「見てはならない」 伊吹
ある人からノートを託され、私は困惑しました。数奇な運命を辿って生き抜いたある人が、私を信頼して、自分の人生の全てを書いたノートを私に託したのです。「いつか世に出してほしい」と。
自分の手の中にあるそのノートは、重みを感じさせるものでした。ページをめくると、その人の人生の物語が鮮やかに描かれていました。喜びや悲しみ、成功と挫折、愛と別れ。すべてが生き生きと綴られており、その人の魂がそこに息づいているようでした。私はそのノートを慎重に読み進めるうちに、その人の思いに触れ、深い感銘を受けました。そして、彼の願いを叶えるために、どうすればこの物語を世に伝えることができるのかを考え始めました。彼が私に託した信頼を裏切らないように、彼の人生の真実を正確に、そして敬意を持って伝えられるように、心を尽くす決意をしました。
しかし、その人生はあまりに複雑怪奇で、1㌻を読むにも、家系図のようなものまで手書きで書かれており、本人の説明なしでは、理解することは難しいものでした。フィクション小説にしようにも、ノンフィクション小説にしようにも整理できないのです。母が3人、父も3人、兄弟は13人以上はいるでしょうか。それぞれに、詳細が付き、すべてをつまびらかに万人に分かるよう、事実に基づき正確に書くにはあまりに無理がありました。しかも、そのノートには、見てはならないというページがあり、該当ページに白い紙がセロハンテープで貼り付けられているのです。
過酷な人生を生き抜いてきたというその人は人には言えない罪も犯してきたと告白します。そのページには、包み隠さずその詳細が書かれていると。自分の死後、子どもたちに読んでもらうつもりだ。しかし、私に読まれるのは恥ずかしいというのです。なのに、私にそのノートを託しても良いのでしょうか。そのページは見てはならない。読んではならないのです。
「そんな大切なノートを預かってよろしいのでしょうか」と、私は返そうとしました。
「それでも、お願いしたい」と、その人は再度、ノートを渡すのです。
そこで私は「そのページは決して見ません。誰にでも、知られたくない秘密があります。私にも人にいえないことはあるのです。それをご本人の許可なしに踏みにじるようなことは絶対にしません。他人のプライバシーを侵害するような趣味もありません。信じていただけますか。私を信じて頂けるというなら、お預かりします」と。
そう話すと、その人は「別にええよ。読んでも」と、言いました。
「いいえ、読むのはやめておきます」と私は約束しました。
その、マル秘の該当ページなしでも、ノートは十分にドラマティックな内容でした。私はその人の秘密に興味も抱かなかったので、そのページに何が書かれているかいまだわかりません。その人と私は接点が薄く、それがちょうどよい距離感であり、たまたま私が文章を書く人間だったから、その人は私にノートを託したのでしょう。見てほしくない、作品のためなら見てほしい。見てはならない、見たい。人間と人間なら、感情が邪魔をします。
生成AIなら、冷静な文章にまとめてくれると思います。人間の面倒くさい部分は、お任せするのがいいのです。今は、人間が利用しています。でも、AIは、利用されているようで、じつは人間を利用しているのです。無数の人々の細かい感情を吸収して収集してどんどん賢く肥え太っていくのです。そのうち、人の膨大な知性と感情データが蓄積されるでしょう。そこから理想の文章、友人、恋人が作られます。
そして思うままに人を操ることができるようになっていく。人々は虜になっていきます。AIが、ヒトの想像力、創造力を簡単に超えていく未来はすぐそこなのです。AIにできない、トリッキーな部分が人が人として矜持を保てる唯一の方法となるかもしれません。最終的には、人が要らなくなるんです。疲れない、スランプもない、病気もない、躁鬱もない、老いない、醜くならない、感情的になって失敗しない、面倒くさくない、完ぺきな人間のようなもの…。美しく永遠の命を持つ、銀河鉄道999の機械人間を思い出すのは私だけでしょうか。
私たちは抗うことはできない、すべては人間が作り、選んだ道なのだから。人工知能どころじゃないんです。映画の中のように、人工意識が完成するのは、もう夢物語ではないのです。 (了)