一匹文士伊神権太がゆく人生そぞろ歩き(2024年12月~)
2024年12月11日
【「核も戦争もない世界へ共に頑張ろう」 ノーベル賞授賞式 被団協 万感の平和賞】【核タブー軽視「限りない憤り」式典演説92歳田中さん切々と】(11日付中日朝刊)【核なき世界共に 被団協ノーベル賞授賞式】(11日付毎日朝刊)……。
けさの新聞は、どこもノルウェーのオスロ市庁舎で開かれたノーベル平和賞授賞式について大きく取り扱っていた。日本被団協を代表して受賞演説をした田中煕巳(たなかてるみ)代表委員(92)の「核抑止論ではなく、核兵器は一発たりとも持ってはいけない」との呼びかけを、世界の人々はどう受け止めたのか。原爆許すまじ、戦争はしないことで、こうした不幸は、2度とあってはならないのである。
ノーベル平和賞の演説の様子など大きく報道された
それはそうと。ここ数日間に私が住む地域も含め、日本中が厳しい寒さに襲われつつある。こんな寒さのなか、中日新聞の本日付朝刊【通風筒】に三重県志摩半島から望む海上に姿を見せた【浮き富士】の話題が紹介されていた。私自身、若き日々、志摩で記者生活をしていたころ、この浮き富士現象を味わったことがある。それだけに、とても懐かしく思った。かつて私が伊勢志摩の記者でいたころ、志摩の人々は上半身裸になって富士山の方に向かって浜辺に座り、センゲ、センゲ、センゲ……と言いながらお経のようなものを唱えお参りをしていた。「これは重要なことなのだよ。伊神さん」と当時、志摩郷土史会の上村角兵衛会長に教えて頂いた、あの頃が思い出される。けさの通風筒はそんな1枚だと言ってよい。
「いがみさん。阿児町志島の浜からは天気が良いと時に、はるかかなたに富士山が見えることがある。だから、その日は富士を遠くに眺め、上半身裸になり下帯、褌姿でセンゲ、センゲ、センゲ……と富士山に向かって願いごとが叶うように祈るのだよ」と。角兵衛さんは、そのように、若き新聞記者に教えてくださった。なぜか、この通風筒の記事を前に若かったころのことが思い出されたのである。
確か、そんな漁どころの話題を紹介したことがあったが。おそらく、けさの記事で紹介されている【浮き富士】に向かってみんなでセンゲ、センゲ、センゲ……とお祈りをしたに違いない。というわけで私はこの記事により、懐かしいかつての思い出の場面に思いをはせたのである。
「浮き富士」が紹介された通風筒
そして。本日付夕刊はといえば、だ。【被団協にノーベル平和賞 反核、共に歩こう オスロ市民がパレードで祝福】【文学は生を破壊する全ての行為と真っ向から対立するものだ ハン・ガンさん文学賞】(11日付中日夕刊)とノーベル平和賞の続報に、ことしのノーベル文学賞の紹介が加わったのである。
(12月10日)
本日付の中日新聞夕刊に【故白井名誉会長 財界人らしのぶ 名古屋でお別れの会】が一段で掲載された。記事にはこうあつた。
―10月に96歳で死去した中日新聞社顧問・名誉会長の白井文吾さんのお別れ会が10日、名古屋・栄の中日ビル6階「中日ホール」で営まれた。/会場には献花台が設けられ、愛知県の大村秀章知事や名古屋商工会議所の嶋尾正会頭など政財界の関係者らがカーネーションを供えた。中日ドラゴンズの井上一樹監督や落合博満元監督、選手ら球団関係者も参列。大島宇一郎社長と白井さんの長男の伸明さんが立礼で参列者にあいさつした。
白井文吾さんお別れの会は中日スポーツでも報じられた
デ、わたくし伊神権太のこの日の行動といえば、だ。やはりお世話になった白井さんに、何よりもお礼を言いたくなって名鉄犬山線と地下鉄を乗り継いで名古屋・栄の中日ビルへ、と急いだのである。
