「突然の手紙」 平子純
十一月半ば、公孫樹が真黄の葉を散らし落ち葉の埋積を見せ、それを踏みしめながら佐藤一郎は昨日沖縄から届いた大城ひなという知らない女性からの一通の手紙に驚いた。彼自身すでに七十歳を迎え最近ではデイサービスに通う日もあるが、一昨年亡くなった父への手紙で父の過去彼の知らぬことばっかりであった。
父の生前、戦時中のことはしゃべらなかった。ただ父の顔面から半身に火傷の跡がケロイド状に残りそれが戦争中に背負ったものだということは知っていた。父はその後遺症にずっと苦しんでいた。それでも名古屋の小さな工場で一所懸命に働き彼や弟、妹をそれなりの学校に出させてくれたのだ。
父は六十歳で工場を退職した後も警備会社で働き家計を援けてくれた。一生働きづめの人生で晩年に病で倒れ老健での生活を余儀なくされたが、彼等兄弟妹は父の一生、特に若い頃のことは知らされていなかった。たまに来る父の戦友との会話で、沖縄戦の事や火炎放射器のことは盗み耳したことはあったが、そんな事もあったのかと深く父に尋ねた事もなかったし父も語ろうとはしなかった。自分も会社を辞め七十歳を過ぎ自分は何者なのかを考えるようになり亡き父母の過去が知りたくなったのである。
母も余り過去はしゃべらない女だった。ただ戦争中に焼け出された事や名古屋城が焼け落ちる事だけは聞いたことがあった。母も一生働きづめの人生で料理屋で女中や年取ってからは料理補助や皿洗いをやっていたと聞いていた。
十二月半を過ぎると公孫樹は真黄色に変じ銀杏をつけ再び燃焼する。楓も同じだ。紅く色付き小さな実を付け裸木になるまで少しの装いを変える。まるで最期の生の燃焼のように。
ちょうど一月前に燃えた首里城はもっと壮絶だった。真黄色い火柱を上げたり、まるで龍が天へと昇るように紅蓮の炎を巻き上げ落城の哀しいまでの情と異様なうなり声と共に焼き落ちた。まるで龍が苦しみもだえ死んでゆくように。そうして沖縄の魂も滅んでいった。
大城ひなの手紙には首里城近くの攻防戦で父は傷つきそれを看護したのが彼女と書かれていた。父の安否と再び首里城が燃えた事の喪失感が連綿と書かれ、父に同調してもらいたい内容だった。
彼は早速妹や弟に連絡を入れ、父の事、特に戦時中の事を何か知っているかと尋ねた。兄弟でも母親べったりの弟は父の生涯は余り興味がないようで余り知らなかった。父親に可愛がられていた妹は弱冠知っていた。特に父のケロイド状の創が友達から気味悪がられたり虐められた事で反発心も芽生えたのだろう。ケロイドの事を直接聞いたことがあったらしい。やはり創は沖縄での戦いで背負ったものだった。首里城攻防戦の時、城の近くのある洞に陣取っていた時、米軍の火炎放射でやられたということだった。父はその時、あまりの火焔の光にやられ、目も見えなくなり焦げ臭い髪や肉の焼ける臭いでそのまま気を失い気が付いた時は別の地にあるテントに運ばれ看護を受けたらしい。その時出会ったのが近くの女学生で看護婦として働いたらしい。妹もそれ以上の事は知らなかったが、自分も沖縄に行って父の歴史を知りたいと言った。彼もその時無性に父の戦跡を訪ねたくなって来た。
兄弟妹はそれぞれの人生を歩み、互いに苦しい時を乗り越え年を重ね人生を振り返る時期にさしかかっていたのである。こうして三人は集まりお互い知っている父母の事を話す機会を得た。地道な母の生き方、それでも義理堅く近所づきあいや親戚づき合いはまめで皆に好かれていた。その母も八十四歳のある朝心筋梗塞で死に近くの葬儀場で送った。参列者も多く母の知り合いの多さに好かれていたんだと気付かされた。今回の沖縄からの手紙で父が意外と他人には好かれていた一面を知った。兄弟妹は皆で沖縄、それも船で行こう等と話し合い子供の頃にもどって行った。 (完)