あぁ~大震災を悼む 笛猫野球人間日記8月20日
平成二十三年八月二十日
(この日記はアタイ=こすも・ここ=が、お父さんの「私」になりきって書き進めています。ごくごく、たまにアタイそのものが出てくることがあります)
今夜のナゴヤドーム。中日ドラゴンズは広島戦でこのところ観戦に訪れていた北谷ドラゴンズ協力会の必至の声援、いわゆる“北谷の風”に守られてか1―0で勝ち今季初めての四連勝となった。七回2死二塁から堂上直倫が適時二塁打を放ち1点を取り、そのまま逃げ切った。勝利投手は先発伊藤を救援した小林正が5勝目。最後は浅尾、岩瀬の必勝パターンで締めたが、岩瀬は八年連続の20セーブ。
きょうの試合を見る限り、ドラゴンズは落合監督八年目にして、ちょうど若手が育ってチームとしての形がつくられてきたといったそんな気がする。今夜のヒーローである直倫はじめ、ジュンキ、平田、大島……の活躍を見る限り、チームそのものがこのシーズン中に世代交代し、そっくり脱皮してしまいそうな、そんな予感さえするのである。
ほかにブーちゃん(中田亮)、堂上剛裕、野本、岩崎……投手陣でも岩田、山内、岡田、大野、矢地…と、草々たるメンバーが満を持している。これほど若い戦力にあふれるチームは他にない、と言っていい。球団一丸となっての地道な姿勢と努力があればこそ、だ。
つい、嬉しくなってしまった私は夜遅くファンクラブのお母さんと呼び親しまれる安江都々子さんに「ジュンキ、よかったですね。あとひと踏ん張りだ。…」とショートメール。彼女からはすぐに「メール有り難う御座います、準規君最初は。最悪な投球、よく立ち直って。投げました直君も、よく頑張った、若い選手が楽しみです、」(句読点とも尊重して原文どおり)の返事が戻ってきた。うれしさと期待感が手に取るようだった。
この夜は、たまたま私の妹夫妻もナゴヤドームで観戦してくれていたようで「終わりました。勝ちました! 」のメールが飛び込んだ。ドラゴンズが勝てばうれしいものだ。それが、われらドラゴンズワールド、真のコミュニティーというものなのだ。
きょうは公式ファンクラブ主催の1012年会員のPRイベントがナゴヤドーム内、フレックスルームで行われた。「峰竜太&大澤・若狭アナのトークライブ」の形式で途中、三重テレビの看板美人アナ・山口未翼さんや中日新聞本社メディア局社員らによる中日スポーツ購読増と携帯中スポのPRコーナーも設けられ、出席者にとっては楽しく有意義なひとときとなった。この日は難関のなか抽選で選ばれた約六十人が参加費を払って出席、東海地方を中心に東京国立市や岡山県玉野市からの遠来組もあり、なかには横浜から一家四人で訪れたドラゴンズ一家も。峰さんをはじめとしたプロのトークも皆、力が入って中身があり味わい深かった。
【きょうの1番ニュース】久しぶりにお会いし視線を交わした峰さん。奥方のみどりさん同様、ますますお若くなられ、とても還暦が近い? などとは思われなかった。最近では、かわいい息子さんがスカパで野球の実況中継に出演されるようになった、とか。それまで全く野球に関心のなかったみどりさんがテレビにかじりつきだ、とか。峰さんは、落合監督同様、大の“家族びと”だ。
と、わが子わが妻の自慢のあと「(落合政権になってからの)ドラゴンズファンはチト、ぜいたく過ぎる。落合さんをとやかく言う人がいるけれど、監督としての落合さんは断然ニッポンイチだ。ことしの中日は、少し苦しんでいるが、逆にこれほど面白いシーズンはない」ときた。残る大澤アナ(東海)・若狭アナ(CBC)のコラボトーク『ここだけの話』もなかなかの内容。リーグ優勝を若狭アナ、日本シリーズ優勝の瞬間を大澤アナが、順番にそれぞれ仮想の実況中継をして見せ、会場の全員が、ひと足早い日本一気分を味わった。
☆「円一時75円95銭 戦後最高値を更新 日本経済に打撃」、「セシウム汚染 宮城牛の出荷停止解除 福島延期、新たに検出で」(20日付、中日朝刊)
「日大三(西東京)10年ぶりV 夏の甲子園 光星学院(を11対0で)破る」、「国内最大の太陽光発電 三井化学など 田原で5万キロワット計画 技術面連携 中電検討も」(20日付、中日夕刊)
平成二十三年八月十九日
ドラゴンズはナゴヤドームで広島と戦い2―1で勝った。中日は吉見が2安打1失点で今季初完投。五回以降は完璧な出来栄えで四年連続二桁の10勝目をあげた。1―1で迎えた八回2死三塁から大島の右前打で勝ち越した。広島打撃陣はバリントンを援護できず、五位に後退。沖縄・北谷から訪れた一行は、公用でトンボ帰りした野国町長をのぞき、本拠地の独特のムードのなかの勝利にはさぞかし満足したに違いない。やはり北谷の風が吹いたか。沖縄・北谷の人々のドラゴンズへの思いの深さ、限りなく熱い魂が勝たせているのか。
きょうは七月の中日スポーツ月間賞となった森野選手にファンクラブの会員代表が賞金とトロフィーを手渡すセレモニーがドーム内の球団応接室であった。プレゼンターは、無名のころからの森野選手を応援してきた男性とその家族だけに満足そう。森野選手も男性が持参した背番号16当時のユニホームにサインするなど、なかなかの気配りだった。笑顔でこたえる森野選手の、あの蟹股姿を見ながら、私は「今夜はきっと勝ってくれる。勝つはずだ。勝ってくれ」と自らの心に願いを託した。
―そして。この日、ドラゴンズは大島の一打で広島を破った。ペナントレースは、まだまだ、これから。リーグ優勝と完全日本一も夢ではない。
俳句の日ーテレビで見た、きょうの東京。首都の上空には黒い雲が覆い被さり、ビル群は雨に襲われた。私は、その光景を見ながら、まるで東京がそのまま雨に襲われ、消えてしまうのではないかとそんな錯覚にとらわれた。温度も二十三、四度までに下がったようで、これから秋が一気に近づいてきそうだ。当たり前のことではるが、ニンゲンたちは、自然には歯がたたない。福島原発事故に伴う見えない放射能汚染は、原子力に対する自然界の無言の拒否反応ではないか。
【きょうの1番ニュース】かつて空飛ぶ記者だったころ、お母さんが交通安全エプロン会のリーダーで随分お世話になったその彼女と、仕事の合間にナゴヤドームで雑談した。このところの連戦続きに十月には十連戦も控え、忙しそうで何よりだ。ただ、大切な家庭もおありだけに、からだだけは大切に、と話しておいた。Mと私が戦友、同士なら、彼女は私にとっての何だろう。だいぶ年の離れたかわいい妹か。小牧時代、ドラゴンズが優勝した折にふたりで飲み明かしたあのころが忘れられない。が、一度過ぎ去った年は戻ってはこない…。
☆「なでしこ旋風 五輪でも 国民栄誉賞授与」、「花火に笑顔はじける 岡崎の職人が差し入れ 宮城・亘理」(19日付、中日朝刊)
「被災4万4000人就学困難 小中学生 国が経済支援へ」、「茨城米からセシウム 収穫前検査 規制値の10分の1」、「『自分は医師』と否認 米田(吉誉)容疑者 札幌で身柄確保 宮城県警」(19日付、中日夕刊)
平成二十三年八月十八日
きょうは新聞社社内の、ドラゴンズ公式ファンクラブ事務局に中日ドラゴンズが春の沖縄キャンプで大変、お世話になっている沖縄・北谷町のドラゴンズ北谷協力会会長で北谷町長でもある野国昌春さんらが表敬訪問してくださり、感激した。高校生も加わり計二十八人で訪れ、事務局へは代表八人が訪れられた。北谷では、毎年中日旅行会のキャンプ観戦ツアーで私たちが訪れるたびにファンクラブ会員がよくして頂いている。
訪れた一行は皆、大のドラゴンズファンばかりで、なかでも野国町長は、これまでにも何度かナゴヤドームで応援してきたが、負けたのは一昨年の八月、巨人との三連戦の初日のただの一回だけ。残るすべての試合で勝ち続けている、という。
風貌からして、この人が観戦したなら必ず勝つ、といったそんな感じのお方だ。それだけに、昨夜のチェンの活躍による勝利に続き今夜のドラゴンズも七回裏、和田の本塁打で、それまでの1―0を2―1と引っくり返した逆転劇には全員が喜んでくださったに違いない。
今夜の試合展開をケータイ中スポのドラゴンズ情報から引用すれば、次の通りだ。
―一点を追う7回に和田の10号2ランで逆転し、そのまま逃げ切った。先発ソトはスライダーが効果的で6イニング1失点と好投、2番手の小林正が4勝目。巨人は借金1に逆戻り。ラミレスの三塁打で先制したが、中日のリリーフ陣にかわされた。
