「オリンピックに望んで」 眞鍋京子
二〇二〇年夏季オリンピック・パラリンピックの東京開催が決まった。厳しい招致戦を勝ち抜いた関係者には、心から感謝したい。
深夜遅くまでテレビの前で固唾を呑んで今か今かとテレビから流れ出る映像に待ち切れなかった。ほんとうによかった。
皆の力で成功させられたのであろう。
特に高円宮妃久子さまが、東日本大震災での各国からの支援に謝辞を述べられたこのことは、票を投じたIOC委員の心に響いたのではなかったのだろうか。
思い返せば、東京では一九六四年以来、五十六年ぶりの五輪だ。私達もまだ若く草草として社会で働いていた。
バレーボール女子で金メダルを獲得するなど「東洋の魔女」と呼ばれた全日本女子バレーボールチームの主将を務めた旧姓・河西さんが十月三日に脳出血で他界されたこと。
足取りをたどれば山梨・巨摩高から日紡足利に入り、五十四年の日紡貝塚発足に合わせて移籍。九人制から六人制に切り替えて世界を目指す故大松博文監督の方針で、アタッカーからセッターに転向した話は有名である。
六十一年の欧州遠征での快進撃で「東洋の魔女」の異名が生まれた日紡貝塚の中心選手だった。
大松監督の下で日紡貝塚中心に編成した日本代表では、六十二年の世界選手権で優勝した。引退後はママさんバレーの普及、発展に尽力した。日本バレーボール協会では二〇〇三年に女子強化副委員長に就任し、〇四年アテネ五輪にチームリーダーで参加。〇八年に世界バレーボール殿堂入りした。数々の功績が新ためて訃報の悲しみと重なり改めて冥福を祈らずにはおられなかった。
作曲家で有名である数々の歌を世に広めた「古賀政男氏」は皆の志気を奮い立たせる為に早速、次のような「東京五輪音頭」を作詞した。
【東京五輪音頭】
一、ハアー ソレ
あの日ローマで ながめた月が
ソレ トトントネ
きょうは都の 空照らす
ア チョイトネ
四年たったら また会いましょと
かたい約束 夢じゃない
ヨイショ コーリャ 夢じゃない
オリンピックの顔と顔
ソレトトント トトント顔と顔
二、ハアー ソレ
待ちに待ってた 世界の祭り
ソレ トトントネ
西の国から 東から
ア チョイトネ
北の空から 南の海も
越えて日本へ どんときた
ヨイショ コーリャ どんときた
オリンピックの晴れ姿
ソレトトント 晴れ姿
以下省略
子供も大人もリズムに乗ってはやしたてる。
運動会にはどこの会場からもこの音頭がひっきりなしに聞こえてくる。
東京オリンピックは二〇二〇年七月二十四日から八月九日まで、パラリンピックは八月二十五日から九月六日の会期が予定されている。
近年の異常気象続きから、酷暑下の大会となることも予想される。
東京に五輪をもたらした招致活動には、最終プレゼンテーションに登壇した佐藤真海選手らパラリンピアンの活躍が目立った。当然パラリンピックにも、オリンピックと同等の成功が求められる。
この機に、五輪実施と国民スポーツ全体の司令塔となるスポーツ庁の設置を急ぐべきだと声があちこちから聞かれる。是非実現したいと望まれるものである。 (了)