「ギャラリーのある湖畔」 真伏善人
ある日のこと、古本屋を覗いていたらひと昔前、深い興味を持って読み漁った著者の本が目に入った。タイトルは「山とお化けと自然界」。三十数年前だろう。引きずり込まれるようにページをめくり、我もこのような経験をしてみたいと、ちょっぴり興味以上のものを持ってしまった。著者の目的とすることを真似ることはとてもできないが、雰囲気だけでもと近郊の山を一人で登っていた。用意周到、勇気、決断。挑むでなく山に教えを乞いながら、一歩一歩地を這うように進みながら楽しむのである。と、そんな理解をしながらである。
近郊の山にはそれなりの難儀と満足感があった。そこには不思議なこともあった。下山途中で右の道脇でかがんでいる人が突然立ち上がり、十メートル程先を横切って消えたのである。あれは動物だったのかと考えたが、紛れもなく振り向きもしなかった二本足。山にはやはりお化けがいたのだった。そんなことにも遭遇したが、いつの間にか山岳情報を見聞きするようになり、足は自然と高い山へと移っていった。それは著者の指摘する人間の多さであり、頂上を極める行列には閉口した。ならばと交通の便が悪い南アルプスに足を向けたが、すぐに仕事の関係で山から遠ざかるをえなかった。
それから長い年月が過ぎて、あの本に巡り合うのである。もう会社はいかなくてもよかったが、それに伴って体力も気力も衰えていた。せめて著者の近況やまだ読んでいなかった書物などを知りたく、ネット検索してみると、なんと著者の記念館があるという。ギャラリーには数々の展示品がありカフェまでも。これは何が何でも足を運ばなければと、長野県大町市までは電車で行くことに決めた。元農水省の室長であり探検家でもありその他いくつもの肩書のある先生が選んだ場所のギャラリーに、ただのファンが車で乗り付けていいものかと思ったのである。
早朝に家を出、名古屋発の「特急しなの」に乗り、松本でローカル線に乗り換える。昼をいくらか過ぎて目的地の駅に着く。無人のホームに降りてたたずむ。目の前の田んぼは黄金色。その向こうは水を湛えた藍い湖。それを抱くように里山たちが取り囲む。見とれてはいられないとホームを離れ、歩き始めると湖畔に屋敷林と思われる木立が見える。近づくと木の影にかくれるように記念館の立て札。呼び鈴を押すと管理人の女性が迎えに出る。まずは椅子に腰を下ろし、ちょっと遅い昼食とコーヒーをおいしくいただき、それから館内を観て歩く。氏の世界を巡った足跡を示す展示品が地下室から二階までぎっしりと並び、登山用具、携帯品などは染み込んだ氏の汗や息遣いまでが感じ取れた。多くの著書から絵画、蝶の標本に至っては驚くほどあって、食生態学者の意外な面を見る。中でもパプアニューギニアでの、土着民に関するコレクションなどは興味深く見入った。来館者は唯一人で、気を散らすことなく拝観できたことは幸運であった。最後に業績を収めた記念誌を購入してギャラリーを後にした。帰りの電車までには一時間以上あった。
西にはアルプスの裾山と里山が穏やかに連なっている。湖畔を散歩すると名も知らぬ小さな薄紫の花が可憐だ。真っ赤な胴体の赤とんぼ、目をむき出しにした青糸トンボが、傾き始めた日差しを受けて休んでいる。それでは我もと広葉樹の下に腰を深く下ろして、きらめく湖面を眺める。こんなしあわせがどこにあろうか。すでに他界されていた先生は、選んだこの風景をきっと今日も目を細めて眺めているに違いないなあ…などと勝手に想って、そこにある空を見上げたのである。 (了)