エッセイ 「ババーンっていうピアノ」

 音の少ない場所に住んでいる。
 ここは30年程前に山を造成して造られた住宅地で、いまは住民の高齢化が進んだ。子供たちは成人して家を出ていき、もはや都会で暮らしていて、いつ帰ってくるか知れない。運良く息子や娘が結婚等で戻ってきても、若い者は昼間仕事に出て行く。嫁の方も義父母とずっと顔を突き合わせているのに耐えきれず、幼子をいそいそと保育園に預けて、パートに出ている。
 数少ない元気な子供たちも昼間は学校へ行っている。よって、平日の昼間にこの場所に残されているのは、老人か、ひきこもりの若者か、その他心身の調子の悪い人だ。
 風が吹いて、草木が揺れる音。
 時折聞こえる小鳥たちの鳴き声。
 たまのスコール。
 それ以外、なにもない。
 車も通らない。テレビの音ももれてこない。
 景色に目をやると、遠く広大な山なみと、水位の変わらない澱んだ池が見える。

 ここに越してくるまでは、音の洪水の中にいた。
 朝は目覚まし代わりのバロック音楽で起床。
 慌ただしく身支度を整える時には、アメリカンハードロック。
 通勤電車の中でウォークマン片手にカラオケの流行歌を覚え、オフィスではつねにFMから軽快なポップスが流れていた。
 昼休みにはCDショップでお気に入りアーティストのニューアルバムをチェック。
 帰宅時にレンタルCDを借り、風呂でもラジオを鳴らし、寝る直前までバラードかヒーリングミュージックを聴いている、といった具合。
 ドライブに連れていってくれる人が、自分よりも音のアンテナが鋭い人だと、嬉しくなる。
 初めて聴く曲、知らないアーティスト。曲目、名前、そのバックグラウンド。
 会話がはずむ。
 音の好みが同じか、重なっていると、仲良くなれる。
 窓に流れる景色とバックミュージックが一体となって、永遠に忘れられない記憶となって、刻まれる。
 逆に音楽に無頓着で、安っぽい流行歌ばかりかけていると、がっかりだ。
 嫌な曲を延々聴いているのにも我慢が必要だ。
 だんだんとこっちの機嫌が悪くなって、帰りたくなる。
 大抵の場合、それっきり。
 好きな人に自分のお気に入りの曲をいっぱい入れたMDをプレゼントしたことがある。
 これが私だと、アピールして、喜んでいた。

 音の洪水に溺れていた。
 でも無音だと、落ち着かない、音ジャンキー。
 うまれたての赤ん坊に、延々とテレビやステレオの音を聴かせ続けるのは良くないという。
 では人生最初に与える音楽は、なにがふさわしいか。
 赤ちゃんにはクラシックから与え、童謡、だんだんと親の意向が入ってきて英語のうた、黒人のようなリズム感を養うためにブルーズなど、徐々に俗世の音に慣れさせていく。二時間以上聴かせ続けてはいけないともきく。
 親になった自分は、おかげでほぼ無音の世界へと住処をかえた。
 最初は戸惑い、音楽中毒から抜け出すために、リハビリセンターに入院したような窮屈さがあったが、時計のコチコチ動く音をきき、青空に浮かぶ真っ白な洗濯物がパタパタいうのを眺めいてると、太陽の位置、雲の流れが自然と目に入り、深い静寂のなかで精神が統一され、まるで無の世界が垣間見えるかのようだ。

