「良い手わるい手」 伊神権太
人生、モノの持ち運びに限らず、いろんな意味で大切な【手】がなくっちゃあ、生きてはいけない。よい面では優しさのあふれる「手とり足とり」から「手当て」「花を手向ける」などホンワカと温かい〈手〉があれば、緊迫したり緊張したりした時には「手に汗握る」や「手につかない」とも。「手みやげ」や「手料理」が日本文化の象徴なら、一方で「手を汚す」「手を焼く」など事と次第によっては、犯罪にも手を染めかねない危険な言葉に変身してしまう。人間だれしも、そんな〈手〉との二人三脚で生きている。
ことほどさように【手】とひと言でいったところでさまざまな〈手〉が、この世を闊歩しており、人間たちは、そんな〈手〉たちに翻弄されつつ、それぞれの道を歩いていくのである。そこには、手痛い失敗の〈手〉があれば、壁となって立ちはだかる〈手〉も珍しくなく、時には落とし穴にはまり立ち上がれなくなるなど、油断できない事態に翻弄されることも珍しくはない。
実際、握手して心から親愛の情を表す〈手〉があれば、実はにせもので笑顔で〈手〉を差し出しこそするものの、表面的なもの(これは選挙などで遊説中のハチマキ姿の候補者にしばしば見られる)、さらには〈こんな手を使ってみたらどうか〉といったような策略を意味する〈手〉などいろいろある。
というわけで、〈手〉はなかなか気を許せない、不気味で一つ間違えば互いの信頼関係が破談となりかねない、そんな危ない存在ともいえる。【甘い手】に乗っかり、うっかりすれば人生の行く手にさえ黒い暗雲が垂れ込める。心の片隅で【悪い手】に騙されないで、と叫んでいるのは私だけか。人間、生きている以上、皆多かれ少なかれ【手】を使って生きているのである。
【手】と聞いてピンとくるのは、落とし穴といったらよいか。罠だ。私自身、かつては切った、張った、の世界を生きるブンヤ稼業(新聞記者)という職業柄もあってか。何度もド壷に嵌まる寸前までいき、危ない橋を渡り続けた。暴力団の覚せい剤密売に始まり、長野富山連続誘拐殺人、大韓機撃墜取材…など。実際、第一線時代は、なんども、その落とし穴の〈手〉に落っこちそうになった。
覚せい剤密売では担当デカの自慢めいた大げさな話を信じてしまい、赤いトンボめがねの女による連続誘拐では単独犯を共犯と報道し続け(他マスコミも同罪。ただ私一人が周辺取材などから女の単独犯を強調し続けたがデスクに受け入れられなかった。この真実は私自身、今も内心で自らの取材力の確かさを自負している)、大韓機が撃墜されたオホーツクの海では本社航空部員に片肺飛行を知らされないまま上空取材を続けるなど、どれもこれも一触即発のなか厳しい日々がつづいた。
【手】による災いは、それにとどまらない。これも、ある面では手を誤ったといってよいのかどうか。自分では「良かれ」と思って取った強い姿勢が誤解を生み、多くの大切な人々が私を見限って私の元から離れていったことも事実だ。風の盆恋歌の町・越中八尾では生涯の友だったはずの女性が、私の泊まったある宿に他の人も泊まっていた、というそれだけの誤解から、私の元から去って行った。ほかにもそうした話が降っては湧き、湧いては消えた。
ことほどさように【手】の存在は怖く、かつ魅力的だといえよう。そういう私自身、結婚後はずっと【妻の手のなか】で泳がされてきた。良きにせよ悪しきにせよ、今こうしてあるのはそのおかげだと感謝している。最後に手酌でもしながら他の【手】をここに列挙すると。
――手練手管に長ずる、手に余る、手勢、手を打つ、手もない、手立て、手ぐすねを引く、手ごわい、手にあまる、手が速い、手がつけられない、手が届く、手が離れる、手に掛ける、手を切る、引き受け手がない、手鏡、手製、手ぬるい……。
まさに、波乱万丈の【手たち】がそこには横たわっている。そんな〈手〉を、生かすも殺すも、それは自分自身か。 (完)