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2015/11/02

伊神権太の「生きてゆく人間花たち/2015年11月の唄」


 引き続き一匹文士、伊神権太が〈喜びも悲しみも幾歳月〉の人間ドラマに焦点をあて、書き続けてまいります。

2015/10/15

真伏善人が世にも不思議な連載詩小説「FLQX」 1、2、3、4、5、6、7、8まできました


 みなさん! 真伏善人の詩小説が第四コーナーを過ぎ、いよいよ最後のラストスパートまできました。一度、1から8までを読み返してください。そしたら、きっと何か、見えるものが出てくるはずですから。よろしく、お願いします(「熱砂」主宰、伊神権太記)
        ❤        ❤        ❤
 題からしてナンダカへんてこりん。謎、なぞ、ナゾめいてはいる。FLQX、辞書で調べてもでてはこない。なんだか詩のようでもあり、小説でも。どっちなのか。でも、そんなことはいいので皆さん、読んでください。
――「夏の朝」から始まる、この詩小説。勤めていた会社を首同然にやめ、失業保険でしのぐ男。おんぼろアパートのドアを寝ぼけ眼で開けた主人公、高木達雄はいったい、どこへ行くのか。読むうち読者が高木の世界に同化してしまい、おもわず声援を送りたくなる悲しみいっぱい夢いっぱいのストーリーが今、始まりました。
 2回目は10月22日に、3回目は28日夜、4回目は11月4日深夜から翌未明にかけ、5回目は11月10日の夜おそく、6回目は11月18日の深夜から未明にかけて。7回目は11月25日深夜に、そして8回目は12月2日の深夜未明から翌朝3日にかけて、それぞれ公開。高木という男は、一体全体どうなってしまうのか。リングノートはあるのかどうか。「ああっ 前方から乗用車」。それよりも「背後で人の気配」。一体何者なんだろう。どうなっちまうんだよ。「考えなくたって。起きるものは起きる!」どうか、お付き合いのほどお願いいたします。
 と思ったところで、5回目を読む。と、なんだか迷路に入ってしまったような、そんな展開が危なっかしい。よく分からないが。主人公のこの先がますます気になってくる。むろん、リングノートも、だ。さてさてどうなる。やっぱり、高木の存在。すなわち、この世の幻影なのか。そして6回目、7回目、8回目のきょうと。真剣に何度も読んでみるが、なんだかチンプンカンで、よくわからない。でも、共通して言えるのはリングノートが〈いきもの〉に思えてきたことだ。
 そこはかとなく流れる文のトーンとリズム感がここちよい。リングノートが生きている。ノートそのものが作者本人に思われてきた。あるいて。あるいて。「一歩一歩 また一歩」か。ところで〈白いもの〉って。何だろう。
 7回目。今日は/今日はもう終わろう―といった作者の気持ち。よく分かる。8回目。4度も、5度も読み返す。読めば読むほど分からない。迷路に入り込んでしまったようだ。「あの白いものが消えている まさか……」って。一体全体どういうことなの? でも、あと少しだ。 なんだか〈マラソンのように長い詩〉がそのまま短編小説に脱皮していく、そんな気配がしないでもない。この作品の核心ともいえるリングノートは、一体どうなる。どんな結末が待っているのか。読者のみんながフィニッシュに期待している。
 がんばれ! がんばれ! こけないで!
 エンディングの9回、10回目がどんな結末になるのか。皆、息を潜めてその瞬間を待っている。(権太より。愛こめて)

2015/10/03

牧すすむが母への挽歌


 母の死を詩「母」に託した牧すすむ。母子家庭で育った牧にとって、これほどの悲しい詩はない。母のわが子を思う限りなきやさしさ、は世界共通かもしれない。その偉大な母が8月8日に亡くなった。99歳、数え100歳での天国への旅立ちだった。その霊よ、永遠に安かれ。合掌―

2015/10/02

伊神権太の「生きてゆく人間花たち/2015年10月の唄」


 引き続き、この世にただ一人だけの〝一匹文士〟として、わが周辺はじめ日本から世界の果てに至るまで日々、目と耳、足をすましていきます。時代の証言者としてのペンを粉骨砕身で奮いつづけ、人とは。生きてゆくとは、どういうことなのか。共に考えることができれば、と願って書き続けていきます。

2015/09/12

真伏善人が詩「夏の終わりに」を公開


 詩人真伏善人ならでは、の観察眼。そして直感でこの夏を送る。それは秋に衣替えする夏への挽歌と言っていい。「この通りなんだから」とは、ある真伏ファン。女性読者の声である。【ああ 夏が終わろうとしている】