 子どもが、音楽教室に通うことになった。
 親に似て音楽が好きなようで、暇さえあればピアノを弾く真似をしながら歌い、踊っている。
 一度、幼児音楽体験教室に行ってからというもの、ピアノやさん(音楽教室)に行く、といってきかない。
 とはいっても、最初は親と一緒に、音楽に合わせて歌ったりするだけ。鍵盤で弾くことを教わるのはずいぶん後のことであり、楽器は当分必要ないと思っていた。後々、中古のエレクトーンか、安い電子ピアノで足りるだろうと、たかをくくっていたのだ。
 なにかのついでに楽器屋さんに立ち寄ったら、電子ピアノと、ピアノが多数並んでいて、それらをキャッキャ言いながらジャジャーンと鳴らし、「僕、コレにする」という。
 よりによって、触れるのも躊躇するような、その店で一番立派なピアノを気に入ったようである。ソデを引っ張って、あわてて店を後にした。
 次に、デパートの中に入っている楽器屋に寄ったときのこと。そこは電子ピアノが数台あるのみであった。
 そのすべてを鳴らして「絶対にコレがいい」と選んだのは、ピンキリある電子ピアノの中でも、本物のアコースティックピアノと変わらない音が出るという、最高のものであった。
  「あれはどう?」(ちなみに最安値)
と聞くと、
「だって、あれはババーンっていわないから。ババーンていうのがいいの」
 子どもが欲しがっている電子ピアノのお金を出せば、本物のアコースティックピアノの中古が買える。電子ピアノは場所をとらないし、リーズナブルなのがいいところ。内心、電子ピアノの購入を考えていた。ただし本物のピアノではない。ピアノの音が出るが、それは録音されたピアノの音を、高度な技術でスピーカーから電気的に出しているのである。
 ピアノと聞いてみなさんが想像するアコースティックピアノは、弦と胸板が響いて、その人それぞれの音となる。まぎれもなく、本物のピアノだ。
 「でも僕本当はおっきいピアノがいいんだよね。コレか、コレ」
 チラシにあるアコースティックピアノ(アップライト)とグランドピアノを指差している。
 「こんなの買えないわ。高いから」
 「じゃあサンタさんに、ピアノが欲しいですって、お手紙を書く」
 「ピアノは大き過ぎてサンタさんの袋に入らないから、無理だと思うよ」と、やんわりと期待をくじいておいたのだが・・・。
 帰宅して、再度確認すると、エレクトーンや電子ピアノは嫌だというのだ。
 人に相談すると、皆一様にアコースティックピアノ賛歌。「絶対に、ピアノの方が音感が良くなる」「電子だと和音の聞き分けが弱くなる」「音の違いが分かるなら、なおさらピアノを与えるべき」という意見で一致した。
 このピアノ包囲網には参った。
 こちとら別に、子どもを音楽家にしたいわけではない。 四歳のしかも男の子、音楽教室だっていつまで続くか・・・。
 しかし、本当はピアノがいいということは分かっている。弦楽器の中で、ピアノが一番好きだった。本当は、ピアノが欲しい。子どもも欲しがっている。
 ピアノを8年間習っていた。
 それでは私はなぜ、ピアノを持っていないのか。
 気づいたときには、家にエレクトーンがあった。ではなぜピアノではなく、エレクトーンが与えられたのか。
 考えれば考えるほど、長い間、かさぶたの下にあったうずきのようなものを自覚するのである。
 内気だった私は、ピアノが欲しいと、母に言ったか、言わなかったか。
 幼なじみで近所のえりちゃんの家にはピアノがあった。
 一緒にピアノを習っていたのに、えりちゃんの方が数段上手だった。
 記憶をひもとくと、まぎれもなくピアノが欲しかった。
 母は、それを知っていただろう。
 それでは子どもの音感にピアノがいいということを、知らなかったのだろうか。
 真相を確かめるべく、母を問いただした。
 すると、「エレクトーン? うちにはエレクトーンなんてなかったわよ」
 と、驚くべき答えが返ってきたのである。
 「それでは、私は8年間、家でなにを弾いていたの」
 「ピアノでしょう。でもあんたはほとんど練習しなかったわ」
 それは私にとって、衝撃であった。
 ほとんど練習しなかったのは、本当である。しかし、私はまぎれもなくエレクトーンで、イヤイヤ8年間練習していた。
 ピアノが与えられたのは妹の方で、私がピアノを辞めた後、親戚からもらったのである。
 母は、私のエレクトーンとともに歩んだ8年間を、見事に記憶から、消し去っていた。その無関心ぶりといおうか、それでは練習する気もなくなるわと思いながら、一方で仮にピアノが与えられていたとしても、その後の人生が変わったことはなかっただろうなと思うのだ。

 クルマという狭い空間の中では、必然的にひとつの音楽を共有する。
 夫と私と子ども、それぞれ好きな音は違う。
 しかし「この音楽は一人では聴く気になれないけれど、夫と一緒に聴きたい」というもの。「子どもが喜ぶからこの曲を一緒に聴きたい」など。ひとりでなく、みんなが気持ちよくなれる曲というものが、存在する事を知った。自分の中で、新たなジャンルを誕生させたともいえる。
 色とりどりの音の洪水に巻き込まれながら、トランスしていた自分。その後足を踏み入れた静寂の世界。どちらも心地良く、ずっとそこにいても良かった。でも、いつまでも無音の世界の住人ではいられない。草木が成長していくように、一歩ずつ、歩みを進めていく。歳月を経て、歳をとり、心も体も、人は変わっていく。それを受け入れられるようになった、いまのわたしだ。
  
 
 紆余曲折あって、中古のピアノが家に来ることになった。
 昭和55年式だという。ちょうど、私が欲しかった頃のピアノだろうか。
 弾いてみると、あの頃のイメージ通りの音がする。数十年の時を経て、私の手元にやってきた、決して若くはないピアノ。それでも子どもは喜んでいる。 
 静かすぎるご近所に、「ピアノを入れますので、ご迷惑をお掛けします」 と、ご挨拶に行かなくては。