掌編小説[社内恋愛必勝作戦」

 高層ビル十四階の家庭用品卸商社オフィスの窓に明るい陽射しが眩しく輝いていた。サンルームのような雰囲気の中、昼休憩を前に社員達は仕事にひとくぎりつけようと慌ただしく動き回っていた。
『狩野さんは、入社当時から魅力的だったけど、このごろ特に控え目な気品と可愛さがあってステキだな……』
 ベビーフェイスの僕はデスクに向かい、ふと物思いに耽りながら、係長に提出する報告書を揃えていた。
ーーこの商社に勤務するようになって、今月でまる二年になる。三流の大学を卒業して、なんとか入社したものの、初めて経験する一般社会は学校とはまるで違った世間の手厳しい風が吹いていた。
 もともと不器用な僕は慣れない仕事に手に汗を握る緊張感を味わっていたし、複雑な人間関係に戸惑い失敗も繰り返し持ち前の粘り強さだけで一歩、一歩だった。かといって自分の力で新事業を興すような根性と才覚などは僕にはなかった。
 今は田舎の両親へ僅かでも仕送りが出来るようになったのが、少しでも一人前になった僕の励みと自慢になっていた。
「おい、水野、一緒に昼飯に行くか。今日は君の好物のハンバーグ定食だぜ、行こうぜ」
 と声をかけてきたのは、隣のデスクにいる、二年先輩の河村だった。
 河村は、生まれ持った性格なのか、とことん、面倒見のいい兄貴肌というか後輩の連中から慕われ特別に評判が良かった。実際、僕も好感を持っていたし信頼できる先輩だと思っている。
「あのー、河村さん。僕、今朝、コンビニで弁当を買ってきたもので、それを頂きますので。せっかくのご好意すみません」
 僕は、申し訳ない気持を込めた顔をして答えた。
「それは残念だな。じゃあ、飯が終わったら、屋上で煙草を吸って待ってるよ。その時、君に面白いものを見せてやるからな」
 上背のある河村が姿を消すと、オフィスの中は人影ひとつなくガランとした静けさが漂った。
「河村さんの言ってた面白いものってなんだろう。何か良いことでもあるのかな。そんな訳ないよな」
 などと、ブツブツ独り言をこぼしながら、僕はデスクに身をかがめて安上がりのコンビニ弁当に満足感を覚えながら空腹を満たしていた。
 仕上げに、ポットから自家製のコーヒー、モカマタリを注ぎ「この苦味が味わい深いんだよな」 と、ホッと一息ついた。
 そして河村の待っている屋上へと続く非常階段を上がって行った。
 屋上へ出ると遠くから声がした。
「おうい、水野、こっちだ」
 広々とした屋上の手摺りに背中をもたれて、大柄な河村が、片手に煙草をかまえて笑顔をうかべている。
 いつ見ても河村さんは粋でダンディな男で格好いいな、僕はベビーフェイスか…まあ、いいか、そしてひとつ咳払いして駆けつけた。
 少しの期待感を胸に辿りついた僕は、
「先ほどの昼食のお誘いありがとうございました。それで河村さんが僕に見せてくれる面白いものっていったい何ですか」
 と彼を見た。
 河村は煙草の煙をひとつフウ―と吐くと、隣ビルの屋上をあごで指し示した。
 そちらに眼を向けると、二人の男女が手摺りによりかかり、楽しげに寄りそって談笑している。
 制服を着た小柄で、顎のラインで内巻きのカールになったヘアースタイルで横顔の可愛い女性が、ひたすら男の目を覗き込むように熱心に話しかけている。グレーの背広を着た爽やかな雰囲気の男性が、それに応じるように頷いている。
 なかなか、お似合いのカップルに写っている。僕は先輩の言うところの面白いものが何なのか、じっと二人を観察していた。
 すると、河村の威勢のいい声が割り込んできた。
「彼女は去年、入社したばかりの新人、狩野祐子だ。狩野君のウワサなら君も知っているだろう。我が社の若きマドンナさ。ふふっ、君が昼前ボンヤリしていたのも彼女のせいだったのかな。まったく彼女は清純なレディーって感じ、輝いているよな。そして男性は、まさしくサラブレッド、社長のご令息の神前俊太郎だ。今、彼は営業部に所属しているらしい。………祐子君のほうが人目惚れで、ぞっこんなんだが、遺憾ながら俊太郎君は、仕事も軌道に乗って、やる気満々の状況で恋愛などには興味はないときたものだから事態はややこしい。どうなることやら」
 しかし、釈然としない僕は、
「あの二人は、いつもこうして昼休みを過ごしているのですか。狩野さんファンとしての僕には辛いものがありますよ。面白いものって河村さん! 本当、冗談じゃないですよ」
 それを聞いて、河村はプッと吹き出すと大笑いした。そして、手にした煙草の吸い殻を灰皿スタンドに投げ込むと、さっさと姿を消した。その後も、僕は嫉妬心の入り混じった波紋が心に広がるのを感じながら遠くの二人を羨ましく眺めていた。

