「青春奔走」  黒宮涼

 子どものころ、私は青春に憧れていた。漫画やドラマを見ているとそれはとても違う世界のようで、輝いて見えた。
 中学で不登校になるとその憧れが自分にはもう永遠に来ないものと思って絶望した。自分にはもう青春など無縁なものだと思った。けれど今思うと家にこもっていたあの日々も、ある意味では青春の一部だったのかもしれない。あのころ。悩んで葛藤して泣いて、それを繰り返した。
 母の仕事が終わってから学校へ行き職員室で勉強を教えてもらったことがある。まだ部活動で残っていた生徒がやってきて、不思議そうにこちらを見てから用事を済ませて出て行った。真っ暗になった理科室で、一部だけ電気をつけて薬品の実験を先生や母と一緒にやった。テスト週間中、一人だけ別の教室でテストを受けた。相談室登校をしたこともある。そのころ教室で一緒に過ごした相談室の先生は、授業では習わないようなことをたくさん教えてくれた。卒業式には校長室で卒業証書を受け取った。普通に学校へ通っていたら、そのどれもが体験できなかっただろう。
 高校でも不登校になったときは一年休学して更生施設に入った。そこでの青春もかけがえのないものだと思う。最初の頃はたくさん泣いて苦しかった。けれど農園で野菜を育てたり山奥で鶏を育てたのはいい思い出だ。楽しかった時期も確かにあったのだ。その中でも友だちができたこと。本当はいけないけれど、恋をしたこと。その二つは私の大きな糧になった。卒業までの最後の三か月、八百屋さんで働いた。お金はほとんどもらっていない。怒られもしたし泣きそうになったことは何度もあったけれど、いい経験になったと思う。
 その後の高校生活はドラマのような青春だった。皆と同じように授業を受けて勉強して、運動で汗をかいた。嬉しいことがあると馬鹿みたいに騒いだ。つらいことがあれば泣いた。
 大学は中退したが、それもまた青春だったと思う。祖母や姉の子どもの世話をしたり、夫と出会って結婚した現在も言うなれば青春だと私は思っている。相田みつをさんの言葉を借りるなら、「一生勉強、一生青春」である。人生は青春の連続だと思う。青春は人ぞれぞれだし、何が起こるかわからない。あの頃ストーブの前で膝を抱えて先の見えない人生に、恐怖で怯えていた私へ。青春小説を読んでこんな青春は自分には訪れないと思っていた私へ。それも青春なのだと思うよ。
 このエッセイを書いていて一つ気づいたことがある。施設にいたころ、ログハウスの裏にある池の前で、「声出し」と称して相田みつをさんの詩集にあった言葉を大声で読み上げるというのがあった。当時は何故「詩」なのかわからなかったけれど、ちゃんと意味があったのかもしれない。こうしてしっかりと詩が私の中に根付いているのだから。まさに「一生勉強、一生青春」だ。(完)