受贈誌(文芸同人誌「じゅん文学 №73」、詩誌「環(第144号)」をありがとうございます)
☆「じゅん文学 2012/10 №73」(発行日・2012年10月1日、発行・「じゅん文学の会」、編集発行責任者(主宰)・戸田鎮子、連絡先=名古屋市緑区、電話052(876)5476
=、表紙絵&挿絵・堀田明日香、題字・山田萩恵) 今回も創作、エセー、編集室の窓と充実した紙面で、表紙絵も鳥と花びらの神秘性が人をひきつける。(関連記事は「熱砂」伊神権太作品集の9月25日付・生きてゆく人間花たち/九月の唄)
☆詩誌「環(第144号)」(発行日・2012年9月28日、編集者・若山紀子、発行所・名古屋市守山区、若山紀子方、「環」の会=電話052(794)7886=)。
◇近頃、就活、婚活、に続いて終活というのが流行っているらしい。本屋に行くとそれらしい本が並んでいる。団塊の世代が定年を経て、此の頃こんな事を考えるのだという。余裕のある人達なのであろう。財産、葬儀、お墓、など細部に渡ってあらかじめ決めておくのだという。死んだら終りと思うから、あとはどうなろうと生きている人の好きにすればいい。今生きている日の為すべき事を大事にした方がいいと思うのだが。勝手すぎるだろうか。……〈若山〉=〈あとがき〉より
♪大きくなったら 僕は詩人になる……、その加藤行が放つ五つの矢です
☆新生ウエブ文学同人誌「熱砂」の感性詩人、加藤行が「時が経てば」「子猫のコーラス」「白昼夢」「あ、イテってて」「僕らの煌く夢」の連作五編を発表。ぜひ、お楽しみください。このうち「時が」は、こどもの頃〈てのひらに乗せたちいさな石〉、「子猫の」は〈3匹の子猫ちゃん〉、「白昼夢」はマグマが噴き出し地球が燃え出す〈もしもの危険性〉、「あ、イテ」は大人たちが忘れがちな〈こども心〉、そして「僕らの」は誰もが持つ〈大きくなったら〉の夢に、各編のキーワードが隠されています。
皆さん! ご自分にだぶらせて読んでみてくださいネ。
♯大きくなったら
僕は詩人になる
千の詩を描いて
幾万の愛で地球を包む
受贈誌をありがとう。鈴木孝詩集、「北斗」に人間ドラマあり!
☆新・日本現代詩文庫98「鈴木孝詩集」 野村喜和夫・長谷川龍生の解説入りで二〇一二年八月三十日に土曜美術社出版販売=東京都新宿区、電話〇三ー五二二九ー〇七三〇=から初版を発行。鈴木孝(すずき・こう)さんの年譜付きとなっている。
鈴木さんは、詩誌「宇宙詩人」代表。ほかに日本現代詩人会会員、日本ペンクラブ会員、中日詩人会会員などのほか、フランス語圏詩人協会REE・パリ・名誉委員。愛知県高浜市在住。
「鈴木孝さんの詩作品の特異性は、自由連想法の告白・叫喚に近いタイプである。朗読詩にはもってこいの展開があり、映像詩の朗読にも向いている。力わざがあり、具象性から選び出した劇的な言語群に満ちている」(長谷川龍生・解説より)
☆文芸誌「北斗 九月號」(第590号。平成24年9月1日発行、編集発行人・竹中忍、発行所・北斗工房、連絡窓口・棚橋鏡代=名古屋市中区伊勢山、電話052ー321ー0218=)
今回も「人生と文芸ー松本道介「芥川賞の末路』推考」(竹中忍)、「ひたすら書いた人たち(36)」(清水信)、「堺流水庵『世界遺産』」(海谷寛)三氏による評論はじめ、小説、エッセイ、短歌(雑詠)、詩(タダオ・アフォリズム)と充実した内容が目立つ。ほかに同人による掌編随筆・人工天文台も読ませる。
生きてゆく人間花たち/九月の唄を公開
地球一周の船旅から帰った伊神権太が一文士、歴史の伝承者として何げなき日々を生きる人間たちを〝21世紀のニンゲンものがたり〟として活写していきます。そこには、愛もあれば、喜び、時には悲しみも横たわっているでしょう。新生「熱砂」の他の同人の創作も併せ「強く、優しく、あすへの希望に満ちた」人間群像を描ければ、と思っています。
とっても面白い 加藤行の新作詩5編を公開
☆ガチョウの母さん 「アニマルスーパー 本日オープン!」に思わずにっこりするガチョウの母さん☆俺たちギャング団 黒ヒョウの警官たちの前に、悪さもおしまいとなったブルドッグ☆ボオイ君がんばる 「バナナを食べてよ おいしいよ」 また届かない よいこらせと樹をのぼる☆アニマルタウン ペリカン駅の広場にある パンダ銀行に強盗が入った 強盗犯はキツネとタヌキの2人組……窓口では眼を丸くしたフラミンゴ嬢☆象のポオさん 今日も天気は上機嫌 誰もいない町はずれ カランカランと鐘が鳴る……象のポオさんニコニコと 明日はどこまで行くのかな
5編とも、とてもユーモラスでリズミカルで、かつ面白い。それに尽きる。超新感覚の〈いきもの愛〉は〈人類愛〉を超え、いきものに対する慈愛の気持ちがこもっている。ニンゲンたるもの、こうでなくっちゃあ。この地球に生きるものすべてが運命を共同にしているのだ。作者は人間さまだけの時代は、もう過ぎたと。そう言いたいのだろう。