というわけで、先日、亡くなられた中日新聞の顧問・名誉会長だった、あの白井文吾さんの「お別れの会」に行ってきた。白井さんには、それこそ社会部(小牧通信局長時代含む)当時から能登半島七尾支局長時代(当時。白井さんは北陸本社代表)のあとも大垣、大津、一宮各支局長、この後も文化芸能局、編集局デスク長、さらには定年後の中日ドラゴンズ公式ファンクラブの会報編集担当時代に至るまで、それこそ、言葉には言い尽くせないほどずっとお世話になりどおしだった。
なかでも公式ファンクラブスタッフ当時はドラゴンズの白井文吾オーナーの下、あの落合博満監督率いるドラゴンズの黄金時代まで多くのファンのみなさまと共に日本一の喜びに浸らせてもらうことが出来たのである。むろん、ファンクラブのマスコットキャラクター・ガブリと共に球場入り口でお客さんを待たせて頂き、ファンクラブ通信などの取材で連日、ハードな日々を過ごすーなどそれはそれなりに大変な時代でもあった。でも、あのころトップに何よりも新聞販売店を重視した白井文吾さんの存在があればこそ、我々スタッフと落合信者をはじめとする多くのファンが一丸となって歩いてこられた。このことは間違いないのである。
というわけで、白井文吾さんのお別れの会にはそうした過去の経緯があっただけに、どうしても、たとえ一言だけでも遺影を前に直接、お礼を言いたくて出かけた。そして。場所は、最近、建て替えられたばかりの中日ビルディング六階ホールである。
――私は、この日、白井さんの遺影を前に一本の花を献花。前に進み出て遺影を前に白井さんの顔を見つめ「長年の地方記者生活の間、わたくしはじめ、妻、家族が小牧はじめ能登半島七尾でも大変、お世話になりました。ありがとうございました」と頭を下げた。黙って語りかけたあとは、ただ深い涙が激流となって全身の芯の部分から立ち上がり、あふれ出てくる気配を感じ、最後に別れの目礼をし、辞したのである。
そして。軽く目礼をして帰るときのあの声「ありがとうございました」と二度声をかけてくださった若き、現大島宇一郎社長には無言でそのつど深く一礼。と同時に「わざわざ丁寧にありがとう。俺がお世話になりどおし。かけどおしだったよ。どれほどお世話になったことか。こっちこそ、お礼をいわなきゃ」とあふれ出る涙を押し殺しながら、心の中で返答、頭を下げ会場を後にしたのである。
(12月9日)
本日付の中日新聞夕刊は、1面が【アサド政権崩壊 シリア反体制派首都掌握 大統領、ロシアに亡命】【強権体制50年超 歓喜と不安交錯】【尹大統領内乱容疑で捜査 韓国検察 前国防相の身柄拘束】といったものだ。いやはや、シリアと韓国が同時進行で夕刊紙面のトップを二分しているのである。
かと思えば、だ。同じ9日付夕刊で【ノートルダム大聖堂再開 パリ、火災から5年】の記事には、かつて舞と訪れた、あのノートルダム大聖堂が復活したか、と思い、どこか、ホッとした。2019年4月に火災に見舞われたフランス・パリのノートルダム大聖堂の修復がほぼ終わり、再開記念式典が7日開かれ、8日には再開後初のミサが執り行われ、一般公開も始まったーという内容である。ほかには【被団協代表団オスロに到着 ノーベル平和賞 あす授賞式】の記事も目立つ。
(12月8日)
日曜日。三男坊が運転する車で午前中、江南市内の「キッチンくま」へ。
わたくしが敬愛する兄夫妻と妹夫妻、そして。ひとりぽっちの私ひとりが参集。年に一度の兄妹会があったためで、兄は正義の味方(私は尊敬する兄のことを昔からそのように思っている。兄は過去、小塚ヨットスクールのリンチ事件や爆弾魔・加藤三郎らによる北海道庁爆破など数々の事件の主任弁護士を手掛けてきた)そのものの日本に誇る弁護士であり、そして妹もまた、美しさ抜群の才長けた税理士(元々、数学が得意で、数学教師だったが教師の傍ら税理士資格を取得。教職から転身し、税理士だった父の後を継いだ)である。
