一匹文士、伊神権太がゆく人生そぞろ歩き(2022年2月~)
2022年2月26日
土曜日。ことしはことのほか寒くて風の強い日々が日本中で続いたが、きのう辺りから春のあたたかな陽射しのようなものが感じられ、どこか浮き浮きする。たつ江。舞。まいよ、マイ。おまえは、元気でいますか。しあわせでいますか。
昨夜遅く。いや、けさ早く。私はふと思い立ち自分の一匹文士ごんノート<泣かんとこ マイロード>に、こうメモっていた。
【みんなの山
みんなの川
みんなの海
そして
みんなの空を
大切に】
――と。
「山と川、海は、いつだって一緒よ。だから、山が良ければ、川も海もよくなるのだから。山を大切にしなければ」と。そんな、たつ江の口癖をふと思い出したから、である。そしてわたくしは、彼女の言う【山、川、海】に加え、今は、たつ江がいつだって私たち家族を温かく、かつやさしく微笑みをたたえて見守ってくれている【大空】を加えたく、冒頭のようなメモをつづったのである。まさに舞の俳句に言う【秋空に未来永劫と書いてみし】に連動する私、一匹文士伊神権太の短詩なのである。
※ ※
きょう26日付の新聞各紙はプーチンのロシア軍による<ウクライナ侵攻>の記事で埋め尽くされている。【キエフ中心で銃撃戦 ロシア「非軍事化なら協議」 チェルノブイリ制圧】【もう行くところない ウクライナ侵攻 東部逃れキエフ移住 再び戦禍】【プーチン氏「核」で威嚇発言 被爆者「言語道断だ」】といった具合。このうちチェルノブイリの制圧に関しては「ロシア国防省は25日、ソ連時代の一九八六年に爆発事故を起こしたウクライナ北部のチェルノブイリ原発を空挺部隊が前日に制圧したと発表。国際原子力機関(IAEA)は重大な懸念を表明した」とある。記事はさらに「ウクライナのゼレンスキー大統領によると、死者は百三十七人、負傷者は三百十六人、この後、インタファクス通信によると、ロシア国防省はキエフ北西のホストメリ空港を空挺部隊で制圧、ウクライナ側の二百人以上を殺害し、キエフ西側に部隊を集中して封鎖したと発表した」とある。
なんとも嘆かわしい限りである。
銃撃戦を報じた26日付朝刊
(2月25日)
きょうは私の宝でもある、たつ江、すなわち伊神舞子の満70歳の誕生日である。たつ江よ たつ江。心からおめでとう。朝一番で【シロは何でも知っている】の〝シロちゃん〟と一緒に仏壇の前でろうそくに火をつけ、線香をたいて手を合わせ「たつ江。おめでとう。おまえと俺とは、いつだって一緒。永遠不滅だからな。きょうも幸せな1日を過ごすように。俺たちはいつだって。おまえを守っている。だからおまえも俺たちを守っていてくれよな。シロは、ここにいる。元気でいるから。おまえは、おまえの幸せをつかむのだよ」と言ってシロちゃんともども青い空に向かって頭を垂れたのである。
実を言うと、おまえが生まれたのは2月29日だったが、そうなると暦の上では4年に一度しかないので、ご両親が市役所に届け出たのが「昭和27年2月25日だった」。だから、俺は毎年おまえの誕生日がくると、言っていたよな。「おまえは4分の1の年齢で、それだけ若いのだから」と。そんな私に、おまえはいつも嬉しそうに「そうよ。あたしは若いのだから。いつだって、4分の1の人生なのだからね」が口癖だったよね。
ま、何はともあれ。心から誕生日おめでとう。
ことしの冬は爆弾低気圧とやらも発生し、なんだかとても寒くて雪も多い。それでも、このところは梅、ユキヤナギ、菜の花、ねこやなぎ、雪割草、福寿草などが次々と芽吹き、いよいよ春到来を告げ始めている。雪割草といえば、能登半島は門前の鳴き砂の浜まで舞と行き、ふたりで雪の中から顔を覗かせていた、あの雪割草を見た時はホントに感激した。なぜだか、ふたりで顔を見合わせ「この厳しい土地、能登半島で俺たちもがんばって生きていこうよな」って。語り合ったな。あの日々からもう30年以上がたつ。
私はきょう、おまえの誕生日にあらためて誓う。これからも、どこまでも人々の心に迫り、読んでくださる一人ひとりに大きな勇気と希望、元気を与える、そんな一匹文士・伊神権太ならではの文学世界を確立していくことを、である。そのためにも、おまえが今どこにいようが、だ。おまえには、これからもどこまでも俺についてきてほしく思っている。
※ ※
ロシア軍のウクライナへの侵攻は時間がたつに従い、深刻の度を増している。本日付の夕刊見出しは【ウクライナ侵攻 米、ロシア大手2行に制裁 追加措置 EU・G7と協調】【ロ軍 チェルノブイリ制圧 首都迫る】(中日25日付夕刊)【露、3方向から攻勢 チェルノブイリ原発占拠 ウクライナ「137人死亡」】【「プーチンは侵略者」 バイデン氏、輸出規制強化へ】(毎日25日付夕刊)という内容だった。
ほかに【ウクライナの友よ無事で 横浜市 京都市】【日本国内ゆかりの地から声続々 札幌市】(毎日)の見出しには心ひかれた。そして注目すべきは【「プーチンを止めろ」世界各地でデモ 露50都市で実施、1600人拘束】(毎日)の記事である。それによると、ロシアのウクライナ侵攻に対する抗議デモが24日、ロシア各地で相次ぎ、地元人権団体によると、50以上の都市でデモが敢行され、現地時間の24日夜の時点で1600人以上が拘束された、という。
さらに米メディアによると、モスクワでは若者を中心に大勢の市民がデモに参加して「戦争をやめろ」と叫びながら行進。警官隊が相次いで市民を拘束。そればかりか、デモは米国、フランス、リトアニアなど世界各地でも続出。米ニューヨークでは、ウクライナ国旗や「血に飢えたプーチン(大統領)を止めろ」などと書かれたプラカードを手にした人々が軍事作戦の中止を訴えた。
ニューヨークの国連本部前でデモに参加したあるロシア人(28)は「プーチン氏は、政治改革も進めず物価も高くなる一方で、今のロシアには希望がない。プーチン氏の行動を止めなければならない」。これら発言は、こんごロシア内部での亀裂の拡大化が暗示されているのではないか。為政者はダメでも、ロシア市民は懸命なのである。プーチンは、人類はひとつ。地球は運命共同体だということが、なぜわからないのか。権力者になると、ニンゲンそのものが壊れていく良い例だといっていい。
(2月24日)
江南市内のKTXアリーナに出向き、午後2時半から3回目のワクチン接種をしていただいた。昨年接種済みである1、2回目はファイザー製ワクチンだったが、今回はモデルナ製。左腕にチクリと注射針を刺されてあっという間に終わった。息子たちは「ファイザー社製よりも、モデルナの方が副作用が強いから注意してよ」と新しい体温計と薬まで用意してくれたが、夜に入り、入浴後も体調はいつもと何ら変わらない。心配ないと思う。
それはそうと、きょうの夕刊は【ロシア軍ウクライナ侵攻 「南部に上陸」報道 首都にミサイルか】【「断固とした行動を」国連でウクライナ外相 安保理緊急会合】といった紙面で、プーチン大統領による独断ともいえるウクライナ侵攻が大きく報じられている。新聞もテレビも。そんなウクライナ一色の報道のなか、毎日新聞夕刊1面の【83歳、再び「太平洋ひとりぼっち」 世界一広い海 挑みたい】の記事には、どこか救われ、ホッとさせられたのである。
