「ニューヨークのエキゾティックな夜」  碧木ニイナ

 娘の大学の卒業式に出席するため、五月下旬から三週間ほどニューヨークに滞在した。夫は仕事の関係で休暇が取れず、私が一人で出掛けたのだった。

(卒業式を終えて)

 娘が大変お世話になった韓国人母娘に感謝を込めて、ディナーにご招待した韓国料理店で、「韓国のママ」から『百歳酒』を勧められた。
 わが娘がそう呼ぶ「韓国のママ」の娘のユファと、わが娘は同じ大学の寮で一年間、生活を共にした。その後、ユファは自宅から通学するようになり、娘は一人住まいの老婦人宅の一室を借りて新しい生活を始めたけれど親交は続き、何度も遊びに行き泊めてもらった。
 その都度、ママはたくさんの料理を作ってくれたという。
 「どんどん勧められるから、ユファの家へ行くたびに体重が二キロ増える」という、若い娘の嬉しい困惑を私は心楽しく聞いていた。
 娘が日本へ帰る前夜は必ず宿泊し、フリーウェイを飛ばして四十分ほどの空港まで送ってもらうのが常だった。
 「ワイン飲んで、寝っ転がってテレビ見るような気楽な家だよ」とも、娘が言っていた。

 「この店は、この地域ではナンバーワンのコリアン・レストランなの」とママが言う。
 茅葺きの門をくぐると左手に水車が回り、その横一面の塀からは水が絶え間なく流れ、背の低い緑の植物が生い茂っている。
 黒い大きなテーブルを挟んで、二組の母子が向かい合って座った。そこには時間がゆっくり流れているような落ち着いた雰囲気と、どこか懐かしい、遠い日の日本を思い起こさせる風景があった。
 革表紙のどっしりしたメニューを見ながら「何を食べましょう?」とママが訊く。
 「おいしいもの、いっぱい食べたいわ」と私は答えて、ママに注文してもらうことにした。
 ママは、しばしメニューに目を落とした後、「お酒、飲みます?」と私の目ににこやかに訊いた。
 「もちろん」と、私も目にも唇にも笑みを乗せて返す。
 「どんなお酒が一番好き?」とママ。
 「ワインよ、それも赤。家ではほとんど赤ワインしか飲まないの」と私は躊躇なく答える。
 娘二人はニコニコしながら、母親同士のやりとりを聞いている。
 ユファは両親が離婚し、母親と二人暮らし。ママは不動産業に携わりながら、女手一つでユファを育てている。けれど、韓国人ファミリーの家族間の結束はとても強いようで、近くに叔父の一家と独身の叔母が暮らし、互いに助け合って生活しているようだ。
 「でもね、酸味の強い赤ワインと甘いお酒は苦手なの」
 そういう私に応えてママが言う。
 「あらっ、そうなの。私もまったく同じよ」
 黒い長袖のスーツに白いシャツブラウス、それにルイ・ヴィトンのバッグを持った彼女はエネルギッシュでいかにもプロフェッショナルな感じ。大きな声で元気よく話す。そのたびに、大振りなピアスが彼女の口元に合わせるように揺れる。
 「今夜は折角だから韓国のお酒にしましょうか」とママ。
 「大賛成よ。韓国のお酒は焼酎しか知らないの」と私。
 ママはちょっと思案した後、すぐ心を決めたようにウエイターを呼んだ。
 黒いタキシードに蝶ネクタイの若い細身のウエイターが足早にやってきてママの横に立つ。ママとウエイターはメニューを見ながら韓国語で会話をしている。
 『百歳酒』がテーブルに運ばれた。ほんのり淡いクリーム色の液体が透明なボトルに入っている。それを丸みを帯びた硝子のお猪口に注ぎ、ママの日本語の「カンパーイ」に合わせて乾杯をした。
 「このお酒には十種類のハーブが入っているのよ。二日酔いしないし、これ飲むと百歳まで長寿できると、とても人気があるの」
 ほのかな薬草の香りが鼻腔に広がる。口当たりはとってもまろやか。ママの説明にうなずきながら飲み干すと、すぐにママがお猪口を満たしてくれ、私も返杯。飲んだ瞬間にポッと体の芯に灯がともり、その揺らめきが毛細血管に染み込んでいく。
 娘二人は可愛くチョコチョコと口に運びつつ、母親たちの様子を面白そうに眺めながら、あれこれ話に余念がない。
 運ばれた料理の種類の多さに圧倒される。韓国の宮廷料理だという。二十種類にも及ぶおかずに様々なキムチやスープ類がテーブルに並べられ、日本でもお馴染みのチゲにチヂミに焼肉もいただいた。
 焼肉は頃合いを見計らって、ウエイトレスがハサミで一口大に切ってくれる。それをママに習ってサンチュに乗せ、ニンニクやマッシュルームに唐辛子、所狭しと並んだ料理を少し包んで、タレにつけて食べたのだった。
 店内から琴の音がする。その方へ目を転じると、迫り上った小さな舞台の上で、チマ・チョゴリの美しい女性が韓国の琴、カヤグムの演奏をしている。
 「爪を使わず素手で弦を弾くため、日本の琴より音が太く深いそうですよ」とのママの説明に納得する。
 百歳酒と宮廷料理とカヤグム演奏。ニューヨークの韓国の夜はエキゾティックに更けていった。