いがみの権太の笛猫茶番日常の劇12月31日
平成二十二年十二月三十一日
あ~あ、時間がほしい。時間よ、止まれ! 止まってくれ。きょうほどお父さんが時間をほしがったことは珍しい。
大みそかだから、Mに少しは掃除をして頂戴よ、とけしかけられ、午前中閉じこもっていた書斎から出たかと思うと、箒と雑巾を手に本来自室であるはずの二階の掃除が猛烈な速さで始まった。ここは元々、オトンの部屋のはずだったが、いつのまにか一階応接間が書斎に変身し、二階自室はオトンとM共有の物置き同然と化している。
部屋の半分、Mの領分は衣類などが整然と並んでいるのにオトンの机の周辺は本やら新聞スクラップ、資料、オトンが収集している笛やらの類で、それこそ見るも無残、ごちゃごちゃだ。
で、お父さんったら。Mに叱られたこともあり、一念発起して整理整頓と雑巾がけを始めたわけ。それにしても、やり出したら、さすが早い。新聞記者だっただけは、ある。
それでも、きょうのお父さん。「やっと、終わったので再び書斎で執筆を」というわけにはいかなかった。Mが年始の買い物をしておきたい、というので、またまた家事の延長みたいなものに振り回されるはめに。とはいえ、この一年の締めくくりの日でもあるだけに、付き合わないわけにもいかない。とどのつまりは、Mのアッシーくんをせざるを得ず、夕方帰り、いまアタイの目の前でまたまたパソコンのキーを打ち出した、といった次第である。
Mに言わせればアタイがどんな時にもヌクヌクちゃんで堂々としているのに反して妹のシロちゃんは、なんだか落ち着かない様子で、一日中、Mのあとをついて回っている。きょうが一年の終わりで、あすになれば、また新しい年が始まるということをウスウス感じているところが、同じ猫同士であってもニクイところだ。
ここでお父さんの言を代弁すると、オトンは何も執筆ばかりをしているわけではない。どんなに忙しかろうが、ちゃんと、いつも読むものは読んでいるのだ。きのうは文学界新年号の「雪景色老梅花」(近藤勲公)を読み上げた。この小説は、老境を迎えた男の淡い恋がたくみな文章表現で描かれており、文体がオトンと少し似て、オレより優れている箇所もある、と感心もしたそうです。ただ、最後の心を寄せる未亡人との交わり部分で、この小説の全てが瓦解した感をぬぐえず、作者が老境の主人公と同じ世代の書き手なら、ここは抑えにおさえて絶妙の効果をだすところだったのに、と残念がっていました。
では、オトンだったら、その場面をどう書くのか、こんど聞いてみたいと思っています。
それよりも何よりも、お父さんは来年の一月一日、すなわち明日から毎日新聞朝刊で始まる高樹のぶ子さんの連載小説「マルセル」をスゴク楽しみにしている。高度経済成長期後半に京都で起きた名画「マルセル」盗難事件の謎を、一人の女性新聞記者が自身の出生の秘密と同時進行で追う、というあらすじだけに、どんな展開となるのか。大いに期待されるところだ。
オトンは高樹さんにお会いしたことがありますが、そのとき彼女が「新聞記者さん、特にサツ回り、て。どんなことをするのですか。デスク長って、何をするんですか。教えてくださいよ」と興味深々に聴かれた、あのときの顔が忘れられない、だってサ。オトンは美人には特に弱いのだから。しかたありませんよ、ネ。
でもアタイも一緒にあすから毎日の小説を読むことにします。オトンたら、波光きらめく果てに、など高樹文学こそ純文学の粋だ、と決めつけているのだから。確かに彼女の文学は風とか音とか、気配とか、文学に欠けがちな感性に秀でている。おそらく、それなりの努力の積み重ねがあればこそ、ではないでしょうか。
年の暮れに生意気言ってごめんなさい。みなさま、よいお年を迎えてくださいね。あっ、そうそう。つい先ほど大垣に住むお母さん思いのおニイちゃんからMに電話が入った。オカン、とっても嬉しそうでした。
☆「踏切待ち自転車に車追突 電車に引かれ2人死亡 四日市の近鉄」、「名古屋の水 世界へ! 市出資会社水道技術売り込み 途上国支援も視野」、「東山動物園のゴリラ『オキ』 国内最高齢 53歳大往生」(31日、中日朝刊)
平成二十二年十二月三十日
年の瀬を前に、今夜も大好きなお父さんの独白を許しちゃいます。もっともアタイの方が、話の途中で急に話したくなったら、それはそれでその時に考えましょう。