〝堀江青年〟の太平洋ひとりぼっちの旅第2幕がまもなく始まる
夜。NHKのクローズアップ現代「あさま山荘事件の深層 実行犯(吉野雅邦)が獄中から独白」を注意深く見る。あさま山荘事件、すなわち、あの悲惨極まる連合赤軍事件は、私自身、当時新聞社の松本支局員でサツ回りの駆け出し記者だったころに発生した事件である。サツ回りだった私は事件発覚と同時に長野支局に長期出張させられ、警察にしょっ引かれてくる同世代の連合赤軍の若者たちを取材して回っていた。手錠をかけられ長野中央署にしょっ引かれてきた主犯の永田洋子、そして森恒夫らの鬼の形相は脳裏にしっかり刻まれており、未だに忘れることは出来ない。それだけに、この日のクローズアップ現代は感慨深く、画面を注視して、当時の感慨も込めて見続けたのである。
(2月23日)
おまえ、たつ江、すなわち舞も知ってのとおり、俺は現役の記者時代から「忙しい」ということばを聞くのも言うのも最も嫌いではあったのだが。このところは本当に連日、あれやこれやと忙しい日が続いている。
というのは、おまえの残したものを、これまで手当たり次第に探してはきたのだが。おまえ自らが若いころに書いて投稿、新聞にも掲載され、いっとき私がそれこそ、抱きしめでもするように財布か何かに入れ、大切に肌身離さず持っていた【あの詩】が、このところ連日、家中を手当たり次第に引っくり返すなどして〝捜索してはきた〟のだが。依然としてどうしても出てこない。私の貴重な文書書籍類はわが家書庫のほかには大垣の西濃運輸にも長年、預けてあるので、もはやそこに行って探さなければ。それでも、出てこないならあきらめるほかあるまい。とはいえ、毎日毎日、いろんなものが出てくるものである。
なかでも私と付き合いのあった友人知人はじめ、交流のあった作家各氏から私あてに届いた貴重な書簡類など一つひとつが大切なものばかりである。それに、私と舞の履歴書といってもいいその時々の写真となると、どんどん出てくるではないか。これまた1枚1枚が懐かしく、当時の時代が思い起こされる。というわけは。もしかしたら、舞は夫である私に「私たちふたりの過去の来歴」をあらためて知らせるために、こうして私にわざと家宅捜索をさせているのではないか、と。そんなことまで思ってしまうのである。
せっかく、ここまで捜索を続けてきたのだ。いま、しばらく続けてみよう。
それはそうと、きょうは寒いなか、外に出たがったシロちゃんを外に出すと裏庭に行って盛んに一角を両手でごそごそやるので、よく見ると、先代の初代シロちゃんと、そのお姉さんこすも・ここのお墓が雑木に覆われてしまい見るも無残な姿になっているではないか。うっかりしていた。そういえば猫ちゃんたちのお墓はいつもたつ江、おまえがきれいにし花を飾ってくれたりしていたのである。私はこれまでお任せでいたのである。
そのことにシロのきょうの行動で今ごろになって初めて気付いた私は、その場で決断。雑木を払いのけ、お墓らしく一帯をきれいにし、お水も取り替えたのである。舞がいつもしてくれていたように花も飾らなきゃ。私は舞の逝去以降、その悲しみばかりに気を取られ、こすも・ここと初代シロちゃんの墓のことをスッカリ忘れてしまっていた。そのルーズさを私は白狐のシロちゃんに、ものの見事に突かれたのである。ありがとう。シロちゃん。
雑木と草を払って何とか墓らしくなった先代猫ちゃんたちのお墓
おかげで、きょうはその分、執筆や舞の詩の捜索などをすることが出来なかった。仕方あるまい。代わりに衣類の全身に草のトゲトゲガ張り付いてしまい、これらを一つひとつ取るのにそれこそ、それだけで2時間近く、かなりの時間がかかったのである。
(2月22日)
かなしい悲報がまたラヂオニュースで昨日からきょうにかけ、流れた。
橋幸夫さん、舟木一夫さんと共に昭和歌謡の「御三家」として人気を集めた歌手で俳優でもあった、あの西郷輝彦さんが20日午前9時41分、前立腺がんのため都内の病院で死去したというのだ。75歳だった。
西郷さんは私とは同世代である。そればかりか、私は若いころ舟木一夫さんの<高校三年生>や<仲間たち><学園広場><絶唱>など数々の学園ソングに次いで、西郷さんの<君だけを>や<17歳のこの胸に>などを、よく口ずさんだ記憶がある。それだけに、とても寂しい気がし、同時に「俺たちも、いよいよ、そういう齢なのだ」などと自らに言い聞かせたのである。お安らかに。
西郷さんの死を報じた中日スポーツ
それはそうと、きょうは、とても寒い。私のからだがおかしくなったかと思うほどに寒い日であった。長男が、志摩半島は阿児町鵜方(現志摩市)の県立志摩病院で生まれた、記念すべき日でもある。それと、2が続くことから猫の日でもあり、知ってか知らないでか。シロちゃんは、朝からなぜか神妙で外に出たがろうとしない。このほか、この日は忍者の日でもあった。
2022年2月21日
月曜日。第24回北京冬季五輪が20日終わり同夜、北京の国家体育場(通称・鳥の巣)で閉会式が行われ、17日間に及んだ熱戦の幕を閉じた。新型コロナウイルスが世界中に感染するなか、冬季五輪は昨夏の東京五輪に続き、選手らを外部と遮断する異例の「バブル方式」を採用し行われた。今大会は7競技109種目に91の国・地域から2877人の選手が参加。日本勢は最終日にカーリング女子でロコ・ソラーレ=藤沢五月代表(30)=が決勝戦で英国に敗れはしたが銀メダルに輝き、前回平昌大会の13個を上回るメダル18個(金3、銀6、銅9)を獲得、冬季五輪では過去最多を更新した。2026年大会はイタリア・ミラノのコルティナダンベッツオで開かれる。
ここに閉会式の一端を記録として残しておこう(NHKの画像から)
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新型コロナウイルスの方だが20日は日本国内で7万1489人の感染が確認され、前週の同じ曜日に比べ約6000人少ない。死者も158人で200人を下回るのは2月14日以来だという。ただ直近の7日間を平均した1日当たりの死者数は210人で過去最多を更新し、増加傾向を示している。またウクライナ情勢の方だが、先進7カ国(G7)が19日、ドイツのミュンヘンで開かれた緊急外相会合で「ロシアが侵攻すれば、前例のない打撃を与える幅広い経済・金融制裁を確実に科す」との共同声明を出し、警告したという。コロナも、ウクライナも予断を許さない状況下にあるのである。
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(2月20日)
