「永遠のメタリックブルー」 真伏善人

 自転車の具合が悪くなった。変速七段付きなのだが、その一段目から二段目、あるいはその逆にギャチェンジをしようとすると、ガリガリと音をたてるばかりで、チェーンがギヤになかなかはまってくれない。三段目からは、カリリというだけでうまいこといくのだが、肝心のスピードをあげるための一二段目が、なんともやっかいなことになった。幾度も切り替え部分の調整をするのだけれど期待にこたえてもらえず、仕方なく我慢をするしかないと不自由をしていた。
 そんなある日、行きつけの喫茶店でコーヒーを飲んでいて友人にそんな話をしたら、チェーンを交換してみればと言う。
 考えてもみれば、この自転車は購入してから十五年も経っている。土砂降りか台風でもないかぎり通勤で利用し、休日にはプチ遠出を楽しんできている。チェーンだって摩耗していて当たり前なのに、それに気づかず、チェンジの調整具合が悪くなっているとばかり思っていたのである。
 チェーンの交換は初めてである。慎重に作業を進め、これでよしと、まずは前の道路で試してみる。おそるおそるペダルを踏むといい調子だ。と思ったのは一瞬で、ペダルが一回転するごとに、階段をカラ踏みしたように膝がガクンと落ちる。よく見ると、継ぎ目の部分でガクンとしている。これは手に負えないと、自転車店にそのまま、ガクンガクンと直行する。みっともないけど、そうも言っていられない。
 自転車店の主人曰く、「ギヤですよギヤ。よくもまあこれまで乗りましたね。ギヤの寿命は、走行約六千キロ。これまでになるには一万キロ以上は走っていますね」とあきれ顔。チエーンではなく、ギヤがとんでもないことになっていたのだ。そして「防犯登録のシールの色が、今はすでに変わっていますよ」とのこと。事態が飲み込めるまでに数分はかかっただろうか。愛車はここで手放さなければならないのかと、あまりのことにうろたえる。気持ちの整理がつくわけもなく、腕組みをしてただぼうぜんとする。主人の「どうされます」との問いかけで我に帰ると、にわかにせつなくなり胸がつまった。
 この自転車は重厚なメタリックブルーで、一目ぼれであった。色合いはもちろん、アラブ系の馬のように、力強くがっしりとしていて、完全に魅せられて手に入れたものだ。
 十五年前のぼくは、どこまでも碧く高い空と、碧く清冽な流れに想いをはせ、思い向くままひとりで山河を巡り歩いていた。そんな頃に、たまたま通りかかった自転車店の前で見つけた、このメタリックブルーの自転車は、心がときめいて当然だったのかもしれない。それからは、多忙で山河へでかけられなくても、ぼくには自転車があった。少しばかり遠出をすることで、山河と戯れている気分に浸れ、十分幸せだった。なにより同じタイプで、同じ色の自転車を見かけないのも愉快な気分にさせた。
 しかし、時には戒めを受けた。スピードに酔いしれ衝突すること三度。いずれも相手は自転車で、一度目は転倒させ、二度目は転がされ自転車の下敷きになり、三度目は高校生の集団に突っ込み、二の腕に青あざの勲章をもらった。番外は前日の雪で凍った道での単独落車で、受け身のとれない? 体落とし? をくらったように、あっというまに投げ出されてしまっていた。
 ここで、思いもしなかった別れとなることに、気持ちの平静さがとりもどせない。もう、どうにもならないことなのに、ハンドルに手をかけ、ブレーキのワイヤが切れるのではないかというほど握りしめたり、サドルを左右の手でかわるがわるさすったり、傷だらけの泥除けを指でなぞったりしてみた。たくましいメタリックブルーは気持ちを知ってか知らずか、まるで黙ったままだった。
「今までのと一番近いのはこの型です」と主人が勧める自転車を購入することになる。アラブ系のメタリックブルーなど、もうどこにだってあるはずがない。ここは気持ちを吹っ切ろうと白い色を選んだ。流行りのハンドルが短めの六段変速付きにまたがり、サドルを少し高めにしてもらう。ペダルに足をかけ、ぐいっと漕ぐとなんの抵抗もなくスピードがのる。この軽さ、キレのよさは葦毛のサラブレッドというところか。スピードをあげて風を切ると悪くはないが、気持ちは昂ぶらない。
 ペダルを漕ぎながら、置き去りにしたメタリックブルーを思うと心が痛む。たかが自転車一台のことなのに。しかたがない、これからは、白い自転車と仲良くすることから始めよう。…と思う。