一匹文士、伊神権太がゆく人生そぞろ歩き(2022年5月~)

2022年5月30日
 舞の遺影の周りはいつだって息子の手で美しい花々で飾られている
 

 月曜日。7連敗のあと、せっかく3連勝したというのに。ドラゴンズは昨日、オリックスに8―0でコテンパンにやられて負けた。これだけ思っとるのに。何やっとるのだ、と言いたくもなる。でも、そこは抑えて「選手も立浪監督も、みんなそれぞれ一生懸命やっとるのだから。しかたないよ。野球は勝ったり負けたり、の世界なのだから。それでよいのだ」と自らに言い聞かせる。
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 さて。わが友、ネパールはカトマンズで暮らす長谷川裕子さんから国際メールが届いた。次のような内容だった。
「世界は激変、これからも激変していくのでしょう。どんな状況でも明るく前を向いていこうと思います。足元の幸せを見いだしながら世界の幸せのために。ゴン太さんも一緒に」。私は読みながら思わず「ありがとう。そうだよね。だよね」とつぶやいていた。それと裕子さんと言えばだ。彼女からの便りによれば、【カトマンズさまよいウォーキング】を本格的に始めたというだけに、今後カトマンズからの発信に期待したい。

 ところで、話は急旋回。きょうの昼前、眼医者さんからの帰りに運転していたら、とってもデカいカラスが三羽、四羽と「そこのけ、そこのけ。お馬が通る」どころか、「そこのけ、カラスさまのお通りだ」と言わんばかりに道路をトコトコ、とんとこと道幅を全部占領して歩いて行くではないか。
 そういえば私はかつて一宮主管支局長(現在は一宮総局長)在任時に【カラスの子】というコラムを新聞で連載したことがある。だから、その時の挨拶代わりに、いっとき路上封鎖とあいなったのかもしれない。私は、しばらく車の速度を落とし、カラスたちが大手を振って路上を横切っていくのを見やった。

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 元日本兵・故横井庄一さんの妻美保子さんが27日、脳出血で死去。94歳だった。美保子さんといえば、だ。太平洋戦争の激戦地グアム島で終戦を知らされないまま潜伏生活を続け、1972年2月に帰国した横井庄一さんと同11月に見合い結婚。以降、耐乏生活評論家としての講演や陶芸に打ち込む夫を、妻としてどこまでも支え続けた女性である。私は、たまたま新聞社の社会部当時(昭和50年代)、名古屋中村、西署などのサツ回りの傍ら、中川区も担当。あのころ、中川区の自宅に横井さん夫妻を何度も訪ねたが、いつ顔を出しても笑顔で接してくださったあの時の表情は今なおしっかりと覚えており、忘れることは出来ない。
 みほこさん! 昔、大変お世話になった〝いがみ〟です。「横井庄市記念館」の開館や、ご主人の〝戦後〟をご自身の目で辿った【鎮魂の旅路】の出版など。長年、平和のために力を尽くされ、本当にお疲れさまでした。ご主人の庄市さん。きっと喜んでおられるはずです。(手をあわせて)合掌―
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 昨日は群馬県高崎市と栃木県佐野市で35・2度を観測、ことし初めて最高気温が35度以上の猛暑日に。岐阜県多治見市で34・9度、名古屋市でも33・1度など全国914観測点のうち261地点で30度以上になった。第75回カンヌ国際映画祭の授賞式が28日(日本時間29日未明)、フランスのカンヌで開かれ、最高峰のコンペティション部門で是枝裕和監督(59)の韓国映画「ベイビー・ブローカー」に主演したソン・ガンホさん(55)が韓国人初の男優賞を受賞。長編の初監督作「PLAN75」を出品した早川千絵監督(45)が新人監督賞カメラドールで次点の特別表彰を受けた。このほか、将棋の第八十期名人戦七番勝負の第五局が28、29の両日、岡山県倉敷市で指され、先手の渡辺明名人(38)が九十七手で挑戦者の斎藤慎太郎八段(29)を破り、対戦成績4勝1敗で3連覇を果たし、棋王と合わせて二冠を維持した。

2022年5月29日
 日曜日である。
 朝、NHKラジオでかつておまえと一緒にいつも耳を傾けた【音楽の泉】に、シロ(オーロラ・レインボー)を傍らにパンとヨーグルトを食べながら聴き入る。きょうは、ベートーベンの交響曲第5番、運命で聴きがいがあった。たつ江(伊神舞子)が健在だったころ。私たちはいつも朝食をたべながら、この番組に耳を傾けたものである。
 【音楽の泉】のあとは、引き続き新聞をチェック。陽射しがよいのでベランダに出て、久しぶりに早朝に干しておいた毛布2枚の表と裏をひっくりかえす。シロちゃんがベランダに寝ころんで手伝っているつもりなのだろう。おかあさんそっくりの顔でいろいろやってくれるのはよいが。返って邪魔になってしまう。でも、まっ。いいっか。ご本人、オーロラレインボーちゃんは、あれでいて私を助けているつもりだ。昔のように、おかあさんと一緒に毛布干し(とは言っても私はほとんどやらず任せっぱなしでいた。今になってほめられたことではないことに気が付く)をしているつもりなのだろう。それにしても、わが家の屋敷内は雑草が急成長してきた。そろそろなんとかせねば。とは思いつつも草引きをしている時間がない。

 最近、何よりも嬉しかったのは7連敗して、お先真っ暗だった中日ドラゴンズが、幸いセ・パ交流戦に入り、3連勝し少しだけ盛り返したことか。ドラが勝つと、なぜだか力がわいてくる。なぜだろう。それから。きょうの中日新聞1面トップは【平和願いしHAIKU 黛さん企画、世界から詠み人】というもので、前文には『ロシア軍のウクライナ侵攻に対し「HAIKU」で平和を訴えよう―。俳人の黛まどかさんは、英語や母国語などで俳句を詠む国内外の愛好家らから作品を募集。集まった475句から特に心を動かされた10句を選び、本紙に寄せた。外国語の作品には自らの和訳を添え「世界の人々が俳句でつながり、戦争が終わることを知ってほしい」と力を込める。』とあった。この世の中は何より平和でありたい、との思いが伝わる良い記事だった。

 29日付中日新聞の記事は俳句で平和を訴えよう、というものだった
 

2022年5月28日
 土曜日。白い雲が空高く。浮かんでいる。青い空。5月の風ならでは、か。きょうの風は、とても強くベランダの洗濯物が何着もバタバタと落ちたりしていた。ところで、おまえ。たつ江は今、この宇宙の一体全体、どこにいるのか。おふくろと一緒にいるのか。きょうは、知らせたいことがある。何か。

 それは、だ。おまえの生前に俺がよく語って聞かせた、あの重信房子さん(76)がきょう、20年の服役を終え無事出獄した、ということをまずは誰よりも先に知らせよう。彼女は私と同年齢で俺がもっとも、その存在と動向に目を注いできた、その重信房子が懲役20年の刑を終えて本日28日朝、東京都内の収容先を無事、出所したのである。
 重信房子といえば、だ。1970年代を中心に世界中でさまざまなテロ事件を起こした過激派グループ「日本赤軍」の元最高幹部で自らもオランダ・ハーグの仏大使館を占拠した「ハーグ事件」で殺人未遂などの罪に問われ、捕らわれの身となり、懲役20年の実刑判決を受け、服役。服役中には4回のがん手術にも耐えたという。全てにかけて強靭な女性である。
 この日、刑期を終えて午前8時前に東京都昭島市にある「東日本成人矯正医療センター」から迎えの車に乗って出所。重信さんは、支援者や報道陣を前に「生きて出てきたな、と実感しています。50年前、人質を取るなどして被害を与えたことをおわびします。こんごは治療に専念し反省するとともに好奇心を持って生きていきたいです」などと話したという。その言や、よしである。

 そして重信さんといえば。もうひとつ、出所に合わせ歌集【脱出獄! 重信房子歌集 暁の星 テロリストと呼ばれしわれは秋ならば桔梗コスモス吾亦紅が好き 斬新で清潔な文体、死者への哀悼と連帯の800首 跋・福島泰樹」(晧星社)が出ることを中日新聞の26日付朝刊1面の広告で知り、その日のうちにさっそく、亡きたつ江がお世話になってきた地元杉浦書店さんに注文をお願いしたのである(まだ手元には届いていない。そのうちに届くだろう)。

 重信房子出所を報じた朝刊
  

 

【舞1年前 2021年5月28日の舞(ごん日記から)】
 朝、舞曰く「あたし。雑菌は、少しあった方がいいと思うの。その方が人間も抵抗力がつくし。だから、ちょっとはあった方がいい。うがいもやり過ぎるとよくないのだって(舞の雑菌に対する考え方)」と。舞のワクチン接種予約をパソコンから一緒にする。結局、私と同じ6月22日の午後2時30分からKTXアリーナ(江南市スポーツセンター)で接種してもらうことになった。ワクチンはファイザー社製ワクチンである。ちなみに私は午後2時から。同じKTXアリーナにて。舞が痛み止めの薬がなくなったから、と。近くの池田病院へ行く。
 午後。江南厚生病院へ一緒に。舞。検尿に続いて採血。この後、婦人科で担当の松川医師の診察を受ける。「腫瘍マーカーのデータは、増えています。CTを撮っておきましょう。それを見たうえでこんごの治療を考えましょう。(改めての抗がん剤治療となると)最初は3日間ほど入院、あとは通院治療になるかと思います」と同医師。CTのあと「(アイソトープによる診断でも)子宮の下にモコッとしたものがある。がんが再燃してきている」と同医師。このあと最近、ピアゴに代わって新しく出来たドンキにふたりで寄り、買い物をして帰宅する。夜。長男におかあさんの状況について電話で説明。

(2022年5月27日)
 金曜日。
「やることは、ひとつ。ひとつなの。1日ひとつよ。あなたは、まだ若いと思っているかもしれない。でも、もう齢なのよ。齢なのだから。無理しないで」
 このところの私は、亡きたつ江のあの鈴を転がすような声を振り払うようにして生きている。今にして思えば、私のからだのことばかりをいつも思い、最優先にしてくれていた。ありがたいことだったな、と思う。きのうは、滝高校の昭和39年春卒業生からなるクラス会「二石会」(卒業時の恩師二村先生と石田先生の頭文字を取って、〝二石会〟と名付けられた。私は現在、会長)の役員による江南市内「むさし屋」でのこんごの会の存続と運営方針を話し合う食事会に出席。久しぶりの顔合わせに互いに青春時代が蘇ったのである。みなホントに気のいいクラスメートばかりである。
 私は、食事会が終わったその足で一宮のスポーツ文化センターへ、と向かった。センターではワルツとルンバを学んだが、七月十八日の名古屋市内でのラララダンス発表会には「ぜひ出てほしい。一緒に踊るのだから」と若さん(ダンス教師)に言われ、参加を約束。それよりも何よりも、きょうはこのところ私的事情から顔を見せなかった羽島の「アサちゃん」がひょっこり顔を出してくれ、彼女の口から出た「これからもレッスンにでます」との言葉に先生は大喜び。私自身も、なんだか嬉しい気がしたのである。