昨夜(19日夜)、テレビで見た北京冬季五輪のフィギュアペア・フリー。私は日本の三浦璃来、木原龍一組(木下グループ)の演技にしばし見とれ、舞が生きていたなら、おそらく目を輝かせて共に見入ったに違いない。叶うことなら、私は青く澄みわたった大空の下で舞と、あのような感じで思いっきり羽ばたいて踊ってみたいーと、心からそう思ったのである。と同時に元はと言えばだ。彼女の勧めで始めた社交ダンスは、これからも続けていこうと誓いもした。
この日。今回の北京冬季五輪注目の〝瑠来龍(りくりゅう)コンビ〟は世界から集まった16組によるペアフリーに登場。大きなミスのない演技で5位の141・04点を出し、ショートプログラム(SP)と合わせ自己ベストの合計211・89点で見事、7位となったのである。この種目では日本勢初の入賞で過去の最高順位は1992年のアルベールビル冬季五輪の井上怜奈、小山朋明組の14位だったという。それだけに、今回五輪での〝瑠来龍コンビ〟の頑張りには心からの喝采を送りたい。いずれにせよ、日本のフィギュア界にひとつの大きなくさびが撃ち込まれたことは間違いない事実だといってよい。
日本の存在感を見せた木原・三浦コンビのすばらしい演技(NHKから)
(2月19日)
土曜日。雨水。きょうも非常に寒い。
おまえ、たつ江。マイ(舞)を思い出すと。また悲しくなる。全身から涙が、ドッとあふれてきそうである。おまえが若いころに新聞に投稿し掲載された、あのときの詩がどこを探しても、なぜか一向に出てはこない。探しても、探しても見つからない。わたしのことは、もう忘れなさいよ、と。そんなふうに誰かが。いや、おまえ自身が私に向かって言っているような。そんな気がするのである。でも、あきらめるなんて。出来るはずがない。
幸い、シロちゃんも息子たちも本当にしっかりとやってくれており、私は心から感謝している。一昨年の6月27日に自宅近くの桃源交差点で自転車ごと転倒し左大腿部を骨折。救急車で江南厚生病院に運ばれ手術、そして佐藤病院へのリハビリ入院。やっと退院できたと思ったら、こんどはステージ4の子宮がんが発覚。翌年早々、江南厚生病院での放射線照射と抗がん剤投与で「治療的効果は大いに得られた」としていったん退院、事後の経過診察に通ったものの結果は思わしくなく、以降は何の因果か。入退院の繰り返しのあげく、その後容体の悪化で10月8日に救急扱いで江南厚生病院の緩和病棟に緊急入院。とうとう15日早朝、帰らぬ人になってしまったのである。
この間、私はおまえ、たつ江すなわち舞の入退院のつど、その強靭な精神力と頑張りに再起を祈り続け、おまえは立派に立ち直ってくれるものと最後まで信じていた。それだけに、おまえに旅立たれた時の衝撃は深く、大きなものだったのである。おまえは、それでも、そんな全身傷だらけのからだに鞭打ち、自ら営むリサイクルショップ「ミヌエット」の七夕祭をやりとげ、私はそのひたむきな姿を見るにつけ、そのつど驚かされた。
今になって思えば、私はこの世で最高の女性と50年近く一緒に生きてきたことになる。私は毎朝。彼女の仏前で手を合わせ「俺たちは永遠に一緒だからな。地上と天空から。互いに互いを守りながら幸せに生きていこうね。シロちゃんも、息子たちも元気でいるからな」というものである。
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けさの新聞の見出しは1面硬派と二社面が【名古屋市や中核市感染者ピーク過ぎたが 「7日間平均」減らぬ愛知 県所管分形上遅れ響く】【ロシア、大規模軍事演習へ ミュンヘン安保会議 ウクライナ議論】【北京五輪2022 カーリング日本銀以上】【空泳ぎへ準備中 郡上本染】。それに社告の【ゴッホ展-響きあう魂 ヘレーネとフィンセント 2月23~4月10日 名古屋市美術館】【響きあう魂 ヘレーネとゴッホ㊦危機乗り越え大望実現】といったもの。
そして軟派は【演技後コーチがワリエワ叱責報道 絶望的な追い打ち】【氷上支えたフィフスの目 最年長メダル確定 カーリングの43歳石崎 ジャンプ葛西を超える】【堀島帰郷「銅取ったよ」 岐阜・池田町で報告】【身寄りない13人火葬せず 名古屋市 最長3年、職員を処分】【南知多の商工会 元事務局長着服 10年で1200万円】といった内容で、それぞれ読み応えがあった。
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(2月18日)
金曜日。まだまだ、とても寒い日が続いている。特に、ことしは例年になく寒く、きのう朝のような容赦なき雪降りにも襲われていたが、けさはとても信じられない、そんな気持ちのよい朝である。
私はいつものように朝起きると舞の仏前に手を合わせ、ろうそくの火をつけ、線香を立て、神妙な顔で深く一礼する。そして、ただひたすらに「舞よ マイ。元気でいるか。たつ江! きょうも、よろしく。ナ。俺たちは永遠なのだから。からだを大切に。しあわせでいるのだよ」と声かけをする。傍らには、いつだっておまえが愛してやまない俳句猫のシロ、シロちゃんがいる。
北京冬季五輪の方は、相変わらず日本勢の活躍が目立ち、喜ばしい限りだ。何と言っても圧巻は、スピードスケート女子1000㍍で高木美帆(日体大職)が1分13秒19のオリンピック新記録で金メダルに輝いたことだ。次にフィギュアスケート女子で坂本花織(シスメックス)が、ノルディックスキー複合男子団体で日本がそれぞれ銅メダルを獲得したことか。
金メダルに輝いた高木美帆さん
2022年2月17日
木曜日。午前11時過ぎ。ここ愛知県尾張地方の大地には結構に激しく、大きな雪が朝から降り注いでいる。こんなわけで、外に出たがっていたシロちゃんもなかなか止まない雪降りには、とうとう外出を断念。彼女なりの考えでわが家を上に行ったり階下に降りて来たりし、時折立ち止まって窓辺に目をこらすなどしている。
この日朝、雪は舞が最期の日々をベッドで過ごした部屋の窓辺にも容赦なく降り注いだ
国境沿いにロシアの侵攻もありうる、と世界の目が注目してきたウクライナ。各種報道によれば、16日にXデーを迎えたが何も起きてはいない。有事に備える市民の動きの中で「米国とロシアが互いに仕掛け合う【情報戦ではないか】との見方も出ている。
「これは情報戦争」の見出しが躍った日本の新聞記事
(2月16日)
水曜日。世の中は毎日動いている。そのなかで人々は喜んだり、悲しんだりして、それぞれの道を歩いていく。これが生きる、ということか。この世の全ての人々がけなげにも、それぞれの道を苦しみや悲しみを背負って歩いていかざるをえない。運命とはいえ、酷く辛い道の連続かもしれない。
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けさの新聞報道に【露軍、国境から一部撤収 ウクライナ 米欧と交渉継続】の見出し。それによれば、ロシア国防省が15日、ウクライナ国境に接する西部と南部の両軍管区で一部部隊が演習を終え、撤収を開始したと発表。プーチン露大統領は14日、欧米と安全保障問題で交渉を継続するとしたラブロフ外相の提案を了承していることから関連した動きとみられる。ただ全ての部隊を撤収させるか、は明らかにされておらず、こんごどうなるか。まだ不透明の状態が続いている、という。