「ねえ、水野君。どうぞコーヒーを召し上がって」
 山積みになった書類の向こうから女性の声がした。パソコンの手を止めると、僕は悲惨に打ちのめされた情けない顔をもち上げた。すると同輩の山崎順子が愛らしい笑顔を浮かべて、紙コップのコーヒーを差し出していた。落ち込んでいた気分に清々しい風を運んでくれたような、タイミングの良さに僕は正直救われた。
 そして順子は茶目っ気たっぷりに軽くウインクを投げて去って行った。突然のオマケつきに驚いた僕は顔が真っ赤になってしまった。
 すると後方から、大きな咳払いがした。びっくりして振り向くと、恐い顔をした大原係長がデスクにかまえて僕をじろりと睨んでいた。くわばら、くわばらである。

「つまりは『社内恋愛必勝作戦』って訳だよ。そのからくりはこれから私が説明するから三人で協力して成功させようぜ」
 昼下がりの社内。地下レストランの丸いテーブルには白いクロスがかけられている。集まったのは僕を入れて開発部所属の三人だった。
 禿げ頭に丸眼鏡の丸井が両手をテーブルに突いて立ち上がり、誇らしげに胸を張って、リーダー役を務めていた。
 高給エリート社員を鼻に掛けた自信たっぷりで高慢な態度の丸井に僕は好感を持っていなかった。
 そんな彼の話だったから興味も沸かなかったし、自然に大きなあくびが出ていた。すると隣のデカ鼻の花田が咎めるように睨んできたので、慌てて僕は両手で口を押さえた。
 でっぷりと太った巨漢の花田は大学時代からの僕の親友で、この商社にも同期で入社している仲だった。
 花田が声を上げた。
「とにかく、狩野祐子と神前俊太郎の二人を恋仲にして結婚まで持ち込んでやればいいんだろう。手段は他にもいくらだってあるような気がするんだが、君の計画に自信があるんだったら、それでいいや。それでXデーはいつなんだ」
 しかし参加している僕は内心、不愉快だった。
『何で僕が恋敵のキューピット役をやらされるんだ。さすがに、気のいい僕でもバカバカしくなって腹が立ってくる……だけど僕の片想い……狩野さんに幸あれか』
 丸眼鏡の丸井がスパイ大作戦の隊長気取りで熱弁を奮った。
「二日後のホワイトデーに決めている。極秘情報によれば、神前さんはホワイトデーに祐子君へ箱詰めのホワイトチョコレートと彼が好きな歌舞伎の招待券をプレゼントするらしい。そこでだ。我々三人は密かに神前さんのライバル意識をとことん刺激するために、彼の目の前で祐子君にとびきりのプレゼントをする。我々の有利な点は、私の明晰な頭脳と花田君の情熱、そして誠実な水野君の好印象にある。これだけのメンバーが揃えば成功間違いなしだ。あれだけ、祐子君に言い寄られた神前さんだ。俄然、男の闘争心が燃え上がるだろうし、後へ引く訳にもいかん事だしな。あとは人智を尽くして成功を祈るだけである。誰か私の作戦に何か異論はあるかな」
 最後まで聞いていた僕は呆れ返り、言葉もなかった。その場で思いっきり落胆のため息が突いて出た。
 そのとたん、平静に戻った僕は午後の開発会議で全員に配る報告書のコピーを、忘れていたのに気づきアーッと声を上げた。
 そして僕は立ちあがると大声で言った。
「申し訳ありません。うっかり仕事を残していました。この作戦についての僕の役割はしかと承知しましたので御安心を」
 そう言い残すと僕はレストランの出口に向かって足早に去り、あとに残った二人は唖然とした表情で後ろ姿を追っていた。

『何とか会議書類は間に合ったものの冷や汗ものだったな』
 散々な一日を思い出しながら、夜道の中、郊外の安アパートまでの家路を急いでいた。途中、買物客で賑わう繁華街を通りながら、狩野さん用のプレゼントを物色していた。すると閉店間際のアクセサリーショップにふと眼が止まった。若い女店員が大きなあくびをしている。僕は慌てて足を踏み入れた。
「ちょっと、すいませんがプレゼントを探していまして」
 店内は女性が喜びそうな装飾品が豪華に並び、目にキラキラと輝きが飛び込んでくる。
『狩野さんには?』
 棚にあったテディベアの小さなぬいぐるみを見つけ、『これなら可愛いし喜ぶだろう』と一つ買ってプレゼント用に包装してもらった。そして再び繁華街に出た。
『珍しく、今夜は強い風が吹きつけているような、ピエロ気分の自分には、ふさわしい雰囲気かな』と、やや自虐的になりながら、そろそろ要らなくなるコートの襟を立て、妹が夕食を作って待っている自宅へと一目散に向かって行った。

