「掌を見つめて」  眞鍋京子

 寒の戻りか窓を開けると粉雪がガラス戸の隙間から掌の方まであたってくる。この佐智子の掌にはいくつもの思い出がある。それもその筈、佐智子の手はもう米寿を超えている。重なる掌の皺には目に見えない苦労や喜びの思い出が折れ重なるように刻まれている。

 数ある思い出の中でも佐智子の脳裡に一番色濃く浮かんでくるのは、第二次大戦後の混乱期の事である。
 軍隊では階級の高かった佐智子の父は終戦と同時に職を失い、戦争中に犯した過ちから何時GHQから呼び出され投獄されるかとの不安を抱きながらも、僅かばかりの田畑を借り当座のさつまいもや簡単に育てられる野菜で飢えをしのぐ暮らしをしていた。
 佐智子は女学校を卒業し祖母の「手に職をつけておけば一生暮らしに困る事はない」との勧めで専門学校の保育科を目指し、今で言えば幼稚園の教員になった。しかし手先は不器用、唱歌も音痴に近い歌い方であったが子供が好きだった。祖母が保育教育を勧めた訳には一年で卒業し就職出来るとの思惑があった。
 当時オルガンしかなく佐智子は楽譜を頼りに子供と共に童謡を歌ったが、子供の顔を見る余裕はなかった。二つ違いの同僚が「自分の知っているピアノの先生の所に、一緒に習いに行こう」と勧めてくれた。

 先生は五十歳をとうに過ぎた白髪の老人であった。
ピアノの弾き方は、現在は小学生でもバイエルの教則本で学ぶが、当時佐智子は老教師から逐一教えてもらった。その教えを幼稚園で練習し後日見てもらう。
「この指はもっと強くタッチすればいい音が出ますよ。次はその点を考えて弾いてみて下さい」
 始めは手がこわばってどの指が押えているのか感覚が麻痺してくる。しかし、それを乗り越えなければ滑らかな演奏は出来ない。子供を褒めるように、「本当に二人とも上達が早いですね。私も教え甲斐がありますね」と言って下さる。
 老教師は永年音楽教師をしていたので指導のツボを心得ていた。
「掌に卵を乗せた感じで弾いて下さい。卵が落ちないよう、気を付けていれば指先のバランスが取れてくるのです」
 小指や薬指の使い方を直せば、音のバランスが取れる事に気付いた。基礎的な指導のお蔭でツェルニーやソナタの教則本をマスター出来た。二人は老教師の指導により、本来の幼児教育にも生かせる事が多かった。

 二人を教え始めて三年が経って老教師は―
「こんなに上達の早い人達は見たことがなかった。やはり子供の教育を毎日考えておられた為でしょう。もう指の運びも掌の動かしかたも充分身に付けられたと思います。ここで練習は終了致したいと思います」
 老教師は涙ぐんで別れを惜しんだ。
 自分の思う音が出ず、悩んだことも度々あった。また練習のし過ぎからか掌がぽんぽんと腫れる事もあった。その掌を見る度に老教師の励ましの声が伝わってくる。
 その声と共に祖母が選んでくれた教師への道、お蔭でこうして収入のある生活が出来るのも祖母のお蔭だと亡き祖母の仏壇に手を合わす日々である。 (完)