―午前中は、このところ執筆中である小説の粗筋などについて自宅で再推敲。午後、社に出て二十八、三十日付で中日スポーツFC(ファンクラブ)通信で掲載済みの記事を、ドラゴンズ公式ファンクラブのホームページ「わたし会員で~す」のコーナーにアップした。
ホームページが会員家族の間で、少しでも年末年始の話題になれば何より、と思い、きょうは特別、社に出たのである。もちろん、メールのチェックなどもしたかった。
社に出たとはいえ、かつて十五年ほど経験した地方の支局長当時の年末年始に比べたら、それこそ、その中身は、月とスッポンで格段の差がある。地方支局の場合、せめて年末年始だけでも支局員を休ませなければ、といった親心もあります。ですから、年末年始は最低限、突然の訪問者への対応に支局長である私自ら当たることにしていたので、少しばかり緊張していたのです。
あえて言うまでもなく、それが地方のトリデを守る支局長の当然の責務でもあるのだから。しかたありませんよね。年末年始だからといって、支局を閉めるわけにはいきません。
記者パソコンでのホームページへのアップと届いたメールの整理、チェックを終えた私は、社を出たその足で、地下鉄に乗り今度は今池のガスビルへ、と向かいました。一階の鎌倉文庫に赤い表紙で作られた私たちのウエブ文学同人誌「熱砂」発行のテーマエッセイ集「熱砂」(文庫本、一冊五百円)を昨日から置いていただいているからで、そのお礼が言いたくて伺ったのです。
鎌倉文庫の宮川源社長に直接お会い出来、私は「熱砂が大変、お世話になっています。くれぐれも、よろしくお願いします」と正月でもあることから、大口屋の銘菓・羽子板を持参し、手渡しました。
この無限に広い宇宙で初めてお会いした宮川さん。ビビッとくる、私のハートを融かしてしまいそうな、そんな男性でした。この世で初めてお会いし、お話をさせていただいた。人生、思わぬところで人と人との出会いがある。人生、これだから面白い。楽しい、やめられないのだ。
色白で一見して純朴そのもの。眼鏡の奥に秘められたたおやかな優しさー「このお方なら間違いない」と思いました。不思議なもので私はきょう、これまでの悠久の長い人生のなかで初めて宮川さんと話を交わしたわけです。 宮川さんは「若く、見えますね」と人を有頂天にさせるテクニックにも長け、かといって嫌味もまったく感じさせない社長さんでした。私は、つい嬉しくなり、記念に二冊を購入させていただいたのである。鎌倉文庫で買った第1号は帰宅後、正月のお年玉替わりにさっそく、Mに手渡した。
ところで注目のテーマエッセイ集「熱砂」の文庫本は、店内を入ったちょうど中央部分の一角に置かれており、赤い表紙がことのほか光りを放っている。もしかしたら、この本、ヒットするかもしれない。そんな予感に一瞬、心を奪われてしまったのです。ねえ、こすも・ここ、そしてシロちゃん! 今夜は貴重な紙面をほんとに、ほんとに、ありがとうございました。
☆「イラク生まれ、スウェーデン育ちの28歳 『第二の故郷』で自爆テロ 英国留学で過激思想に」(30日付、毎日朝刊)
「8500人超 裁判員を経験 10年1421件辞退微減51・8% 有罪率は99・9%」、「『情報公開』『住民参加』 地方議会改革 名古屋は17位 早大研調査 松本市が首位」、「全日空 中部空港に格安航空 上海、香港など就航検討」(30日付、中日朝刊)
平成二十二年十二月二十九日
新作小説執筆の合間の夥しい数の賀状書きから、中日スポーツ報道部デスクからの年末年始の連載記事の問い合わせ…と、お父さん、結構バタバタとした一日でした。
ことしも残すは、あと二日。お父さんは、ほとんど書斎にこもりっきり、お母さんのMもリサイクルショップに出かける、など皆それぞれに大忙しです。そんな中、つい最近になり、Mがアタイのことを「こすも・ここ」ではなく、「ヌクヌクさん」と呼ぶようになりました。アタイがいつだって暖かいところにいるからに違いありません。
でも、本音を言ってしまえば、そういう呼ばれ方って。あんまりいい気はしないのです。「ヌクヌクさん」だなんて。よほど、アタイが何もしないでヌクヌクと遊んで生活しているように見えるじゃないですか。これでもアタイなりに自らの健康管理最優先で居場所を決めているのです。あんまりです、ひどいじゃないですか。Mはきっと「それほどまでにあなたたち(アタイとシロちゃん)は幸せなのですよ」と言おうとしているつもりだとは思いますが、それでもアタイの心はキズだらけなのです。