 世の中の方は、ロシアによるウクライナ侵攻その後に始まり、夏の到来を前にコロナの感染縮小に伴うマスクの有効活用についての見直し、北海道・知床沖の観光船沈没事故その後(沈没船カズワンは、その後網走港で船上に引き揚げられた)などが報じられている。

2022年5月25日
 「クアッド」首脳会合を報じた25日付中日新聞朝刊
 

 日本と米国、オーストラリア、インドの4カ国による協力枠組み「クアッド」=QUADは英語で、4つで一組を意味する=の首脳会合が昨日24日に首相官邸で開かれ、「自由で開かれたインド太平洋実現」に向け、こんご5年間で同地域のインフラ整備に500億㌦(6兆3800億円)以上の支援や投資をめざすことで合意。こんごは中国の巨大経済圏構想「一帯一路」を頭に発展途上国を支援していくこととなった。
 けさの話題はほかに、将棋の藤井聡太五冠(19歳)=竜王・王位・叡王・王将・棋聖。愛知県瀬戸市=に出口若武六段(27歳)が挑戦する第七期叡王戦五番勝負の第三局が24日、千葉県柏市で指され、先手番の藤井5冠が百九手で勝ち、三連勝のストレートで叡王初防衛を果たしたこと。北海道知床半島沖で観光船「KAZU Ⅰ(カズワン)」が沈没した事故で、同船をえい航中、船体が182㍍の海底に落下してしまったことか。いやはや、世の中は良きにつけ悪しきにつけて、絶えることなく動いている。

 昨日は私も会員として所属する【脱原発社会をめざす文学者の会(加賀乙彦代表)】活動をこれからどうしていくのか、についての会議が東京の日本文藝家協会事務局を起点に北海道など全国主要地点ともオンラインで結び、対面とオンラインの両方で開かれた。「重要な会議なのでぜひ、出てほしい」との要請を受けて出席したが、北海道在住の文芸評論家川村湊さんはじめ熱心な会員の皆さまとも久しぶりにオンライン(私の場合)で話を交わすことができ、良かったと思っている。ただ、ここまで地道な活動を続けてきた「文学者の会」活動がここにきて少し曲がり角に来ているな、という思いを感じたのも事実である。
 この【脱原発社会をめざす文学者の会】は、東日本大震災の発生とこれに伴う福島第一原発事故の教訓を胸に、原発による被害がこんご二度と起きることのないようにとの、そんな熱きひたむきな願いをこめ、十年前に加賀さんら有志の提唱で誕生。そのご被災地への再三に及ぶ現地視察をはじめ会誌【OFF 言葉と想像力によって】や会報の発行、中村敦夫さん(会員)による朗読劇【線量計が鳴る】の全国各地を巡回しての上演会、さらには文学大賞の設定、ホームページの新設など。数多くの活動を展開してきている。それだけに、こんごの活動をどうしていったら、より実りあるものになるのか。この日は出席した誰もが熱心な表情で語り合ったのである。というわけで、この日は本年度の総会を前になお数回、事前の会議を開き、これから先の方向づけをということで終わった。私としては、ここまで歩いてきて実績もある文学者の会のこんごの地道な発展を祈るほかないのである。

 気になるニュースは、もうひとつ。本日付毎日新聞にあった「解体工事が一時中断している戦国武将・織田信長の側室、吉乃(きつの)の墓がある久昌寺(愛知県江南市)について市は24日、全ての建物の保存を断念する、と市議会の全会派合同説明会で報告した。澤田和延市長は本堂の保存に意欲を示していたが、財政負担に対する懸念などから断念した。一部古材の活用は検討する」とあるが、やはり吉乃は江南が生んだ宝。大河ドラマの主人公にも十分なりうる高貴で貴重な存在だけに、ここは市民での目線で、と願いたい。貴重な文化財は一度取り壊したら、それこそ取り返しのつかないことになる。ここは慎重かつ冷静に。少なくとも残すべきものは後世に残すべきだと思うのだが。どうか。

 吉乃はどうなる 25日付の毎日新聞朝刊。市民の間では、そっくりの保存を願う声が多い
 

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【気配】
 電話が鳴る/足音がする/声が聴こえる
 おまえだ/帰ってきたか
 私はいつだって/おまえを待っている
 その一方では、だ/
 いつだって俺の懐刀となってくれているのが、よく分かる
 私のデスク足元にいる白猫シロ。
 彼女は舞の化身そのもの/
 私が帰宅するつど玄関先に走ってくる。

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 米南部テキサス州ユバルディの小学校で24日昼、地元の高校男子生徒(18)が拳銃を乱射、児童19人を含む21人が死亡。男子生徒は警官に射殺された。韓国軍合同参謀本部が25日、北朝鮮が平壌郊外から日本海に向け、午前6時、6時37分、6時42分ごろに大陸間弾道ミサイル3発を発射した、と発表。バイデン米大統領が初の訪韓、訪日を終えた直後で北朝鮮のミサイル発射は、ことし17回目。それにしても人間とは不思議で愚かな生きものである。わが家の愛猫。ニンゲンたちを笑っている。

2022年5月24日
 火曜日。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の発表によれば、世界で避難を強いられた人の数が23日、とうとう1億人を超えた。ウクライナ避難民の増加で、ことしに入り急増。「決して超えてはならない記録で非常に厳しい現実だ」とは、フィリッポ・グランデイ高等弁務官の話である。
 ロシア軍のウクライナへの軍事侵攻からきょう24日で3カ月。英国防省によると、ロシア軍の死者は、旧ソ連のアフガニスタン軍事介入時(1979~1989年)のソ連兵の死者数とほぼ同じ1万5000人に及ぶとの分析を公表。中日新聞も本日付の朝刊で【ウクライナ侵攻3カ月 ロシア軍 人的被害深刻 英「死者アフガン戦並み」】と報じている。
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 さて。日米首脳会談の方だが、岸田文雄首相は昨日東京・元赤坂の迎賓館で会談。中国を念頭に米国が核兵器と通常戦力で日本の防衛に関与する「拡大防止」確保へこんごも緊密に協議していくことで一致し、同盟強化を図った。またバイデン氏はこの後の記者会見で中国が台湾を攻撃した際の軍事的関与を明言(ホワイトハウスはこの直接的な発言を〝失言〟にならないよう一部、あいまいに補正した)。両首脳は核兵器のない世界の実現に取り組むことで一致。日本が議長国を務める来年の先進7カ国首脳会議(G7サミット)の開催地を首相の出身地でもある被爆地・広島とすることも表明。この日はバイデン氏から米国主導の新たな経済圏構想「インド太平洋経済枠組み(IPEF)」の発足も表明された。
 それから。バイデン大統領は23日午後、迎賓館で拉致被害者の家族とも会談。バイデン氏が横田めぐみさんの母親早紀江さんらと会談。早紀江さんと膝をついて目をあわせて「私たちは協力します」と話す姿が印象的であった。

 日米の首脳会談を報じた新聞(24日付中日朝刊)
 

「早く、めぐみに会いたい」と話す横田早紀江さん(NHKから)
 

(5月23日)
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 東京・墨田区の東京スカイツリーが22日、開業から10周年を迎え、歌舞伎俳優の市川海老蔵さんがお家芸の見え【にらみ】を地上634㍍のツリー頂上部から披露。この模様は大型ビジョンで上映されたが、来場者からは、拍手と歓声が上がったという。韓国訪問を終えたバイデン米大統領が22日夕、専用機で東京に到着。就任後初の来日で本日、東京都内で岸田首相と会談。ロシアによるウクライナ侵攻を受け、世界のいかなる地域でも力による一方的な現状変更は許さない方針などを確認した。

 きょうの新聞報道には【知床事故14人死亡12人不明 船体引き揚げきょう開始 発生1カ月】【春日井市長に石黒氏 元市部長 3新人の争い制す】(23日付中日朝刊)【「日本の防衛に全面関与」首脳会談でバイデン氏】【「友好関係の増進願う 陛下、バイデン氏と会見】【体育でマスク不要 政府方針 部活は食事・移動時着用】(同日付夕刊)といった見出しが並んだ。それはそうと米大リーグ、エンゼルスの大谷翔平(27)が22日、当地(アナハイム)で行われたアスレチック戦で一回に今季9号ソロホームランを放ち、プロ野球日本ハム時代の48本と合わせて日米通算150本塁打を達成。この日「1番・指名打者」で出場した大谷は今季2度目の先頭打者ホームランで、4-1の勝利に貢献した。

 バイデン大統領が訪日。岸田首相との日米首脳会談が開かれた(NHKから)
 

 大相撲夏場所千秋楽が22日に東京・両国国技館で開かれ、休場明けの横綱照ノ富士が大関御嶽海を寄り切りで破って12勝3敗で3場所ぶり7度目の優勝。さすが、横綱だ。新聞の見出しも【照ノ富士 綱の威厳 けがで焦り後半巻き返し】というものだった。大規模漏水が起きている明治用水頭首工(愛知県豊田市)の現場では21、22の両日も応急措置で矢作川から用水に水をくみ上げる作業が続き、22日には愛知県が管理する河川から用水への取水も始まり、組織を超えた総動員態勢での水確保が続いている。
 この世の中がある以上、いろいろある。このほかにも、新型コロナウイルスの感染拡大が日本では徐々に治まりつつある(北朝鮮では1日に16万7000人の感染者が出て、感染爆発に近いという)なか、ここにきてマスクの使用を巡っての適正な使用法が真剣に論議されている。また世界保健機関(WHO)の21日の発表によれば、動物由来のウイルス感染症「サル痘」の患者が、これまで継続的に発生してきたアフリカ以外で欧州と北米、オーストラリアの12カ国92人に拡大。18人が疑い例として確認中だという。こうしたなか、スイスと中東イスラエルの保健当局も同日、初めてサル痘患者を確認した、と発表。感染症の不気味さが浮き彫りになってきている。
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 きょうから私の記録ノート<ごん日記>の記述に従い、1年前のたつ江(伊神舞子)について。あれば、簡単に書き記していきたい。
【(2021年5月23日)日曜日。私たちの畑〝エデンの東〟に出かけ、ふたりで玉ねぎの全てを収穫。帰宅後。いつもなら作る昼食を作ろうとしないので、そのわけを聞くと「きのうから気持ちが悪いので」という舞。「のむ薬は?」との私の問いに「今はない」と舞。しばらく様子をみよう。長男からおかあさん(たつ江)に、と、いろいろからだを気遣った食べ物が宅配便で送られてきた。これなら食べられるか。食べられたらいい】