各報道を総合すると、ウクライナ国境付近では昨秋以降、10万~15万のロシア軍部隊が集結。ウクライナへの侵攻が懸念されており、バイデン米政権は今週中にも侵攻が始まるとの見方を示してきた。しかし露国防省の発表によれば、西部と南部の軍管区に展開する一部部隊は既に列車や車両への装備の積載に着手しており、元の駐屯地への移動を始めているという。いずれにせよ、こんごの展開に世界の目が注がれていることは事実だ。「戦争などはやるべきでない」というのが、国際世論の常識ではあるのだが。愚かなる人間たちのこと。この先、何をしでかすのか。
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☆ ☆
北京冬季五輪はドーピング違反があったものの16歳未満の「要保護者」に当たることを考慮、スポーツ仲裁裁判所の裁定で出場可能となったカミラ・ワリエワ(ロシア・オリンピック委員会)が15日、フィギュア女子ショートプログラム(SP)に出場。冒頭のジャンプに狂いを生じながらも首位で折り返したほか、男子個人ラージヒル(LH)で渡部暁斗(北野建設)が3位になり、複合日本勢で初めて3大会連続でのメダルを獲得した。さらにスノーボードの女子ビッグエアで17歳の村瀬心椛(ここも)=ムラサキスポーツ、岐阜市・岐阜第一高2年=も銅メダルを獲得。冬季五輪の日本女子では、2010年バンクーバー大会フィギュア銀の浅田真央の19歳を抜く最年少でのメダルとなった。
このほか、スピードスケート女子団体追い抜き(高木美帆・佐藤綾乃・高木菜那)も、最終コーナーの局面で高木菜那が転倒するという、痛すぎるアクシデントに襲われ2連覇こそ逃しはしたが銀メダルを獲得。これで今大会の日本のメダル総数は14個(金2、銀5、銅7)となり、過去最多だった前回2018年平昌五輪を上回ったのである。
北京冬季五輪の数々のドラマを報じた新聞各紙
☆ ☆
(2月15日)
ことしも確定申告を終え、やっと肩の荷が下りた。舞が健在でいたころは診療費や源泉徴収書などの整理や準備は全て彼女にお任せでほとんど頼り切ってはいたが、彼女がこの世から消えてしまった以上、何事も自分でやるしかない。というわけで、このところは申告のために必要な原稿料の支払調書など各種必要書類をそろえるのに結構な日時がかかってしまったのである。それでも何とか終え、還付金も少しだが戻ることとなり、正直ホッとしている。
きょうはこのほか、朝イチで不燃ごみを指定ごみ置き場に持参。地元新聞社発行の生活情報誌に私が書いているコラムのゲラ刷りのチェックなど、バタバタした。これまでだったら、不燃ごみ出しはむろん、確定申告の会場などどこへ行くにも妻たつ江(舞)と一緒に、二人そろって出かけていた。のに、だ。
そして。帰宅してスマホをチェックしたら、一宮支局時代に大変お世話になった支局近くにあった居酒屋の女将さんから思いがけず、ラインが入っていた。「ガミちゃん。御無沙汰しています。私も主人を昨年12月に亡くしました。辛いことばかりです。またゆっくり連絡します。お互い頑張ってやりましょうね」という内容だった。
私は、その文面を見ながら、みんな底知れない不幸に遭い、傷つき悲しんでいるのだーと思い、その姿を想像するだけで胸が熱く痛くなってきた。居酒屋は現在、休業中のようだが、ラインには「がんばれ」の垂れ幕まで付いていたのである。そちらこそ、悲しみに負けないよう頑張ってほしい。
2022年2月14日
1週間があっという間に過ぎ去った。この間、とても寒い日に愛猫シロと身震いする日が何日かはあったが、きょうは目の覚めるような青空が広がった。その昔、ここらあたりの濃尾平野は吉川英治の「新書太閤記」にもあるとおり、織田信長や秀吉(木下藤吉郎)が闊歩したところでもある。その透き通った空の下を、今は一匹文士伊神権太が歩いているのである。この世は、なんとも不思議。たつ江(舞)がいたら、もっともっと楽しいはずである。
一匹文士は、この空の下にいる
北京冬季五輪は昨夜行われたスピードスケート女子500㍍で高木美帆(日体大職員)が自己ベストの37秒12で1500㍍の銀に続いて2個目の銀メダルを獲得。金メダルはエリン・ジャクソン(米国)が37秒04で獲得。2018年平昌冬季五輪で金メダルに輝いたニッポン期待の小平奈緒(相沢病院)は38秒09の17位に沈み、勝負の世界の容赦なき厳しさを見せつけた。
私は相も変わらず愛する相棒、舞(たつ江すなわち伊神舞子)を失った、とてつもなく深い悲しみの海から抜け出せないまま、それでも多くの友人、知人に励まされながら、残された私たち家族全員がそれぞれの仕事に励み、何よりも元気で普段通りの毎日を過ごすことこそが今や、目には見えない魂となって「空中を浮遊する舞の心を落ち着かせ、安心させることだ」と、そう信じ、自らに言い聞かせ、このところは動きが少し鈍くなったかに思える私自身のこころをまるで重戦車でも動かすような、強い気持ちで日々を過ごしているのである。
具体的には新聞社の生活情報誌でのコラム執筆、私が主宰するウエブ文学同人誌「熱砂」での本欄【一匹文士、伊神権太がゆく人生そぞろ歩き】の連載、さらには「脱原発社会をめざす文学者の会」からの月イチの依頼原稿【文士刮目】を、それこそ身を削る思いで書き続けているのである。
そして。そればかりではない。私には(既に出版社にお願い済みなのだが)わが妻、舞の俳句・短歌集と私の小説集の2冊の制作、出版という重要な任務が残されているのである。そして。これらを書きながら「こうしたときにこそ、以前のように舞が傍らにいたなら。いろいろアドバイスをしてくれたのに」と、残念無念に思うのである。
(2月13日)
日曜日。
けさの新聞1面トップは【藤井 最年少五冠 19歳6カ月 王将奪取 渡辺二冠圧倒 全八冠に現実味】で、準トップは【北京五輪2022 小林陵 銀 ジャンプLH いいジャンプできた 森重 銅Sスケート男子500】というものだった。
それにしても、藤井聡太四冠はすごい。史上初の十代での五冠を達成しながらも「(五冠は)実力を考えると、出来すぎの結果。将棋はどこが頂上が見えず、奥が深い」と言っているところが、またいい。その謙虚な姿勢こそ、応援したくなる源なのである。たつ江(舞)が生きていたら「ねえ~え。すごいよね」と私に向かって同意を求めるように言うに違いない。
藤井最年少五冠を報じた中日新聞の13日付朝刊
