疲労困パイあわや 真伏善人
間違いをするのは人間生きている証であろうが、命にかかわるような間違いとなるとこれは怖い。ずいぶん前のことだが一時期、山登りに夢中になっていた時のこと。梅雨明けの頃だった。中央アルプスの山を目指していた日である。高速バスで出かけて麓で降りタクシーで行ける所まで行く。ルートの途中にある山小屋へ着くことを当日の目標にしていた。夜の勤務を終えてきた身体なのであまり無理はできない。リュックもできるだけ軽くして林道に足を踏み入れる。
どれほど歩いただろうか、そろそろ登山口の標識があってもいいはずだがと、狭くなった道の左右に目を配っていた。だが標識は一向に現れない。その先をまたしばらく歩くと突然前が開けた。息を呑んだ。登山道はとてつもない土砂の崩落で埋もれていた。呆然として右からの崩落の有様を見遣る。高さはおよそ七~八十メートル、幅は目の前百メートル以上はあっただろう。その赤黒い土が剥き出た急斜面に、軽トラック大の岩が何個も浮いた状態になっていた。どうすべきか。考えている時間が惜しかった。ためらうことなく土砂に上りつき足跡をたどった。落石を気にして右上を見ながら慎重に進む。ようやく崩落部を通り抜けると緊張がほぐれた。登山道の傾斜が上がらないうちに、前方に薮の被さる細い川の流れがある。これは想像以上の薮漕ぎになるだろうと思った。ため息が出た。今の体調ではきつすぎる。ここはあきらめが肝心だと退却を決めてしまう。
再び崩れ落ちた土砂にとりつき、岩よ落ちるなと念じつつ、不安定極まりない足元を気にしながら、そろりそろりと進んだ。こんなに難儀で長い百メートルは経験がなかった。やっとのことで抜けると次第に腹が立ってきた。あれほどの土砂崩れがあるというのに立札一本もないのだ。林道の入口まで戻り見回すと、何たることか、登山口の標識が数㍍の右に立っていたではないか。もう日は傾いていたが、なんとか山小屋まではと、必死の思いで足を進めた。名ばかりの山小屋で、雨をしのげるだけのボロ小屋。床はめくれあがり、入り口も窓も枠があるだけ。食欲も余りなく早々に寝袋にもぐった。何かの気配で目をこらすと、薄暗い中でヘビが鎌首をもたげていた。夜中に胃が痛みだし薬を飲む。
朝はお粥を少し食べてコーヒーを一杯。どうも体調が良くないので、行ける所まで行って無理なら引き返そうと小屋を出た。きつい岩場の登り下りがあり、みるみる体力を奪われてしまう。やっと八合目付近にある避難小屋への分岐にかかり、進むべきか休むべきか迷った。頂上はすぐそこなのだが、永遠の距離に思えたのだ。腰を下ろして考え込む。無理せず明日にしようと、避難小屋へのルートに戻ることにした。リュックから紙パックのコーヒー牛乳を出して飲み、一時間ほど寝転がってしまう。それが活力源になったのか、腹の底からエネルギーが湧いていた。小屋を出ると頂上がはっきり近くに感じる。明日の天気はどうなるか分からない。気力を振りしぼり山頂を目指した。
砂礫の頂上は、いつのまにかガスに覆われ白一色。がっくりと座り込んでしまう。達成感もなく、ハイ松の中を避難小屋へ戻る。一泊のつもりが二泊になり、僅かな夕食を喉に通すと寝袋にもぐった。翌日、ガスに追われながら疲労困ぱいで下山。記録と記憶がこんな風にあるが、甘い考えで出発したことと、登山道の入口を間違えたのが全てだった。もっとも気力体力が充実していたなら、崩落現場から先を遮二無二突き進んでいて、永久の行方不明者になっていたかもしれない。運がよかったと考えるべきか。 (完)