(5月22日)
 午後。私は車を運転しながら、きょうもしみじみ思う。俺は一体全体どこに向かって走っているのか。行くところなど、どこもありゃしないからだ。帰るところなんて。どこにもないよ。たつ江と母。最愛のふたりを相次いで失い、もはや、どこにも帰る必要がない。場所がない。のに、である。どこへ帰ろうというのか。
 ましてや。帰っても、これまでのように舞がわが家で「ナ~ニ」「あのねえ」「どうだった」と言って待っていてくれるわけでもない。それとも、こうした今の私の心理状態をこそ【そして。すべてが終わった】などといった表現で言うのか。私には分からない。それでも私たちは亡き妻、母のためにも前に向かって歩いて行こうとしている。この心理は何なのだろう。
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 22日。午前中、地元花霞町の町内会役員会に評議員として出て帰宅したら、既に昼になっていた。愛猫シロちゃんは、相変わらず玄関先にまでトントントンと足音をたてて、走って迎えにきてくれた。シロよ、シロシロ、シロちゃん。ありがとう、と私。舞はいつのまにか、シロに変身してしまったのか。それとも。シロが舞ではないか、と。彼女のつぶらな目と私の目が合うたびにそう思う。

 シロよ、シロ、シロ。いつも、ありがとう。彼女はおかあさん、たつ江の化身か
 

 

 さて。このところのニュースといえば、だ。何と言っても愛知県の矢作川から農業用水や工業用水を取水する堰の施設「明治用水頭首工」(豊田市)で大規模な漏水が起き、東海農政局が21日、周辺の河川からポンプで水をくみ上げて用水路に流す作業が始まった、ということか。とはいえ、供給に必要な水位にはまだ達しておらず、止まっている農業用水の再開には、なお時間がかかるとみられている。
 一方、世界に目を移せば。ロシアのショイグ国防相が20日、ウクライナ南東部マリウポリでウクライナ側の最後の拠点となっていた製鉄所を「完全に制圧した」とプーチン大統領に報告。約80日に及ぶ包囲戦が完了したことでロシアは今後、ドンパス地域の全面制圧を目指すとみられる。こうしたなか、バイデン米大統領は21日、初のアジア歴訪で【アメリカ・イズ・バック(米国は戻ってきた)】をアピール、韓国の尹錫悦(ユンソンニョル)新大統領との会談で安全保障や経済分野での関係強化を打ち出したという。
 バイデン大統領は引き続き22日には、就任後初めて日本を訪問、23日には岸田文雄首相と会談。「インド太平洋経済枠組み(IPEF)」の発足会合を開催、引き続き24日には日米豪印4カ国による協力枠組み「クアッド」の2回目の対面式首脳会合に参加することになっている。

 いやはや、わが最愛の妻たつ江や私のおふくろ千代子の死なぞ、世間はもはや何も関係ないとでもいったような。ツンとした顔をして時を刻んでいるのである。社会は無情かつ無慈悲なのだ。かといって、私のなかではバイデン米大統領も岸田首相も、極悪非道の人間として敵対するプーチンロシア大統領も、だ。当然のことながら、その存在は私にとっての偉大なるわが妻や母と比べたら、それこそ失礼ながら無と言っていい。つゆほどにもならぬ存在なのである。それが世の中というものか。

2022年5月20日
 家族葬による母の通夜と葬儀(喪主は兄)が名古屋市名東区上社の平安会館名東猪高斎場で18、19の両日あった。私たち家族も参列したが、そこはさながらおばあちゃんの愛をいっぱいもらって育った孫、ひ孫の会と言っても良い、ワイワイガヤガヤと、にぎやかで誰にとっても忘れられない日となったのである。おふくろさん、お母さん、いや、おばあちゃん、大おばあちゃん。愛をいっぱいくれてありがとう。といったところか。

 母は帰らない。でも「別れて生きるとき」も、一人ひとりの心のなかで生き続ける
 

 母と一緒に(左から2人め。妹に耳を引っ張られているのが私。右が兄。右端はいとこの〝さっちゃん〟)
 

 伊神家の家紋
 

 きょうは、こまごまと書くことはやめよう。戒名は、生前の母、伊神千代子が心身ともどこまでも天真らんまんの晴れ女だったこと、そして裁縫を得意とし何千本、いや幾千万、何億本ぼの針を、この道と同じように通したこと(母は和裁の先生でもあり、和服を縫うことにかけては天下一品。誰もが認める達人だった)、亡くなる前は、とうとうピアノの音まで極めたことなどを頭に文学、いや文化全体に長けた臨済宗妙心寺派永正寺の水谷大定住職が【蒼穹院千縫究音大姉(そうきゅういん・せんぼ・きゅうおんだいし)】と命名してくださった。わかりやすく言えば、青い空のもと、千本針とともに人生の音を極め、天女となって大空高く舞い上がった、ということか。
 葬儀では水谷住職の【カアーッ】のひと吠えが、圧巻であった。これは「亡き人にカアーッ、と引導を渡すことによってこの世との終着を断ち切り、あの世にいざなう一種の敬虔なる儀式でもある。母は、どんな気持ちでこの声を聴いたか、と思うと、ふとあの声が私の脳裏に響いてきたのである。「あんたら。何やっとるの。もう、はよ。いつもどおりの生活に戻らんと。アカンよ。私にはみんな分かっとるよ。でも、ありがとね。かわいいたつ江さんが待っとるから。そろそろいくからね」。

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 ここで私は思う。いま苦しんでいる母たちはウクライナだけではない、と。ロシアにも悲しみの中にいる母たちはいる。あらためて人間そのものが、大事な母たちの心までを奪い、殺してしまっている。その点で私の母、伊神千代子は戦中戦後を九死に一生を得つつ、たくましく生き抜き後年は「愛泉館」のスタッフにも温かく助けられ、楽しく朗らかな人生を過ごして生き抜いた。
 私の母はそれでよかった。でも、戦火にある世界の母たちは、どうなるのか。こうしている今もなお泣き続けているのである。このことに心しなければ、と。私は母の安らかな寝顔を前にしみじみ思った。それ以上に言うことはない。
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 20日付中日紙面見出しは【コメ農家焦り、怒り「苗が枯れる」 農業用別河川から取水 明治用水 愛知県が緊急許可 工業用確保めど】【ロシア南部編入の動き加速 ウクライナに副首相派遣】【原発避難上告審 来月17日に判決 最高裁、初の統一判断】【久昌寺本堂の保存提案 江南 文化財保護委員、市に報告書】【脱ロシア燃料依存で40兆円投資 EUが計画案】【ダライ・ラマ14世と米国務次官が面会 バイデン政権初】といったところか。

 日本も。世界も。私たち家族のことなどは何も関係ないよ、と。そう言いたげに、トントントントンと動いていく。そうしたなかを、けなげに、ひと筋の道を生きていく名もなき人たち。

2022年5月18日
 誰にだって。母がいて子がいる。

 笑顔が絶えなかった母(伊神千代子)。愛泉館スタッフと
 
 
 母が16日夕方、永遠の眠りにつき、この世からいなくなってしまった。昨秋のわが妻たつ江に続く死で、私たち家族は何もかもを奪われ失ってしまったような、そんな感覚にとらわれている。16日は奇しくもお釈迦さまの誕生日(ブッダ・ジャヤンティ)である。この日はネパールのルンビニで、まさに満月の日であった(カトマンズの友、長谷川裕子さんによれば、ネパールでは、この日ルンビニ国際空港がオープンしたという。めでたい日である)。

 この世でわが妻たつ江と並んで私の最大の誇りであり、かつ私たち兄妹家族の最強の味方、良き理解者でもあった母(伊神千代子)。彼女は101歳で突然、この世を去った。来月1日がこれば、満102歳になったはずなのに。これを天寿というのだろうか。母に比べれば、若くして逝ってしまった、わが妻たつ江(伊神舞子)よりは天寿を全うしたと言っていいかもしれない。そんな母が私たちに最期に残したことばは「みんな兄妹仲よくネ」だった。そして。お世話になった老人保健施設「愛泉館」スタッフはじめ、世間、社会に対しては「人間は誰もが一人ひとり美しく、かつやさしくありたいね」というものだった。

    ☆    ☆
 泣くに泣けないというか。まさに電光石火のごとき人生の終焉であった。なぜ。どうして。もっと、もっと。いろんな話をいっぱい、いっぱい、してほしかったのに。聴きたかったのに。もっと、もっと。長生きしてほしかったのに。とは言ったところで、もはやどうにもならない。ただ言えるのは「おふくろ。おかあさん。長い間、本当に私たちを支え助けてくれ、ありがとうございました。こどもたちも、おふくろとたつ江のおかげで立派に育ってくれた」という感謝の言葉以外、何も浮かんではこない。
 愛知県日進市内の老人保健施設「愛泉閣」で施設入居者としては最高齢の人気者として日々、ピアノを弾いたり、草履を作ったりして楽しく過ごしていた母(伊神千代子)が一昨日の16日、満月の日の午後6時1分に施設内で5月の満月【フラワームーン】が空高く浮かぶなか、鮮やかなる人生の終焉を迎え、大空に飛び立った。時あたかも5月16日といえば、だ。芭蕉が江戸・深川を元禄2年(1689年)に出発して陸奥、東北の旅に出た、まさにその「旅立ちの日」に母は新しい未知の国への一歩を踏み出したのである。母は私の妻たつ江が昨秋(10月15日)に逝去して以降、気落ちしたこともあってか、少し元気がなくなりこそしたが、兄夫妻の献身的な介護をはじめ、妹夫妻、そして施設内の多くのスタッフのみなさまにも支えられ、元気でいるものとばかり思っていた。それだけに、兄から【たかのぶ。おふくろ、なくなった】との電話をもらった時の私たち兄妹とそれぞれの家族の悲しみは計り知れないものがあった。