このところ、わが家では昔懐かしいラムネがちょっとしたブーム。Mがバローで見つけ買ってくるようになったからで、私が夜飲もうと冷蔵庫を空けると、息子のKにしてやられている。やはり、あのしろものは世代を問わず哀愁のある飲みモノなのだろう。
中のカッチン玉が、またいい。子どものころは、あれを集めてガチンコをしたものだが、いまは、愛猫こすも・こことシロが首をかしげて手でいじくり回して楽しんでいる。わが家の仲間が一つ増えた。なんでもないようで、なんでもある事件なのである。
大げさに言えば、わが家に昭和時代の一つが舞い戻ってきたような、そんな図が描かれた。
【きょうの1番ニュース】沖縄・北谷のドラゴンズ北谷協力会長の野国町長はじめ、根間朝弘事務局長らに再会できたことだ。北谷と名古屋は、ドラゴンズの春の沖縄キャンプを通じ、互いの友好、親善が年々高まる一方である。「今度は(2軍がお世話になっている)読谷の人々にも声をかけて一緒にきたい」との野国町長の言葉に期待したい。ドラゴンズは北谷でも、読谷でも、大変お世話になっているからだ。
☆「天竜川下り船転覆 豊橋の女性ら2人死亡 男児ら3人不明 岸壁に衝突か」「救命胴衣『着用把握せず』 12歳未満には義務付け規定」「転覆現場 渦巻く一番の難所」(18日付、中日朝刊)
「天竜川下り事故『渦に巻かれ船反転』業務上過失致死傷容疑 運行会社を捜索」「船首から衝突、浸水か」(18日付、中日夕刊)
平成二十三年八月十七日
今夜、対巨人戦でのチェンの好投を東海テレビで見た。八回1死までパーフェクトだったのに、二十三人目のバッター・小笠原にセンター前ヒットを打たれてしまった。「完全試合はなりませんでした」のアナウンサーの声ばかりがむなしく響いた。
それでもドラゴンズは六回2死一、二塁から谷繁が放ったタイムリーが最後まで生き、1―0で巨人に勝った。九回裏、チェンが高橋に打たれたところで落合監督がマウンドに出てきたが、チェンはそのまま続投し勝利した。チェンはこれで5勝7敗。今シーズン、既に12勝をあげ、リーグ防御率トップの巨人内海もよく投げたが、この日のチェンにはかなわなかった。
私はテレビの前で一喜一憂しながら、内心で「プロ野球というのは、何よりも純真な気持ちで観戦することが大切である」ことを今さらながら痛感。そこに邪念が入ると、それこそ見苦しいものになるのではーと、ふと思ったりした。傍らで楽天ファンでもあるMがこう、言った。
「あのねえ、(どんなに負け越していたとしても)純粋な気持ちで応援するファンとなると、やはり阪神ファンだよね」と。そしてドラゴンズのファンの場合、負けると『まあ~、応援なんかせえーへん』となる。
そればかりか、監督や選手批判が露骨になり球団はファンサービスがなっとらへんがや、となる。なぜ、純粋な気持ちで見守ることができないのだろう。ひどくなると、監督や選手とは、まったく関係ないところで私利私欲が露骨となり、自分のことを棚にあげておいて監督が悪いからだ。選手が打てない、どういう守備をやっとるだ、ということになってしまう。
ともあれ、きょうの試合は、最終回にチェンを変えるかどうか、でチェンを続投させるーなど名場面もあり、観客は大いに巨人戦を楽しんだはずだ。そればかりか、チェン投手とお立ち台にたったもう一人のヒーロー、谷繁捕手が「これまでふがいない試合が続いてきましたが、きょうからは生まれ変わります。全員でがんばりますので皆さん! 応援よろしくお願いします」の言葉には、なんだかこれからやってくれそうな気がしただけに、今後のドラゴンズには大いに期待が持てそうだ。
お盆も終わり、町には、また元の顔が戻ってきた。ここ数日というもの、日中は蝉時雨の音が絶え間ない。どうかすると、地面に落下しそうになったり、民家の壁に羽をぶつけたりしたあげくにポロリとあっけなく落下する様子が、もののあわれをさえ感じさせる。
【きょうの1番ニュース】わが家の愛猫こすも・ここが、最近、二階一室のどこかに隠れ家を設けたらしい。Mは既にどこか、までもキャッチしたもようだ。でも、具体的なアジトについては口を漏らさない。
☆「女性最多勝 (国内六626勝、海外56勝)宮下騎手が引退会見 『16年間に悔いない』」、「『311』祈りの火 大船渡で灯籠供養」、「小さな胸 描く被災地 『思い出したくない。でも頑張ってる』」、「大阪・切断遺体 頭部は40~50代男性 殴られたような骨折の痕」(17日付、中日朝刊)
「泊原発再開を容認 3号機営業運転 北海道知事が表明」(17日付、中日夕刊)
平成二十三年八月十六日
勝ってほしかったのに、3―2で巨人に負けてしまった。ナゴヤドームの巨人戦といえば、それだけで黄金カードだ。なのに、負けた。涙の敗戦投手はネルソン。巨人は3連勝で五月以来の貯金1として2位に浮上した。ネルソンは七イニング3失点で十敗目を喫した。野球は本当に勝ったり負けたりで、人生劇場そのものでもある。
文学界九月号の河野多惠子と吉田修一の対談「『逆事』と抑制の小説作法」が大変、参考になった。河野さんは、このなかで述べている。「そうそう。あえて書かないっていうのはたくさんあるわね。」「いかに余計なものを削るかが小説だと思っているんです。」「たった一つの短い言葉で、その人間がそこに『在る』ということが、とてもストレートに伝わってくるんです。」「私ね、時々、新人賞に応募したいと思うことがあるの。」
今夜は仕事の帰り道に上前津の師匠宅で横笛の稽古日。新しく「まりと殿様」の楽譜をいただけ、なんだかご褒美をもらったみたいだ。少しずつマスターしていこう。
【きょうの1番ニュース】横笛のけいこで遅い帰宅となり、食卓に着くとごはんと一緒に、ちよっと洒落たちいさなケーキが出てきた。Mの「あのねえ」とだけ、の言葉と視線に、三男坊の誕生日だったと気付き「(Kは)食べた」と視線を向けると「ウン」の返事。
きょうは、特別な日なのでMはアピタまでこの暑さのなか、自転車を漕いで買いに行ってきたみたいだ。「おまえは、ほんとによい子ばかりを産んでくれた。みな、オレを超える個性あふれる男ばかりだ(いや、三人とも既に超えているか)。これからも、よろしく」と私。まるで、Mの日のような夜が更けていった。
☆「長篠合戦(1575年) 炎の供養」、「(岩手県久慈市小袖の)北限の海女 漁実演再開 岩手・久慈 100年の伝統守る」(16日付、中日朝刊)
「(「フランチェスカの鐘」の)二葉あき子さん死去 96歳『水色のワルツ』ヒット」、「大阪・切断遺体 3個目缶に薬品ラベル 企業名も記載 入手経路を捜査」(16日付、中日夕刊)
平成二十三年八月十五日
かけがえなき天皇陛下の玉音放送の日、終戦記念日が、まためぐりきた。
きょうは、プロ野球のドラゴンズ戦がないので、生活の張りというか、そうしたものが失(な)くなってしまった気がする。半面では、なんだかホッとし、少なくとも今夜に限れば敗戦の憂き目に遭うことはないと思うと、何かしら気持ちが安らぐから、不思議だ。人間心理なんて、勝手なものだ。あればあったで、無い方がよいと思い、なければないでどこか寂しい。自分たちでつくった野球に振り回されている。
野球といえば、沖縄・北谷(ちゃたん)のドラゴンズ北谷協力会の根間事務局長から、きょうの午後、ファンクラブ事務局に電話が入った。ナゴヤドームに観戦で行くので十八日、野口町長ら七、八人で事務局を表敬訪問したい、とのこと。北谷では毎年春の沖縄観戦ツアーで名古屋から訪れた会員が大変お世話になっているだけに、大歓迎で楽しみだ。
それはそうと、きのうは新聞休刊日なので、けさは新聞がない。新聞がない、というのもこれまた、日常生活の突っかい棒が取れたみたいで心もとない。デ、夕刊を見ると「貧打竜に逆戻り 七回1死まで無安打」の見出しで昨日の試合のことが書かれており、なんとも悔しさばかりが募ってくる。
その新聞だが仕方なく昨日付けの朝刊(中日)を読んでいたら、「社説 新たな『災後』の生と死 終戦の日に臨み考える」が目に飛び込んだので一気に読んだ。『災後』という表現は僕の知る限り初めてだった。文学界九月号、諏訪哲史のエセー「どうすれば小説が書けるのですか?」に納得。ただ、書くだけではいけない。他の作品を読んで、読んで、さらにまた読んで、それでもあきたらなくて書き始める、という彼の姿勢がいい。