けさでも、アタイが起こさなければ、Mはお仕事に間に合わなかったかもしれません。オトンが深夜から未明にかけ、原稿を書いているときでも、アタイは(確かに掘り炬燵の中にはいますが)いつも傍らにいてオトンの仕事が捗るようこれでも心遣いをしているのです。あ~あ、それなのに。Mったら。アタイのことを「ヌクヌクさん」だなんて。もうMのいるところではお布団やカーペット、腰掛けイスの座布団に座るなどという愚の行為は止めます。
アタイもシロちゃんも、お父さんやMの邪魔に少しでもならないように、と心遣いをあれだけしているのですが。なかなか、こちらの思いが届くまでには、まだまだ道のりは遠そうですね。
☆「竜鉄也さん死去 盲目の歌手『奥飛騨慕情』 74歳」、「小沢氏、政倫審に条件 出席表明・国会冒頭か予算後 首相は会期前 仙石氏の交代迫る?」、「小説『親鸞 激動編』 元旦から連載」、「日航 整理解雇170人に 31日付 30人が希望退職」(いずれも29日付、中日新聞朝刊)
平成二十二年十二月二十八日
お正月を前に、お父さんとお母さん(M)は午後、Mの父、オトンの父のお墓の順で仲良く墓参りをし、墓前に小菊を供え、蝋燭の火をともして線香をたててお祈りしてきました。
お祈りしたのは、オトンとMの母の弥栄(イヤサカ)を、さらに子どもたち、そして、アタイとシロちゃんの無事息災でした。アタイとシロちゃんったら、感激でモノひとつ言えず「ずっと、手を見る」ばかりでした。
結局、きょうのお父さん、すなわちオトンは一日中、賀状書きに追われて合間に、「熱砂」テーマエッセイ集・文庫本の過ち部分へのシール貼りのお願いと送り先への確認を制作者側と今一度、電話でするなど、結構慌ただしい一日となりました。結局、最近オトンが執筆を始めたばかりの新作小説を書く時間など、とてもなく、ただただ賀状書きに追われる一日になったのでした。
それよりも何よりも、うれしかったのは、民主党の小沢一郎元代表が、とうとう覚悟を決めたようで「自らの政治資金問題に関して弁明したい」として、自発的に衆院政治倫理審査会に出席する意向を固めたことです。師走に入り最も歓迎すべきニュースで、これにより国会の論議がスムーズに行けば、なによりかと思います。
ただオトンいわく
「実を言うと、小沢さんは内心で、当初から政倫審に出席する意志でいながら、マスコミに対してはこれを拒否する姿勢を貫き、最後の土壇場で自身の存在感を起死回生で浮き立たせる場面を待っていたのではないか」と。
☆「小沢氏、政倫審出席へ 政治資金問題・姿勢を転換」、「投票準備、職探し、業務再建…仕事納めも大忙し 課題持ち越し 正月返上も」(28日付、中日夕刊)
平成二十二年十二月二十七日
きょうのお父さんの一日は、次の通りでした。今夜にかぎって、アタイの貴重な紙面をオトンに心を込めてプレゼントさせていただきます。
皆さん! ぜひ、読んでくださいね。
―午前中、あれやこれやとしなければならないことに追われ、午後から社へ。私が書いた中日スポーツ掲載のファンクラブ通信と「ガブリの目」を公式ファンクラブのホームページにアップし、この後はパソコンに届いた会員(読者)の皆さまからのメールをチェック、留守の間にかかった電話に対する返電もした。アップをしておけば、当事者の会員家族にとっては、何よりの正月の明るい話題になるから、だ。しなければならなかったことには、ほかにことし最後のMと一緒の早朝ゴミ出しも含まれます。
そして。社であれやこれやと仕事をしたあとは、今池へ。私が主宰するウエブ文学同人誌「熱砂」のテーマエッセイ集の文庫本最終版を制作者に確認するためでしたが、まずまずの仕上がりに、まずは一安心しました(とはいっても、126ページ中ほどで本来は「歌人の短歌」とすべきところが「俳人の句」となってしまっていた基本的な過ち発見も。この箇所はシールを貼って緊急避難していただくことにした)。
この後は、本の制作で大変、お世話になっている小畠辰彦さんと今池の鎌倉書店さんへ。書店に置いていただけるということで挨拶に訪れたが、あいにく社長さんが不在とのことで、今度はその足で千種の居酒屋「ぼん」へ。これがまた大変な混みようで、押し合いへし合いをしながらの一杯となりました。ここはママさん手づくりの一品が何でもそろっているばかりか、天下一品のお好み焼きがこれまた、とってもおいしいのです。そのうえ二人とも酒豪ときているのでお酒はグイグイ、底なしに。天井知らずとなりそうだったが、本をもう一度しっかり見て読んでおかなければーとの思いが先にたち、小畠さんを残し少し早めに、帰らせていただいたのである。
