「面倒くせ」 真伏善人

  無くて七癖と言われているが、その範囲はと考えてみると自分では絞れない。まさか他人に聞くわけにもいかないし、例え指摘されても素直にうなずくことが出来ない行動、所作はあろう。したがって思い当たるがままにということにしてみよう。
 ズボンのポケットにお金を入れることである。しかも左利きでもないのに、左のポケットにだけである。紙幣、硬貨にかかわらず外出前の行動である。いつのころだったか。他人に財布はどうしたのかと不思議がられたが、ひと言、「面倒くさいから」だった。

 財布を持ったのは社会に出て給料をもらってからである。同期の連中と同じようにと手にしたが、数日でやめにした。訳はせっかくポケットがあるのに、なんでまた財布を取り出し、そこからお金を取り出さなければならんのかと、単純な思いであった。その単純な思いは、たどってみると少年期からあったかも。
 戦災で家も店も失い、疎開先での生活はどん底であった。借地に杉皮屋根の雨漏れ小屋を建て、そこに七、八人が住み、商売を始めたのであった。小学校も六年になった頃から商品を担いで駅まで運び、仲買人に渡してお金を受け取っていた。
 雪が積もり固まった歩きにくいその日は駅ではなく、町への配達であった。一斗缶を担いで夕方の薄暗い道を歩いた。仲買人の家は露地にあった。家の戸を開け「おばん〈夜)になりました」と声をかけるとすぐにおばさんが出てきて、「おお、ありがと」を繰り返した。一斗缶を渡してお金を受け取ると「これは駄賃だ」と十円を握らせてくれた。えっ、これは有難いとお礼を言い玄関を出た。
 すでに暗くなっていた帰り道を急いだ。家が目に入ると同時にズボンの左ポケットにある二百円を確認する。手触りがない。あれっと思い指先をおどらせたが十円玉の感触だけであった。まさかと上着のポケットも確認したがあるはずもない。瞬きを忘れ、振り向きざま目線を雪道の表面に絞り、道を戻った。神様にすがる思いで進むが、とうとう仲買人の家まで来てしまった。愕然とする。
 両親の顔が浮かぶ。ひょっとしてと、再び雪道に目をやりながら家へ向かうが、何の手がかりもなし。さあどうしたらいいのかと動悸が激しくなる。玄関の戸を静かに開けるも声が出ない。そのままでいると、そろりと母親が出てきた。「なに、どうしたのよ遅いんでねぇか」と顔をひきつらせる。顔を上げることができず、「お金落とした」とひと言。

 これは今でもはっきり覚えている。こんな事件があったにも関わらず、ずっとズボンの左ポケットを財布代わりにしている。何がそうさせているのだろう。上着にもポケットがあるのに使わない。なぜだろう。
 それは普段、何かの動作、ふるまいをする時、上着にある財布の揺れが意識過剰になってしまうからか、暑くて脱ぎ置いてしまった拍子での紛失が頭の隅にあるからなのだろうか。そう思い考えてみると、上着よりズボンのポケットは、立っていても腰かけていても手が触れる位置にあり、自然な動作の範囲で、財布の有りようが確かめられる。そして、なによりすぐに取り出せて、使えることは気持の流れも悪くはない。やはりお金はズボンの左ポケットに限るということになるのだろう。

 この思いは一貫している。或る意味これは習慣であり、修正できない癖ともいえよう。
 家に帰ると、まずはズボンの左ポケットから紙幣硬貨をつまみだす。あれっ千円札が一枚足りないっと思うこともあるが、いや手前の勘違いだと、戒しめることにしている。 (完)