 たつ江(舞)に続き、母までもが大切な命を奪われてしまった(死因は老衰というよりも、腎機能不全に伴う酸素不足というものだった。母は今年に入り、コロナにも罹りしばらく愛知国際病院に入院していたが、これを見事に克服、退院し再び「愛泉館」でのいつもの楽しい暮らしに移って、まもなかった。最後のことばは、頭に激痛が走る異変の知らせにUターンして駆け付けた義姉に対して、なんとも言えないすばらしい笑顔で繰り返し語ったことば「たえこさん(音楽療法士)。よくしてくれて、ありがとうね」だった)。
 私はいま。ニンゲンとは。やはり誰もが悲しさの海の中を歩いてゆくものなのか、と必然性というか宿命のようなものを思ってしまう。そして家族で日々を過ごしてきた何げない日常の大切さをあらためて深く認識するのである。ましてや、このところのロシアによるウクライナへの軍事侵攻に伴う略奪に拷問、所かまわぬ砲撃など言語道断である。

    ※    ※
 私は今、つくづく思う。
 終戦になってなお、ロスケ(ロシア兵)に追われ、おふくろの体の中で中国大陸の無蓋車の鉄道に乗せられたり、広大な高粱畑など中国の大地を頭を坊主にした母と共に逃げ回った日々、戦争胎児感覚をもろに受けていたころのことを、だ。まもなくし、私は奉天(現在の瀋陽)で生まれ、引き揚げ船に。船内で伝染病に罹った赤ん坊が次々と死んで法要後に海洋投棄されていくなか、私だけがなぜか不思議と、平安な顔をして船底ですやすや眠っていたという(兄も肺炎などに罹って大変だったが生き延びた)。母は、私の船内でのおおらかな姿をみて「この子は立派に育つ。もしかしたら、天下を取ってしまうかもしれない」と何度も思ったという。舞鶴港に着いた私たち家族は、愛知県江南市和田の母の実家に落ち着いた。その後は、母の父親、おじいちゃん(祖父)の助けで生きてきたのだという。もちろん、既に亡くなっている父の努力と家族愛もあった。
 家族で命からがら引き揚げてきてから後のことといえば、だ。私は母の背中で母が引き揚げ後に私たちが住む家の壁塗りに懸命に挑んでいたことをしっかり覚えている。

 時代はかわり。高校一年の時、私は母校を訪れた先輩との柔道の乱取り中に右足を複雑骨折した。苦汁の日々だった。でも、あの時、母は裁縫の仕事に追われながらも、自宅療養中の私の看病にずっと当たってくれた。そして。大学生のころ。寒かった冬の朝に名鉄犬山線の古知野駅で倒れ、救急車で病院に運ばれ、入院した時には、なぜか看護婦さんから「お姉さんと弟さんですか。仲のいい姉弟であること」と言われたこと。あのころ、おふくろはとても若くて美人(その後もだが)で、私たちが小学生のころには周囲に推されて古知野北小学校の婦人会長までやらされたよね。
 私が小学生のころ。おふくろは、裁縫が得意でいつも裁ち板を前に着物を編みながら、美空ひばりや島倉千代子の歌をうたっていた。ボクは、その前にチョコンと座り、いつも仕事の邪魔をしながら【リンゴ追分】や【東京だよ おっかさん】、春日八郎の【別れの一本杉】などを一緒によく歌ったものである。きれい過ぎて、少しは怖くはあったが。いつも優しさいっぱいだった母、おふくろのことは、いつだって大好きである(むろん今だって)。兄も妹だって、この気持ちは変わらないだろう。自慢のおかあさんだった。

 それから。俺がたつ江と一緒になったあとは長男の出産時など何度も何度も父(名古屋千種税務署長、名古屋国税局監察官室長などを経たあと退職して税理士を開業。のちに勲4等瑞宝章)の税理士稼業の補佐をしつつ、五十代後半からの運転免許証取得(母は九十代前半まで運転。自ら畑でつくった立派なスイカを何度も届けてくれた)など多忙な身にかかわらず、合間を縫っては志摩半島の鵜方にまで足を運んでくれた。駆け落ちで私の胸元に飛び込んだ、たつ江をいっぱい、いっぱい本当に宝物の如く大切にしてくれた。
 赤ん坊が長男とは別の子と間違えて並べられていた現場を発見したのも、嫁をひたすら愛してくれた、おふくろさんだからこそ、だった。そして。おふくろが妹を生んだ日に兄と私が雪道をなんどもなんども倒れながら雪道を本家(ほんや)まで、おじいちゃんを呼びに行ったこと。母がお蚕さんの雄雌の鑑定士だったこと、兄が東大法学部や司法試験に現役でパスした時や、私が新聞社に合格した日の歓喜、さらには兄と妹の結婚が決まった日の喜びよう、私たちの友人知人への分け隔てのない温かいもてなし等など。妹が名大、津田塾、南山と受験した全ての大学に合格してしまった時の苦悩の表情……。あのときどきのおふくろの顔は今も忘れない。
 まだある。ほかに母自慢の弟が沖縄戦で命を落とした時の果てしなき悲しみ、母の母親の先祖が入鹿池をつくった入鹿六人衆の一人・小牧の舩橋仁左衛門の出だったことなども話してくれた。語り尽くせないほどにおふくろへの思いはある。でも、きょうのところはここらでやめておこう。なぜなら。こうした愛とやさしさに満ちたおかあさんたちは、おそらくこの世の中には、いっぱい、いっぱい、おいでだから。何も私たちのおふくろだけに限られたことではないからだ。

 デ、最後に母の死を機会に、みんなで私たちを守ってくれているおかあさんを大切にしようと。本欄を読んでくださっている全ての読者の皆さんに、私はそう訴えたい。「今を大切にせなアカンよ」と。母という母が私たちに教えてくれているのである。
    ※    ※

 ところで。おふくろ、おかあさん、天国に着いたら、可愛いたつ江のことよろしくお願いしますね。たつ江がいまごろ「おかあさん、まだかしら」と待っているに違いありません。おかあさん、おかあちゃん。一つひとつがドラマの世界だったよね。本当に、ほんとうにありがとう。そっちでは、舞が待っているから。だから、これまでどおり、楽しく美しい人生を過ごしてください。

――本日の一匹文士はここでやめておこう。おかあさん、ありがとう。世界のおかあさんたち全員に、ただただ感謝のことばだけを残して。

 おかあさん! 骨折の手術を克服し、母と再会した時の舞。このあとふたりは抱き合ったまま離れようとはしなかった。これが最期の対面となってしまった。
 
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    ×    ×
 人間たちは、相も変わらず愚かな戦争をしている。今は、世界中の母たちが泣いている。
ちなみに、けさの朝刊見出しは【マリウポリ 兵投降 製鉄所まず負傷者ら264人 籠城82日目「名誉ある撤退」 停戦交渉は先見えず】【明治用水で大規模漏水 豊田など131事業所 給水停止恐れ】【久昌寺の詳しい調査開始 文化財勝ち検討で江南市 天正期の古材 再利用の可能性】(18日付中日本紙と尾張版から)

2022年5月15日
 沖縄は50年前と同じ雨のなか、明けた。きょうは沖縄の本土復帰記念日である。

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 1972年(昭和47年)5月15日に沖縄が日本に復帰し、50年たった。中日新聞の本日付サンデー版大図解は当然のように【沖縄復帰50年】を主題に『沖縄は1972年5月15日、日本に復帰をしました。太平洋戦争末期の凄惨な沖縄戦をへて、米国の施政権下に組み込まれた沖縄。復帰から半世紀たっても埋まらない本土との「格差」を考えます。』の前文つきで、『忘れられた島 アメリカと日本のはざまの復帰前』『「本土並み」はどこへ…』など沖縄の人々の気持ちに配慮した中身の濃い紙面展開となっている。
 さらに社説【基地存続に無念の涙雨 週のはじめに考える】では『沖縄県民が望んだ「基地のない平和の島」はかなわず、今も県内には在日米軍専用施設の約70%が残ります』といった現状を踏まえ、『沖縄は本当に復帰したと言えるのか。いま一度深く考える必要がある、と思わずにはいられない、五十年後の復帰の日です』とクギを刺し、沖縄のことを真剣に考えるべきだと問題提起もしている。このほか、1面の連載企画では【望郷の空ー沖縄本土復帰50年 平和の一念歌い続ける 普天間に生まれて】の記事で沖縄生まれの名古屋の三線奏者・上運天有二さん(60)の存在にも触れている。

 そして。私自身、きょうは日本国民一人ひとりが沖縄について深く考える。そんな日でありたく思う。というわけで、夜は夜で午後9時からのNHKスペシャル【沖縄返還・日米の暗闘発見! 交渉の音声記録 基地継続を求める米国 窮地の首相苦渋の決断 置き去りにされた悲願】をじっくり見させて頂いたのである。

 ここに50年前に東京・日本武道館であった沖縄復帰記念式典での佐藤栄作首相の式辞と屋良朝苗知事のあいさつを、記録として紹介させていただく。
【沖縄の祖国復帰が実現しない限り、日本の戦後は終わらない。沖縄は本日、祖国に復帰した。戦中、戦後の沖縄県民の労苦は何をもってしても償うことはできないが、今後本土との一体化を進める中で沖縄の自然、伝統的文化と保存との調和を図りつつ、総合開発の推進に努力し、豊かな沖縄県づくりに全力を挙げる決意だ(佐藤栄作首相)】
【沖縄の復帰の日は疑いもなく到来した。しかし、沖縄県民のこれまでの要望と心情に照らして復帰の内容をみると、必ずしも私どもの切なる願望が入れられたとはいえないことも事実だ。そこには、米軍基地の態様の問題をはじめ、内蔵するいろいろな問題があり、これらを持ち込んで復帰した。私どもにとって、これからもなお厳しさは続き、新しい困難に直面するかもしれない(屋良朝苗沖縄県知事)】=屋良氏が言及した沖縄県民の要望と心情とは。基地のない「平和な島」だった。

 沖縄は本当に復帰した、と言えるのか。沖縄の抱える問題点を問い直した中日新聞15日付の社説とサンデー版大図解
 

 NHKスペシャル・沖縄返還のひとコマ
 

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 ところで、私と相棒のたつ江(舞)が志摩半島の三重県志摩郡阿児町鵜方(現三重県志摩市阿児町鵜方)で駆け落ち同然の記者生活を始め、一緒になったのは、沖縄が日本に本土復帰して半年ほどたった1972年11月だった。そして、それ以降というもの、沖縄が日本に返還された5月15日が来るつど、私たちふたりは平和の尊さについてアアダコウダと、よく語り合ったものである。長男と次男を伴って沖縄に行き、ひめゆりの塔の前で両手をあわせ、爆心地長崎にも足を運び、卓袱(しっぽく)料理も食べた。最近では、舞自らが営むリサイクルショップ「ミヌエット」のお客さんにも呼びかけ、みんなで折った千羽の折り鶴を手に、用心棒役の私と一緒に爆心地・広島を訪れたこともあった。