お盆休みの息子が昼間、一人で和田のおばあちゃんチに行ってきたそうだ。おばあちゃんの嬉しそうな顔が目に浮かぶ。だから、気弱なことばっかし、言ってちゃダメだ。元気に、生きて、生きて、生き抜いてゆかなければ、孫の顔だって見られるのだから。Mも一緒に行くつもりだったが愛猫こすも・ここが行方知れずになってしまい、大捜索のため行けなくなってしまったという。あ~あ。世の中、そんなものである。
【きょうの1番ニュース】きょうは、朝からわが家の愛猫、こすも・ここの姿が分からず心配したまま出社。帰宅すると、Mが「きょうは朝から一日大変だった」のひと言。一体何が、と聞くと、こすも・ここがいつまでたっても見当たらず、とうとう家のなかから、近所までを調べてあるきまわったが姿は消えたまま。すっかりアキラメにかかって、ふと見上げた視線の先、すなわち台所イスの上で丸くなって寝入っている、こすも・ここを見つけた次第だという。「こんなくらいなら、足を棒にまでして捜すのではなかった」とM。そうは言いながらも見つかってホッとしたという。よかったではないか。
昨夜、食事の際(こすも・こことシロはイスの上に座って大きな目を開け、家族団らんに加わっていたのだが)、スタジオジブリ制作アニメの「コクリコ坂から」に話しが及び、そのときにMがこことシロに向かって「あなたたち、アタシたちの猫バスになりなさい」と冗談で言ったのを、どうやら本気に受け止めてしまい悩んだらしい。
だから今すまし顔の、こすも・ここは「アタイはどうしてよいのか分からず、猫バスになるにはどうしたらよいのか、アタイたちだけが知っている秘密の城に行って聞いてきたの。元はといえば、オカンの期待に応えようとしたからじゃないの。そのうち猫バスになってみせるからネ」だってサ。
☆「再生を誓う 66回目 終戦記念日 被災地遺族参列に苦慮」、「首相、靖国参拝見送り」、「一斗缶から切断遺体 大阪の二カ所 頭部や足首、成人男女か」(15日付、中日夕刊)「開戦70年の夏 12・8と8・15上 記録映像作家羽田澄子(85) 遥かな故郷・満州 激動の昭和史を映像に」(15日付、毎日夕刊。羽田さんは、かつて根尾の淡墨桜映画化に当たって、薄墨記者だった私の元を何度も訪れられ、私が車で現地を案内して随分気があった記憶がある。当時から、とても美しく「イガミさん、イガミさん」と親しくしていただけた。私も満州生まれだが、記事にある『満州生まれの人は大らかと言われます。自分では気をつかっているつもりですが』の言葉が気に入った。いずれ、再会したい)
平成二十三年八月十四日
今夜のドラゴンズは神奈川県相模原球場で横浜と戦ったが、残念ながら1―0で敗れた。ドラは山内壮馬が先発し、よく好投したが四回2死一、三塁からの右前打による1点を最後まで挽回することはできなかった。ましてや、相手投手が、私がその雰囲気からして横浜で1番好きな三浦大輔投手とあれば、もはやあきらめるほかあるまい。こうした時は、「横浜のファンが喜ぶのだから、何の文句があろう」と頭を切り替えることにしている。
きょうは午後、Mに言われるまま江南市内にできた医療法人・永仁会の介護老人保健施設「はじまり」と道路一つを経て、これまた誕生した同じ永仁会グループのショートステイ「こよなし」、グループホーム「えんなり」を見て歩いた。たまたま内覧会があるのをMが新聞チラシで見つけたためで大変、参考になった。というのも、私たち夫妻にはそれぞれに満九十一歳と九十歳の母が健在で、いざという時の備えの気持ちもあって訪れたのである。
夜は私の実家のある和田へ。名古屋で弁護士をする兄から「最近、母が急に気弱になった気がする。一度集まって、激まし会も兼ねて今後のことを話し合おうではないか」と召集がかかったためだが、兄はじめ、税理士の妹、そして私と三人の子にこんなにも心配してもらえる母は、見方によっては幸せだと思う。妹夫妻も同じ江南市内に住んでおり、妹の場合、毎日必ず母の元を訪ねてくれている。
母はことし六月一日に、満九十一歳になったのを機にそれまで運転していた車を召し上げられたこともあってか、父が亡くなり四年がたったところで、何だか急に気弱になったみたいである。兄が名古屋に引き取る、と言っても「ここには友だちも多く、お父ちゃんとの思い出も染みついている。この地を離れたくなんかない」と頑固一徹なので、結局しばらくは母のいいようにしてもらおうーということになった。
かといって、母思いの妹は毎日、母の元を訪れ、兄も一週間に一度は訪れ、母と一緒に畑に出向いてもいる。一番横着な私とて休みの日には、できうる限り母の元には行くようにして顔を見せてはいるのだが…。それでも母は「最近、自転車で畑に出かけてもすごく疲れてしまう。なんだか、寂しくてしかたがないの」とのたまう。結局、今夜は母の気持ちを何よりも大切にナンデモアリ、の姿勢で対処することにしたのである。
【きょう1番のニュース】責任感旺盛な兄の「長男の責任からも母を引き取りたい」との申し出に「母は今のまま(和田に)にしておいて」と主張。母の気持ちを大切に今後は臨機応援、ナンデモアリの姿勢でいくこととなった。
☆「気仙沼で迎え火 姿変えた町、迷わぬよう 魂導く炎」、「あす66回目終戦記念日」(14日付、中日朝刊)「初盆 水面に1000の灯籠 宮城・閖上『会いたい、会いたい』」(14日付、毎日朝刊)
平成二十三年八月十三日
今夜は神奈川県平塚球場での横浜戦。ドラゴンズは先発・吉見が六回途中まで投げ、2失点だったが、三回に小池の先制適時打で主導権を握ったあとは、五回に大島がプロ初本塁打を打つなどしてリードを広げ、結果は4―2で勝った。吉見は9勝3敗。ドラゴンズは、これで、3連勝で4位に浮上。まだまだ、あきらめるのは早い。底力を発揮するのは、これからだ。
飛高の江南コロナでスタジオジブリの最新作「コクリコ坂から」を見てきた。昔のよいものを守っていこうとする気風が、画面いっぱいに展開される昭和ならでは、の風情とあいまって私のような映画の分からないものにも迫りくる「何か」が感じられた。見てよかった。
なかでも高校二年生の海と三年で新聞部部長の俊が、歴史あるクラブハウス「カルチエラタン」を守る活動を進めるうち、互いに心引かれていく展開には、ドキドキさせてくれる得がたいものが感じられた。ある種の青春賛歌といってよい。
港を見下ろす丘の庭。船乗りで朝鮮戦争のさなかに機雷に遭って亡くなった父との思いを大切にする海にとって、一日の始まりに欠かせない日課は、コクリコ(ひなげし)の花が咲く庭に出て赤、白、青に彩られた二枚の旗を毎朝、あげ続けることだった。妹、弟、祖母、ほかに三人の下宿人という大所帯。英米文学の研究で留学中の母に代わって下宿「コクリコ荘」の“主人”としても、やりくりに大忙しの海は、それでも旗をあげることをやめない。
そして、そんな旗に心動かされた俊はある日、自らが編集するガリ版刷りの新聞「週刊カルチエラタン」に「少女よ 君は旗をあげる/なぜ/朝風に想いをたくして/よびかける彼方/気まぐれなカラスたちを相手に/少女よ 今日も紅と白/紺に囲まれた色の/旗は翻る」といった詩を掲げる…
やがて二人は互いの心を動かされ胸に相思相愛の魂が宿る仲に。それどころか、運命の絆のなかで離れ離れになってしまったかつての友人同士の子であることを知る…
運命のいたづらに、翻弄されながらも力強く、生きてゆく若い海と、俊。私は止めどもなく流れ出る涙に目を潤ませながら昭和の時代をたくましく生きる人びとの姿に感動した。町には坂本九さんの「上を向いて歩こう」が流れていたころの、さわやかな青春アニメだった。学園の時計台を見て、自ら自転車で通った滝学園高校をだぶらせてもいた。親も、友も、先生も、町の魚屋さんや八百屋さんも、骨接ぎのおじさんだって、み~んな、いい人たちばかりだった。何もかもが、澄んで清らかで、「前に」向かって歩きがいのある時代だった。