というわけで、私たち3人兄妹が年に一度の約束で久しぶりに集まった。そこには兄の妻の声楽家(ソプラノ歌手。音楽療法士としても、この地方の草分け的存在)と妹の夫(彼は長年、日本特殊陶業に務め半導体の研究開発で知られた。長身の二枚目である)も同席。そして俳人で歌人でもある私の妻たつ江(伊神舞子)も、と言いたいところだが、彼女は先年、ひと足早く旅立ってしまったこともあり私だけが片肺飛行の青春? といおうか。ひとりポッチの寂しい出席とあいなった。何はともあれ、久しぶりに会う兄夫妻と妹夫妻は、どちらも元気そうで先ずはひと安心。ランチを前に近況につき互いに話し合い、楽しいひとときとなったのである。
このうち妹夫妻は、つい最近沖縄に行ってきたということで沖縄・石垣島銘菓石垣の塩、すなわち〝ちいすこう〟をお土産にもらったが、これがまた格別の味で、これまで風邪気味だった私の体調がみるみる回復していったのには驚かされた。というわけで、帰宅後は、いつもの調子で新聞を詳しくチェックし、お風呂に入り、このところは剃る暇もなく見苦しいほどに茫々と伸び放題だった髭を剃り、今度は夕食をたべ、こうしてデスクに向かいパソコンキーを打ち始めたというわけだ。
ロシア外務省が反体制派の武装勢力によって政権が崩壊したシリアについてアサド大統領が自発的に辞任した、と発表。歌手で俳優の中山美穂さん(54)が自宅浴室で死亡していた件で警視庁は8日に行った解剖の結果や現場の状況などから「検死の結果、事件性はなく、入浴中に起きた不慮の事故(ヒートショック)によるものと判明した」点を明らかにした。また死因については遺族からの要望があるとして明らかにはしていない。
2024年12月7日
きょうは大雪(たいせつ)。雪が激しくなり、降り積もるころで、地面に霜柱が立ち、朝夕には池や川に薄い氷が張るようになる(二十四節気)、そんなころだ。なんだか、アッという間に冬が駆け足でやってきた気がする。そういえば、きょう7日は死者が約1200人、全壊・流失家屋が2万戸を超えたとされる昭和の東南海地震(昭和19年12月7日、紀伊半島南東沖を震源に発生。マグニチュード7・9)から80年になる。まさにその日である。
夜。韓国国会が尹大統領の弾劾訴追案を否決。
風邪がなかなか治らない。体温は平熱、頭、喉も痛くはないのだが。鼻水が止まらず、ちょっと憂鬱である。だから入浴は久しぶりに思い切ってやめることにした。
このところは岐阜県多治見市の文芸祭に寄せられた文芸作品のうち小説部門の審査に追われて半ば自宅で缶詰め状態だったばかりか、「脱原発社会をめざす文学者の会」幹事会の要請で文学者の会ホームページで連載している月に一度の【文士刮目】の執筆、出稿……、そこに加えて。つい先日に終わった社交ダンスのメダルテストに向けてのたゆまぬレッスンなど。正直、満78歳というこの歳になってなお休む間がない日々に追われてきた。
だから、〝さすがのガミちゃん(私の愛称)〟も自分では自信のある体力に少しだけガタがきた、と言ってよさそうである。というわけで、息子から渡された葛根湯(かっこんとう)とやらを飲んで、こうしてペンを走らせている。ちなみに今回公開された文士刮目は第43回目で、タイトルは<能登半島地震と豪雨水害の復興応援歌【能登の明かり】がCDに>である。
アドレスは以下のとおりである。
https://dgp-bungaku.com
