「泳ぐ命」 黒宮涼

 幼いころ、初めて金魚を飼った。
 お祭りの金魚すくいで一匹も金魚をすくえなかった私に、屋台のおじさんがお情けでくれたものだった。
 叔母の家から水槽を借りて飼い始めた。その金魚がどれだけ生きたかは覚えていない。ただ死んだ時、庭にささやかなお墓を作ってあげたのを覚えている。きっともう二度と飼うことはないのだと思っていた。

 しかし、それから十年ほど経ったころ。母が祖母を連れて、祖母の家の近くで行われたお祭りに参加したことがあった。その日、母はたくさんの金魚を持って帰ってきた。十匹以上いたと思う。大きいものから小さなものまで様々な大きさの金魚たちがいた。
「それ、どうしたの。なんでそんなにたくさんいるの」
 私は驚いて母に尋ねた。
「金魚すくいのおじさんがもってけ、もってけって。お母さんのこと知っている人でね」
 ここで言うお母さんとは、私の母のお母さん。つまり祖母である。聞くと、断れなかったみたいだった。その人のことを、「覚えてる?」と聞くと認知症の祖母は首を横に振ったそうだ。
 母にこの金魚をどうするのか問うと、飼う。と言った。私はまたも驚いた。
「昔、金魚を飼ってたことあったね。すぐ死んじゃったけど」
 私が言うと、母も覚えていたようだった。
 飼ったところでこの金魚たちもいつか死んでしまうのだと思うと、私は金魚を飼うことに抵抗があった。それでも母が飼うと言うのだから、私はそれ以上何も言わなかった。

 母は宣言通り金魚を飼い始めた。水槽を買い、石を引き、エサも少しいいものを買った。買い物に行ったお店にも大きな金魚がいたらしい。母は興奮したようにその金魚の話をしてくれた。
 金魚たちは水槽の中でのびのびと泳いでいた。玄関に置かれた水槽は、以前のより大きくて場所をとっていたけれど、見るたびに何だか心が和んだ。しかし、ずっとというわけにもいかなかった。金魚たちは一匹ずつ死んでいった。やっぱり。と私は思った。次第に、明日もどれか死ぬかな。と思うようになった。
 一方で、母はすっかり愛着を持っていた金魚たちが死んでいくのを悲しんだ。何が悪いの? 母は、こまめにエサをやり、水槽の水を変え、水槽を買った店の人にどうすれば金魚が長生きするかを聞きに行く。だが母の努力もむなしく、残り一匹になった。
 一番大きく育った金魚だった。その金魚は、私が結婚して家を出て行った後もしばらく生きていた。長生きしたらしい。

 その金魚がとうとう死んでしまったのは、祖母が誤嚥性肺炎になったときだった。私が病院に見舞いに行った日、実家に行くと水槽にいるはずの金魚がいない。
「あれ。金魚は?」
 私は目を丸くしながら、母に尋ねた。
「おばあちゃんが入院した日の朝に、死んじゃったの。きっと金魚が代わりになってくれたんだね」
 母の言葉に、私は衝撃を受けた。そんなことがあるのかと。可哀想だけれど、それで祖母が命を助けてもらったのなら、金魚に感謝しなければいけないと思った。
 それから数か月がたったころ、母はまた金魚を飼い始めたらしい。
 そして先日。お盆なので実家に帰省すると、相変わらず水槽に金魚が数匹泳いでいた。
「なんだか色が悪くなっちゃってね」
 母が金魚の色が悪いというが、私にはさっぱりわからなかった。白と赤の模様の金魚が水槽の中を泳いでいる。
 母はもう私にはわからない世界に行ってしまったのね。と半ば呆れたように私は笑った。(完)