海も、俊も、東京オリンピックを控えた高校2、3年生で、あのころはちょうど私も高校2年生の柔道少年だった。時計台のある滝学園には一宮市萩原出身で「高校三年生」が大ヒットした青春歌謡歌手・舟木一夫さんが映画「高校三年生」のロケにきていた。高田美和さんとか、倉石功さん、姿美千子さんら、当時草々たる青春俳優が大挙し、滝学園を訪れ、そんなアイドルを前に私は黒帯の柔道着を着て腕を組み、いっさいがっさいを皮肉るような表情で遠巻きに見ていた。あれから早や、四十七、八年がたつ。信じられないほどの年月がたった。
【きょうの1番ニュース】夜。私がMに「コクリコ坂から」を見た感想を大感激して述べると「確かにあなたの言う通り。コクリコ坂から、はいいわよ。でも、トトロにはかなわない。だってトトロは、親子で合唱が自然にわきあがったのだから」の弁。
要は、親子で楽しめる点では、まだトトロの方が上というわけだ。私が「なるほど。でも、コクリコ坂も結構、親子連れが多かったし、昭和の町の風情再来と物語に一貫して流れる主張がある点で、稀有の名作だと思う。もっとも猫バスなどの奇抜さには欠けるが」というと、彼女いわく「宮崎駿、吾朗親子はまだまだ満足なんかはしてないはず。焦っている。トトロを超えるにはどうしたらよいのか。焦っているはずだわ。それでいいと思う」と手厳しい。
Mの赤裸々な批評を聴きながら、私は、作品は、それぞれに対象も、時代も、登場人物も、ストーリーも違うわけなので、あれはあれで人々の心をつかんでいて、いい。後世に残る名作だ、と自身に言い聞かせた。かといって、Mがいうこともよく分かる。スタジオジブリ代表の鈴木敏夫さんはじめ、宮崎親子らスタジオジブリのさらなる飛躍を願うばかりだ。
☆「施設損壊 避難先は定員超 被災地に仮設特養 政府方針 劣悪環境改善へ」「被災松使用 再び断念 『五山の送り火』で京都市 薪表皮からセシウム」「被災者の言葉に学ぶ(編集局デスク・真能秀光)=『白河以北 一声千金』の思い、が分かりやすくてトテモ良い」(13日付、中日朝刊)
「せめて墓石に 気仙沼初盆」、「寂しさ埋めた猛獣壁画 終戦後 東山動物園に存在 子どもたちに動物見せたい 故太田三郎ら描く」(13日付、中日夕刊)
平成二十三年八月十二日
けさの中日スポーツ1面オレ流語録がいい。
落合監督は逆に記者団に質問し「(この日の結果を踏まえたうえで)ちなみに3試合連続1―0ってあんのか?」と斬りつけた。記者の誰もが答えられず? 「まだ調べてません…」と言うと「そのくらい調べてくれよぉ。オレは初めてや」と落合監督。この問答は完全に落合監督のペースである。やはり、落合監督はすべてのケースに敏感で、それだけ野球道に徹しているのである。
中日スポーツは、すぐにこれに対応。「オレ流語録」の横に「◆中日の3試合連続スコア「1―0」 中日が阪神との3連戦で●0―1、○1―0、○1―0と3試合連続スコア「1―0」の接戦を演じた。中日の3試合連続1―0は、1955年9月17日広島戦、20日巨人戦、23日阪神戦であり、いずれも中日は敗戦だった。同一カード3連戦でのスコア「1―0」は球団史上初めてだ。」の記事を載せた。これでいい。
八日の立秋を境にぶり返した猛暑が日本を襲っている。暑さのなか、ふと思い出されるのが二十六年前の八月十二日に起きた、五百二十人の乗員、乗客が犠牲となった日航ジャンボ墜落事故である。私にとっては、忘れられない日でもある。
その日の夕方、私は名古屋空港周りとして、いつものように確か全日空名古屋空港支店のディスパッチャー(運航課)をまわっていた。そこへ突如、「中日さん。ガミさん、何か管制塔がざわついてる。様子が異常だ。日航機が落ちたのでは」と、馴染みの運行課長が教えてくれた。
私は社に一報を入れるや、すぐに西枇杷島署の空港警備派出所、運輸省名空港事務所、本社航空部の格納庫…と空港内のあちこちをまわり、これを事実だと確認したが、まもなくポケベルが鳴ったので社会部に電話すると、今度は「ガミちゃん、やはり日航ジャンボが群馬県上空で消息を絶ち、どこかはまだ分からないが、どうやら墜落したらしい。現場を確かめたうえで、あす朝一番で上空からの現地ルポをしてほしい」とデスクの上ずった声が耳に入ってきた。
翌十三日の早朝、私と航空部員は双発ジェット「はやたか二世」に乗り、現場を目指した。NHKのニュースも二転三転し墜落場所が特定できないでいるなか我々は上空から目をさらにして旋回するうち、とうとう御巣鷹山の尾根に残骸をさらすジャンボ機を発見、その日の夕刊1面に「空から見た現場ルポ」が、どの社よりも早く速報されたのは、言うまでもない。
あの日は当初、各社とも情報が錯綜するなか現場が特定できないまま、空虚な時間ばかりがすぎていった。中日は空からのルポばかりか当然ながら空からの現場への記者とカメラマンの投入も試みた。そればかりか、下からは社の誇る重無線車「ドラゴン号」に何人もの取材陣が乗り込み現地を目指した。
それが事もあろうに、だ。空からヘリコプターで後に続いた社の社会部記者ら現地投入組が一時、行方不明になってしまい大騒ぎになった。あのとき、民放テレビの若い記者が現場に一番乗りした、と大声で絶叫していたが、このヒヨッコ記者は何をそんなに興奮しているのだーと怒りがわいてきたのを、よく覚えている。実際、それよりも数時間前に、わが上空からのルポ班は現場を確保、私「伊神孝信」の署名入り夕刊原稿も送り終えていたのだ。
それでも私が第二陣のヘリの方に乗っていたら、おそらく文句なしに現場一番乗りしたのに、と悔しく思ったものだ。(私は、それまでにも何度も大惨事や災害現場を本社へりなどで訪れていたこともあり、あのころの私には何よりも整備士やパイロットとの人間関係ができていた。)
日航ジャンボ機の御巣鷹山墜落。なぜ。一体どうして、墜落してしまったのか。この大事件は、三男坊が生まれる直前の各社がしのぎを削っての取材合戦でもあった。それだけに、私はこの日の上空ルポを皮切りに航空評論家など関係者の取材にかけづり回った日々のことを永遠に忘れることはないだろう。三男はその後も延々と取材が続くなか、十六日に生まれたが、気を遣ってくださった小牧市立病院の余語院長から、わざわざ「イガミさん、おめでとう。奥さまもよく頑張られて玉のようなお子さまですよ」と電話をいただいた時には、思わず男泣きするほどで、過酷な取材合戦が続くなか、まわりの温かさにも助けられた。
【きょうの1番ニュース】きょうはチョッピリ、恥ずかしいがあまりの猛暑に耐えかねた話。午後、食事のため社を出た際ランチを食べたあと、メロンのカキ氷を頼んで食べた。なんだか秘密で食べてるような、そんな罪悪感に攻められて、だ。
カキ氷でノドを潤しながら遠い夏の日にパンツ一丁で村じゅうを連日飛び回り、途中自宅近くの小川に飛び込みフナやナマズ、雷魚を追う合間に、親からもらったマクワウリを丸ごと食べた日々が思い出された。あのころ(小学四、五年のころ)は、真っ黒に日焼けし、みんなからは「黒んぼ」「黒んぼ」と呼ばれ、人気者で村の隅から隅までの民家を小さいながらも知り尽くしていた。むろん、家へ帰ればそのまま裸になってカバンを放り出したままの“外遊”が来る日も来る日も続いたのだった。この点に関しては兄妹のなかでも圧倒的に優れた腕白少年であった。
☆「花火見上げ涙ふこう 震災5カ月 追悼の被災地」、「東海テレビ社長ら処分 役員報酬カットなど」(12日付、中日朝刊)「保護者に引き渡し後 津波 死亡・不明の小中生115人 被災33校 学校の残った子は無事」(12日付、毎日朝刊)「無傷4連勝!! 竜外国人初の快挙 Mr・白星ソト 後半戦初のカード勝ち越し」(12日付、中日スポーツ)
「祈り御巣鷹26年 追悼シャボン玉届け 日航機事故 遺族ら慰霊登山」(12日付、中日夕刊)
平成二十三年八月十一日
ナゴヤドームでの阪神戦。ドラゴンズは、あのハングリー精神と気迫に満ちあふれた先発ソト投手が今夜も7イニング4安打無失点とよく投げ、八、九回は浅尾、岩瀬とつないで一回の森野の適時打が唯一の得点となり、1―0でなんとか逃げ切った。
この熱いなか、ナゴヤドームには三万五千人以上の観客が詰めかけて息詰まる1戦を見守っただけに、ほんとうに勝ててよかった。あとは破竹の、いや奇跡の大逆転を願うのみだ。そのためにも今夜テレビで高木守道さんが強調していたように「3番森野、4番和田が甦り、打って打って打ちまくる以外にはない、だろう」。ファンの誰もが、まだまだセ・リーグ連覇と日本一をあきらめてはいないのだ!