 だから、私たちふたりは沖縄の本土復帰とほぼ時を同じくして、私たちの道を歩いてきたのである。この間、ほかの人々と同じように喜びがあれば、悲しみも数えきれないほどあった。たつ江が元気でいてくれたなら。ことし私たち夫婦は結婚してちょうど50年、晴れて金婚式のゴールのテープを切るはずだった。のに、である。ゴール直前に、ふたりの夢は儚くも破れたのである。
 人生は無慈悲かつ無情である。でも、たつ江。おまえ、舞の心は、私と一緒で永遠不滅である。もちろんシロちゃんも、だ。だから、これからも、このニンゲン社会に不幸な戦争が起きることだけはないように祈って日々を歩いて行きたく思っている。
 この気持ちは、シロちゃんとて同じである。

2022年5月14日
 土曜日。本日付の中日新聞夕刊1面見出しは【平和の願い琉球切手に 半田の84歳 沖縄の小中学校に寄贈 米統治下で発行 戦争に翻弄歴史伝える】【「基地のない島」訴え行進 あす本土復帰50年】というものだった。沖縄が1972年5月15日に米軍基地を抱えたまま日本に本土復帰して、あすでちょうど50年になる。

 たつ江、舞が居たなら。それだけで楽しく、沖縄の平和についてもふたりで思い思いに自由に語り合えた。のに、だ。彼女はもはや、この世には居ないのである。きょうも、愛車のハンドルを手に思うのは、そのことばかりだ。平和堂に出向き、赤と白の花を買い、おまえのことばかりを頭に帰る。帰宅したら、いつもの舞の部屋の花置き場に私が買ったと同じ赤と白の花があったのには驚いた。息子も同じ花を買ってきてくれていたのだった。
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 織田信長の側室吉乃が育った生駒家ゆかりの寺で知られる久昌寺(愛知県江南市田代町)=生駒家の菩提寺で正しくは嫰桂(どんけい)山久昌寺。当初の名は、龍徳寺。吉乃の法名は久庵桂昌大禅定尼。1865年に吉乃の300回忌が行われ、この日は信長と吉乃の二男信雄の子孫ら大勢から香典が届けられた。そればかりか、この寺にはそれより前の250回忌、200回忌に寄せられた現場の数々の香典が今に残されているという=。
 その古刹である久昌寺の解体工事が「天正年間の古材が残っている可能性がある」との指摘を受け一時中断になった、とは中日新聞の本日付尾張版のニュース。記事には、工事直前に出された調査報告書の内容から江南市が文化財としての価値の検討に入ることになり、所有者側との意向が一致したとあるが織田信長と吉乃ゆかりの、いわば郷土の宝ともいえる大切な地に、この先、多くの人々にも関心をもってもらう意味でも大いに結構なことである、と私は思う。
 信長といえば、彼との間に信忠、信雄、徳姫の3人の子をもうけ、出世街道への扉を開いてくれた最愛の女性、恋女房とも言っていい、生駒家の吉乃(きつの)を忘れるわけにはいかない。この際、久昌寺を足掛かりに信長と吉乃が二人三脚で歩いた人生に光りがあてられるならば、だ。【信長残照伝 わたしはお類、吉乃と申します(人間社刊。「ピース・イズ・ラブ 君がいるから」所蔵)】を世に出した作家としても、私はとても嬉しいのである。
 
「天正年間の古材が残っている可能性がある」と、久昌寺解体工事の中断を報じた14日付中日新聞の尾張版
 

 太陽系がある天の川銀河の中心にある巨大ブラックホールの影を撮影したと、日米欧などの国際研究チームが12日発表し、「天の川銀河のブラックホール撮影が今週は話題を呼んだ。」とは、14日付の毎日「余録」。ところで私の社交ダンスのレッスンだが、最近、先生の熱心な指導で習い始めたスロー・ホックス・トロット(スタンダード、ワルツの仲間)なるダンスが少しだけ、踊れるようになってきた。
 一方で北朝鮮の朝鮮中央通信が13日、4月末から原因不明の熱病が全国的に広がり、計35万人余りが発熱し6人が死亡した、と報道。北朝鮮が国内感染を12日に初めて認めた新型コロナウイルスが爆発的に拡大している可能性があるという。同通信によれば、12日に新たに1万8000人が発熱し18万7800人が隔離治療を受けている。死亡した6人のうちⅠ人は新型コロナのオミクロン株の亜型「BA・2」に感染していたことが確認され感染者のうち16万人余は完治したという。こうした深刻な状況に韓国の尹錫悦(ユンソンニョル)大統領は医薬品を支援する意向を表明したという。両国の歩み寄りになれば良いのだが。

 欧州連合(EU)のミシェル大統領が13日、被爆地・広島を訪れて声明を発表。ウクライナに軍事侵攻したロシアが「許しがたいことに核兵器の使用に言及している」と非難。北朝鮮も「違法で挑発的なミサイル実験を繰り返し、世界の安全保障の脅威になっている」と批判。ミシェル氏は原爆資料館を視察後に「この場所と長崎で起きた苦しみは今も続いている。大量破壊兵器の廃絶は急務だ」とも述べ、核軍縮への決意を表明した。この日、ミシェル氏は平和記念公園の原爆慰霊碑に献花し、松井一実市長や被爆者とも面会した。

 日銀は政府の子会社だ、とした安倍晋三元首相の発言をめぐって鈴木俊一財務相が13日の閣議後の記者会見で「会社法で言うところの子会社には当たらない」と言明。元安倍首相の見解を明確に否定した。日銀の黒田東彦総裁も13日のオンライン講演で「日銀は政府が経営を支配している法人ではない」と述べ、安倍発言を否定した。
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 夜。かつておまえといつも一緒に見たNHKのブラタモリ(今回は「東京湾川が生んだ? 東京の港」)を、夕食がてらシロと見る。この後、何げなくチャンネルを三重テレビにすると、なんと【芭蕉のお伊勢参り】なる番組が流されており、芭蕉が「奥の細道」のむすびの地である大垣の水門川を発ち、お伊勢さんに向かった模様などが丁寧に紹介されており、私の目は画面にくぎ付けとなったのである。番組では【蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ】といった俳句も紹介されていた。生前、俳句をたしなんだ相棒がいたなら目を輝かせて見ただろうな、と思うとナンダカ少し寂しく、かつ自分ばかりが見て悪い気がしたのも事実だ。

(5月13日)
 金曜日だ。外は、雨。シロちゃんは外にでようとせず、こうしてペンを走らす私の傍らで外出をあきらめてか。寝入っている。
 各種報道によれば、北欧フィンランドのニーニスト大統領とマリン首相が12日、北大西洋条約機構(NATO)に遅滞なく加盟申請しなければならないとの共同声明を発表。フィンランド首脳がNATOへの加盟意志を明確にしたのはこれが初。ロシアによるウクライナへの軍事侵攻後、フィンランドとスウェーデンではNATOへの加盟を求める世論が急増しており、フィンランド放送協会による最新の世論調査ではNATOへの加盟支持は76%に達した。またスウェーデンも国民の約6割がNATOへの加盟を支持、近く加盟への意思表示を正式にするとみられる。ロシアのこのところの蛮行を見る限り、さもありなんといえよう。

 外務省は沖縄の日本復帰から15日で50年となるのを記念して13日、すなわち本日から25日まで東京港区の外交史料館で特別展を開催し、沖縄返還協定の原本展示を始めた。原本では、調印当時の愛知揆一外相とロジャーズ米国務長官による肉筆署名などが確認できるという。

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 ところで愛知県が12日、新たに2373人が新型コロナウイルスに感染した、と発表。1週間前の2・7倍で前週の同じ曜日との比較では6日連続で増加となった。また厚生労働省はこの日、成田空港に着いた男性3人が新型コロナウイルスのオミクロン株派生型の「BA・4」と「BA・5」に感染しているのを確認したと発表。これらは、いずれも南アフリカなどで広がっており、国内での感染者の確認は、これが初めてだという。
 記事によれば、京大の西浦博教授らのチームがBA・4とBA・5の感染力を試算したところ、国内の流行第6波ピーク時の主流だったBA・1と比べて1・4~1・49倍となり、BA・2を上回ったという。いずれにせよ、新型コロナウイルスは、まだまだ安心できないことだけは、確かだ。

2022年5月12日
 木曜日。1日1日が汐の流れの如く人間社会を流れてゆく。思うに俺はおまえ、たつ江がこの世からいなくなって以降、よくぞここまで生きてこられたものだ、と。つくづく思う。今もって私にとってたつ江、すなわち伊神舞子の存在しない社会、いや人生、世の中なぞ考えられないのである。
 きょうは、雨、雨のなか、午前中、月に一度受けているメインテナンス治療で自宅近くの歯医者さんへと出向いた。この後は市役所会計課に直接、出向いてこのところ、相次いでわが家に届いた固定資産税やら都市計画税、土地家屋税など本年度1年分の税金の大半(約30万円)=あくまで取りあえずの分。ほかにも請求書の類は、アレヤコレヤと問答無用で郵送されてくる=をエイヤアーと、やせ我慢をはって一挙に払いこみ、何だか背中に積んだ荷が少しだけ軽くなったような。そんな気がした。
 晩年の舞がいつも私に向かって言っていた「もう駄目よ。やることは1日ひとつ、ひとつだけでいいのよ。もう齢なのだから」を素直に受け止めれば「きょうは歯医者さんに行って治療を受ければ、それだけで、あとは何をしなくてもいい。無理しないで」と言うことになるのだが。今では天女になってしまった、たつ江はおそらく「そんなに。あれもこれも、一度にやるだなんて。よくないよ。無理しないで。ひとつひとつ、ゆっくりやっていけば、それでいいじゃないの」とご機嫌ななめでいるかもしれないが。私としてはそんなわけにもいかない。

 まだまだ俺には、ほかに、やることはいっぱいあるのだから。かと言ってどこかの国の侵略者プーチンとは違うぞ。俺のやろうとしていることは、いつだってだ。気宇壮大かつ世の中のためになる慈愛に満ちたものばかりなのだから。おまえも今の調子で。互いに元気に行こうよな! シロも元気でいるからな。心配しないで。安心していればよい。