店内では名演小劇場代表取締役・島津秀雄さんにもお会いでき、島津さんはじめ文庫本八冊の嫁入り先が、あっという間に決まった。お店の庶民性からも客筋はいい人ばかり、名古屋に単身赴任してきているサラリーマン諸氏が多いだけに、「熱砂」文庫本の全国展開への足場が築かれたらいいな、とそんな気持ちがしてうれしく思った。そしてー今宵の島津さん、カーキ色のマフラーに白の縁取りの黒い帽子、そして緑のパーカーと、さすがは名古屋の庶民芸能の代表。今は亡き黒川大先輩(日本の芸能記者だった故黒川記者、人呼んでクロチャン)の話など、思わぬところで貴重で楽しいひとときになった。
また、帰宅途中には新聞記者の後輩で生活部の若手敏腕記者Sさんとバッタリお会い出来、家が同じ方向でもあるため地下鉄鶴舞線車内で、文庫本をお見せした。中身はともかく赤の地に白抜きで“テーマエッセイ集”“熱砂”と書かれた表紙には「なかなかステキじゃないですか」とお褒めの言葉までいただいた。
さて、この文庫本が天に向かってどう飛び立ち、羽ばたいてゆくのか。皆さんの心からの協力とPR、そして口から口へのクチコミの広がりに、ただただ期待するばかりである。
ウエブ文学同人誌「熱砂」の矢は、いま放たれようとしている。
☆「東国原氏 都知事選へ」「出馬意向固める」(27日付、毎日朝刊)
「たちあがれ、連立拒否 緊急議員総会で確認」、「村木さん国賠提訴へ 『不当な逮捕』午後にも」、「値上げ…消える灯」「たばこ店廃業急増」「東海4県・昨年の1・5~3・5倍」(27日付、中日夕刊)、「確定死刑囚111人 法務省調べ・年末時点 戦後最多」(27日付、毎日夕刊)
平成二十二年十二月二十六日
お父さん、ことしは例年より、少しはやい賀状書きが始まりました。これから、しばらく年内は(いや、新年に入ってからも)連日の賀状書きが延々と続きます。
各地を転々と歩いてきた地方記者出身で地域との絆を大切にするオトンのことです。
一昨年までは、能登半島七尾市の馴染みの印刷屋さんで毎年、年賀状の作成をお願いしてきましたが、昨年からは暮れの忙しいときに出来た賀状をそのつど送っていただくなど無理を願うことはやめ、自宅近くのどこか適当なところに印刷してもらうことにしたのです。というわけで、ことしはMが業界既成のデザインの中から四種類を選んで近くのスーパー「バロー」で思い切って作ってもらうことにしました。
能登を離れ、二十年もの間、七尾市内の印刷屋さんで毎度お願いをしてきただけに、印刷を江南市内に変更することには躊躇もありました。でも、オトンもMも「やはり、これでよかった。いつまでも手間暇をかけたのでは失礼にも当たるから」と納得、アタイもその方がよい、と思っています。
オトンの場合、これまで歩いてきた地方の友だちが多いので年賀はがきは膨大な枚数に及びます。この際、枚数を言うと皆さん、驚いてきっと「シンジラレナ~イ」と腰を抜かされるかもしれませんので黙っておきます。
ただ、こうした人々の多くが、オトンのファンで本を買って読んでくださっていることも疑いのない事実なのです。だから、オトンの本は、たいていは数年以内に売り尽くされてしまうのです。どこかで作られたスター本のように、最後は余ってただでタタキ売りされたり、処分されたりすることもありません。
逆に多刷りという大魚狙いの出版も原則としては、いたしません。だから、年がたつに従い、それだけ貴重な本に育ってゆく。(ただ、かつては1万5千冊売れた“泣かんとこ 風記者ごん!”の時は重刷あります)。気がついた時には、売り尽くされていることが多いのです。「火焔―空と海」しかり、「一宮銀ながし」しかり…です。
なんだか、宣伝じみたおかしな話になってしまいました。でも、真実だから仕方ありません。
それよりも、きょうは、オトンが年賀状書きや新作の小説執筆中にMが部屋の掃除にかかりきりとなりました。午後にはオトンがアッシー君となり、スーパーへ。実家で消えかかっていたランプの取り替えにMともども苦心し、帰りにはホームセンターに寄って、アタイとシロちゃんの爪とぎの新品まで買ってきてくれました。町を行き来する人々のすべてが新しい年への期待を込め動き回っている様子が手に取るようでした。
