「田んぼ」 真伏善人
気象庁の梅雨入り宣言があっても、いっこうに降らない雨。何日経っただろうか。夜明け前から怒涛の大雨。いくら遅れたからといって、こんな降り方をしなくてもいいのにと窓の外に目をやる。予報士と、農家の人とカエルたちはさぞやほっとしたことだろう。
地面を叩く雨を見ていると、何気なく田んぼの様子を見たくなった。
朝食を終えてから傘を手に外へ出る。バチバチッと叩きつけるすごい音。五分ほどの所にある住宅地の近くに、三十反程の田んぼがある。ワイパーを最速にしても前が見づらい。西の幹線道路に向かう市道と並行する用水路までの間にある、この田んぼを区切る農道に車を停め、横の窓から青い風景に目を遣る。田植えが済んでから間もないと思える濃い緑の苗は、大粒の雨に叩かれて揺らぎ、折れそうになりながらも懸命にこらえている。
感心しながら右の田んぼ左の田んぼと、飽きることなく目をやっていると次第に雨が小粒になってくる。するとどうだろう。苗の列間の水面に波紋が綺麗に生まれ、静かに消えていくではないか。こんな時、こんな所に思いもよらぬ孤独な光景があるのを一人じっと見ていると、胸にそっと何かがこみ上げる。
田んぼといえば、今でもはっきり覚えている。あれは小学生のころ。家は和菓子の製造を生業としていた。といっても、周りからはせんべい屋と言われていた通り、それが主であった。終戦後に親戚を頼って疎開し、雨露をしのげれるだけの掘っ立て小屋で商売をしていたのだった。自身はその辺りで生を受けたらしいのだが、小学校に通い始め、何年か経つと早、家業の手伝いを強いられていた。そんなある日のこと。どうしてそこにいたのかは今でも分からないが、農家の人たちが田植え前の田んぼに入って泥だらけになっていた。そこには中学生たちもいて、立ったままでいるのが気になったのか、いきなり手招きをして入ってこいという。
モジモジしていると、ズボンを巻くって早く入れと声を強くする。言われるがままに横にした長い板を、廊下の拭き掃除よろしく、一緒に田んぼの泥をならしていく。膝まで埋まり、抜き差しがきつく、掃除のようには進まない。へとへとになって田んぼから上がると、もう全身ドロドロ状態。家へ帰ると母は目を剥き声も出ない。訳を聞くわけでもなく泥だらけの服を脱がせ、やれやれだねえと顔をしかめた。あの出来事はせんべい屋の手伝いに疲れていただけでなく、心のどこかに田んぼへのあこがれが隠れていたのかもしれない。
それにしてもこの頃の気候の極端さはどうだろう。空梅雨かと思わせて、いきなりこの豪雨は余りにもひどく、人命さえ軽々と奪ってしまう。梅雨の時期は梅雨らしく、しとしとと大地に滲みこむように降ってほしいのは、決して人間だけではないだろう。
今度は、らしい雨の時を見計らってちょっと足を延ばしてみようかと思っている。 (了)