さて。このところは、確定申告のための各種書類の整理と準備などに追われて、少しバテ気味である。それに、若いころ朝日新聞に掲載された、たつ江(伊神舞子)の詩を探しているのだが。なかなか出てこず苦心している。現在、編集作業が進んでいる彼女の俳句・短歌本に掲載するためだが、一体全体どこに消えてしまったのか。私が現役時代にはいつも財布のなかに新聞記事を挟んで大切に入れていたものだが、転勤が重なるにつれ、どこかほかに入れて保存したようで、それがどこの何なのか、が分からない。
新聞社に問い合わせても「掲載された日時が分からないことには、探すのは無理です」と冷たい返事である。でも、そのうちどこかから、ひょっこり出てくるに違いない。たつ江が相も変わらず、大好きだったカクレンボでもするように私に意地悪をしている。そんな気がしてならない。そのうち出てくるだろう。出てこなければ、あきらめるより仕方ないか。
(2月12日)
知らない街を歩いてみたい どこか遠くへ行きたい 知らない海を眺めていたい どこか遠くへ行きたい 遠い町遠い海 夢遥か……
つい先日のNHKのラジオ深夜便で流れていたジェリー藤尾の【遠くへ行きたい】を聴き、なぜか遠くへ行きたくなった。むろん、舞と一緒になら、それに越したことはないのだが。
そういえば最近、私に【暖かくして、電車でも車でも。知らない街をぶらぶら歩けば何かしら新しい発見があります。春の気配もそこかしこに感じられるでしょう】といった、それこそ心があったまるメールがピースボートの船友仲間から届いた。かと思ったら、カトマンズ在住の友人長谷川裕子さんからも【ごんたさん。住み慣れたカトマンズの町を散歩して歩くことにしました。歩いてみたら、新しい発見がいっぱいあることに気付き、これまで、どうしてもっと歩かなかったのだろう。これからは、知らない街を歩くことにしました】とのメールが届いた。
考えてみれば、私たちニンゲンはいつだって知らない街のなかを歩き、生きているのかもしれない。犬も歩けば、じゃないけれど。歩けば何か新しい発見に気付くかもしれない。
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11日午後11時45分ごろ、新潟県村上市の米菓製造大手「三幸製菓」荒川工場が燃えている、と消防に通報があった。菓子の製造棟1棟を全焼、女性アルバイト従業員4人が心配停止状態で搬送され、死亡が確認された。身元不明の一人の遺体も発見。社員の20代男性二人との連絡も取れていない。同工場では過去にも1988~2019年に8件もの火災が相次いでいたという。新潟県警は製造棟の鉄骨がむき出しで倒壊の恐れがあるため安否不明の捜索をいったん中断。13日朝、再開するという。いやはや、この世の中、いろいろ起きるものだ。
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(2月11日)
一宮まで社交ダンスのレッスンに出向く。きょうは、ブロンズ級ルンバでのなかでもサーキュラヒップツイストなるものをダンス教師の若さんのもと、何度も何度も繰り返し学んだ。たつ江は、こうした私の姿をあの世から、どんな思いで見ていてくれるのか。
ハンドルを手に私はきょうも「なんでおまえは、そんなにも早く逝ってしまったのだ。もっと、もっと俺と一緒に楽しいことをいっぱい経験して幸せになってほしかったのに。なんで。なんで。なぜなんだよ」と大声で叫ぶ。見るも無残、とは私のこの醜態かもしれない。悲しみはそんなに簡単に癒えるものでもあるまい。悲しみよりは、おまえのことがかわいそうで仕方がない。
ただ救いは、おまえが愛し続けた愛猫シロちゃんが、おまえとよく似た案じ顔で日々を気丈に生きていてくれることか。シロはホントに頑張っている。そのけなげな姿を見るにつけ、私はシロそのものにおまえが乗り移って同化しているような、そんな気がしてならないのだ。おまえは生前、口癖のように「あのねえ。シロちゃんはねえ~。何でも知っているのだから。シロはなんでも知っているのよ」とよく言っていたが、今になって考えると、「やっぱり知っているのかな」と思ってしまう。
シロは毎日、仏壇のなかのおまえを見守ってくれている
金曜日。建国記念日のため休日である。中日スポーツを含む新聞各紙はきのう(10日)の北京冬季五輪のハイライトだと言っても良い、第7日目のフィギュアスケート男子フリーで18歳で五輪初出場の鍵山優真が201・93点をマークし合計310・05点でフィギュアの日本勢で最年少のメダルを獲得したこと。
さらに期待の宇野昌磨(トヨタ自動車、名古屋市出身)も187・10点の合計293・00点で前回平昌大会の銀に続く銅メダルを手にしたが、そんななか、ショートプログラムで8位と出遅れた羽生結弦(ANA)は、クワッドアクセル(4回転半ジャンプ)に挑んだが転倒し、188・06点の合計283・21点で四位で期待された同種目での九十四年ぶりの五輪三連覇を逃したことなどを報じていた。
北京冬季五輪の男子フィギュアの結果を1面トップで報じた11日付中日スポーツなど各紙
毎日「余録」ではフリーで前人未到の4回転半に挑んだ羽生結弦選手を2回の金メダルに劣らない五輪精神の体現ではないか、と称えた
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10日午後9時10分ごろ、愛知県一宮市三ツ井の会社員(34)から「自宅に帰ってきたら3人の子どもの意識がない」と119番。消防隊員が駆け付けると、2階居間で五歳と三歳、ゼロ歳の女児3人が倒れているのを発見。3人とも既に死亡していた。愛知県警一宮署の調べによると、気持ちが不安定だった妻(27)が「三人とも首を絞めて殺してしまった」と話しているという。「家族でよく表の庭でボール遊びなどをしていたのに。日曜にそろって出かけるのを見たこともある」とは、近くに住む女性。一体全体何があったのか。【一宮の民家 3女児死亡 室内にけがを負った母親】の見出しが、なんともむなしい。
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(2月10日)
木曜日。この地上は、きょうも日中の温度が5度前後という寒い日が続いている。よほど寒いのか。シロちゃんはストーブの隣の椅子に座り、張り付いたまま動こうとしない。
北京冬季五輪はこの日、フィギュアスケート男子のフリーが始まり、ショートプログラム(SP)で8位と出遅れた羽生結弦(ANA)は公言どおりフィギュアスケートでは初となった【クワッドアクセル(4回転半ジャンプ)】に挑んだが惜しくも転倒して失敗(公認記録としては初の競技・クワッドアクセルとして残された)。4位に終わった。
SPで2位につけ、このところ成長著しい鍵山優真(オリエンタルバイオ・星槎)、同3位の宇野昌磨(トヨタ自動車、名古屋市出身)ともによく健闘し、これまた完璧な演技で金メダルに輝いたネーサン・チェン(米国)にこそ及ばなかったものの、いずれも見事な演技で鍵山が銀メダルに、宇野も銅メダルに輝いた。
この日はスノーボードハーフパイプ(HP)で冨田せな(アルビレックス新潟)が3位に。同種目で日本初のメダルを獲得した。
