「忘れじの日本のブルジョワ」 山の杜伊吹
PTA役員というものになってしまった。いやだ。やりたくない。できないー、無理っとタダをこねても、やらなくてもいいことになることはない。幼稚園、小学校、中学校、子どもが次の学年に上がる前、新しい門出の前後に、いや~な役員選考会がやってくるのである。
何が嫌かというと、呼び出された全員が、役員やりたくない、やれませんオーラを強く醸し出す、あの独特の雰囲気が嫌だ。肩を狭めて、小さくなって、時が過ぎるのを待つ保護者たち。不正ごまかしは許さないぞ、というピリピリとした緊張感に包まれている。親しいママ友であっても、この時だけは敵とばかりに疑心暗鬼になっている。少子化であるのに、役員の数は減らない。何年も続けてやる人はいないので、選ばれてしまったら、役員の仕事をとりあえずこなし次へ引き継ぐので精いっぱいだ。
今に至るまでのどこかで暇な人が仕事を増やし、必要を感じないハテナマークの作業が膨らんでいく。疑問を感じながらも、次の代へ永久に引き継がれていくことになる。誰かが会長に立候補するらしいとか、もっともらしいうわさが流れ、親たちを歓喜させるが、たいていそれはデマである。
将来議員になりたいので名前を売る、そんな人がいればいいが、まず立候補する人は皆無だ。共働きの家庭がほぼ100%、会社を休めないパパ、仕事を休めないママの悲鳴は聞こえないフリをして、選考会は粛々と進んでいく。母子家庭も、父子家庭も、免除はなしだ。今時珍しくもない母子父子家庭を免除していたら、自分が役員になってしまう確率が上がるから、免除なんかしてやらないぞという、いぢわるムードが漂う。
免責を求める者は、皆の前で手を挙げて、理由を言わなくてはならない。
「○○(名前)です。…うつ病で」「どちらさん? もう一回言ってください」「○○です」「何?」「○○です…うつ病で」「聞こえない!」これは、実際に私が遭遇した場面である。親の介護も免責理由にならない。障がいのある家族がいる、乳児を抱えている、この場合も大衆の面前で発言し、挙手を求め会場にいる半数を超える人が賛成すれば、免責が認められる。
くじを引く前には、ママたちの駆け引きが発生する。「一緒に役員やろうよ」その言葉を鵜呑みにして手を挙げると、えっ私だけ? ハメられるパターンだ。この場面も実際に見た。あの人は役員やってる、やってない、という情報はしっかり見ている人がいて記憶されているので、ごまかしはきかない。免責である過去の役員経験者も全員呼ばれ、その人たちの目の前で、くじを引くのだ。
やってないんだからごちゃごちゃ言わないでやりなさいよ、あなたも私と同じ嫌なことをやるのよ、上から型にはめ、意にそぐわない事であっても、けっして許されることのない前時代的な封建制度のような空気が支配し、そこには情けも容赦もない。
毎年このゆううつな選考会に参加してきた。本当に病気かしら。あの人はなんで免責なの。3人も子どもがいて役員やらずに私立に逃げる気か。そんな陰口を見聞きしていると、いつかどこかのタイミングで役員をやらなくてはならないと思っていた。平役員は楽だが、うちの校区はポイント制ではないので、何度やっても役員対象者として、名前が挙がってしまう。必ず長のつく役をやらなければならない掟(いつ、誰が作ったんだろうね)。
やらずに済むなんて問屋が卸さないと覚悟を決めていた。要は、いつやるかだ。
先輩ママの「何をやるか、じゃなくて、誰とやるか、よ」その言葉を胸に刻みつける。上の子で役員を済ませれば、下の子では免除だ。ママたちの顔ぶれ、自分の年齢と体力、すべてを鑑みて、今年やってしまおうと覚悟を決めた。もちろん、平日土日問わず出張や会議のある会長や副会長はご免である。その下の書記か会計をやれればいい。くじ引きで会長副会長が選出され(これが本当の貧乏くじですね)、ええいと書記に手を挙げた。
PTAはアメリカのブルジョワのママたちが始め、戦後GHQが日本に導入したらしいが、なんですか、あのPTA総会やら、代議員会やら、議長やらが登場するカチカチの会は。左の匂いがする。時間もお金も精神的にも余裕がない今を必死に生きてるママたちの頭の中とかけ離れた、化石チックな世界である。
子どもを一人家に置いて、夜の会議に出掛ける。時代遅れのスーツを着て、人様のお子さんの入学式に出席した。卒業式では門出を祝うため、目立つ場所に座らされる予定だ。平成の時代も終わろうとしている今、PTAに加入しない保護者も出始めた。役員選考会に来ない親、役員に決まってしまったけれど、活動に一度も顔を出さない親、既存の常識ではくくれない親も出現している。
何十年もかけて巨大な組織になってしまったPTAは、今後どうなるか。10年後、やる人が本当に絶滅するか、PTA役員を全然関係ない外注業者が請け負って生き延びるか、どっちかだろーよ。 (完)