「声」 平子 純

 声の大きい人は、元気だ。たとえそうでなくてもそう思ってしまう。逆にか細い声の人は、元気がないと思われてしまう。
 声の大きさは子供の頃から決っている。ただ病気等で小さくなってしまう。
 質の問題もある。明るい人、暗い人、クリアーな声、曇った声、ハスキーな声。
 声を職業とする人は、修業をしなければならない。声優は無論、芝居の役者ともなるとアクセント、なまりに注意しなければならないし、一言一句をはっきり言わねばならないし、遠くまで聞こえるようにしなければならない。大変な苦労だ。
 演芸者の中には独特な声を持っている。もち論、同じ声の持ち主はいないのだが、甘い声、渋い声、エロティックな声、そのボイスだけで得をする。誰とは言わないが、口の中で共鳴するような人もいる。コオロギとか鈴虫とか、そんな声は魅力的だ。
 私は若い頃、三十代のことだが謡曲を五~六年習ったことがある。従兄といっても私の母より年上だったが、その従兄の三男が東京で小学生の頃から観世流の内弟子に入っていた。彼が東京芸大の能楽課を卒業し、十年以上の内弟子生活も終り、自分で生徒を取らなければならなくなった。一月に一度、父母のいる名古屋に教えることになった。能好きな母親が自宅に舞台を創り、私は生徒のいないのを埋める為に妻と母と三人が弟子になった。
 大きな声を出すことは気持ちがいい。妻と母は仕舞を教えてもらっていた。面をつけて歌ったり舞ったりするのが原則なので、おもいっきり声を出さねばならない。私が声を出してもたいした事はないが、先生が歌うと、時にガラス戸が揺れたりする。
 ずっと声を出すと、喉が枯れて来る。声が出なくなるまで歌い込まないと、なかなか本物にはなれない。先生に声がつぶれたらどうするのと聞いたら、それでも声を出すのだそうだ。何度でも声をつぶしているうちにいい声になるそうだ。先日、先生に会った時、今は大河ドラマの能場面に出ている。先生も五十才を過ぎ三十年以上能を続けたので、無形伝統文化財に指定されている。喉を楽器にしなきゃ駄目だ。事実、先生の喉は、小さな笛のようになっていた。
 邦楽は、厳しい道を通らねばならない。日本の伝統芸能は、一様に自分をいじめぬくことから始まるような気がする。詩吟でも民謡でも、歌謡曲、浪曲、なにわぶし、一様に喉をつぶす。
 洋楽は違う、喉には余り負担をかけず、腹筋なり、大きく肺を使って声を出す。まるで違う。どちらがいいかは分らない。歴史なのだから。
  
 人間は生まれた時から声を出す。産声というものを子供、孫、何度も聞いた。母親の胎内では魚のようにエラ呼吸していたものが、外界に出た途端、肺呼吸しなければならない。その驚きからだろうか、これから厳しい社会で生きねばならない怯えからだろうか、赤子は大きな声を張り上げて一声を上げる。
 子供が成長するに従って声帯も出来てゆく。遺伝もあるかもしれない。親、兄弟の声帯はよく似ているのだろう。親子そっくりの場合がある。
 原始から声は伝達方法として発達した。動物でも同じだ。いろんな言葉があり、いろんな発声法がある。不思議なことに日本の言葉は、いろんな土地から流れて来ている。中国、韓国、モンゴル、海洋民族、ロシアの古代スラグ語も混じっているかもしれない。しかし日本語は、どの国のものとも違う。ヨーロッパ、地中海地方はラテン語から発展した流れがあるが、日本語はどの言語に属するのだろう。私は言語学者ではないので何も知らない。
 声、怒鳴られる声、ほめる声、厳しい声、優しい声、時と場合において人は自在に使い分けることが出来る。それで人を動かす。泣かしたり、笑わしたり、いい気持にさせたり、やる気にさせたり、恋に落ちさせたり、別れを迎えたり、言葉と声は多様で、それだけに難しい。
 私にはもう一度聞きたい歌がある。それは三波春夫の俵星だ。あれだけ完成された浪花節入りの劇性を持った声は忘れられない。