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ところで中日新聞の昨日(9日)付夕刊は世界のコロナ感染者が4億人を超えた、と報じている。記事は「米・ホプキンズ大の統計によると、新型コロナウイルスの累計感染者が8日、世界全体で四億人を超えた。感染力の強いオミクロン株の流行を受け、一億人増に要した日数は三十二日と過去最短を大幅に更新。感染者激増を受けて死者数の増加傾向も続いており、世界保健機関(WHO)は懸念を示し、警戒継続を呼び掛けている。累計死者数は五百七十五万人超。/ワクチン接種率の向上に伴い、重症化率や死亡率が抑えられていることを受け、先進国を中心に社会・経済的規制を撤廃する動きも出ている。だがWHOは「科学的根拠に基づかず、なし崩し的に拡大防止策を撤廃すれば、感染急増とそれに伴う新変異株の出現を招くとして、各国の医療体制などの状況に合わせた慎重な対応を求めている」といった内容である。
そして本日付同じ中日新聞夕刊は【まん延防止延長決定へ 13都県 3月6日まで3週間】の見出し。政府は10日午前、13都県に適用している新型コロナウイルス対応のまん延防止等重点措置の延長を諮問するため専門家らによる基本的対処方針分科会を開き、13日の期限を3週間延ばし3月6日までとし、高知県も12日から3月6日の間、追加適用する案を諮問し、了承され、国会報告を経て夜の政府対策本部で正式決定する、といった内容だ。延長する13都県は群馬、埼玉、千葉、東京、神奈川、新潟、岐阜、愛知、三重、香川、長崎、熊本、宮崎でこれに高知県の追加が加わった。オミクロン株の感染は、高止まりの状況が続き収束が見えないばかりか、こんご重症者増加の懸念や社会経済活動への影響を踏まえて判断したという。
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(2月9日)
たつ江。元気か。俺はつくづく思う。つい、この間まで俺はこの世で最高の女性に恵まれていた、と。おまえは、いつも控えめで謙虚そのものだった。どんな時にでも俺とは違って、控えめで奥ゆかしかった。俺は、そんないつだって静かでいるおまえが大好きだった。
2022年2月7日
真っ青な空が広がった尾張平野
私はおまえと一緒で、どんどんドンドンと駆け足でもするように若くなっていく。涙の滴が出ればでるほどに、だ。きょうの午後。スーパーに車を走らせる。真っ青な空を仰ぐと、そこにはおまえの笑顔が浮かんでいた。姿はないが、俺の傍らの助手席にはいつものようにおまえ、たつ江、舞がいる。車内カセットからは共に何度も何度も繰り返し、ふたりで聴いたあの舟木一夫さんが歌っていた青春時代の曲【絶唱】が流れている。「俺たちって。絶唱そのものの人生を歩いてきたよな」。ハンドルを手に私は、空に向かってこう話しかけた。
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このところの日本列島は強い冬型の気圧配置となり、上空に寒気が流入した影響もあって各地でこれまでの積雪を大幅に上回る大雪に。中部地方でも山間部を中心に雪に見舞われ、岐阜県関ケ原町では6日午後6時現在の積雪量が観測史上最高の87㌢を記録。滋賀県米原市でも午後10時現在で観測史上最高の90㌢となったという。
だが、きょうは違う。
久しぶりの冬の青空に太陽が煌めき、かわいいおまえ(たつ江、伊神舞子)が天からほほ笑みかけてくれている、そんな気がする。そんなわけで、わが家のアイドル、シロちゃんは朝からお外に出ている。シロは舞が言うには白狐でもあるのだから、きっと久しぶりに、おかあさん、すなわちおまえに会いに行ったに違いない。
関ケ原、米原以外の中部地方の積雪の深さを棒グラフで示したNHKテレビ
けさの中日新聞1面見出しは【北京五輪2022 小林陵 金 ジャンプ・ノーマルヒル レジェンドの「まな弟子」最強証明】【岐阜市長に柴橋氏再選】というもので、前文のリードは「北京冬季五輪は六日、ノルディックスキーのジャンプ男子個人ノーマルヒルで、小林陵侑(土屋ホーム)が一回目で104・5㍍、二回目で99・5㍍を飛び、合計275点で金メダルを獲得した。日本勢の金メダルは今大会初。ジャンプ個人で日本選手の優勝は、一九九八年長野五輪のラージヒルの船木和喜以来で二十四年ぶり。」というものだった。
小林の金メダルを報じた7日付中日新聞朝刊
出走する小林陵侑とジャンプを終え歓喜する小林(NHKテレビから)
(2月6日)
きのう、きょうと朝起きたら、ここ尾張名古屋は一面白銀の世界、外界は白一色だった。それでもシロちゃんは雪の感触でも体感しようとしてか、昨日の5日朝は外へ。さすがに再び雪が降り始めたので20分ほどで帰ってきた。
そして一夜明けたけさも尾張地方は雪一色となっていた。尾張名古屋でこれだけ降ったのだから、と思っていると案の定、関ケ原、米原、彦根方面は、かなり雪が降り積もったとニュースが伝えている。人間はどんなにあがこうとも、やはり自然の前には、ただひれ伏すほかないのか。同時に私は能登の七尾に居たころ、おまえ(たつ江)、すなわち舞が来る日も来る日も一本杉通りに面した支局前で雪かきをしていたあのころを思い出したのである。
その、おまえは、もはやこの世にはいない。
夜。NHKラジオとテレビで北京冬季五輪男子ノーマルヒル・ジャンプの実況放送を聴く。期待の小林陵侑(土屋ホーム)が日本のスキージャンプ陣では1998年の長野大会いらい、24年ぶりとなる金メダルを獲得。「追い風も向かい風もありません」とラヂオで実況中継するアナウンサーを興奮させる見事な大ジャンプだった。「すごくうれしかった。いいジャンプが出来ました」という小林さんの顔は笑顔で弾けそうであった。
これより先。3日の節分(ことしの恵方は北北西で私は伊勢まだいを使用した「真鯛と煮穴子入り海鮮上巻」を食べた)に続き、4日は立春。そして4日の北京冬季五輪開会式を経て5日からは本格的な競技が張家口で始まった。私が応援するノルディックスキー・ジャンプの高梨沙羅選手(25)は5日夜、日本の声援を背に出場したが、3度目の五輪も悲願の金メダルに届かず4位に終わり残念無念な結果だった。
でも、ここまでがんばってきた彼女の強い精神力とこれまでの努力には感動したのである。心から拍手を送りたい。一方でフリースタイルスキー男子モーグルで堀島行真(トヨタ自動車、岐阜県池田町出身)が銀メダルを獲得し、今大会での日本勢のメダル第一号となった。
それはそうと北京冬季五輪開会式の演出は見事であった。ここでその一部分を記録として残しておこう。そして節分の日に、愛知県江南市の平和堂の食品売り場に殺到した人々の写真と私が買った恵方巻の写真も、である。舞と一緒に北北西を向いて食べたかった。いや、彼女のことだ。天の川で天女となった今は、ちゃっかり「あたしも食べたよ」と言っているかもしれない。
