「 困ったナ 」   山の杜伊吹

 自分と関わり合った人には、決して自死の道は選ば
 ないで欲しいと願う。  
 残された者の悲しみは、深い。  
 涙の海に溺れる。  
 けれど、自分は考える、死んだ方が楽になれるので
 はないか、と。  
 先立たれるのは嫌だけど、先に逝きたい。  
 なんとも身勝手な思いだ。  

 鏡に映る自分の顔。  
 シワが3本、6本、と倍々に増えていき、その溝は
 年々深くなっている。  
 まぶたは垂れ下がり、まつげはまぶたの脂肪に埋も
 れている。  
 目の下には、老け顔を強調するクマが、ずっと消え
 ない。  
 髪の毛もそうだ。  
 白髪を1本発見して衝撃を受けたのはついこの前。  
 それが3本に増え、6本になった。  
 次に三面鏡で見るときは、何本に増えているのだろ
 うか。  
 とても直視出来ない。  
 声はしわがれてきて、カラオケで高音が出なくなっ
 た。  
 他人に年齢を聞かれなくなり楽にはなったが、想像
 力を巡らせる相手の様子に申し訳なさを感じる。  
 これが現実だ。
 
 今年は2つの試験に落ちた。  
 それに加えて、別に確定していた就職の道がドタキ
 ャンを喰らい、ブラック企業で使い捨て同然の仕事
 をしている。  
 精神的にも肉体的にも限界に近いが、唇を噛み締め
 て耐えている。  

 実家のコメは不作で、ウチには一粒も回って来な
 い。  
 祖母は少し惚けてきた。  
 古着屋で見つけた200円の服を着ている。  
 クリスマスプレゼントは、買っていない。  
 クリスマスケーキは買えるかな。  
 幸せそうな人を見ると、死合わせそうな人はいじけ
 虫になる。  
 それがますます自分を人生の表舞台の隅っこに追い
 やり、一歩も外出したくなくなる。   
 着ているものが違うよ。  
 1万円のアスタリフトを使えばもう少しましになる
 のかもしれないな。  
 メンテナンスには銭がかかる。
 
 願わくば引きこもって、誰にも会わず過ごしたい。  
 この老いぼれていくいじけた自分を、誰にも見せた
 くない。  
 不幸せは自分の心にあるというけれど……これが不
 惑?
 
 人生はいつも幸せを探す旅の途中さ。  
 好きなお菓子を食べているとき。  
 子どもが100点取ったとき。  
 子どもが逆上がり出来たとき。  
 子どもが料理を美味しいと言ってくれるとき。  
 子どもが、お母さん顔にぽつぽつがあってもきれい
 だよと世辞を言ってくれるとき。  
 懇談で、子どものことを先生から褒められたとき。   
 ディズニーランドとシーに行ったとき。  
 家の床暖房が暖かいと思うとき。
 
 幸せを感じられるときは、きっとたまに少しあ
 る。 (了)