「梅雨の頃の思い出」 眞鍋京子

 梅雨の頃になると浄徳寺の前庭は見事な「あじさいの花」の花飾りになる。まん丸い手毬のような赤い花弁は一つ一つが大輪の様に見せつけられる。この花の中心の白い雌蕊は、白く夫々の花の色を作る。どの花瓣を見ても一個の花に見え、それが一つの花を作る。淡紫、紫、藤色、淡いピンク色、十糎余りの色とりどりの手毬の塊は見事である。
 抑(そもそも)、浄徳寺の「あじさいの花」は、徳勝和尚が千団子祭に行って苗を買って来たのが始まりであった。
 妻の道子は
「貴方、そんな草花のようなもの、買って来て、よう育てはるのでしょうか? お寺の用事やお参りだけでも忙しいですのに――」
 道子に言われても徳勝は頑と引き下がろうとせず
「お前に手伝ってもらわなくても自分で育てて見せるわ」
 意地もあって檀家のお参りから帰っても先ずあじさいの鉢のところへ行く。どうにか一冬は過せた。春になって新芽が出て来た。二年後には紫や、淡桃色の花が開いた。徳勝和尚の喜びようは一通りではなかった。

「真心を込めて育てていったら、植木もその心を知ってくれたのよ」
 二、三年経って株分けも出来、花も少しずつ違う色のが咲き出した。
 徳勝和尚は年々花の数々も増えていくのを心の慰めにしていた。
 浄徳寺は京阪電車の線路脇を少し離れた所にあるので電車の窓からもその風景がよく見える。電車の運転手も速度を少し緩めて走ってくれることもある。その時、子ども達は「あじさいのお寺が見えてきたよ」とはしゃぐ。
 息子が大学を出て得度の資格を取り、一人前の僧侶になったとき、息子を仏間に呼び出し「おまえも一人前の僧侶になったから、これからは住職としてこの寺を守っていってほしい。何時までも親の脛かじりをしていては心のある坊主にはなれない。それに、儂が育てた『あじさいの花』全部を譲り渡すことにする。枯らさんように今より色々な花を咲かせておくれ。それがわしの願いじゃ。檀家の人達も花の成長を見て浄徳寺の弥栄を喜ぶことであろう」
 お寺の住職を受け継ぐだけでも心の痛みと責任の加わることであるが父の今までの業績と苦労を推しはかると断ることも出来ず「お父さま。僕の力でやってみましょう。どうぞ、見ていて下さい。お父さまより立派なあじさいの花を咲かせ寺の見せ物にしたいと思います。陰からの指導をお願いいたします」
 息子の言葉に徳勝和尚はほっとした。寺を継ぐということは並大抵のことではない。浄徳寺は第十八代の歴史を持つ由緒ある寺である。お盆には倉から出された立派な掛け軸や名画を見に訪れる人々もいる。虫干しの時期は檀家の人たちもお手伝いで大忙しの日中を送る。息子の全体の心配りを徳勝和尚は陰から見て先ず安堵したのである。
 寺の前のあじさいの花も年を経る毎に増えてくる。

 息子も結婚し子宝に恵まれた。
 小学校三年生の社会科の宿題で家の廻りの花を調べる。孫の担任は、浄徳寺のあじさいの美しさを知っていたので社会科学習として浄徳寺へかけ合った。丁度あじさいの盛りの時期に重なったので徳勝和尚は喜んで受け入れ、少人数ずつ細かい説明をしたあとで「温かい気持で花を育ててください」と結んだ。
 徳勝和尚は米寿を越すまで長生きをした。
 告別式には仏壇いっぱいにいろいろのあじさいの花が供えられた。ちょうど梅雨時のあじさいが盛りのころに徳勝和尚が亡くなったのは、徳勝和尚の人格の賜物であった。(了)