「未来の私に」  黒宮涼

 思えば、私は泣いてばかりの人生だった。
 人前で涙を流すことは幾度もあった。哀しくて泣いたり、悔しくて泣いたり、感動して泣いたり。ほっとして泣いたり。怒りながら泣いたこともあった。
 私は感情を表に出すのが苦手な子どもである。嫌なことがあっても口には出さず、独りで悶々と悩んでしまう。そんな性格故に苦しんで、泣くことが大半だったように思う。
 今まで書いたエッセイの中でも、たびたび泣くという言葉が出てくるのだが、いざそれをテーマにしようと思うと、なかなか出てこないものである。

 三年程前に、ある一通の手紙が届いた。
 差出人は、中学三年生頃の担任の先生。それが何の手紙かは見当がつかなかった。突然何だろうと思った。
 茶封筒を恐るおそる開いてみると、中から二枚の紙が出てきた。
『卒業生の皆さん、ご成人おめでとうございます』
 一枚にはそんな硬い文章が綴ってあった。
 成人式には出席しなかったし、そんなものとうの昔に終わっていたと思う。手紙が届いたのは式から数カ月も後だった。それは成人式に欠席した生徒たちに送っているものだったらしい。出席していたら、式で渡される予定だったのだろうか。
 もう一枚に目を映した私は、驚いた。
『五年後・十年後の私へ』
 そこにはそう書かれていたのだ。それは二枚折になっていて、左側には未来の私へ宛てられた手紙。右側には女の子の絵が小さく描かれていた。女の子は目を閉じていて、何かを空想しているようだったが、思い浮かべているものは何も描かれていなかった。消しゴムで消した後だけが残っている。
 うっすらと記憶が蘇ってきた。確かにこれは中学の頃、私が書いたものだ。先生にこれを書いてと言われて、訳も分からず書いたものだ。
 そこには、当時の私の思い描いていた未来があった。確かにあったのだ。本当にその未来が見えていたわけではないのだと思う。むしろ私の記憶では、先の見えない不安で押しつぶされそうな毎日だったはずだ。けれど子どもながらに一所懸命考えて、これを書いたのだと思った。
 私は泣いた。涙が溢れてとまらなくなった。当時の私が何を考えて、何を感じていたのかはもう覚えていない。苦しくて仕方がなかったその想いだけが蘇ってきて、私は泣いた。
 私が思い描いた自分。それは普通の人が手に入れるであろう、当たり前みたいな幸せだ。生きていて、仕事をして、結婚して、子どもを産んで。そんな当たり前が当時の私には夢物語だったんじゃないだろうか。そういう未来を望む傍ら、一生無理なのではないかと思っていたんじゃないだろうか。
「大丈夫だよ。あなたはこれからいろんなものを見て、いろんな経験をして。運のいい出会いをして。ちゃんと幸せになるんだよ」
 もし昔の自分に出会うことが出来たなら、私は彼女にそう言ってあげたいと思う。

『諦めたらダメです。余計なことは考えないで、前向きに。泣いてもいいですよ。叫んだっていいんです。怖い顔して怒ったって……。 感情のない人間には、絶対になっていてほしくない。「幸せですか?」って聞いたら、「幸せです」って言ってほしい。』
 それが私の望む、未来の姿です。  (完)