夏休み中の長男夫妻が昨日は長男の生まれ故郷である伊勢志摩地方に留まっていたこともあり、きょうはわざわざ帰りを一日延ばしまでして和田に私の母を訪ねてくれた。母は満九十一歳、最近少しばかり気弱になりと私の兄が心配しているが、きょう会った限りでは相変わらずカクシャクとしており、子どもの私が言うのもおかしいが、やはり美しい女性である。
写真を撮るといえば化粧を整えるなど、それほど気弱とも思えなかった。やはり、孫の顔を見られるのが何より嬉しいとみえ、時間はアッという間に過ぎていった。私たちは、まず和田霊園を訪ね、父の墓に赤いホオヅキなどの花を供えてお参りをした。ついで近くにある、沖縄戦で玉砕した母の弟、鏡馬(鏡太郎)の眠る墓石にも花を手向け水を注いだ。
そして、私の実家へ。母がきょう久しぶり孫たちに頼んだことといえば、▽オール電化が整いながら、これまでやりたくてもやれないでいた茄子を焼くにはどうしたらよいか。教えてほしい▽電気掃除機が故障してしまったが、どうやったら治るのか、というものだった。
幸い、彼女にとっての孫夫妻はいずれも工学博士で科学者でもある。二人協力してこの難関をクリアし、おばあちゃんに懇切丁寧に教えたり、治したりしてくれ、母も「ああよかった」とうれしそうで、感激しきりだった。
母は最近、車の運転はもう危険だからーと満九十一歳を機に子どもたちから車を取り上げられ、やっと車の運転をあきらめた。それでも毎朝四時前後に自転車で畑に出かけ、帰ってお風呂に入ると「もう、疲れて、疲れて仕方がない」とのこと。もっとゆっくりすればいいものを。そこは、イガミ家の伝統といおうか、時間さえあれば何だか知らないが、こつこつと励むのだから、これはもう性分というか、アル程度は仕方ないことなのである。
きょうは、とうとう私お抱えのメナードの美容師を訪ねることは出来ず、あれやこれやと飛び回っている合間に市内の理容店でカットだけでも、としていただいてきた。お抱え美容師がいる名古屋まで行っている時間がどうしても作れなかったからだ。小牧の篠っこ美容師には、次の機会にぜひ訪れるので勘弁してほしい。なんだか悪いことをしたみたいな気がする。
【きょうの1番ニュース】和田の母に旅先で私が手に入れた勾玉の“護身の笛”を贈ったことか。この勾玉は月と太陽がセットとなっており、厄除けや健康、安全、幸せにご利益があるとのことで、母もさっそく鳴らしてみて江戸時代の呼子のような透明感のある笛の音に、とても満足そうだった。母には一日でも長く元気で長生きしてほしい。私は「たかのぶは大器晩成型。最後には、きっと天下を取ってくれるはずだ」の言葉を信じて、これからも努力していこうーと思っている。
☆「菅首相が退陣明言 民主代表選28日の方向 月内にも新首相」、「東海テレビ『ぴーかん』打ち切り 不適切テロップで判断」(11日付、中日朝刊)
「岩手・大槌町で伝統芸能三陸(海の盆) 震災五カ月 初盆の祈り 家流された中学生ら踊る『元気伝えたい』」(11日付、中日夕刊)
平成二十三年八月十日
今夜のナゴヤドーム。チェンが好投して8イニング3分の1を4安打無失点に抑え、最後は浅尾で締め1―0で阪神を下した。チェンは4勝目。打線の方は、七回2死から和田、平田の連打で一、三塁とし、堂上直倫の内野安打で均衡を破った。阪神は、これで連勝が4で止まった。きのうは負けたが、きょうは勝った。後がなくなり、あしたは、あしたのかぜが吹く、なぞとばかりも言っちゃあ、おれなくなってきた。全員の奮闘を望みたい。
久しぶりに、木曽川河畔に広がる俗世に戻ってきた。
Mも、私も、自然に囲まれたなかでの湯の宿がことのほか、好きなので満足している。あげくに絶景露天風呂ランキング1位の湯とあっては、遠慮しようにも遠慮しきれず、ついホイホイとMと一緒に足を、あの桃源郷にまで伸ばしてしまった次第である。
過去、全国温泉ランキング1位を何年も続けていた能登半島の和倉温泉、そして日本の温泉旅館百選でずっと1位の加賀屋は七尾支局長時代に何かとつき合わさせて頂いたが、今度のような山の中の温泉は私には珍しく、東北の花巻温泉いらいと言ってもいい。
とはいえど、今回の行き先を明かせば、いい思い出が口から逃げ出してしまうのが嫌なので、あえて秘密にして胸のなかにしまっておきたい。何事も明かしてしまえば、白けてしまうのが世の常、私たち家族だけの思いに留めておきたい。
だから、山間の秘境に訪ねた、その地が私とM、そして長男夫妻だけ、の永遠の場所として家族の歴史に刻めれば、それだけでよい。人間だれとて秘密がふえればふえるほど、魅力がます。ひと言ひと言が少ないほど、言葉も吟味され味わい深いものとなる。旅は道連れ、世は情けで、私たちはそうした関係で、いつまでもいたい、と思う。
そこには、相手を思いやる共有愛といったようなものが潜んでもいる。
今度の旅は、元々私たちを気遣ってくれた長男夫妻が、ある日突然のように○○~○○まで夏休みなので、どこか行かないかーと子から親への半ば通告にも似た誘いに端を発し、せっかくなのでと甘えたところ、なんと私が1番行きたいな、と思っていた、その場所で落ち会うことになった。私は息子に具体的な名前は、ひと言も言っていないのに一体、どこで知ったのだろう。この点もまた不思議なのである。
で、私たちも同じように休暇をとり私にしては珍しく楽しみにしていたところ、出発前に気管支炎にやられてしまい、医者に診てもらい、旅先でも診察に病院外来で丸半日以上かかってしまうなど、ちょっと変わった「外出行」となった。この間、Mにはずっと病院に付き合ってもらい、さんざんな目にあわせた。それでも、緑陰から聞こえてくる蝉時雨や、川のせせらぎ、川面を流れ吹き抜けてゆく風、自然のなかに突き出たような露天風呂の風情、おまけに雷鳴と稲妻という手荒な歓迎までに見舞われ、私たちの心がどれほど癒されたことか。ちいさな旅とはいえ、全身の血が入れ替わった気がしたのは、Mとて同じだ、と思う。
これも息子夫婦の優しい配慮があればこそ、でふたりには心から感謝しておきたい。
―というわけで、私たちはなんとか、わが家に帰ることが出来、再びこうして笛猫人間野球日記を書き始めたのである。
ここで七、八、九日と休載中のプロ野球結果と八、九、十日の新聞見出しを書き留めておこう。
【七日】ナゴヤドームでの横浜戦。ドラゴンズは先発・山内壮馬投手が八回途中まで無失点の快投を見せたが、頼みの打線が沈黙したままで、2―0と今季十五度目の完封負けを喫した。
【八日】月曜日のためプロ野球セ・リーグ、ドラゴンズ戦はなし。
☆「うごく七夕まつり 陸前高田に復興の山車」(8日付、中日朝刊)、「立秋 日傘手放せず」(8日付、中日夕刊)
【九日】中日は対阪神に、16三振を奪われ十六度目の完封負けを喫し、2002年8月以来の借金6となった。この日、中日の落合監督は一回から、審判員への長時間の抗議による遅延行為で退場処分を受けた。同監督の退場は今季初めてで、監督の退場は今季セ・リーグ2人目。
☆「大切な人へ 慰霊の炎 陸前高田で迎え火」(9日付、中日朝刊)、「原発ない社会 目指す 長崎市長、被爆地から訴え 66年目原爆の日」(9日付、中日夕刊)
【十日】☆「鎮魂、平和 川面に祈る 長崎で万灯流し」、「16三振 竜無策 初回監督退場 戦意も消えた 1安打零敗 借金6に 冷静になってほしかった(中利夫)」(10日付、中日朝刊)
平成二十三年八月七日
私とMは、きょう、この町を出る。
ふたりで、どこか見知らぬ土地に消える。秘密の場所へ、だ。そしてーつかの間の夏休みを有効に生かせたらと思う。
そうとはいえ、愛用の、このパソコンを持参して出るほどのこともあるまい。だから、いがみの権太ファンの皆さまには申し訳ないが、この笛猫人間野球日記も二、三日休ませていただく。
すぐに戻ってくる(むろん生きていればの話だが)。それまでホンのしばしのお別れである。
☆「全国の願い 鶴79万羽 仙台七夕まつり (中日新聞や東京新聞など地方紙)8紙読者が贈る」、「G7 緊急会議へ 米国債格下げ 金融安定化へ協調」、「被災地もうすぐ初盆 『前へ』五人の魂に誓う 陸前高田・家族亡くした男性 叔父の家出て仮設へ入居『一人で生きていく時期』」(7日付、中日朝刊)
平成二十三年八月六日
ナゴヤドームでの横浜戦―たった今、午後十時半前に、Mともども帰宅しケータイ中スポのドラゴンズ情報で確かめたところ、八回裏に大逆転し7―6で「勝った」と知った。勝ってくれて、ほんとによかった。けさの中ス・オレ流語録にもあったが「負けたらいっしょ。勝ち負けの世界なのだから」というのは、確かにその通りだ。
この日、2―5からのドラゴンズの反攻ののろしは八回裏に上がった。無死満塁から森野の右二塁打で1点差とし、平田の右前適時打で同点に追いついた。なお、1死一、三塁で代打英智がスクイズを決めて勝ち越した。勝利投手は小林正、セーブは浅尾で5個目となった。できたら、ドラゴンズには、あす以降も連勝してほしい。大げさだが、きょうは雨の中の早朝出勤に始まり、まる一日フル回転でかなりの疲労がたまったが、ドラの勝利ですべてが癒される気持ちになったのが不思議だ。咳は相変わらず私を攻め立てる。でも睡眠さえとれば、自然によくなるだろう。