愛知県一宮市長選挙が二十六日投開票され、現職で無所属の谷一夫さん(六十九歳)が新人で無所属の一宮タイムズ社長高橋一さん(五十歳)を破って四選を果たした。全国高校駅伝が京都市の西京極陸上競技場発着コースで行われ、男子で鹿児島実業が念願の初優勝、女子は興譲館(岡山)が五年ぶり二度目の優勝を果たした。その他、きょうはボクシングのタイトルマッチ、全日本フィギュアと暮れのスポーツが満載でした、とサ。
☆「レアアース 名大、モンゴル鉱物調査 現地大学と計画・安定調達図る」、「小塚 フィギュア選手権初優勝 父子で日本一」(26日付、中日朝刊)
東北・福島の国道49号で三百台の車が雪の道で昨夜から丸一日以上、立ち往生(自衛隊の出動により二十六日深夜に通行が再開)。秋田県の田沢湖で絶滅した、と思われていたクニマスが山梨県富士河口湖町の西湖で七十年ぶりに確認されたが、その西湖をタレントの“さかなクン”が訪れた(NHK午後7時のニュースから)
平成二十二年十二月二十五日
きょうから一応、休み入り。きのうまでに年末年始の原稿をすべて出稿済みのためだ。こんなに早い暮れの休みなんて、現役時代には、とても考えられないことだった。
とはいえ、掲載原稿のドラゴンズ公式ファンクラブホームページへのアップ(「わたし会員で~す」など)や、会員の皆さまから届いたメールのチェックをする必要があり、期間中、少しは出るつもりでいる。事務局スタッフのなかには、まだまだ重要会議が残っている激務の仲間Kさんらもおり、決して緊張感が解けたわけではない。
―というのは、お父さんで、オカン、すなわちMの方は、相変わらず、百円、二百円の世界で社会奉仕も同然(オトンに言わせれば返って毎月、足が出ている。でもMの生きがいになり「社会のお返しになれば、これもまた、ありか」だってサ)、お金にもならないリサイクルショップの遣り繰りに忙しそうです。
町の顔は日に日に、刻一刻と、顔色をかえてお正月に向かいつつあります。ここ二、三日というものは、真冬の足音とともに寒波が襲来しており、時折、小雪が舞い、風も冷たい日和となってきました。オトンは、やはり大お母さんが気になるらしく、実家に顔を出すと、一緒に大根引きに行こう、ということになり、畑まで共に出向いて大根と菜っ葉をひいて帰ってきました。
帰宅後、オトンは、久しぶりに木曽川河畔のさびれた町を一人あるいてみたそうですが、特に記録するほどのことはなかったみたい。やはり、寂しさばかりが募る、そんな町でした。
再び帰ったあとのオトンは、何かは知りませんが、ずっと執筆。この後、夜に入りお風呂に入ったあとはメーテレのドラマスペシャル「忠臣蔵~その男、大石内蔵助」をアタイと一緒に見ました。Mは、いつものように自室・舞子の部屋(別名・天女の部屋)でラジオを聞きながら本を読むという“ながら族”に徹しましたが、途中、テレビ音が耳に入ったのか、オトンのいる居間に来て「(毎年、暮れになるとは忠臣蔵、忠臣蔵と、ちまたは喧しいが)忠臣蔵なんて、ほんとの“忠義”ではない、と思う」とひと言。
実は、アタイもそう思うのです。確かに主君のあだ討ちをした、という点ではみあげた忠誠心ですが、これがニンゲン社会にとっての真の忠義かどうかとなると、疑問である点ではアタイもMと同じ考えなのです。
だから、アタイはオトンに、こう言ってやりました。
「だったら、四十七士の妻や子、親に対する忠義はどうなってしまうの。主君のあだ討ちを果たせば、家族がどうなったって良い、と言うの。アタイが内蔵助だったら、妻りくへの不義理をわびたあと、アタイ一人で吉良上野介の首をはねてやる」と。
オトンは、しばらく黙っていましたが「いやはや、おまえとMの言うとおりだ」と答えざるを得ませんでした。オトンは、思わぬところで、Mとアタイに一本取られ、忠臣蔵すなわち真の忠義とは、かけ離れていると悟ったみたいです。今宵は、ここいらあたりで。
☆「福岡の車衝突 池転落の6人死亡(その後7人死亡に) 高校生ら9人乗り・相手男性は救助で? 死亡」
ことし一年の出来事を写真や映像で振り返る「中部報道展」(中部写真記者協会主催)が二十五日、名古屋市中村区の名鉄百貨店本店で始まった。三十一日まで。入場無料。(中略)開会式に出席した中日ドラゴンズの落合博満監督は「写真に写る表情には物語がある。足を止めてゆっくり見て」と話し、クライマックスシリーズを制し胴上げされる自身の写真パネルにサインした。(25日付、中日夕刊)
