り抜けて、森野がこちらへ向かって来るのが見えた。
「よ、吉山さん、ようやく事件の犯行方法が判りましたよ。ぜひ聞いてください」
 その後を編集部の田村が追いかけて叫んでいる。
「待ってください、先生。もう締め切り限界なんですから、押さえ込んででも連れ帰りますよ。待ちなさい」
「これは、しまった」
 森野が急カーブして逃走する。あとを追う田村も猛獣並みのスピードで襲いかかる。
 二人の活劇シーンを呆気にとられて見守る吉山刑事であった。
「吉山さーん、乗りませんか」
 どこかで俺を呼ぶ声が。振り返ると車の中から安井刑事が微笑んでいた。
 車に乗り込んだ吉山刑事が言った。
「悪いが、自宅まで猛スピードで? は駄目か。宜しく頼む」
           
          完