「東京オリンピック」 平子 純
前回のオリンピックから、五十年近く経って七年後第二回東京オリンピックが開かれるという。冬期は札幌と長野で行われているので四回目のオリンピックということになる。
私は長野大会だけは行き、スピードスケート5百メートルで清水が優勝するのを目の前で見た。閉会式も見た。手筒花火がいくつも打ち上げられ、その輪の中に選手達が飛び込む様は愉快だった。
思い出して見れば国外ではソウル大会も見に行ったのだ。当時のソウルはまだまだ豊かとは言えず観客も少なかったことを覚えている。チケットも幾らでもあり、数競技見ることが出来た。
話をもどし第一回東京オリンピックへ、丁度高校一年の時、テレビに首ったけになったのを覚えている。クラスに最新のソニーのポータブルテレビを持って来ているのもいた。
授業中にその生徒はこっそり見ていたのだ。
前回の東京オリンピックでは、いろんな競技の思い出がある。メダルも沢山取った。
一つ一つの思い出があるがやはりマラソンだろう。閉会式直前にランナー達が入って来る。まさしくオリンピックの華だ。
あの時は、エチオピアの裸足のランナー、アベベが勝った。哲学者のような表情で走り抜いた。当時のエチオピアは皇帝制度でハイネセラシエが君臨していた。アフリカでは珍しく植民地にもならず、日本の天皇制よりも古く、戦前には皇女との結婚も日本は考えた程だ。マラソンで勝ったアベベは近衛兵の隊長に抜擢された。私の記憶では次のローマでも勝ったはずだ。しかし間もなく交通事故で足を失い、パラリンピックに転向した。
それから先は、エチオピア革命が起こり、帝制が廃止され、アベベも間もなく死んだ。私は金メダルを十数個も取った日本のどの選手よりもアベベの記憶の方が強い。
日本人ならマラソンの円谷だろう。英国選手に抜かれ、銅メダルになってしまったが、彼の一生懸命の走りは彼の生き様そのものだった。練習半ばで精神を病み、「もう走れません」と遺書を残し、自殺してしまった。前回の東京オリンピックの思い出は私にとってマラソンが一番だ。アベベ、円谷は二人とも短命だったが、余計に美しく印象に残る。
他の競技と聞かれると、大松さん率いる女子バレーだろう。東洋の魔女として恐れられ次から次へ敵を破り、金メダルを取った。
体操、レスリング、ボクシング、柔道、水泳でも幾つか金メダルや銀、銅メダルを取った。重量上げでは三宅兄弟を思い出す。
次のオリンピックでは、どうなるだろう。いつしかオリンピックも商業主義、政治主義になり、ショー的要素が強くなってしまったが、感動を与えてくれるだろうか、すごい金が動き、いまやテレビでも選手はタレント扱いになった。
次回のオリンピックまで七年。又々、東京集中になるのだろう。そして貴族社会のものになるのだろう。オリンピック委員にしたって、日本は天皇の血族、そしてヨーロッパでは旧貴族や現貴族の巣箱だ。ちがった目で見れば、とても平和の祭典とは言えない。日本はロシアのオリンピックをボイコットした。主体制はどこにもなかった。アメリカのほとんど属国となってしまったからだ。
まあそんなことより、私としてはやはり日本の選手達にガンバッテ欲しい。十代の子供達が必死で努力しているのだから。
多分、今小学校の生徒が七年後には、最適な年頃になるだろう。思わぬ競技でメダリストが誕生するに違いない。
私はソウル大会は見に行った。長野の冬期オリンピックにも行った。どの大会にも、それぞれの感動があった。私の命が七年後もあるなら、是非行ってみたい。それまでに社会はものすごく変化し、老人となった私は右往左往するばかりだろうが。(了)