【韓国大統領「心から謝罪」 戒厳令巡り 今後、与党に一任 弾劾訴追案今夕採決】【フィギュアGPファイナル ペアりくりゅうが2位 ジュニア女子日本勢メダル独占】とは、本日7日付の中日新聞夕刊。同じ7日付の朝刊には【中山美穂さん死去 54歳、自宅浴室で発見】の悲しいニュース。いつも前を向いて歩き続けた努力の女性、好きな歌手だっただけに、残念無念な旅立ちとは、このことか。中山さんの旅立ちは、中日スポーツでも大きく報じられた。合掌ー
(12月6日)
【音の日】だそうだ。
南米パラグアイで開催中の国連教育科学文化機関(ユネスコ)政府間委員会が4日(日本時間5日)、日本酒や本格焼酎、泡盛などの「伝統的酒造り」を無形文化遺産に登録。新聞報道によれば、だ。岐阜県飛騨市古川町で150年以上の歴史を持つ酒蔵「渡辺酒造店」は、無形文化遺産登録をお祝いするセレモニーを店頭で開いたという。「日本酒を飲むことが伝統文化の体験につながる。酒造りの魅力をさらに発信したい」とは、渡辺久憲社長(56)。その言や良し、である。
金曜日なので社交ダンスのレッスンで一宮のスポ文(スポーツ文化会館)へ。きょうからは、新たにこんどはクイック・ステップへの挑戦が始まった。社交ダンスのレッスン続行は、今は亡き妻たつ江(伊神舞子)との永遠の約束だけに、生きている限り、守らざるを得ない。このクイック・ステップ。きょうのレッスンでなんとか足の運びはマスターできたような、そんな気がする。それから。先日あった検定試験(メダルテスト)のスタンダード2級(スロー・フォックス・トロット)の成績表を先生から渡された。
先生から「ごんたさん。よくがんばったね」と渡された成績表
(12月5日)
【「酒造り」無形遺産登録 ユネスコ日本酒や本格焼酎】【仏 内閣不信任案可決 マクロン大統領も窮地】【大統領弾劾案与党反対へ 韓国一時戒厳令 野党、7日採決意向】【企業献金「禁止より公開」 衆院予算委で首相 裏金再調査拒否】とは、本日付中日新聞の1面見出し。アレヤコレヤと、せねばならないことがあり過ぎ、きょうの一匹文士は合間を縫って、これだけ書くのが大変である。でも新聞があるので要点を記録しておける。
(12月4日)
水曜日である。きょうは月一回診ていただいている定期診療で名古屋・金山のペインクリニックへ。前回して頂いた血液検査の結果につき一覧表で説明して頂いたが、担当医がおっしゃられるには「腎臓も、肝臓も、すい臓も内臓はどこも特に問題ありません」とのこと。きょうは、いつものように血圧測定もしていただいたが正常値で、血圧の薬など常備薬を手に帰宅した。
ただ、これら検診結果とは別に、このところの激務などでここ数日間は殆ど寝ておらず体力の衰えどころか、のどが痛くて咳が出て、ようやく生きている-といえば言い過ぎか。いずれにせよ、自身の小説執筆も合わせ胸突き8丁の日々をどうにかこなしている、とでもいえようか。それでもこうして原稿を書いているのである。
帰宅したところで、たった今、手に玄関を開けるのに使ったばかりの鍵が行方不明に。30分ほど探しまわったが、外出時には常時手にしている小銭入れに入っており、ヤレヤレで発見と同時に疲れがドッと私を襲ったのである。やはり、年なのか。
日本ペンクラブの大先輩で何かとことのほか、よくして頂いた作家小中陽太郎さんが3日、老衰のため亡くなった。90歳だった。小中さんといえば、NHKでバラエティー番組やドラマの制作に携わったばかりか、作家の小田実さんらと「ベトナムに平和を! 市民連合」の活動に参加したことでも知られる。日本ペンクラブの専務理事も務められた。私が地球一周の「ピースボートの船旅」から帰国した際には、有志で帰国を祝う会まで開いて頂き、その懐の深さと広さには今も敬服、感謝している。小中さん。お疲れさまでした。これまで何かとありがとうございました。合掌―