きょうは午前中、ナゴヤ球場屋内練習場での中日スポーツファーム月間賞(七月分)選手=木下投手=に対するファンクラブ会員からのプレゼンター取材、ついで夫婦による、それも妻から夫への一味違った始球式取材のあと、日ごろお世話になっているファンクラブ会員らにひと声ずつかけ、この後はいつものように(たとえば、球場テロや火災、その他予期せぬ事件に備えての)球場全体の各アングルからの捨て撮りも行い、社へ上がった。きょう取材したものは、この日のうちに料理するのが私の若いころからの基本姿勢なので取材分はすべてを原稿化。
その後、いったんわが家に帰ったところで、Mに誘われ今度は江南市内の報光寺本堂へ自転車で出向いた。本堂で街並み新発見七夕コンサートが開かれていたからである。なかでも彼女のお目当ては、世界でも稀に見るサックスだけのジャズオーケストラによるビッグバンドジャズによる名曲の数々だ。
私はMの家来よろしくMの乗る自転車のあとを息子の自転車を借りて追尾し、華やかな愛栄通りをくぐり抜けるようにして報光寺にたどりついた。途中、日ごろは閑散とし、ひとっこ一人通っていない愛栄通りの人の出には、こんなに人がいたんだとたまげ、愛栄通りは一年に一度、この日のためにだけにあるのだと実感し立ち並ぶ夜店に寄ってラムネを買うなどしたのである。
とはいえ、昼間の仕事の一方での睡眠時間を削っての小説書きがたたってか、ここ二、三日前から出始めた咳が止む気配はなく、たまたまかかってきた母の電話に咳のひどさがばれ、驚いた九十一歳の母いわく「たかちゃん、医者に行かないでいると、死んじゃうよ。日ごろ丈夫な人ほどコロリと死んでしまうのだから。いいね。わかったね」と、こっぴどく叱られた。
そういえば、母にそう忠告される今が今まで、私の頭には医者に行くなどといった発想がカケラもなく、そのうちに治るは、ぐらいの気持ちしかなく、つくづく母には、ありがたいーと思った。年の功とは、このことか。
【きょうの1番ニュース】能登の七尾でお世話になり通しだった前七尾販売店主の、ノリさん、すなわち笹谷憲彦さん、芳枝さん夫妻に、ナゴヤ球場でばったりお会いした。相変わらず、お元気そうなお二人に接することができ、うれしく思った。ファンクラブ会員に対する招待券が今夜の横浜戦だったので、せっかくなので昼はナゴヤ球場で2軍戦を、夜はナゴヤドームで本ちゃんの1軍戦を観戦しようと、わざわざ北陸からおいでになっていたのだ。
おふたりに接していると、ノリさんの母親でかつては中日新聞の販売の神さま加藤巳一郎さん(故人)と並び、中日の女傑店主とされていた今は亡きテルさん(笹谷輝子さん)のことを、どうしても思い出してしまう。神さまと女傑にはことのほか目をかけていただいた若き日々が懐かしい。私の前に突然、現れ出たおふたりを見ていると、中日新聞に対する無限の愛がほとばしり出ているようで、なんだか有り難い気持ちになるから不思議だ。
☆1面「原発に頼らない国へ 論説主幹・深田実」と4・5面の論説特集、「ノーモア・ヒバクシャ」きょう広島原爆の日(6日付、中日朝刊)
「原発問う原爆の日 66年目祈念式 広島市長『エネ政策見直しを』」、「復興支援 熱く開幕 夏の甲子園」(6日付、中日夕刊)「あす天下の奇祭『石上祭』 東日本大震災 復興願い献石 尾張冨士浅間神社」(尾北ホームニュース、8月6日付)
平成二十三年八月五日
ナゴヤドームでの横浜戦。ドラゴンズはエース・吉見が先発したが、五回表に5安打を集められ3点を失ったのが響き、堂上直倫の1号ソロなどはあったものの、結論的には貧打が災いして3―2で敗れた。まさに、きょうとて紙一重の戦いである。これ以上のしろうとの能書き批評はこの際、きょうに限ってはやめておこう、と判断し結果だけをこの笛猫野球人間日記紙上で伝えたしだい。
私は町を流れて歩く人々をきょうも見ながら、この人たちのすべてがいつの日にか、はこの世から消え入る。大人も子どもたちだって。当然、早かれ遅かれ、手も足も動かなくなり、目も見えなくなって耳も聞こえなくなって自然界から抹殺される。と、そんなことを歩きながら今日も、この町を歩いている。
私はそうした光景を目の前に、ふとわき上がった文脈をメモに拉致しておいた。
ー歯が抜け、頭の禿げたヨボヨボの年老いた男がトボトボとこの町を歩いてゆく。男の後ろを追いながら、その男が私自身だと気付くのに、それほどの時間はかからなかった。私は、このまま、この人間社会で生きていてよいものだろうか……
【きょうの1番ニュース】多くの被災地の皆さんが体を張って生きているというのに、東海テレビが昨日午前中に、生放送した情報番組「ぴーかんテレビ」で視聴者にプレゼントする「岩手県産ひとめぼれ」の当選者を「怪しいお米 セシウムさん」などと不適切に表記したテロップを流し、社会問題化している。
東海テレビでは、きょうの「ぴーかんテレビ」の放送中止を決め、番組時間帯の冒頭に関係者が謝罪した。テレビはこれだから、軽い。もしかしたら、テレビ局側が軽薄な視聴者に悪乗りして迎合しようとしたのかもしれない。
☆「世界初 精子作製に成功 京大研究チーム iPS(人工多能性幹)でマウス誕生 倫理面で議論も」、「日銀 追加緩和は10兆円」、「NY円 一時78円台後半」(5日付、中日朝刊)
「不適切テロップ『ふざけ心で作成』東海テレビ情報番組休止 キャスターが謝罪」、「世界同時株安に NY株512ドル急落 欧米で経済先行き不安」「東証一時395円安 震災後以来の9300円割れ」「東京円反発78円台半ば」「NY市場も円買い戻し」(5日付、中日夕刊)
平成二十三年八月四日
今夜のナゴヤドーム。ドラゴンズはヤクルト戦でやっと2―1で勝った。
これで1引き分けを挟む連敗を3で止めた。まだまだ自力優勝の可能性はある。今夜のヒーローは、7イニング1失点と踏ん張った先発ソト(3勝目)と、四回2死一、二塁から左前打で先制したブーちゃん(中田亮選手)、頼みの森野も六回、2ゴロの勝ち越し打を放った。浅尾、岩瀬両投手とも、それぞれ1イニングを1安打無失点でしのいでくれた。やれやれ、である。
この日は、わが家のヤクルトファン、三男坊も三塁側パノラマ席で観戦。これまで8勝2敗と破竹の勢いだったエース館山先発のヤクルトを応援したが、残念ながら敗退した。きょうは負けたが、今シーズンのヤクルトは非の打ちどころがないだけに、今後、ペナントを取り二連覇するには、ドラゴンズがこのヤクルトをどう退治するか、にかかっている。
ちなみに、息子がヤクルトファンになったきっかけは、小学生のころノムさん(野村監督)率いるヤクルトが滅法強くて、面白かったからである。子どもは、どうしても強いチームにあこがれる。今後ドラゴンズファンをもっともっと増やすには、ドラゴンズがこれから連戦連勝して奇跡の逆転二連覇を果たす。これに尽きる。親にただのひと言も言わないでドームに金を落としてくれた息子には、ドラゴンズに携わる一人として心から感謝しておきたい。
木曽川河畔に広がるこの町も、いよいよ七夕である。町のあちこちには、一宮七夕まつりで使われた使い古しの吹きながしを再利用した七夕飾りが風にふかれている。ただ、私がいつも出勤時にバスに乗るバス停付近(桃源)は名草商店街と書かれた彦星と織姫のミニ旗が、掲げられ昨年あたりから“お古の七夕飾り”が、忽然と消えた。これも時代の流れなのか。それでも、やはり私は風にサラサラとふかれるお古の七夕飾りの方がよい。一宮には新聞社の主管支局長時代も含めて十年近く暮らし愛着があるからかもしれない。
【きょうの1番ニュース】このところの睡眠不足に体力の限界を少しながら感じ、昨夜はパソコンに向かうが早いか、うとうとしてしまい、結局は二階の寝室へ。息子の帰宅した時間すら頭になく、とうとうこの笛猫人間日記の存続も「万事休す」か、と思いきや、四時前に私の主人であるこすも・ここが枕元に来てニャン、ニャン、ニャ、ニャア~ンとうるさく起こすので起きざるをえず、こうして日記文学に挑んでいる。いまは午前五時を過ぎた。助けられた。
☆「セシウム検査 コメ出荷停止なら全廃棄 農水省旧市町村単位で指示」、「安らかな眠り再び 宮城・石巻 墓地の慈善清掃」(4日付、中日朝刊)
「事務次官・保安院長・エネ庁長官 経産3首脳更迭 経産相表明 原発対応で責任」、「民自公 子ども手当廃止合意」、「日立と三菱重 統合協議 インフラ事業 13年春にも新会社」、「政府・日銀 円売り単独介入 東京市場、一時79円台」、「大リーグ イチロー(アスレチックス戦で)3安打 松井12戦連続安打」(4日付、中日夕刊)
平成二十三年八月三日
月日は百代の過客にして脱兎の如し、だ。
先ほど午後九時前のNHKニュースとケータイ中スポのドラゴンズ情報で確かめた限り、ドラゴンズは八回を終わり、ヤクルトと1―1の攻防を続けている。ドラゴンズには、本心から勝ってほしい。