平成二十二年十二月二十四日
クリスマス・イブ。
アタイは今夜、いっぱい、いっぱいお父さんに抱かれました。抱かれた、というよりも抱きかかえられる、といったもので、そこはニンゲンと猫の関係です。オトンがアタイを両手で抱きかかえ、胸キュンをしてくれた、そんな程度の、けなげな話なのです。
きょうのオトン。帰宅した時には新しく書き始めた小説のストーリーのことで頭がいっぱいだったのか、それとも他の考え事、悩み? なのか、何かジッと物思いに耽っていたようで、少し、いや、かなり、疲れていたみたいにも見えました。
けれど、アタイの顔をしげしげと見るや、パアーッと明るさが甦ったようで「よしよし、きょうはイブなのだからな。こっちにおいで」と、何度も何度も抱き上げてくれました。
アタイは、こうしたオトンの優しさと思いやりが、たまらなく好きなのです。オトンは、きょう年末年始の原稿(中日スポーツのFC通信)をひと通り、出稿してしまい、なんだか肩の荷が下りたみたい。それでも、まだまだ、あれやこれやとやらなければならないことが沢山あるようです。
わが家は、アタイたちのお母さん、Mの配慮もあり、ずっと以前から玄関先一角にクリスマスのミニ飾りが施されています。「たとえ飾りはちいさくとも何とも言えない、風雅な味わいがある」とは、オトンの言です。
☆「琵琶湖の外来魚に新対策」「産卵前狙い一斉駆除」「滋賀県 巣を特定、待ち伏せ」(24日付、中日朝刊1面)
「『警察資料』流出認める」「ネットに国際テロ関連文書 警視庁が謝罪」、「愛知の強盗被害 年内14件中12件『すき家』 牛丼店 スキあり」(24日付、中日夕刊)
「検事総長に笠間氏決定」「大林氏退職 次長検事には小津氏」(24日付、毎日夕刊)
ドラゴンズの新井良太内野手(二十七歳)と阪神・水田圭介内野手(三十歳)の交換トレードが二十四日、きまった。
平成二十二年十二月二十三日
天皇陛下は「喜寿」に当たる七十七歳の誕生日を二十三日、迎えられた。というわけで、きょう二十三日は祝日。昨年の兄弟会の集まりで、オトンが言い出しっぺとなった伊神家の兄弟会が名古屋駅西の「つちやホテル」で行われたのです。
つちやホテルと言えば、オトンの妹さんの娘・クミちゃんの嫁ぎ先でもあり、戦後まもないころからの由緒ある和風料理旅館でも知られる。きょうは私たちの母が先日、Mが手編みでプレゼントした白い襟巻きを黒いレースのうえに首から羽織って現れ、それが結構、しっとりと華やいで感じられ、お似合いだった。
また妹にとっては、孫になる光希ちゃん、有希ちゃんが史上最年少のコンパニオンコンビとして大役を果たしてくれ、楽しいひとときとなった。
伊神三兄弟といえば、私学の名門・T高校の卒業生で反戦弁護士、空飛ぶ記者、女性数学教師からの転進税理士、として一時期は相当有名だった季節もあるそうです。とはいえ、いまやいずれも六十歳を超え、老境の域に達しつつあることも確かだ。この日は、三人とも夫妻同伴の出席で、九十歳の母親を囲んでの楽しいひとときとなりました。
この日のお父さん。兄弟会のあとは、新聞社へ。25日付で紙面化予定である会報中スポ版の記事のチェック作業に追われました。きょうは、このほか、二十世紀バレエの神髄とされるあの「ヌレエフ」の著者、新倉真由美さん(日本ペンクラブ会員)からも栃木県の銘菓が、バレエ&ダンス版「ぶらあぼ」第31号とともに送られてきており、感激したんだってサ。
☆「尖閣映像流出 海上保安官停職1年 守秘義務違反書類送検 処分受け辞職 職員計24人処分」、「最古の将棋盤出土 室町期 升目くっきり 出雲・高浜I遺跡」(23日付、中日夕刊)
「警視庁『内部文書 可能性高い』テロ情報流出で表明へ(23日付、毎日朝刊)
平成二十二年十二月二十二日
お父さんったら。
「仕事の方は年末年始の原稿執筆やら、なんやかんだで、それなりに休む間がない」とのこと。それでも、家に帰ると、必ず「おい、こすも・ここ、元気にしていたか」と声をかけてくれるので、嬉しい。アタイも、やっぱり毎日、オトンの帰りを待ちわびているのです。
ここでアタイは、Mにとことん聞いてみたい。ニンゲンとアタイたち猫との結婚は可能なのでしょうかーと。これに対してMは次のように答えてくれました。
「肉体的にはダメだけれど、心理的な結婚なら、文句なぞありません。恋心は当然、ニンゲンにも猫の方にも、互いにあるのではなかろうか」と。いやはや、おかしな話になってしまいました。