【韓国大統領「戒厳」を解除 宣言から6時間 軍撤収 野党即時退陣求める 弾劾が平和/もう信じられぬ 国会前で市民ら】とは、中日新聞の 4日付夕刊1面見出し。まったくもってこの世の中、何が起きるか知れたものでない。【堀田力さん死去 元検事ロッキード事件捜査】(中日新聞夕刊)の訃報も。
(12月3日)
【ヒズボラ 停戦後初攻撃 イスラエル、直後に反撃】【シリア要衝奪還へ「反攻」 アサド大統領 イランが支援強化】とは、3日付の中日新聞夕刊の見出しだ。それにしても、人間とは何故にこれほどまでに愚か極まる戦争が好きなのか。そこが分からない。
多治見市文芸祭小説の部に寄せられた力作の数々にあらためて目を通す。近年、時折、散見される独りよがりで何を言わんとしているのか、がさっぱり分からないプロ? という名のまだまだ力のない作家たち(もちろん、全部とは言わないが)。彼らよりも数段上の作品を何編か読むことが出来、つくづく良かったな、とも思う。
(12月2日)
気象庁が、ことし秋(9~11月)の日本の平均気温が平年より1・97度高かったーと発表。1898年の統計開始以降で最高だった昨年(プラス1・39度)を大きく上回り、3年連続で最も暑い秋となった。過去最高だった夏から暑さが続いた一方、最新の3カ月予報では、冬は全国的にほぼ平年並みの寒さになる見通し。寒暖差が大きく、四季を感じづらい傾向が続いており、気象庁は秋の高温は「異常気象」だとしている。
ことし話題になった言葉に贈られる「現代用語の基礎知識選 2024年ユーキャン新語・流行語大賞が2日発表され、宮藤官九郎さんが脚本を手がけたドラマ「不適切にもほどがある!」を略した【ふてほど】が年間大賞に選ばれた。トップテンには、ほかに自民党派閥による【裏金問題】や、闇バイトを募集する際の誘い文句【ホワイト案件】などが選ばれた。
(12月1日)
伊吹山が、この冬初の冠雪をし、流れ星が空をながれたこの日。私は名古屋の平針新公民館へ。愛知県ダンス検定委員会のスタンダード2級のスロー・フォックス・トロットに挑み、なんとか合格証を頂いた。社交ダンスのレッスン続行は亡きわが妻、愛するたつ江(伊神舞子)の私に対する永遠なる遺言でもあっただけに、その言葉を順守、おかげで健康維持にも役立って何とかここまで続けてこられた。幸い、良き先生(若原さん)はじめ、悦ちゃんにヨシコさん、水谷さん、そがべさん、おトキさんら良きダンス仲間の皆さんにも恵まれ、遠い山道を登るようにして、どうやらこうやら、ここまでやってこられた。それだけに、前回のモダン(ワルツ、タンゴ)に続く合格証書は私にとっては久しぶりにとても嬉しく、かつ価値あるものになった。これも若さんはじめ、ダンス仲間の皆さんのおかげがあればこそで、感謝している。
というわけで、私はこの日、バブル全盛期のころ、新聞社の七尾支局長在任当時に七尾市内の洋服店(七尾青年会議所のメンバーが経営していた)でエイ、ヤアーッと26万円也で購入したブラックカシミアジャケットに、それこそ何十年ぶりかに袖を通した。そして当時、能登半島を米国西海岸のフィッシャーマンズワーフのように育てよう-と<港の町づくり運動>を進めていた七尾青年会議所がつくった、あのマリンシティーのネクタイピンを胸につけ、スロー・ソックス・トロットに挑戦。幸い、名匠の教えにダンス仲間の助けもあって、なんとか辛うじて無事、技術検定試験をパスすることが出来たのである。私は帰宅するや、仏の舞【静汐院美舞立詠大師】に報告したのは言うまでもない。
運よく頂いた合格証