 予想以上に、狩野祐子へのプレゼント作戦は、クラッカーの炸裂する勢いに盛りあがり、われら作戦部隊の三人もプレゼント渡しの任務を果たした。
 そして神前俊太郎も満面の笑顔で狩野君へ豪華なプレゼントを手渡していた。そしてご機嫌な様子に脈ありと我々は、Xデーの成功を見届けた。
 やがて、その日の退社時刻となりビルの広い玄関を出た僕は、一週間の溜まった疲労感とヘコミ気分で絶不調だった。
 アーチ型の階段を降りながら『明日の休みは、久しぶりにのんびりと家でテレビの相手でもするか』
 やがて歩道に出た解放感から靴音もたかく歩き始めた僕の背後から、聞きなれない女性の声がした。
「ねえ、水野さん少し待ってください。お願いします」
 びっくりした僕はあわてて振り向くと、そこにはピンク色のコートを着てブラウンのショルダーを肩に掛けた狩野祐子が息を切らせて立っていた。
 何が起こっているのか、憧れの女性を前にして僕は呆然としていた。
 そして彼女の安らいだ眼差しが微笑むように優しく少し恥らいながら話し始めた。
「き、今日は素敵なプレゼントをどうもありがとう…テディ・ベアは私の一番のお気に入りって知ってたのね。大切にしますね。あの、プレゼントを頂いた方たちの中で、そ、そのう、一番が、水野君なの。今まで恥ずかしくて、言えなかったんだけど、プレゼントをいただいたので正直に告白しょうと心に誓ったの。こ、こんな私でよかったら、お付き合いしていただけないかしら。入社して、初めて挨拶した時から、気になっていたの。そしたら、あなたの真面目な仕事ぶりやら、ご両親に仕送りしている事とか私の目に間違いなかったんだわ。あっ、一方的に失礼なことを、私って、馬鹿よね。そ、そうそう、これ、明日、公演されるクラッシック・コンサートのチケットなの。良かったら是非ご一緒しませんか。連絡先の携帯電話は花田さんから聞いちゃった。きっと連絡待ってて下さいね……」
 そう言い残して、小柄な狩野祐子は人波の中へと紛れて行った。
―一瞬、頭の中が真っ白になった僕は、しばらく雑踏の中でたたずんでいたが、突如、ワアーと歓喜の大声を上げて、無我夢中になって今、降りたばかりの階段を駆け上がり、玄関ロビーへと飛び込んでいた。
 そして感極まった僕は、無意識にエレベーターで14階オフィスへと戻ってしまっていた。待っていたのは河村だった。
「はははっ、少しは落ち着けよ。それとも、狩野君と一緒に深呼吸でもするかい、水野君」
 暖房の効いたオフィスの真ん中で、白のワイシャツ姿で腕を組み、長い両足をデスクに乗せた河村はいつもより巨大に感じられた。
 そして、僕といえば、床の上にへたり込み、事情が呑み込めない状況に、河村先輩を見上げていた。
 河村が澄ました顔で言葉を続けた。
「すべてがマドンナの狩野祐子君から頼まれた、君へのお芝居だったのさ」
 僕は、ややうろたえた気持のまま、河村に尋ねた。
「そ、それじゃあ、屋上で目撃した神前さんとのラブシーンやら、地下レストランでの秘密計画も、そして今日のプレゼント作戦も全部、僕のために仕組んだ演技だったという訳ですか」
 そこで河村が事の成り行きを話しだした。
「そのために社長の御曹司、俊太郎さんが友情出演してくれたのだから、君からお礼のひとつでも言わなきゃね。祐子君は君の真面目さに心魅かれたのだよ。それに君の優しさというか、親孝行ぶりにも感心していたよ。祐子君は内気なタイプで、君の気持も分からないのに積極的に言い出せなかったんだよ。そして俺に相談を持ち掛けられたって訳さ。それで祐子君の提案で、君からプレゼントを貰ったら告白もしやすいと言うので……実に可愛いねえ」
 それでも納得できない僕は、ズバリ質問を切り出した。
「でも、みんなは何故、そこまでして僕と彼女のために協力して頂いたのですか」
 すると河村は、デスクでふんぞり返ったまま、おどけた様子で、軽くネクタイを締める真似をするとニヤリと笑って言った。
「決まっているだろう。俺の可愛い後輩、仲間だからさ」                              (了)