「からくり巡り」 加藤行
僕がはじめてからくり仕掛けに驚いたのは、少年時代、近所の神社での夏祭りの夜店だった。行列で賑わう不思議なマッチ箱との衝撃的な出会いだった。露店のおじさんの手の上で、まるで生き物のようにマッチ箱が勝手にコロコロと動き回る。僕はその謎が知りたくて母にねだって買ってもらった。ワクワクする気持ちを押さえつつ、買った箱を調べたら、黒い糸が、一本つながって服にピンで留めるようになっている。それだけのことだったので僕は正直がっかりしたが、手品師のおじさんの演技の上手さには魅了された。
それが悪癖の始まりだった。
それからが手品の虜だった。両親と一緒に大阪の阪急百貨店で本格的な手品道具をいくつか買ってもらい、飽きもせずに何度も、何度も練習しては、皆に披露していた。
大学生時代には百貨店の手品コーナーで、東京の㈱テンヨーから来阪していた中村正則さんと出会い、しばらく手品のアルバイトをした。「人生はアバウトでいいんだよ」と言うのが中村さんの口癖だった。一回、バイトの出勤時間に遅れて、中村さんに追い帰されて、社会の厳しさを知らされたのを今も記憶している。コインマジックの名手で、そのビデオも何本か販売されている。しかし四十歳の若さで他界された。悔やまれる限りである。
その後、関西の大学で推理小説クラブの連合ができて、そのゲストとして、東京から有名な推理作家の泡坂妻夫さんを招待したことがある。僕が電話で直接連絡を取り、大阪で案内役を務めた。講演会の空き時間に喫茶店の二階を借り切って、泡坂さんの奇術が披露されたのが、メンタルマジックやカップアンドボール等の鮮やかな演技に我を忘れて見入った。さすがにプロだと感心させられた。そして酒席で連発される泡坂さんのべらんめえの語り口調には関東人の粋な心意気を感じた。今でも僕の心の中で泡坂さんは元気に生きておられるのだ。
兵庫県の西宮市に住んでいた頃は、地元の奇術愛好会に入会していた。メンバー全員で市民会館や老人会などで舞台に立った。老人会では、ただロープに結び目を作っただけで拍手されたり、肝心の不思議な現象で知らん顔されたりと思わず苦笑いだった。
そして今、奈良県に在住、最近では近くの地域生活支援センターのフェスティバルで舞台奇術を演じた。レコード盤の穴を抜けるとカラフルなシルクのスカーフと同色にパ―ッと変化したり、ロープの長さがぐんぐん伸びたり、ビリビリに破った新聞紙がパラッと元に戻ったり、ちいさな紙の袋から四メートルの木の棒が出て来たりと不思議の連続である。少々の興奮状態で所々、失態を演じた記憶がある。
ただ、それ以前に、僕の親戚で松竹芸能に所属する芸能人の「びっくりツカサ」なる男性に、持っていた手品のコレクションをまとめて寄贈したことがある。それ以後は、手品と一切縁を切り、「だましの世界」から離れることにしたのだが、どうやらそうもいかない。今でも、こそこそとスーパーマーケットのおもちゃ売り場で手品のグッズを品定めしたり、手品のDVDを買って来てはトリックを見破ろうと息を荒げたりときりがない。
つい数日前も大阪の梅田に出かけて、子供時代によく練習した「シルクの色変わり」を買い込んで試してみたが実にヘタクソである。手の指がうまく動かない。やはり年を取ったなあと実感するのだ。また最近はテーブルパズルにハマッているのだが、パズルの世界も、基本的には、からくり仕掛けである。
僕とからくり仕掛けは一生縁があるのかなと想ったりもする。しかしとにもかくにもこれが僕の人生での「からくり巡り」である。