「メモリー」 碧木ニイナ
深夜の国道をスカイラインGTで制限速度を大幅に超えて走行し、スピード違反で検挙された。あれは車の数も女性ドライバーも、今よりずっと少ない時代の冬のこと。
暗くて寒くて、怖くて…、キーンとした夜気の冷たさが身にしみた。星の瞬く夜だったことを鮮明に覚えている。
反則切符を手渡しながら、私の父親と同年齢くらいの警察官は言った。
「若い女の子がこんな時間に…、こんなにスピードを出して…、ご両親がどんなに心配しているか考えなさい」
威厳に満ちた口調だった。私はうなだれた。
警察官は憐れむような、蔑むような視線を私に向けたけれど、彼の発した言葉には、娘をおもう親の心情がにじんでいるように感じられた。座席に座りドアを閉め、エンジンを吹かす私に「気をつけて帰りなさい」と、彼の声が追いかけてきた。その声は私の耳をかすめて胃の底深く沈んだ。
帰り道、私は何をおもって帰ったのだろう。何キロの速度で走ったのか、何時に家に着いたのか、親は私を叱ったのか。まったく記憶にないのである。私の大脳皮質は所々で無秩序に開店休業を繰り返す。
ボーイフレンドとの軋轢に疲弊した私は、鬱屈した気持ちをスピードに乗せて、エキゾーストパイプから黒い煙を排出するように撒き散らしていた。深夜の国道を暴走する娘を、親はどういうおもいで見つめていたのか。あの夜の警察官の言葉は私の心から消えないままでいるけれど、その後の人生を、両親に心配をかけずに生きてきたのかと問われたなら、「交通事故とは無縁です」とだけお答えしよう。
私のボーイフレンドはA級ライセンスを持つレーシングドライバーだった。私は彼とサーキットに出かけ、ピットでレースを観戦した。ピットとはカーレースの時の修理、点検場。競技車両のタイヤを交換したり、燃料を給油したりする所である。
耳をつんざくすさまじい騒音。タイヤの焦げるような匂い。空気に混じって否が応でも吸ってしまう重たいオイルの匂い。喧騒。頭がクラクラした。
彼が日頃使う車は、車体の軽量化を図るためにカーボンファイバーで作られた特殊なものだった。車高を落とし、サスペンションやステアリングにチューニングを加えた改造車で、一般道路を堂々と走っていた。
当時は法が整備されていなかったのか、そんな車の公道での走行が許されていたのである。彼はその車を時々私に運転させ、エンジンブレーキのかけ方やコーナリングなど基本的なドライビィングテクニックを教えた。
おもちゃのような小さなハンドルは緩みがなく、わずかなハンドル操作を忠実すぎるほど車体に伝えた。小気味よく動く車両はスリルに満ち、時に冷や汗をかいたりした。車高を低くした固いサスペンションからは、道路のわずかな凹凸がじかに肉体に伝わった。
カーブではアクセルペダルを離さないで踏み込む。運転中はアクセルとブレーキの両方に右足を置いたまま走る、状況に応じ瞬時に加速、減速ができるように、と。赤信号から青に変わる時のタイミングの計り方というのも教わった。現在の世相や道路事情からすれば意味をなさないものばかりだけれど。
やがて訪れた彼との別れ。死にたいほどもがき苦しんだはずなのに、その最後の情景は私の記憶に一切残っていない。一体どういうことなのだろう。
ドイツの実験心理学者、エビングハウスによると「人間の脳は忘れるようにできている」そうだ。脳は新しい記憶は海馬に、古い記憶は大脳皮質にファイルするという。海馬は集めた情報を短期情報としてどんどんため込み、大事なモノとそうでないモノに仕分ける重要な作業をしている。そして、大事なモノだけを取り出して大脳皮質に送信し、そこで短期が長期メモリーに変換されるというのだ。
海馬が大切なモノと考えるのは「間違うと死ぬ」とか、「ケガをする」「病気になる」「生きていけない」という類のものらしい。彼との別れの瞬間は、そのいずれにも当てはまらないということ。海馬の仕分けの巧みさよ!