間違い常習犯 黒宮涼
「可愛いねえ。おいで、おいで」
ソファで一緒にテレビを見ていた祖母がそう言って、両手を叩く。テレビに映っている幼児たちを本物だと思っているみたいだ。祖母はもう、テレビを認識していない。実際に目の前にいる人物だと思っているのだろう。もしこの場に家族以外の人間がいなければきっと祖母の行動を間違いだと指摘する人がいると思う。けれど祖母は素知らぬ顔でテレビの中の赤ん坊をあやしている。
いつからと具体的な時期は答えられない。いつの間にか。気付いたら、そうなっていた。私の祖母は認知症だ。私が大学生の歳になる頃には大分症状が進んでいて、一人で買い物に行こうものなら帰り道が思い出せなくて家に帰れなくなり、警察のお世話になることもしばしばあった。今はもう徘徊が酷くて一人で外を歩かせることができない。
いつだったか祖母の部屋の片付けをしている時に、あるノートを見つけた。それは病気の症状が出始めた頃の日記のようだった。私の叔母、つまり祖母にとっては娘に言われてつけ始めたものだったらしい。日付はばらばらで、ペンを持つのが覚束ないのか文字は震えている。
『頭の中がおかしい。こわい』
私はその文字を見た瞬間、これを書いた時の祖母の心情を想像してしまい泣きそうになってしまった。祖母の頭の中で何が起こっているのかはわからない。けれど、そのノートの文字がすべてを物語っているように思えた。そのうち書くことを忘れてしまったのだろう。日記はたった三ページで終わっていた。その中の一ページには祖母の名前が2つ書いてあった。ひとつは書きかけ。途中で諦めてしまったのだろう。祖母はもう自分の名前を書くことも難しい。祖母と共に暮らしていたため、大学を辞めてからずっと近くで祖母を見ていたのは私だった。
祖母はいつも外を歩いていた。最初の頃は気にもとめなかった。ただ外を歩くの好きだなとしか思っていなかった。祖母が家に帰る道を忘れたと言って近所の人が祖母を家に連れて来た時は衝撃を受けた。近所を歩いていただけなのに、帰り道を忘れるなんてあるのだろうか。祖母は家に帰る方法がわからなくなった。トイレの場所もわからなくなった。トイレに行くことさえ、忘れるようになった。
歯磨きも忘れ、風呂に入ることも忘れた。
「私はもうだめだわ」
祖母は口癖のように言う。
「死んだほうが楽だわ」
ある時、真夜中に祖母が起きだしていつもの弱音を吐き出した。私は「死にたい」という祖母に「そうだね。死んだら楽だね」と同意した。私にもそんな風に思う頃はあったし、祖母の現状を見てもそうかもしれないと思っていた。だから「一緒に死のうか」と言った。すると祖母は「あんた死んだらどうするの。いかんがね」と返してきた。私は驚いたけれど、「そうだね。死んだらいかんね」と頷いた。私はその場に泣き崩れた。
「あんたは大事な子だで」と祖母は言った。それからは「死ぬ」とは言わなくなった。死ぬということがどういうことかちゃんとわかってるんだねと私は思った。
「死んだら、いかんよ」
祖母は「死にたい」という言葉を「生きたい」という意味で言っている。と母が言った。私も今はそう思う。祖母は色々間違える。言葉も、行動も。はっきり言って無茶苦茶だ。わからなくなったことはたくさんある。けれどちゃんとわかっていることもある。間違えることを恥だと、普通じゃない行動を恥だと思うのではなく、ちゃんと理解してあげることができたならそれはお互いにとって良いことだと思う。
「おばあちゃん、私のことわかる?」
「うん。わかるよ」
たとえ名前を呼んでもらえなくても、わかっているならそれでいいと私は思っている。生きていてくれてありがとう。おばあちゃん。(完)