世界はひとつ、だ。どこまでも仲良くしていかなければ。演出の数々が見る者の心を打った北京冬季五輪の開会式のひとコマ。習近平国家主席が開会を宣言した(いずれもNHK画面から)
平和堂に並んだ市民と私が買い求めた伊勢まだい使用の恵方巻
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けさ。6日付各紙の朝刊を見て驚いたというか。残念だったのは、あの「苦役列車」に代表される破滅型私小説で知られる芥川賞作家西村賢太さんが5日、東京都北区の病院で死去したことだ。西村さんは東京都出身の54歳だった。記事には「4日夜、タクシー乗車中に意識を失い病院に搬送されていた」とあったが一体全体、何があったのか。酒をのみ過ぎ、酔いつぶれていたのかもしれない。
彼は大正時代の石川県七尾市出身作家・藤沢清造に心酔し藤沢の小説集の出版に尽くした。七尾市にある藤沢の墓の隣に自らの生前墓を建て、藤沢の命日(1月29日)には親族らと法要を営んできたことでも知られる。七尾の老舗旅館「さたみや」さんにも何度か泊まったことがある、とも聞く。ここまで徹底した彼の生き方には、それこそ彼ならでは、の〝ぶれない、まっすぐな精神〟というか。姿勢を感じさせる。心から哀悼の意を表したい。
とはいう私だが。その西村賢太さんには実を言うと、新聞社の七尾支局長時代、今から30年ほど前、私が【泣かんとこ 風記者ごん!】(能登印刷)を処女出版してチョット話題となって間もないころ、一度だけ会っている。支局近くの今は亡きわくうら印刷の当時の社長さんに「文学熱心な、もやしみたいな若者が支局長に〝どうしてもお会いしたい〟と何度も言ってきている。ぜひあってやってほしい」と言われて一度だけお会いした日のことを覚えている。
いまの中西賢太さんからは想像もつかない、それこそ、ひょろりと瘠せた感じの青年が「文はどのように書いたらよいか。教えてほしい」と真剣な表情で聴いてきたので、私は「何よりも全ての人にわかる、わかりやすい文を書くことだ。それと自分に正直に。新聞記者であれ、小説家であれ。基本は同じだよ。読んだ人の心を動かさなければ」と当時、まだまだ若かった彼に時折、手にした雨傘から零れ落ちる雨に濡れながら、相手の目を見つめ、じゅんじゅんと諭すように話したことを覚えている。
話した場所はよくは憶えていないが、確か七尾市内の寺かどこかの境内で雨がそぼ降る日だった、と記憶している。互いに真剣に話し合ったことだけは間違いない。ということもあって、その彼が「苦役列車」を書いて芥川賞に輝いた時には、本屋に飛んで行って購入し一気に読み上げ「あ~あ。彼は、いいもの書いたな。よかった」と満足した、と記憶している。
最近では文学界の連載「雨滴は続く」をいつも楽しみに読んでいたのに。もし再会する機会があれば「あの一連の文は新聞社の女性記者を登場させ、心が自分だけを向いており、よくない」とひとこと注意しなければ、と。そのように思っていた。それだけに、あまりにも早い旅立ちを前にナンダカ拍子抜けでもしたような気持ちになったのも、また事実である。
ということもあって、私自身、本音をいえば文学に立ち向かう作家の姿勢として【真のやさしさ、とは何か】について、出来たら、ふたりでトコトン語り合いたかったのである。【越中泥棒】【加賀乞食】と対比してよく言われる言葉に【能登はやさしや土までも】があるが、亡き彼がこのことばの持つ真の意味を一体どこまで理解していたのか―についても出来れば、雑誌または新聞、テレビ、ラヂオでもいい。媒体は何でもよいので対談か何かでトコトン語り合いたかったのである。
ちなみに私は七尾時代に【能登の方言】を能登版で連載したことがあるだけに、出来れば、能登の方言で語り合いたかった。のに、だ。夢マボロシに終わる、とはこのことか。
いずれにせよ、私にとっては太宰治、中上健次、立原正秋についで気になる文士がこの世から瞬時に消えてしまったのである。あとは、おやすらかに-と祈るほかあるまい。藤沢清造を文学の師とあがめ、どこまでも立ち向かっていく姿勢。この点は、同じ一匹文士として常々大切にせねば、と思っていた。いずれにせよ、このコロナの時代にまた一人、貴重で稀有な作家がいなくなったのである。惜しいと思う。
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冒頭でも述べたように、立春も過ぎたのに、ことしは例年になく寒い日が続いており、中部各地は、きのうきょうと雪一色のなか、明けた。
こうしたなか、新型コロナウイルスの感染拡大は相変わらずで、国内で新たに報告された新型コロナ感染者は5日、10万2371人と3日に続き再び10万人を超えた。死者は2日連続で100人を上回り、重症者も2日連続で1000人を突破。オミクロン株による流行「第6波」が依然、猛威をふるっている。
2022年2月2日
太陽族という流行語を生むきっかけとなった小説「太陽の季節」で芥川賞を受賞、その後、国会議員を経て東京都知事にもなった、あの石原慎太郎さんが昨日午前、すい臓がんのため東京大田区の自宅で亡くなった。89歳だった。同じ1日、プロ野球12球団の沖縄、宮崎キャンプが一斉に始まった。そして。4日の開会式を控えた北京冬季五輪。こちらも2日、聖火リレーが北京のオリンピック森林公園を出発し始まり2日夜は、カーリング混合ダブルス一次リーグが行われるなど一部の競技がスタートしたという。
きょうは、きのうに比べ、陽射しがよいので朝一番で、いったん室内に入れておいた洗濯物をあらためてベランダに出す。干しながら天を仰ぎ太陽のなかにいる舞、おまえに向かって「おはよう。きょうも元気でいこうよな。しあわせでいてね。俺たちを守ってください」と話しかける。これとは別に昨夜、息子に「毎朝かえてよね」と指示されたとおり、仏壇横に飾られた花入れの水を朝一番でかえる。
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おまえが生前、俺に口を酸っぱく言っていた言葉が「無理はしないのよ。もう齢なのだから。だから、やることは【1日ひとつ。それ以上はダ~メ】だった。デ、俺は【1日ひとつ】を呪文の如く胸に刻んで生きている。とはいえ、たよりのおまえがいないのだから。【1日ひとつ】というわけにはいかない。
頼まれているコラム2本を書き、近づく確定申告に必要な各種書類の準備(これまでなら、おまえが大抵は準備してくれていた)を進め、新聞や本を読み、スーパーに出かけて買い物(主に食料品)をし、途中の店で食事をする。時にはチョットしたレストランや食堂、中華飯店などに寄り、ひとり寂しく食べてはいるのだが。たべながら美味しい味には、そのつど「舞にも食べさせたかった」と悔やまれてならない。だが、何と言っても当面の目標はおまえの本(短歌と俳句など)を早く完成させることである。だから、そのための準備に出版社と共に追われている。