ところで、きのうの読売新聞1面の箱組こらむ・編集手帳に次のような下りがありました。
―詩人の吉野弘さんに、漢字を素材にした一連の作品がある。そのひとつ、題して『対決』―〈馬と蚤との対決/騒然!〉……◆いまの政局は、巨大な馬をちっぽけな蚤が煩わせ、悶死させようとしている図だろう。「馬」とは、昨年の衆院選で政権交代を実現させるべく有権者が民主党に投じた約6300万票である。「蚤」は、小沢一郎氏が国会で政治資金の疑惑を説明する、しないのゴタゴタである◆蚤の駆除はたやすい。小沢氏が国会招致に応じれば済む。……
なかなか、いい記事だなっ、と受け止めたそうです。
ここで話が飛び飛びとなり、申し訳ありません。
今夜、オトンが白菜、ねぎ、大根…を手提げ袋に入れ、どっさり持ち帰ったのでアタイが「一体なにごとか」と聞くと、京都に住むドラゴンズファンかつ野菜づくり名人のNさん一家から送られてきたものと分かった。デ、ご行為に甘え、事務局スタッフで均等に分け、それぞれわが家に持ち帰ったのだってサ。
Nさん、いつも本当にありがとうございます。
☆「冬至(一年のうちで最も日が短い)の朝日 神々しく 伊勢神宮内宮」、(22日付、中日夕刊)
平成二十二年十二月二十一日
今夜の尾張地方は天気予報どおり、夕方から突然の雨、雨、雨。おかげでMが何よりも見たがっていた「赤黒く輝く満月」、すなわち皆既月食(月が完全に地球の影に入ってしまう現象)を見ることはかなわなかった。
テレビ報道によれば、北海道の釧路地方では午後五時五十四分から、一時間十四分にわたって「赤黒く輝く満月」が続いて観測されたという。本当を言うと、アタイもシロちゃんも見たかったよ。
きのうの中日新聞夕刊・夕歩道によれば、「あす夕刻、三年ぶりの皆既月食。東の空に赤銅色の満月が昇る。三重県二見浦の夫婦岩の間から、それを観測できるという。洋上の赤い月。次にめぐりあえるのは、百四十二年先のことだとか」とあっただけに、雨にたたられ貴重なチャンスを逸したのは間違いない。テレビ報道によれば、次に見られるのは「来年十二月十日」とのことだが、夕歩道に言う「百四十二年先」とは、これいかに?
きょうは仕事帰りに、ことし最後の横笛の稽古に上前津の師匠宅を訪れた。いまは「酒よ」を習っているが、師匠曰く「酒よーは、いがみの権太さんに、一番あっているわ」だってサ。というわけで、今夜は「酒よ」ばかりを何度もふいて帰ってきた。
そういえば、Mがアタイとシロちゃんにステキな敷布団を買い与えてくださり、本当に感謝してま~す。まさか、アタイたちにまで、ひと足早いクリスマス・プレゼントをいただけるだなんて。夢にも思っていなかった。やっぱりMはやさしい。大切に使わせてもらいます。
☆「首相、小沢氏会談 決裂」「政倫審拒否 招致議決先送り」「証人喚問に言及 首相」(21日付、毎日朝刊)「政倫審(衆院政治倫理審査会)遠い疑惑解明 『生みの親』小沢氏が断固拒否 国民は出席望む声大勢も 強制力なし、儀式的な審査」(21日付、中日朝刊・特報面)
「尼崎脱線事故 JR西前社長、無罪主張」「神戸地裁初公判『潔癖 明らかに』、「女性殺害 35歳容疑者逮捕」「滋賀・守山の事件 福岡県警に出頭」(21日付、中日夕刊)
平成二十二年十二月二十日
月曜日。
きょうのお母さん・Mの午前中。
―風呂の窓ガラスをふき、冷蔵庫の中の整理をし、二階の寝室の掃除から庭での煉瓦張りなどの手入れ、さらには洗濯……と、それこそ大車輪です。あげくに、歯医者さんで歯の治療を受け抜歯までされるなど、痛々しいかぎりでした。でも、Mったら、自分でいったん「やる」と決めたらとことん、気がすむまでやってしまう“鉄の意志”なのだから。少し、こわくなってきます。
アタイ、いつも思うことなのですが、お父さんとMを比べると、どっちが男なのか分かりません。Mに言わせれば、オトンは、柔道が強かったという割りには、力仕事はからきしダメだし、家事、掃除などの類はMに任せっぱなし。だからMの血圧が知らぬ間に上がってしまい、あげくに脳内出血で倒れてしまったりするんだ、と思う。気をつけなければ。ほんとに無茶してしまうのだから。
そればかりか、ことしは四月に脳の大手術まで行い、担当医師がよかったこともあり、奇跡的な生還を果たしたばかりなのに。少したって、よくなったと思い、オトンったら、安心しきってしまい、またMに重労働をさせているのだから。許せませんね。
