「恋煩い」とコロナ禍 伊神権太

 私の場合。これまで歩いてきた先々での【病(やまい)】といえば、そのつどひそかなる心にとめた相手を思い、慕う気持ち。これを【恋】といえるかどうかは分からないが、一種の【恋煩い】とでもいえようか。過去、静かに思いを寄せた相手となると男女に限らず一体何人になるだろう。随分、多くの方々と楽しく時には危険をはらんだ、それこそ、ひとさまが聴いたら「えぇ! そんなこと。ホントにあったの」と顔をしかめられそうな、とてつもなくショッパイ味のする道である。これは人間、誰とて言わないだけで生きている限り、同じかもしれない。
 というわけで、私を巡る恋歌が出来ても決しておかしくはない。かつて遠い昔に、私の依頼で能登半島を舞台にふるさと音楽家牧すすむさん(「熱砂」同人。琴伝流大正琴弦洲会の会主、大師範)が作曲してくださり一時期、土地の町長さんが公用車で移動する際などにテープを聞きながらよく口ずさんでくれた歌と同じ【さよなら橋(作曲・牧すすむ、歌・岡ゆう子、ビクター)】のパート➋とでも名付けようか。

 いやはや、私にとっての恋煩いは、地方記者として行く先々で、それも出会いと別れの途上で寄せては返す波のうねりの如く繰り返し起きたり消えたりしたものだ。それだけに、どこまでが本当なのか、が分からない。仕事柄、当然、離別は必定で引き離されざるを得ない自分自身が少しかわいそうだったような、そんな気もする。今だから告白できるのだが。貴重な取材源でもあり、いつも内緒で誰よりも最初に事件発生を教えてくれた最寄りの警察の電話交換手に始まり、志摩の海女さん、女護ケ島(渡鹿野)の女性たち、真珠王・御木本幸吉の懐刀だった漁協組合長とそのお孫さん、土地を代表するミス(ミス和倉温泉など)や泣く子も黙る女傑新聞販売店主、旅館の女将、着物着付師、全国最多選の女性町長から作家、舞踊・生け花のお師匠さん、さらには日本画家、エッセイストに歌手、社員食堂スタッフ。ほかに居酒屋のママさん、マルボウ崩れの男まで。
 それこそ、多くの方々のあの顔、この顔が浮かび、随分と横着で楽しい幸せな時代を過ごしてきたものである。実際、社会人になって間もなく出会った女性をはじめ、多くの方々に可愛がっていただき、そんな心情につい魅かれたこととなると数え知れない。能登・七尾ではバレンタインデーになるとは、【夢をあきらめないで】といった送り主不明のカセットテープなど決まって贈り物が届き、心ときめいたものである。かつての任地の女性(書家)が転任地まで訪れ、ドライブを楽しんだ日も今は昔の思い出となった。
 ほかに、越中おわら風の盆の町・八尾では一時期、訪れるたびごとに何かとお世話になった女性がいる。大垣から大津に転勤したその日に、ある女性から紫のかれんなカトレアの生花が届き、あの日の感激は今も忘れられない。私は在任中の三年余というもの、帰宅するつど毎日、このカトレアの根っこにコップに半分の水を与え続け短編小説「くひな笛」を書きあげたのである。最近では、地球一周の船旅ピースボートで知り合った方との縁も忘れられない。これらは全てもはや忘却のかなたか。いやいや、私の中の恋煩いは生きている限りまだまだ収まりそうにない。

 いま、この世は、日本はおろか世界中が見えない敵、新型コロナウイルスによる【コロナ禍】のただなかにある。これとて大きな病、地球の病気といってよい。もしかしたら、このまま人間が滅びるかもしれない。だが、しかしだ。私たちは、こうした時にこそ、めぐりあった互いのご縁や絆を大切に生きてゆかねば、と思う。そのためにも互いを思いやる恋煩いなら、どんどんしてよいと思う。そして。力強く生きていく。今こそ、人が人を励ましあって前に向かって歩んでいく。それこそが、何よりの特効薬だ。人間には、互いに互いを思いやる、病魔を追放するやさしさと知恵がある。どこまでも。そう信じて-(完)