 いつも笑顔で 舞の遺影が私たちを守ってくれている
 

 新聞紙面は、ウクライナ南東部の要衝マリウポリで拘束され、ロシア軍の強制連行から逃れたウクライナ人男性(58)とその家族が収容所を転々としたあとロシア国内に連行されたもようを本人の証言で「服脱がされ尋問 思想で選別」「劣悪環境 トイレは掘った穴」などとロシアのウクライナ軍事侵攻の悲惨さにつき特派員のオンライン取材であぶりだすなどしている。それだけに、そんな悲惨なニュースばかりが目立つ紙面のなかで11日夜、1300年以上の伝統を誇る岐阜市の長良川鵜飼が開幕した、との話題には何だかホッとさせられた、といえようか。

(5月11日)
 水曜日。
 新聞やテレビ・ラジオのニュース報道を見たり聞いたりしていると、韓国の新しい大統領就任に始まり、航空自衛隊岐阜基地での建設中の施設をめぐっての官製談合、欧州連合(EU)のミシェル大統領が訪問中のロシアのオデッサ攻撃、さらには中日ドラゴンズの木下拓哉捕手、石川昴弥内野手に続く平田良介外野手、鵜飼航丞外野手の新型コロナウイルス感染……と、いろいろある。

(5月10日)
 火曜日である。
 韓国の尹錫悦=ユンソンニョル=新大統領(61)が10日、就任した。任期は5年。就任式はソウルの国会議事堂前で行われ、5年ぶりの保守政権が発足。尹氏は就任演説で核・ミサイル開発を進める北朝鮮に対して「非核化に切り替えるなら、経済と住民の生活を画期的に改善できる大胆な計画を準備する」と述べた。一方、9日にはフィリピン大統領選も投開票され、かつて約20年にわたって独裁体制を敷いた故マルコス元大統領の長男で元上院議員のフェルディナンド・マルコス氏(64)が2位以下に倍以上の得票差で圧勝。支持者を前にマルコス氏は「愛するフィリピンの明るい未来を応援してくれる仲間たちに感謝する」と述べた。

 愛知県警が8日、元衆院・参院議員で立憲民主党岐阜県連常任顧問だった会社役員、山下八洲夫容疑者(79歳)=岐阜県中津川市=を有印私文書偽造・同行使と詐欺の疑いで逮捕。現職の国会議員に成り済まし東海道新幹線の特急券・グリーン券をだまし取ったもので、あきれてものが言えぬとは、このことか。一般人が新幹線ひとつに乗るのにも苦労して働いて切符代を確保しているのに。何たることだ、と思ってしまう。
 でも、低レベルの政治家諸氏には、おそらく他にも十分ありうることだな、と思ってしまう。善良な市民の心を欺いた、いいお手本で、腹が立つとはこのことだ。政治家諸氏は、これをいい教訓に懺悔を込め、文書交通費などといったものはこの際、すべて返上。撤廃したらどうなのか、と。そのように思ってしまうのである。

 けさの新聞1面見出しは、【プーチン氏侵攻正当化 対独戦勝記念式「戦争」言及せず】というもので、そのほかには【学校空爆60人死亡 製鉄所 市民退避、攻撃続く ウクライナ】【日本 ロシア石油段階禁輸 首相表明 方針転換、G7で協調】(いずれも中日)の見出しも。
 そして。記事は『ロシアのプーチン大統領は9日、モスクワの赤の広場で行われた対ナチス・ドイツ戦勝記念日の式典で演説し、ウクライナ軍事作戦を唯一の正しい決定だ、として侵攻を正当化。北大西洋条約機構(NATO)がロシアの安全保障を脅かしているとして「やむを得ない措置だった」と述べたほか、ウクライナは「ネオナチやその協力者から成る国家だ」との一方的な主張を繰り返した。
 さらに『苦戦が続くなか、国民の総動員につながる「戦争」の宣言や、占領地拡大などの成果に言及するとの見方があったが、いずれも触れなかった。軍事パレードには例年より少ない約一万一千人の兵士らが参加。大陸間弾道ミサイル「ヤルス」など約百三十両が登場した。予定されていた航空パレードは悪天候を理由に中止された。……』といった内容であった。

 ウクライナへの軍事侵攻を正当化しつつ、兵士をねぎらうプーチン大統領(NHKから)
 

 戦勝記念日の催しはロシア各地で行われた(NHKから)
 

2022年5月9日
 月曜日。きょうは、小雨が遠慮がちに。この地上に降っている。舞い降りてくる。大型連休は終わった。休刊日なので朝刊は読めない。

 たつ江(伊神舞子)は、いつも健在である。仏壇には、いつのまにか息子の手でカーネーションが供えられていた
 

 朝。きのうに比べて5、6度も低く最高でも20度ぐらいまでしか上がらない、とはラジオやテレビから流れくるお天気兄さんたちの声である。
 それで私はといえば、だ。いつものように仏壇に手をあわせ「元気でいるか。しあわせでいろよ」と、たつ江の遺影と位牌【静汐院美舞立詠大姉】に向かって語りかける。「ウン。大丈夫。だいじょうぶよ。それより、みんな元気でいる? いればよいけど、シロちゃんも、げんき みんな。からだ大切に。ネ」との答えが返ってきた。
「おまえがいないので。何をするにしても張り合いがなくって。面白味がない。楽しくもない。今の俺の心境は、だ。おまえが今どこにいようと、だ。元気でいてくれさえすれば、ただ、それでいい。それに。出来たら〝あのねえ〟といつも話しかけてきた、おまえの、あのコロコロと鈴をならすようなかわいい声を何よりも耳にしたい。本当に聴きたい。ところで、そっちの方はどうですか? みなさん、温かくしてくれてますか。げんきでいろよ。そして。もっと、もっと。世界、いや宇宙という宇宙でイッチバーン、幸せにならないと。アカンぞ。俳句や歌、詩の方、新天地で作り始めたか。フォークダンスや社交ダンスもしてよね」と話しかける。
「だいじょうぶ。大丈夫だから。だいじょうぶ。だって、ば。あたし、あなたみたいに『やわな人なんかじゃない』のだから。悪いけれど。だれかさんみたいに〝やわさん〟じゃないのよ」の声がはね返ってきた。

 このところの俺とおまえ。毎日、同じことの繰り返しではある。でも、おまえも俺も、この先、コロナ禍が次第に消えていくように、だ。少しずつ何かが少しずつ、ちょっとずつ、細胞分裂を始めて動き始めている。そんな気がする。仏壇には、やさしさいっぱいの息子の手でいつのまにか、赤のカーネーションが供えられており、おまえの周りそのものがパッと明るく、ひかり輝いている。
 そういえば、おまえがこしらえた裏庭の猫塚一帯に、このところ名前こそ知らないが、白いちいさな、かれんな花々がみごとに咲き誇っている。「白」は俳句猫シロちゃんの俳号であり、おまえが日ごろから好んだ色だが、そのことを知ってでもいるように鮮やかな光りに満ちた清楚な白い花々が<透明なかぜ>にゆらゆら、ゆらゆらと揺れているのである。

 猫塚一帯で知らぬ間に咲き誇っている白い花々。たつ江は、野に咲く花々が大好きだった=わが家裏庭の一隅にて
 

 シロはいつも、おかあさんのことを思っている
 

    ※    ※

    ☆    ☆
 ところで気になるウクライナ戦線の方だが。各マスコミ報道によれば、だ。9日の対ナチス・ドイツ戦勝77周年の記念日を控え、ウクライナ東部2州の完全掌握をめざすロシアは多くの市民が避難していたルパンスク州の学校を空爆。攻撃から逃れるため避難していた市民60人が死亡した。市民と民間施設は常に、守られるべきはずなのに。一体全体、何たることなのだ。ロシアの77周年の戦勝軍事パレードは既に極東のサハリン州から始まっており、モスクワの「赤の広場」などロシア全土の28の都市で順次、行われるという。恥さらしのようなものだが、パレードする若いロシア兵の一人ひとりが哀れに思えてくる。

【プーチンよ。あなたは頭が狂っている。せめて戦勝記念パレードを終えたところで「この愚かな戦争は、これでやめます。多くの人々の心を傷つけ、申し訳ありませんでした」とでも言えないものなのか。そして講道館の名誉段位は当然、返上すべきである。あなたは【精力善用・自他共栄】の講道館嘉納治五郎の教えに背いたからだ。

(5月8日)
 晴れ。きょうは母の日。世界赤十字デーでもある。五月の風がとてもさわやかで、心地よい。三者三葉、個性豊かな三人の子育てを立派に成し遂げたおまえを思う時、なぜかしら、志摩半島はじめ岐阜、名古屋、小牧、能登半島、大垣、大津に一宮での日々が思い起こされ、涙が出て涙が出て、それこそ果てしなく出てしかたがない。それから。私のおふくろさんへ。たつ江のこと、生前は本当によくしてくれてありがとう。いつまでも元気でいてください。
 ここで読者の皆さまにも、ありがとうーとたつ江の代わりにお礼を申し上げておきたい。ありがとう。ありがとう。ありがとう! と。=ネットまたはユーチューブで<ありがとう。ありがとう。ありがとう! 息もぴったりのフラガール>で検索されますと、かつて舞と福島県いわき市を訪問した際に私が撮影したフラガールの映像が出てきます】

 朝。気持ちの良い風がスウーっと、音もなく窓の隙間から室内に入ってきた。そのせつな、この風はもしかしたら、たつ江ではないのか。と、またまたそのように思ってしまう。私は、たつ江にもずっとかわいがられ、いつも彼女と一緒にいた愛猫シロちゃんを隣に、富良野のメロンパンとレーズンパンをおまえと一緒に食べながら以前と同じようにNHKラジオの【音楽の泉】に耳を傾け、モーツァルトを聴きながら食事をした。かわいくて、いつも俺想いだったおまえ。舞よ、マイ。おまえは、もう帰ってはこないのか。

 ロシアのウクライナ軍事侵攻の方は、相変わらず旧ソ連が対ナチス・ドイツに勝利した戦勝記念日(9日)を前に、ロシアがウクライナ東南部の完全掌握をめざしているようで緊迫の度を増している。こうしたなか、東部の要衝・マリンポリでは市民の避難が完了した、とのニュースも伝えられている。このまま何事もなく、戦争が終わってくれたなら、と願うのは私だけでなく、世界中の人々とて同じに違いない。

2022年5月7日
 土曜日である。昨日。6日のバンテリンドームナゴヤ。阪神対中日戦で中日の先発大野雄投手が延長10回2死から佐藤輝に右中間二塁打を許すまで、一人の走者も出さない完全投球を続けた。中日は、完全試合を達成した投手はおらず、9回まで完全投球をしたのは大野雄が初めて。ちなみにノーヒットノーランは過去12人おり、大野雄も2019年9月14日の阪神戦(ナゴヤドーム)で達成している(ドラゴンズは、きょう7日も阪神に2-1で勝った)。