社のガードマン氏で日ごろ何かとお世話になり、公式ファンクラブ会員でもある“マルさん”も、さすがにこうまで負けどおしとあっては堪忍袋の緒が切れる寸前である。だから、そこのところを察して、僕は彼に出会うとは「ドラ、何やってんだ、よね。きょうこそ、勝ってくれなきゃあ」と言って声をかける。
というわけで、今夜は、きょうこそ勝ってほしいーと思ってはいたものの、規定により延長十回で1―1のまま引き分けた。でも、負けないでよかった。いまでは「負けないこと」が、唯一の慰めになりつつある。負けないことが、これだけ嬉しく悔しいものだなんて。我ながら悲しくなってしまう。
チェン、浅尾、河原、岩瀬が投げても勝てない。このうえは、打撃陣の奮起に期待したい。あすからは連戦連勝でいってほしい。奇跡を起こすのが、ドラゴンズの野球だからだ。正直言って、きょう負けたなら、私のなかに黒い墨が染みわたり、全身が真っ黒けになるところだった。勝ったなら、反対に全身が歓喜の「白」に染めあげられたに違いない。
浪花の代表詩人・冨上芳秀さんにおくった「Mと私で(詩集・祝福の城、を)読ませていただいてます。犬の詩がとってもすばらしい、とMは感動しています」との送信メールに、冨上さんから「読んでくださってありがとうございます。犬の詩はあれでよかったのですね。暑さが続きます。お身体を大切になさってください。舞様にもよろしくお伝えください」の返信が届いた。
ここに詩の一部を紹介させていただこう。
―犬を連れて散歩に出かけるとき
犬を先に歩かせてはいけない
犬が自分を主人と思い込むからと
犬になった女が私に言った
私は女を少し後方に歩ませながら
ゆっくり歩む
昔、私たちは恋人同士だったから
女は今でも私に甘える
こんな関係もいいでしょうと
一時期、私の前から姿を消した女は
犬になって私の所に戻ってきた
………(人生の終わりの人と犬)
【きょうの1番ニュース】一日遅れとなってしまったが、きのうMは、近くの古知野神社まで出向き、一人で家族を代表して輪くぐりをしてきた、という。Mよ!、心から本当にありがとう。
ところで、私がついて行っていたなら、Mのあとからついて行ったに違いない。だって、私はあなたの家来なのだから。ことほど左様に(突然、アタイ、すなわち「こすも・ここ」が現れ出ますが)アタイはイガミ家のあちこちをいつも、部下のオトンを連れて歩き回っているのです。時には風呂場までつれていき、ひと声あげたところで水道の蛇口をオトンに開けさせます。直接流れ出る、清らかな木曽川の水を飲むことが、アタイの長寿の秘訣でもあるからなのです。
☆「メタンハイドレート 『燃える氷』渥美沖で掘れ 経産省」、「(阪神大震災の犠牲となった加藤はるかさん=当時十一歳=にちなんだ)はるかのひまわり 東北励ます復興の花」(3日付、中日朝刊)
「甲子園・愛知代表至学館 夢追う異色校歌(作詞作曲・飯尾歩中日新聞論説委員) 再生50万回“大ヒット” きっかけは女子レスリング」(3日付、中日夕刊)
平成二十三年八月二日
今夜のナゴヤドーム。ドラゴンズは苦手ヤクルトをホームに迎えての対戦となったが、1―0で敗れた。どの選手も勝とうとしてやっている。それでも、負けるときは負ける。むしろ、ファンたるもの、こうした時こそ寄り添う気持ちでドラゴンズを温かい気持ちで見守っていきたい。確かに、きょうも7イニング1失点のネルソンを援護できないまま貧打が命取りとなった。でも、きょうの試合も勝ち負けは、紙一重の差だったといってよい。だれもが、一生懸命にやっているのだ。それでも敗れたら、しかたない。
午後、「落合提言の掲載紙(2日付、デイリースポーツ)は読まれたでしょうか」とのメールが入った。東京に住むファンクラブ元年(2006年)からの継続会員で、自他ともに“むさしのガブリ”を認める原田さんからで、落合監督がデイリースポーツの四時間に及ぶ質問に答え、「東日本大震災の被災者を支援する復興プランを緊急提言する」と話した、というものだ。
監督はこの中で「被害は五百キロにも及んでいる。せっかく今年のオールスターをこういう形で(Kスタ宮城)でやったのだから。来年、再来年とやる意味があるのじゃないのか。十年とは言わない。五年くらいの考え方で、東北の球場でやる発想があってもいい」と語ったというのである。正論だと思う。
記事によれば、落合監督は、さらに構想についてこう説明した、という。
「主催はNPB(日本プロ野球機構)とNHKにやってもらいたい。協賛が全十二球団。それがベストな形だと思う」と続けNPBが音頭を取って、NHKが映像を届ける。公共団体が中心となり、各球団が協力態勢を敷く。出場給なしでも構わないという選手を集め、球場に募金箱を設置し、お客さんには入場料を払ってもらう。また警備を務め、パンフレットなどの印刷を無償で行ってくれるスポンサーも募る。すべてをボランティアで賄えれば、利益を被災地に寄付できる、というわけだ。
あの落合さんにしては珍しく真剣に被災地支援を考えてくれているな、というのが私の実感である。
【きょうの1番ニュース】仕事帰りに横笛練習のため大須の師匠宅を訪ねた。酒よ、さくら、をふき「少し上手になったじゃない。うれし~い」のおだてには、つい有頂天に。それにしても、練習を続けることはしんどい。大変である。
同じく本欄の笛猫野球人間日記の連日掲載の方もこれまた結構、体力と気力、根気がいる。いまも半分寝ながら、それでも生きている人間たちの、その時々の何げない生活を日記に描いていくことも大切な文学活動だと自らに言い聞かせ、こうして筆を進めている。
睡眠時間がたとえ三、四時間に減ろうが弱音は吐くまい。自らを奮いたたせて日々、こうして書き続けている。
☆「円急伸 76円29銭 米債務合意効果薄く 最高値に迫る NY市場」、「静岡で震度5弱」、「全国の雨水から放射性物質検出 4月の累計結果」「静岡で震度5弱」(2日付、中日朝刊)
「なでしこ『感動と勇気』 政府 国民栄誉賞を正式発表」、「ホオズキ盆に彩り あま、出荷最盛期」(2日付、中日夕刊)
平成二十三年八月一日
八月に入った。
まだまだ暑さ、いや猛暑は続く。暑さ、寒さは彼岸までーとは、よく言ったものだ。そればかりか、町なかでは蝉時雨の大合唱が聞こえてくる。耳に、ここち良く、私的には、ふく風のなかに秋色が潜んでいるようで内心「いよいよ秋だな」と思うのである。今日は月曜日で、プロ野球はない。一方で新聞社では人事異動で新しいポストに着いた人々の腕に期待したいところだ。私の如き老兵は去るのみ、と言われたところで仕方ない。
プロ野球はなくとも、中日スポーツはある。けさもわが家玄関先でカタリ、という控えめな物音とともに中日スポーツは配られてきた。まず、気になったのが3面の見出しだ。「打てない」「守れない」「勝てるわけがない」の3本柱に「9回敵失で同点がやっと」と変形の袖見出しまでが追い打ちをかける、というものだった。「勝てるわけがない」表現には、なぜか悪意のようなものを感じてしまう。
私は、この見出しの「勝てるわけない」表現に常日ごろ、落合中日に何らかの不満を持つ何者か、が義憤の意味も込めて意識的に記述したに違いない、と思ったのである。実際、打てなくて守れないのなら、「勝てるわけがない」のだ。なぜ深入りするような表現をしてしまったのだろう。『勝てるわけない』と、それほどまでにこだわったのか。
いやいや、そうではなくって。案外、担当した整理記者は、打てなくて、守れなかったら、勝てるわけない」と三段論法の気持ちで普通につけたに違いない。きょうの各局会議で「見出しに異議アリ」の声が出たそうだが、やっぱり出たかーと思ったのも事実だ。それほどまでにジタバタすることもあるまいに…。
それよりも、打てて、守れたら、勝つはずだ。だから「打てない」「守れない」では、「勝てっこない」。というわけで、「勝てるわけない」表現は、ドラゴンズを愛するがあまりの反面教師のような正直な表現とも見られのである。受け止め方は、人間さまざまで当然だ。
夜のNHKニュースによれば、福島第1原発の1号炉と2号炉の間で毎時1万ミリシーベルトという異常に高い放射線量が確認されたという。大事に至らなければよいが。深夜に入り、M曰く「静岡で地震よ。震度5だって」と。日本列島は一体誰に呪われているのか。
【きょうの1番ニュース】高校野球愛知大会で甲子園出場を決めた至学館高校の校歌を作詞作曲したのが社の論説委員だった、と本日付夕刊「夕歩道」が明かした。その男の名前は、飯尾歩。校歌の名前は「夢追人(ゆめおいびと)」という。なんと、すばらしい。
テレビをMと見ていたら何を思ってなのか。M曰く「この世の中、何が正義か分からない。正義もひとつだけじゃないのよね」の弁。私とて、本当にそうだ、と思う。
☆「多くの人流浪の民に 福島で脱原発アピール 原水禁世界大会 県民集会『ノーモア・フクシマ』」、「地震国日本 原発なくして 吉永さん、広島で訴え」、「打てない 守れない 竜サヨナラ負け」(1日付、中日朝刊)
「自民議員の入国拒否 韓国、陵鬱島(ウルルンド)島視察に反発 金浦空港到着」「米債務上限上げ合意 大統領発表デフォルト(債務不履行)回避へ」(1日付、中日夕刊)
平成二十三年七月三十一日
