「ガムランをコーラスで」 碧木ニイナ
ある国際交流団体の招きで当地を訪れた、インドネシア大学の学生たちと共演するために、合唱によるガムラン演奏という面白い体験をしました。
「ガムラン」とは、インドネシアのバリやジャワ島の伝統芸能に使われる楽器の総称で、それらの楽器によって演奏される音楽も意味します。ビブラフォンや鉄琴、ゴングやチャイムなどには、その音色の美しさから、青銅が一番多く用いられる金属だといいます。それらに、さまざまな大きさの太鼓を加えた音楽を、声で表現しようというのです。
手渡された楽譜はカナダ人作曲家による手書きのもので、最初のページには次のような英文の注解がありました。
『…ガムランで使われる音階は、一オクターブを五分割した五音音階。バリやジャワの人たちはこの五音音階を、ドはdong、レはdeng、ファはdung、ソをdang、シをding で表現します。dは打楽器を、ng は体鳴楽器を連想させます。スタッカートで木製楽器の乾いた音を、ng は鼻音を効かせて残響を表現し、dとngの間の母音で音色を変えましょう。ガムラン演奏には素早い、弾むような勢いが求められます。それがコンサート成功へのカギでしょう…』
二十~六十代の三十名程の団員が、ソプラノ上下、メゾソプラノ、アルト上下と、五つのパートに分かれての練習が始まりました。
「ガムラン」は、どのパートも全音符で静かにスタート。ですが、すぐに十六分音符までの長短の音符が入り乱れ、速度標語も強弱記号もにぎにぎしく登場、なのに休符がほとんどないのです。そのスピードと相俟って、他のパートを聴くと自分のパートに支障をきたす状況が出現し、なかなか調和が図れません。ともあれ、楽譜に忠実なゴーイング マイ ウェイがベストということになりました。
団員たちは楽譜にかじりつきつつも指揮者を見やりながら、dong、deng、dung、dang、dingも紛らわしく悩ましく、息つぐ間もなく打楽器を鳴らし続け、青銅の音色に尾を引くような美しい残響を乗せようと心を砕きます。ミスに気づいたメンバーの照れ隠しの小さな笑いが、あちこちで起こりますが、すぐに空気が張りつめます。
指揮者からは「テンポが速くなっても響きをなくさないように」とか、「何種類かの楽器が競い合うかのように」、「ここで一気に高まって、スッと静めて次の小節に入りましょう」とか、「ここでは遠ざかる音のイメージを膨らませて」などと、ガムラン演奏についての大切なエッセンスを含んだ注意事項がどんどん飛んできます。
やがて数回の練習後、バラバラで統制のとれていなかった音楽が、作曲家と指揮者の想いを汲み上げるように美しくまとまってきました。私はメンバーたちの音楽性の高さ、豊かさに感心することしきりでした。
コンサート当日は客席も満員。インドネシアの学生たちは、男女ともにビビッドな原色と金色の大柄プリントのきらびやかな衣装を身につけて、健康的で弾けるような若さの何とまぶしいことでしょう。南の島で育った彼等の歌はおおらかで、歌う喜びや生命への賛歌に満ちあふれていました。私は、自然への畏怖のようなものまで感じ取ることができたのです。
私たちの装いは、彼等とは対照的な黒いベルベットのノースリーブのロングドレス。そこにスワロフスキーのイヤリングを加えたら、少し華やかさが増したようです。お互いの演奏を舞台の袖で鑑賞したのですが、客席からの大きな拍手の中にブラボーの声が混じっていました。合唱する喜びが五感を満たし、全身に広がりました。
彼等は私たちのガムラン演奏を褒め称えてくれ、私たちも精一杯の褒め言葉のお返しをしたのです。ほっこりした空気があたりを包み込みました。真っ白な歯と真摯に未来を見つめるように澄んで輝く瞳、人懐こい笑顔が印象的な彼等との一期一会の縁を思います。こうして、音楽を通した草の根の国際交流は、無事終了しました。