 JR東京駅でこの日、関西方面に出発する千葉県内の公立中学校六校が参加し3年ぶりに修学旅行の出発式が開かれ、生徒代表が「京都では文化財の歴史の重さを自分の目で感じてきたい。新型コロナのなか、修学旅行を実現していただき、ありがとうございます」とあいさつ。800人余りの生徒が貸し切りの新幹線に胸弾ませて乗り込み、旅先へと向かった。
 高校生といえば、本日付の中日新聞夕刊1面に【ドローン世界一 半端ない高校生 江南の18歳チームで賞金1000万円 映像競う大会「ギリギリ攻めた」】とホットな話題も。

 そして。あすは世をあげて母親に感謝する〝母の日〟である。
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 さて。ウクライナ戦争のその後だが。ロシア軍の誇る最新鋭戦車「T―9M」が、ウクライナの戦線に配備されてから、わずか数日で破壊され、ウクライナ国防省は声明で破壊を確認したことを明かし「ロシア軍のイメージは、ここ2カ月の間に想像もつかないほど弱まった」としている。
 またロシア軍が包囲するウクライナ南東部マリウポリの製鉄所「アゾフスターリ」からの民間人の救出、避難の方は、これまでに国連の仲介もあって500人ほどが救出されはしたものの、ロシア側の今月9日の戦勝記念日までに何らかの「成果」をアピールしようという焦りもあってか。ロシア軍の製鉄所への攻撃と妨害にも遭って、民間人の避難は依然、停滞したまま。ますますの人道危機に陥っているのが現状だという(6日はマリウポリのアゾフスターリ製鉄所から子どもを含む民間人50人が脱出したという)。

 そんななか、4月のロシア軍の巡洋艦「モスクワ」の沈没に続き、新たにロシア軍のフリゲート艦「アドミラル・マカロフ」がウクライナ側のミサイル攻撃で沈没した、とのニュースも世界を駆け巡るなど、ここ数日は一進一退、血みどろの攻防が繰り広げられているという。
 また各報道によると、国連安全保障理事会は6日、ウクライナ情勢を巡って「ウクライナの平和と安全の維持に関して深い懸念を表明する」との議長声明を採択。ロシアが2月下旬にウクライナに軍事侵攻後にこうして安保理として声明を出すのは初だという。ただ「侵略」や「ロシア」という文言はなく、非難の表現も盛り込まれなかった。
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 話は変わる。
 きのうの夕方。社交ダンスのレッスン終了後、私はたまたま頼まれて最寄りの場所まで若さん(ダンス教師)を送った。その途中、彼女曰く「ゴンタさんがダンスをしてくれているのは、結局はマイちゃん(舞子)の遺言だったのだ。ゴンタさんがその約束、遺言をしっかり守ってくれている。嬉しいことじゃないですか。そういうことだよね」と。「まあ、そんなことになるのだろうね」と私。
 その車内道中で初めて知ったことだが、若さん曰く。「マイちゃん、てさ。確か、フォークダンスだけじゃなくて社交ダンスも同時にやっていた時期がしばらくあったはずよ」と。私は何をうっかりしていたのだろう。そんな話は初耳である。確かに以前、休みの日になるとは決まってフォークダンスの練習会場まで車で送って行ったことは記憶にあるけれど。
 そして。10年ほど前、ピースボートに乗る前に「社交ダンスのレッスンだけは途中でやめることはしないで。続けてきてよね」との言葉は何度も聞いたが、舞自身がフォークダンスと社交ダンスを同時進行でやっていたとは。初耳である。知らなかった。もしかしたら私がピースボートに乗っていたころ、彼女は私の帰国を待ちながら、フォークダンスと社交ダンスの両方をやっていたのかもしれない。……。
 そのけなげさに、私はまたしても思わず涙があふれ出たのである。「俺は、なんと自分勝手な男なのだろう」。

 さらに。亡き妻のことと言えば、だ。私は昨日、一宮に車を走らせ、わが母校滝学園の前を通過する際、思ったことがある。車内からは、いつものとおり舞を傍らに俺がいつも口ずさんでいた、<高校三年生>や<学園広場><仲間たち><哀愁の夜>など青春歌謡が流れていた。どれも、志摩半島で一緒になった時に始まり、先日彼女が亡くなる直前までふたりで車内カセットから流れてくる曲を一緒によく聞いたものだが、車を運転しながらふと思うことがあった。それは次のような事実だ。
 <高校三年生>や<学園広場>などが流行っていたころ、俺はこの世でまだ高校生で舞(たつ江)の存在を知らなかったということである(あのころ、たつ江は小学生か中学生で既にこの世に居たはずである)。なのに、俺はあのころ、おまえの存在なしでもこの世で生きていたということを、である。それが今では、おまえに去られて絶望のどん底にある。これは一体全体、どういうことなのか。
 だったら、おまえの存在をまだ知らなかったあのころ、すなわち青春時代に戻れば、少しは気持ちも安らぐ、紛れるのではないか。と、まあ~、こんな勝手なことを思った次第だ。あのころ。高校生のころは、おまえの存在なしでも生きておられたのだ、と(おそらく、あのころは母の愛があったからこそ、生きていたに違いない。その母は来月1日が来れば満102歳になる。あすは母の日だが、まだまだ元気で長く生きてもらわなければならない)。

 まもなく満102歳の母。たつ江をどこまでも愛してくれ、感謝している
 
 

 こんな時代もあったよね
 
 
 
 

 おまえの存在は俺にとって、おふくろ同様どこまでも大きい。これからも大きいのである。
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 ウクライナでは旧ソ連の対ナチス・ドイツ戦勝記念日を9日に控え、ウクライナの首都キーウ(キエフ)で戦果を急ぐロシア軍が攻撃を強化するのではーとの不安が広がり、マリウポリの製鉄所では今も血を血で洗う命がけの戦闘がロシア兵とウクライナ兵の間で繰り返されているという。私には、今度の戦争そのものの意義が分からない。むしろ〝意味のない戦争〟というか。哀れ極まるものを感じてしまうのである。
 人間ほど醜い生きものはいない。私は、そう思わざるをえないのだ。

 戦勝記念日を前に訓練に挑むロシア兵。若い兵士たちには何の罪もないはずだ(NHKから)
 

 あいさつをするプーチン大統領(昨年の戦勝記念日当日)=NHKから
 

2022年5月6日
 昼。以前、たつ江と一緒に行ったこともある愛知県江南市内のお寿司屋さん「あみもとの里」へ。おいしいお寿司を一人前たのんで、久しぶりに日本のお寿司を味わったが、それはおいしかった。ウクライナで多くの方々が命を落としているのに。私ばかりが、こんなにおいしいものを食べていて良いものかと思うと、なんだか悪い気がしてきた。亡き相棒、たつ江にも悪い気がしたが、ここは「俺がおいしく食べる、ということはだ。たつ江、すなわち舞も今、おいしく食べていることなのだ」などと勝手に自身に言い聞かせて食べたのである。それにしても、こうして普通に食事できることの有難さを私たちは感謝せねばならない、と思う。

 きのう(5日)は、妻たつ江逝去(昨年10月15日)もあって、このところスッカリ御無沙汰していた中部ペンクラブの理事会に出席するため名古屋へ。妻に先立たれたことで、重い足を引きづって会場の名古屋・国際センタービルへ、と向かった。
 名鉄犬山線の車内は大型連休でUターンする人々なのだろう。珍しく旅行鞄など重たそうな荷物を手にした多くの人々でにぎわい、帰りに寄ったJR名古屋駅構内の弁当売り場も人、人、人で長蛇の列となっており、こうした混雑ぶりを見る限りコロナ禍も少しは治まってきた気がしないでもない。ただ、以前と違うのは、すれ違う誰もがマスクをしていていた、ということか。ひと昔前の人々がこの光景を見たなら、それこそ異次元社会に映るに違いない。

 いずれにせよ、社会はコロナ禍以前と比べると、まったく別の顔になってしまったことを改めて実感しもしたのである。理事会のあとは、大垣支局時代、当時の「長良文学」に一緒に同人として所属していた、あのころからの文学仲間で、たつ江も生前、お世話になった椿井愛一郎さんと久しぶりに喫茶店に入って懇談。昔のことを話し合ったりしたのである。おかげで、少しは元気が出てきた。椿井さん、ありがとう。

 さて。ちまたの方の不安といえば、だ。『20年ぶりの円安が進む中、市場で「今度こそオオカミが来るのでは」との懸念が浮上している。「オオカミ」とは、約2000兆円にのぼる個人マネーが、円預金から外貨資金などに一斉にシフトするキャピタルフライト(資本逃避)のことだ』(毎日6日付余録)とか【米大幅利上げ円安加速も 22年ぶり0・5%物価高対策】(6日付中日)の記事にも見られるように、円安加速が懸念されることか。

 そして。相も変わらずロシアによるウクライナへの軍事侵攻のはっきりした先がみえないことか。各種報道によれば、ウクライナの首都キーウ(キエフ)近郊のプチャでは民間人を含め400人以上が殺されたとみられる。無抵抗の市民への銃撃、少女も含めた女性に対する性暴力、ほかに虐待死、衰弱死が横行している現実が次々、明るみとなってきている。戦争がいかに醜く、残忍なものであるか、がきょうも白日の下にさらされているのである。ニンゲンとは、何と愚かな生きものなのか。そう言わざるをえないのだ。

2022年5月5日
 立夏。こどもの日。気持ちのいい朝だ。春分と夏至の中間で、この日から立秋の前日までが夏となる。目には見えないけれど、この地上には今さわやかな風がふきわたっている。

 プーチンのウクライナ侵攻に、なかなか終わりのないコロナ禍、北海道知床沖での観光船沈没、山梨県道志村山中での人骨と衣類=2019年9月に行方不明になった小倉美咲さん(9歳)着用の衣類に酷似=発見など。暗い、くらい世の中だ。でも、3年ぶりに行動制限のない観光地はどこもかしこも大型連休の人出は増加、社会そのものが少し息を吹き返してきたような、そんな気もする。亡き妻とかつて7年過ごした石川県七尾市ではニッポンイチ大きい青柏祭デカ山(国の重要無形民俗文化財、ユネスコの無形文化遺産)が3年ぶりに復活し鍛冶町、府中町、魚町での町内曳き回しが実現、御祓川にかかる仙対橋たもとでは辻回しの妙技に歓声が沸き、府中波止場での三台集結など、さぞやにぎわっているに違いない。平和なニッポンである。

