「病の人生」 真伏善人
さて、病の心当たりはと、思いを起こしていたら何と己が病の人生を歩んで来ていたのだった。
まずは身体の病である。
義務教育を終え、裏日本の下越から表日本の名古屋へ生活の場が移った。気候には恵まれて満足していたのだが、欠かすことのできない食事には苦労した。水が変わればなんとやらと言われるが、その何とやらが苦痛で、もう逃げ出したくなった。この地に就職してこれからだというのに、まさか食事なしで生きていけるわけがない。無理やり喉を通して腹に押し込んだ。そんなことを続けているうちに身体が我慢できなくなり、倒れるようになった。
これではと、考えたのは食べられるものだけ食べればいいではないかと開き直った。そうして食事をしていたがやはり体調はすぐれない。寝込むほどではないがきつかった。それでも仕事は休むわけにいかず、苦しい生活は続いた。もともと細身だったので目立つこともなく、我慢も慣れていくようだった。
しかしである。年齢を重ねていくと、待っていたのは酒であった。先輩に誘われるがままに飲み歩き、時には酔いつぶれて道端に寝転がってしまったり、引きずられながら帰ると門限は、とうに過ぎていたということが幾度もあった。酒に呑まれていたあの時代は確かに病んでいた。
そして心の病である。
時が過ぎ、後輩に誘われて渓流へ釣りに行くようになっていた。いつものように源流近くまで行くと、小さな山が現れる。全く釣れず竿を置いて目前の小山へと昇り始める。不思議なもので、頂を見上げると呼んでいるように思え、どんどんと手足を使って上り詰める。良い眺めに満足していると、下から後輩の声が上がってくる。早く下りてこいとの合図だ。転がるように斜面を駆け降りる。魚は釣れなくてもこの満足感がのちに取りつかれる山登りであった。
名もない小山から始まり、この地方の名のある山へと足は延びた。できれば一人静かに歩きながら、山のつぶやきを聞きたかった。だが、なかなかそんな山登りには出合えない。そのうちに、名のある山へと足が向いてしまい、とうとうアルプスへの登山となってしまう。
しかし、ここで致命的な事態が起きてしまう。ある日職場で上司から手招きされて、個室で言い渡されたのは転勤であった。しかも関西方面への異動であった。目の前が真っ暗になった。山登りを生きがいとしていた生活がひっくり返され、呆然とした。単身赴任先で近くの山に足を向けてみたが満足できるはずもなく、登山はここで幕を閉じた。この転勤で少しは冷静に物事を思うようになった。病に取りつかれたような山登りに終止符をうったのだった。
はや老齢になろうとしている。そろそろ終活をと、狭い部屋の片づけに入ると、棚の奥から折りたたんだ地形図が驚くほど出てきたのである。思わず声を上げてしまった。見ていると、むくむくと血が湧きあがってくる。さあこれをどうしようと考えてしまう。
ふと浮かんだのは、これまでに登った山に印をつけて眺めてやろうと思ったのである。中部地方の地図をつなぎ合わせて色付きシールを貼る。増えていく印に気持ちがついていく。ようやく終わり、数えてみると五十一の印がついた。「これでよし」、ひとり頷き、にんまりした。
あれから随分年月が過ぎた。何だか、次の病気がそろそろ始まっているような気がする。(完)