きょうの広島戦。ケータイのドラゴンズ情報によれば、延長十一回1死満塁から、河原が代打嶋に中前打を打たれ2―1と、サヨナラ負け。「5カード連続の負け越しで広島とのゲーム差がなくなった。」
ドラゴンズは先発・山内が7イニング1失点と好投したのに…。あ~あ、とため息が出る。竜党ファンの嘆きと怒りが、あちらこちらから聞こえてきそうだ。やはり、ファンにとっては勝ってもらわなければ。ここのところのドラゴンズは、よく戦ってはいるものの、紙一重のところで負けがこんでいる。
昨晩からけさにかけては、相変わらずやることばかりだった。この年になって自分は何をやっている、いや、書こうとしているのか。自分で自分を忙しくして首をしめている、とはこのことか。とはいえ私は私自身やらねばならないことが、まだ山とある。これからだ、と思っている。
きょうは午前中、自室で活字媒体に追われてバタバタしつつ午後は、名古屋のつちやホテルであった中部ペンクラブの理事会に出席。その後、小説「裸身」でことしの中部ペンクラブ文学賞に輝いた宇佐美宏子さん、「城山三郎伝」で特別賞となった西尾典祐さん、「中部ペン」編集委員長の駒瀬銑吾さんらと名駅のマリオットホテル最上階ラウンジで飲んで帰った。
飲みながら宇佐美さんが五つのころの、七月三日に徳島で空襲に遭い、火の雨のなかを母と一緒に逃げまわり、多くの肉親の無残な死を目の当たりにされた話しをお聞きし、戦争の酷さをあらためて思い知った。戦争許すまじ、である。
彼女はある新聞社から、「昭和三十年代の女の情念」(仮題)といったようなものを書いてほしい、と頼まれて既に新聞社に原稿を手渡した、とのことだった。彼女は、このほかにも、中ペン賞が決まった際、亡き千葉龍氏(元金澤文学主宰)の奥さんから、深紅のバラが届いて感激した話もされ、なかなか実り多い場でもあった。
私は話しを交わすうち、携帯も、パソコンもなかった昭和の時代への哀愁のようなものを感じていた。あのころは、町に響きがあった。音があり、えもいわれぬ風情といったような、そんな“虹色”にも似たものが感じられた。特に三十年代は敗戦から立ちなおってゆく中、人にも自然にも、独特のおおらかさと笑顔があった。私たちは、そんな町なかを自転車を漕いで中学校や高校に通ったものである。
【きょうの1番ニュース】帰ったら、関東に住む長男夫妻から「夏休みを取って下呂にでも一緒に行かないか」とのメールが入っており、せっかくなのでMと甘えることにした。長男夫妻は、いつも私たちのことを気遣ってくれており、それだけで十分なのに。ふたりに悪い気がしてしまう。Mの言うとおり、私たちも「そういう年になってしまった」ということか。それはそうと、福島の第1原発事故のその後が気になる。放射能漏れの見えない拡散が頭から、ついて離れないのである。きょうは昼間、母がこしらえたという、大きなスイカを妹がわざわざ、わが家まで届けてくれていた。
☆「佐賀県知事やらせ誘発 メールの前日九電副社長に『容認の声必要』」、「至学館 初の甲子園 創部6年目名電破る」(31日付、中日朝刊)
「貧打竜…13度目完封負け 守りでもミス 借金3に逆戻り」(31日付、中日スポーツ)
平成二十三年七月三十日
今夜のマツダスタジアムでの広島戦。落合中日は先発に若手、ジュンキ(伊藤準規投手)を投入、ジュンキには今季2勝目を大いに期待したのだが、二回に2死満塁から丸に左前打を打たれるなど3点を取られた。
ジュンキは、その後立ち直り七回まで粘ったが、またしても打線の援護に恵まれず、3―0で敗れた。でも、ジュンキのきょうは、よくやったと思う。落合監督の何とか晴れ舞台で力をつけてほしい、との気持ちも十分伝わる一番、いや試合でもあった。きょうはきょう、あしたはあしたの風が吹く。あすの落合戦士たちの戦いぶりに期待しようじゃないか。
きょうは、午前中には尾張温泉から帰宅。いまの今まで、すなわち(三十一日の)午前零時半過ぎまで、途中グリコ森永事件の真相に迫ったNHKスペシャルを見た以外は、ずっと小説を書き続けていた。この小説の内容については、Mにしか話しておらず、いずれ一冊の本として世に出ることにもなるだろうから、それまでは秘密にしておきたい。
けさは尾張温泉から社までファンクラブの若手Hくんに車で送って頂いた。その際、車の後部にゴルフ道具らしきものを発見し、Hくんが最近、ゴルフをやり始めたことを知った。若者は何にでも挑戦してほしいーと思っているだけに、なんだか嬉しさでホンワカとした気分になったのである。
【きょうの1番ニュース】愛知県西尾市の公式ファンクラブ会員で通信員でもある小林奈々恵さんから暑中見舞いのはがきを、わが家にいただいた。彼女には、これまで本当にお世話になり通しだったが、この春からは社会人一年生ということもあり、しばらく互いに音信が途絶えていただけに、うれしかった。
「伊神さん、お元気ですか。私は社会人になってまもなく四ヵ月となります。今は高校野球中継をするスタッフの一員として仕事をしております。学生時代に野球を多く見ていたことが今とても役に立っています。改めて、ありがとうございます。最近はナゴヤドームにもあまり行けていませんが、仕事が落ちついたら、また観戦に行こうと思います。毎日暑いですから、お体を大事にしてください。また近いうちにお会いしたいです。」
文面を読みながら、お礼を言うのは私の方だと思った。奈々恵さん! 社会人一年生。なれるまで大変でしょうが、頑張ってくださいね。
☆「新潟、福島で記録的豪雨 避難勧告19万人、5人不明」、「保安院やらせ四国電も 国主催シンポ 動員の10人発言」(30日付、中日朝刊)
「新潟・福島豪雨 40万人避難指示・勧告 1人死亡、5人不明」(30日付、中日夕刊)「NHKスペシャル ドラマ×ドキュメント 『グリコ・森永事件』 未解決事件を初映像化……▽なぜ取り逃がしたか『元捜査員が初めて告白・最新科学が犯人の声を分析! 衝撃の真相が」(30日、NHK)
この事件、大阪府警と滋賀県警の連携さえ蜜にしていたら、あっさり片付いたに違いない。番組を見るかぎり、そして元大津支局長として当時のデカたちから聞いた話を思い起こす限りでも府警の独断捜査が犯人を取り逃がしたのは、明白だ。私は大津支局長として在任中、何度現役の捜査員から連携のまずさを聞かされたことか。当時の四方大阪府警本部長の独断専行捜査も解決を遠のかせたような、気がしてならない。滋賀県警本部長は自らの命を絶ってまで滋賀県民にお詫びしたのである。キツネ目の不審人物に職務質問すらさせなかった、そうした縄張り的な姿勢が犯人逮捕につながらなかったことは明白である。もし犯人たちが、この日記を読んでいてくれたなら、今からでも遅くはない。真相を教えてほしい。
平成二十三年七月二十九日
「みなさん、(宴会のさなか、ですが)中日は広島に6―3で勝ちました」。
ドラゴンズの勝利は同僚の歓送迎会で蟹江の尾張温泉宴席にいた際、ファンクラブ事務局次長のNさんから知らされた。よかった、と内心思う。
この日は、2戦連続で7番・二塁でスタメン出場した堂上直倫が四回表、2死一、二塁でバリントンの直球を右前へ運ぶ同点打。六回にはプロ初スタメンのブーちゃん(中田亮)が、決勝の二塁打で期待に応えたばかりか、投げては右腕の不安(いわゆる張り、というヤツ)から復活した先発・吉見が7イニング2失点と好投、八回からはケガを克服して五十五日ぶりに1軍に戻ってきた谷繁がマスクをかぶり、最後は岩瀬が押さえ、久しぶりに痛快な勝ちゲームとなった。
私としては“オチコ” “オチコ”……なぞといった言葉がこれ以上、流行らないためにも、勝って本当に良かった、と思う。というわけで、尾張温泉の夜はカラオケ大会の音とともに更けていった。
部屋に入りケータイをチェックすると、妹から電話が入っていた。電話するとご主人のシゲルさんが「いま、風呂に入っているので。お兄さんのともだちのイシダさんがアキレス腱を切って病院に入院されたみたいで、その連絡です」とのこと。イシダさんとは、私の親友、お祥のことだ。また、どうして。胸のなかに暗雲が垂れ込め、私はお祥が早くよくなるように、と心から早い回復を願った。
【きょうの1番ニュース】きょうは夜、宴会場にさっそうとしたTシャツ姿で現れた将来有望な若武者、三十三歳のHくんのことである。ニュースの源はTシャツ。このしろもの、なんと彼が新婚旅行で行ったアメリカで購入したという米大リーガー、レッドソックスの4番バッター、ケビイン・ユーキリスの背番号「20」いりのTシャツだと知った。とても、よく似合っていた。Hくんは、ユーキリスの大ファンでもある。
☆「小松左京さん死去 『日本沈没』SFの草分け 80歳」「小松左京さん死去 日本と日本人信じている 震災復興へ 最期に『遺言』」、「一宮七夕まつり 願いは復興」「竜完封リレー 七回の危機 浅尾が断つ」「1番平田 意外性に期待」(29日付、中日朝刊)
「浜岡原発07年シンポ 保安院やらせ依頼 賛成意見要請 中電側は拒否」、「信号欠陥 当初は隠蔽 中国鉄道省 事故直後に把握」、「伊良部元投手 (首吊り)自殺か ロスの自宅で 日米通算106勝 42歳」(29日付、中日夕刊)