「ラブレター ひ・み・つのアタイ発」 伊神権太
これは、あなたへのラブレターです。
あなたが歳を重ねれば重ねるほど、だんだんと好きになっていきます。あなたの過去を思えば思うほどに、です。なぜだろう。あの日々が目の前に温かく浮かんできます。そして。だんだんと。より深く、好きになってしまう。
たかちゃん! 小学2、3年のころ。あなたは税務署員、いやマルサの男だった父さんの転勤で静岡県の掛川にいたころ。ガキ大将の〝銀坊〟に連れられ、上半身ハダカになって竹でこしらえた手製の弓矢と棒切れを手に、よく野山を駆け回ったものですね。あのころはホントに真っ黒けで〝黒んぼ〟〝黒んぼ〟って。みんなにそう呼ばれてた。全身が太陽の子だった。
ある日。そんなたかちゃんばかりを番長格の親分・銀坊がかわいがって歩くことにひがんだ上級生3人に囲まれ、下腹部を順々に膝で蹴られ、痛かったのなんの。死ぬかと思った。あの時は「どうしてくれるのだ」と、まだ若かった父さんが3人の加害少年宅を順々に訪れ、すごい剣幕でどなりこんだ。親バカ丸出しの父さんを見て嬉しくなったことを覚えている。
上級生になった君は、そろばんが滅法上手で誰よりも早く1級を取得。なかでも6、7桁の読み上げ暗算となると敵なし、いっつも一番。そのたびにトロフィーやら賞状をもらってきたよね。父さんは、そんな晴れ姿を目の前に「おまえほど頭の良い子はいない。この世でイッチバーンだ」と本気で言い、母さんまでがつられて「この子は文も上手よ。いつになるかは分からんけど、きっと天下を取るよ」と。父さんに負けじ、よく言ったものだ(その割りには、秀才の兄坊と妹カズヨに比べ成績は悪かった。でも、あのころは能ある鷹は爪を隠す―でいたのかもしれない。今だって、そうかもね)。
この際だ。アタイ、たかちゃんのこと思うまま書かせてもらうよ。
中学生になったあなたは、なぜだか柔道部に入り稽古の虫に。なんと中3で講道館柔道初段をその中学では初めて取ってしまった。高校に進学し「これから」という時にこんどは稽古のさなかに相手に捨て身小内をかけられ右足を複雑骨折。ほぼ一年棒に振ったが、2年になると親の猛反対をモノともせずまたまた柔道を始め、二年に二段に。そして大学に入学後も柔道の虫となり三段を取得。オールミッション学生選手権では優秀選手賞にも輝いた。ほんとにそのちいさなからだでよくやったな、と感心したものだ。
その後、秀才ぞろいの友だちの誰ひとりとして受からなかった、新聞社の試験にパスし、新聞記者になったまではよかったが。それこそ流転の記者生活で花も嵐も乗り越え、よくやってきたネ、と。おまえを見続けてきたアタイは、本気でそう思っている。思い出せば、こんなこともあった。
その大学の〝ブルース・リー〟とまで言われた学生時代。仏文科の女子大生を学生ホールまで呼び出しラブレターを読み上げた。入社後、名鉄百貨店でバッタリ会った高校時代の後輩(彼女は名鉄自慢のエレベーターガールだった)にもラブレターを直接出すなどした。どちらも命をかけての大一番だったが見事にひと言でふられたよね。アタイ、よく知ってるのだから。本命は今も一緒の舞子さんで、松本から志摩に転任してまもないその日から、いきなり始まった駆け落ち記者生活。あのころは森進一の【襟裳岬】が大ヒットしていたころで、あなたにとっての〝襟裳岬〟は、鵜方の志摩通信部だったんだよ。
駆け落ち記者でハメを外したあなたには、その後も多くの出来事が降っては湧き続け、アタイはそのつどハラハラドキドキして見守ってきた。松本、志摩、岐阜、名古屋(小牧含む)、能登、大垣、大津、一宮……と行く先々で。最近では地球一周の船旅の船上でも多くのドラマがあったよね。むろん、女性との話となると恥ずかしくて。これ以上は、あなたを守るためにも無言を貫かせていただきます。
では、ここいらで―。 (完)