というわけで、きょうも慌ただしく時は流れていく(午前中は月に一度の歯の定期メンテナンス診療に行った)。舞が生きていれば、確定申告の準備など何かと助けてくれたのに。そう思うと、またしても涙がにじむ。そういえば、私が脱原発社会をめざす文学者の会ホームページに連載(月1)し書いている文士刮目の9回目【忘れない 忘れられない】が昨日、2月1日の夜遅く公開になった。一人でも多くの方々に読んで頂けたら、と願っている。
アドレスはhttps://dgp-bungaku.main.jp
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(2月1日)
いよいよ2月である。
なんと言っても1日は背番号73の新生立浪和義ドラゴンズの沖縄キャンプが北谷、読谷両球場で始動したことだ。北京ではきのうの1月31日、北京冬季五輪でメダル量産に期待がかかる日本のスピードスケート陣が本番会場で初の練習に挑んだ。31日はほかに、トヨタ自動車の男性社員(当時40歳)が2010年に自殺したのは過重労働や上司からの嫌がらせが原因だとして遺族がトヨタに損害賠償を求めた訴訟で遺族側が31日、裁判外で和解に合意した旨を明らかにした。トヨタが「過重な業務と直属の上司からのパワハラが原因だった」と認め1カ月以内に解決金を支払うことで決着(金額は非公表)。豊田章男社長自らが妻と代理人弁護士に面会して謝罪した、と報じられた。
そして。同じ31日の午後5度半ごろ、航空自衛隊のF15戦闘機が石川県の小松基地を離陸した直後に基地の西北西約5㌔付近の洋上でレーダーから機影を消し、まもなく機体の一部が浮いているのが見つかり墜落したとみられる。
いやはや、それはそれとして私たちは新型コロナウイルスの感染急拡大という人類にとっては大変な時代に生きている、その一方で人が生き、世の中が存在している限り、絶えずナンダカンダといろいろある。たつ江が健在なら、いつものように【あのねえ】と首をかしげて、そのつど彼女のストレートな考えや疑問を私にぶつけてきてくれたのに。今は、その相棒もおらず、寂しい限りだ。でも、しかたのないことか。人はみな、そうして半分あきらめて生きていくのである。
それでも私はいつだって「舞よ マイ。たつ江」と見苦しくも叫び続けて、きょうも生きている。手元に届いた中日社友会報に、あの整理の名手クボちゃん、窪田眞さん=窪田さんは元整理記者。見出しと紙面レイアウトの名手だった=が【私の回想記 出会い、別れ、成長できた 「生は偶然、死は必然」に学ぶ】のなかで次のように書いており、胸打たれたのでここにその一端を紹介させて頂く。読者のみなさんにも読んでほしく思うからだ。
――祖父の死から五十数年間に、両親や先輩、親族が亡くなっていて、何度もお別れをしてきた。出会えば別れは必ず来る。先達の「死に親しんで生に安ずる道」「生は偶然、死は必然」の至言に学んでかつての恐怖は和らいでいった。
二一年十一月二十八日。満七十二歳を迎え、東本願寺の報恩講にお参りしてきた。親鸞聖人の「生まれ変わり」としては、宗祖と同じ九十歳まで生きて、あの年齢の景色を見てみたいと思っている。恐れ多いことだが…(H21年定退)
私は、あのクボちゃんのこの文に胸倉を掴まれたのである。クボちゃんは、まだ若いのに。たいしたものだと、言いたい。社友会報もなかなか内容がいいナと思った。
そういえば、けさの毎日の新聞小説【永遠と横道世之介(吉田修一)】にも読んでいて今の私、すなわち伊神権太にグサリとくる部分があった。
――禅問答のような単に中身がないだけのような話を続ける二人の頭上を、二千花ではないトンビがいつまでもぐるぐると旋回していた、の下りで、この表現にはなかなかよい点を突いているな、と思ったのである。<二千花>を<舞>に変え、もう一度声に出して読んでみたが、どんなに悲しくとも、悔しくてもだ。帰らない者は帰らないのである。
(1月31日)
きょうの空は晴れ、白い雲が浮かんでいる。雲間からは、まん丸なお日さまが顔を恥ずかしそうにのぞかせている。わかる。わかるよ。わかるってば。かわいいおまえに違いないということぐらい。おまえは、そんなところで遊んでいたのか。
いや、おまえが昔から得意だったカクレンボでもしているのか。でも、楽しそうで。元気そうで。ホントによかった。こちらは【泣かんとこ 風記者ごん!】のことばのきっかけを生んだ息子はじめ、皆なんとか元気でいるから。安心して居てくれよね。それにしてもとっても楽しそうだね。よかった。天からいっぱいの微笑みを地上に降り注いでくれる、だなんて。やっぱり、おまえは違う。ちがうよ。いずれにせよ、元気そうなおまえ、すなわち光の玉を見て俺は、きょう心から喜んでいる。
だから、けさ早く。シロちゃんが浮き浮きした表情でお外に出かけたのだ。シロは何も言わない。でも、この世でただ一匹の俳句猫でもある(白)は、おかあさんが天から陽射しを注いでくれていることなど何でも知っているのだから。オカンは私に向かっていつも、こう言っていたよ。
【シロはなんでも知っているよ】。だってさ。ネットで「シロはなんでも知っている」と検索してごらん。シロちゃんのファンは、いっぱいいるのだから。
そういえば、能登半島は七尾市のニッポンでも他に誇る女傑販売店主だった笹谷輝子さん(故人)の息子さん、憲彦さんから送られてきた梅の盆栽が、亡きおかあさん、伊神舞子の部屋で見事な花を次々と咲かせている。盆栽は歌詠みで俳人でもあったおかあさんが最後の最後まで過ごした、その部屋の窓辺の一隅に置かれているが、おかあさんのことだ。きっと喜んでいるに違いない。
花を咲かせ始めた笹谷憲彦さんからの梅盆栽
シロは、いつも舞が句作に励んだ部屋に来てオカンを偲んでいる。なぜか正岡子規が晩年を過ごした部屋に似ている
(1月30日)
舞よマイ。俺は正直、おまえがいなくなりへこたれている。でも、おまえや、かわいい子どもたち、シロちゃんを悲しませてはいけない。だから懸命に毎日を生きている。毎日、新しいページを開くような。そんな気持ちで生きている。もちろん、ページの向こうには、いつもおまえがほほ笑んで俺を待っていてくれるから、と思うからだ。
きょうは生活情報誌のコラムの執筆に丸1日をかけた。これより先、脱原発社会をめざす文学者の会ホームページで連載中の文士刮目の方は、ほぼ1カ月間、何度も何度も繰り返し、推敲し時には書き改め、あすには出稿予定でいる。おまえが生きて傍にいたのなら、書いた原稿をコピーしておまえに渡せば適切な判断と指摘をしてくれるところだが。おまえの亡き今はそんなわけにもいかない。時折、傍らのシロちゃんに「シロ、シロ。ここはこれでいいかな」と話しかけながら原稿を完成させていくのである。
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