 とはいえ、きょうも朝刊には【ロシア岸田首相ら入国禁止 63邦人発表、制裁に報復】=安倍晋三元首相は、なぜか対象外=、【<特報>その例え話必要ですか 「プーチン氏は戦国武将」 安易な比較は間違い/ウケたい自己顕示欲/無頓着さや不勉強の表れ(安倍晋三元首相の講演を分析)】【北朝鮮が弾道ミサイル 韓国新政権と米国けん制か】【沖縄基地「不平等」79% 復帰50年全国調査 自分の地元へ移設「反対」69%】【子ども減り続け41年 14歳以下1465万人】(いずれも中日新聞)の見出しが暗雲の如く並び、人々の心を傷つけている。

(5月4日)
 日本列島は大型連休の続き。
 ということで、新幹線で帰省し犬山のホテルで宿泊している長男夫妻が現れたところで家族そろってイオン扶桑店へ。ここで食事をし帰りに和田の実家へ(父なきあと数年前までは母=来月1日で満102歳。現在は老健施設在住=が一人で住んでいた)。久しぶりに庭などを見て、その足で私たちの畑エデンの東(エデンの東は、亡き妻・たつ江と共に命名した)経由でたつ江とお彼岸のつどお参りに来ていた父が眠る和田霊苑へ。長男夫妻が墓掃除をしてくれ、みるみるきれいになった。私たちはその足で近くにある母の弟(沖縄戦で命を落とした)の墓にも出向き、水を手向けたのである。

 久しぶりに立ち寄った私の実家。庭は兄夫妻によりきれいにされていた
 

 父が眠る墓掃除をする長男夫妻
 

 墓地一隅には多くの仏の姿も
 
 
 エデンの東も健在で梅がいっぱい実っていた。梅をちぎるわが子ら
 
 

    ※    ※

    ☆    ☆
 毎日新聞の朝刊題字は、この日に限っていつものようにみどりの地に白抜き。きょうは、みどりの日である。生前のたつ江はいつも、新聞を開く前に朝刊を私に渡しながら題字部分を手に同意でも求めるように「しゃれている。いつからだったかしら」と問いかけてきたものである。「ウン、そうだな」と私。きょうは朝からさわやかな空が頭上に広がっている。
 新聞各紙は新型コロナウイルスの感染防止のためのまん延防止措置など全ての行動制限がなくなって初の大型連休を【ざくざく思い出も人出も 蒲郡潮干狩り】(中日)などと観光地に客が戻ってきたと報じ、きのうの憲法記念日にあわせ【憲法70年守るべきは 改憲派ロシア侵攻で勢い 護憲派「9条こそが平和」】(中日)と読者の声を吸い上げている。ほかに【「ロシアが収容所」米指摘 マリウポリ周辺 強制連行か】【製鉄所退避101人と発表 ロシア攻撃で市民2人死亡】【追加軍事支援 英首相が表明 ウクライナ議会演説】【<核心>「運行管理者」自覚なく 知床乗客家族へ文書 社長の認識不足相次ぎ露呈】(中日)などと、それぞれの問題点を突いている。
 そして。ほかに印象に残った記事といえば、【言論の自由守ってゆく 朝日新聞阪神支局襲撃35年】と【星空の世界遺産 東京・神対馬】。記事ではないが私が毎朝、愛読している朝刊小説【永遠と横道世之介164 吉田修一】(いずれも毎日)である。私は日々、新聞の朝夕刊に掲載された各紙の連載小説を読んで自分なりにチェックしているが、この小説は何よりも分かりやすいばかりか人の心をつかむという視点でも中日本紙の連載小説【かたばみ 木内昇240】に勝るとも劣らない、人の心をつかんだとても良い物語だと思うのである。

 毎日「星空の世界遺産 東京・神津島」の記事
 

(5月3日)
 憲法記念日。
 朝。久しぶりに耳にした民放ラジオから浜田省吾さんの♩もうひとつの土曜日、が聴こえてきた。つくづくよい歌だなあ、と思い、たつ江の笑顔と懐かしい日々が目の前に浮かんだ。
<君を想う時 喜びと悲しみ ふたつの想いに揺れ動いている……子どものころ 君が夢見てたもの かなえることなど 出来ないかもしれない ただいつも傍らにいて 手をかしてあげよう 受け取ってほしいこの指輪を 受け取ってほしいこの心を……>
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    ☆    ☆
 ふたりとも激務の長男夫妻がおかあさんが大好きだった東京ばな奈「見ぃつけたっ」を土産に連休を充てて来訪。さる1月22日にたつ江の百ケ日忌にあわせ永正寺副住職に仏壇開きの法要をして頂いた仏前で「おかあさんらしくて、かわいくて気品がありとってもよいよ」と仏壇をほめ満足そうでこちらまで嬉しくなった。小型の箱仏壇だが、私は家でお参りをするにつけてはこれで良い。おかあさんも満足してくれているに違いない」と思う。
 私たち家族は、その後そろって伊神家の菩提寺でもある臨済宗妙心寺派の高屋山永正寺へ。現在、再建中である本堂横墓地に新しく誕生した永代供養集合墓の【尾張の大地】【濃尾の大地】へ。墓地内をじっくりと見て回ったが「ここなら亡き妻の霊も休まるに違いない」との確信を得たのである。

 新聞は知床遊覧船事故はじめ、新型コロナウイルス感染症のその後、ウクライナでのロシア軍の砲撃再開、【コロナと憲法】問題、恒例の第75回中日文化賞、名鉄の社長人事などを報じている。なかでも、知床事故では【社長運航管理行わず 知床事故 当日不在記録なし】と、ウクライナの方は【砲弾の雨「心臓が止まる恐怖だった」 製鉄所から2カ月ぶりの太陽】【ロシア「5・9」に宣戦布告か 対独戦勝記念日「敵国」市民拘束の恐れ】とある。さらにコロナ感染では【搬送されず死亡「繰り返さないで」 第6波ピークの特養 遺族訴え】とそれぞれ核心となる問題点などにつき報じている。

(5月2日)
 立春から数えて八十八目、夏も近づく「八十八夜」である。

【上質新茶できました 西尾・八十八夜】の夕刊記事には、かすりの着物姿で新芽を摘み取る若い女性たちの姿に、どこかホッとした。一方で、【「知床遊覧船」を家宅捜索 海保、業過致死疑い】【「戦争は女の顔をしていない」漫画版注目 戦場の現実 女性兵吐露 ウクライナ危機の今に重ねて】といった見出しには暗い世相がそのまま反映されているようで胸が痛んだのである。

2022年5月1日
 日曜日。大型連休さなか。きょうは、すずらんの日。感謝を伝える日である。
 ここ尾張名古屋では朝からポツポツと、大地に小雨が降り注いでいる。おまえ、たつ江はどこにいるのか。午後。突然、居間の電話がかかる。耳をすまして留守電の音声に全神経を集中させる。おまえなら次に耳に入ってくる声は「あのねえ。あの。あのねえ……」に決まっている。でも、電話はそのまま悲しく消え、何の音も発さなかった。
 一体全体、誰からなのか。
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 きのうは久しぶりに臨済宗妙心寺派の永正寺さん(江南市高屋)へ。尾張芸術文化懇話会の有志による集まりがあったからで皆さまにお会いしたい気もあって、執筆中の原稿を途中で置き、そそくさと出向いた。席上、まだお読みでなかった、おひとり一人に、私の著作「ピース・イズ・ラブ 君がいるから」(人間社文庫)を手渡しで寄贈させて頂いた。
 というのは、この文庫本(6部作)のなかに【信長残照伝 わたしはお類、吉乃と申します】が収録されており、信長との間に信忠、信雄、徳姫の三人の子をもうけた信長最愛の女性・吉乃がここ江南と小牧の地で若き日の信長をどこまでも支え続けた史実を一人でも多くの方々に知ってほしく思ったからである。私はお一人ずつに本の表紙部分に<恵存>の2文字を筆ペンで書き、お渡しした。
 尾張における、なかでもことのほか江南と小牧における若き日の吉乃の存在は、いつの日か郷土・尾張名古屋が生んだ女性の誇りとして大河ドラマか何か、映像による歴史上の人物としても花開く日が来ても決して不思議でない(既に私のこの小説では花開いてはいるが)。いや、戦国時代の女性のひたむきな姿は当然貴重な歴史のひとコマとして後世にも末永く刻まれるべきであって、その日がきっと来る、と信じていればこそなのである。

 さて。その会議の方は「会員の方々の近況報告もいいが、懇話会として何をするのか。しっかり方向づけをすることも大切だ」と痛烈かつ的確、熱心なご意見も出されたが、私はその発言を耳に「こうして集まって話し合うことこそが大切で、そうした中から何かが生まれれば、それでよいのでは。何でもあり、でいけば良い。アアダこうだ、と互いに思いつくことを自由に言いあいながら、少しでもふるさとの活性化というか。前進の役に立つことが実現するのなら、それはそれでよいではなかろうか。これまでもそれなりのことは行われてきている」と思った次第だ。
 確かにしっかりした目標を定めることは大切だが。決め決めで、カリカリするより、〝ええじゃないか〟〝ええじゃないか〟の、らふな気持ちで、焦らず、あわてず。確実に前に向かっていくことこそが、人間として大切なような。そんな気がしたのである。いずれにせよ、それなりに有意義なひとときだった。

 話は変わるが、「脱原発社会をめざす文学者の会」のホームページに月に一回、私が連載中である文士刮目の12回目【人間の尊厳こそが平和の礎(いしじ)】が公開されたので、ここで報告させて頂く。ぜひ皆さまに読んでいただけたらと願う。文学者の会のアドレスは、次のとおりである。
 https://dgp-bungaku.main.jp/
(このアドレスをクリックしてメニューで連載を開いて、読んでください)
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 五月が開けた。新聞に目を通せば、北海道・知床半島沖での観光船「KAZU Ⅰ(カズワン)」=一九㌧=の沈没事故はじめ、ロシア兵によるウクライナへの東部・北部・南部への侵攻その後、そして三年ぶりに新型コロナウイルス対応の緊急事態宣言やまん延防止等重点措置がなくなった中でのゴールデンウイーク前半の伊勢神宮など全国各観光地のにぎわいぶりなどが報じられている。

 そうした中で中日新聞のきょう、1日付社説は【「法の支配」を諦めない 戦争と平和を考える】というものを論点に紙面を展開していた。かつて米大統領に原爆開発を促す書簡を送った物理学者アインシュタインの悔いを引き合いに安保理改革や核廃絶は極めて困難だとしながらも、「でも。アインシュタインさん。国際法を諦めてはいけません」と訴えかける内容だったが。戦争が行われている中での法の支配がいかに難しいか、を感じたのである。