それはそうと、Mがいつもアタイたちを評して言う言葉、教えてあげようか。
それは、ネ。こすも・ここ、すなわちアタイは天下一のポーズ取りなんだってサ。そしてシロちゃんは“おねだり上手”なんだってよ。アタイは、いつカメラに撮られてもいいように、目をぱっちり開け、背筋を伸ばしているから、そう呼ばれるのかな。シロちゃんは、空になった猫缶を前に、食事を与えられるまで、ジッと我慢の子でいつまでも威儀を正して、ちょこんと座っている。だから、そう呼ばれるみたいで~す。
でもね、Mったら、いつも最後には、こう言うの。
「なんといっても、七尾と大垣で一緒に居たテマリちゃんにはこすも・ここもシロちゃんも負けるわね。だってテマリには、それこそ天下一の気品があったもの」だってサ。でも、アタイにも天下一がある。なんてったって、ポーズ取り名人なのだからね。これだけは、Mも認めてくれているみたいです。
なんだか、今夜は、おかしな話になってしまい、読者の皆さん、許してください。それより、神さま、仏さま、Mのからだを守ってください。
☆「河村市長辞職申し出 名古屋市出直し選2・6トリプルへ」、「韓国軍 午後にも訓練 延坪島住民 防空壕に避難」「北非難持ち越し・安保理緊急会合」(20日付、中日夕刊)
松井秀喜外野手(三十六歳)のアスレチックス入りが14日に決まった。同日の入団発表記者会見で「長い歴史と素晴らしい伝統のあるアスレチックスの一員になれて幸せです。素晴らしい才能を持った若い選手の多いチーム。先頭を切ってみんなを引っ張るようなプレーをしたい」と抱負を語った。(20日付、中日夕刊・スポーツ面「アスレチックス 松井再建の切り札に」から)
平成二十二年十二月十九日
お父さん、きょうも一日ゆっくり、と言うか。あれやこれや、と読んだり書いたり出来、満足な一日だったみたいです。午前中は全く新しい純文学作品の執筆が入り口部分に入ったようです。
以前、お世話になり、小説家のなかでも一番、オトンが尊敬している黒井千次さんのおっしゃる通り、純文学は推理小説とは違う。完璧な筋書きは不要、とのこと。それよりも、あらあらのストーリーを描いて書き進むうち、作中人物がドンドンと思いがけない方向に動き出す。そうなれば、しめたものだ、といいます。
おとんの、今度の新しい小説。
アタイ、仮りの題を内緒で教えてもらいました。今のところ「い・く・よ」だそうです。い・く・よ、にはいろんな意味が込められているのです。どうか、皆さま、脱稿したあかつきには、お楽しみください。
きょうはMが「お母さん=大お母さん=のところに行きたい」と言うのでオトンはMとともに買い物帰りに寄りました。が、庭先の車庫にいつもの白い車(ブルーバード)がありません。いったん帰宅して、途中買った鯛焼きを手に、もう一度顔を出すと「畑へ行っていたから。もう、そんなに来ないで良いのに」とのこと。
それでも、二人は、いつものように仏前で亡き父(北嶺院喜心専一居士)に手を合わせ、大お母さんはじめ、みんなを守ってくれるよう、お祈りしました。
この後、Mから大お母さんに、心を尽くして手編みでこしらえたという白い襟巻きが突然贈られたのには、それこそオトンもびっくり。サプライズ効果満点でした。この日は先日あった、オトンの妹さんの長男の結婚式の写真も届け、大お母さんを喜ばせました。
それはそうと、木曽川河畔のこの町も、なんだか師走の音のようなものが、見えない風とともに聞こえてきます。往来を行き来する人々の顔は、なんとなく、浮き浮きしています。半面、どこか気もそぞろで、慌ただしくも感じられます。大お母さんは、この日は午前中、広い屋敷のガラスすべてを拭いてきれいにしたばかりか、午後は車を運転して畑へ。ここで野良仕事をして帰ったところにオトンたちが訪れたのです。実家に着いたときには、竹ぼうきで庭の落ち葉を掃いておられました。とても九十を超えているだなんて、思えません。
アタイとシロちゃんにとっては、なんとも働き者の大お母さんなのです。むろん、アタイたちのお母さん、Mもだよ。
☆「長良川河口堰開門 倍増へ」「来年度から 放流で環境改善」、「花の女王美を競う 豊橋・コチョウラン出荷ピーク」、「稲垣菘圃(すうほ)氏=中日文化賞受賞者、日展参与=死去 書家、篆書などで活躍 85歳」(19日付、中日朝刊)
平成二十二年十二月十八日
土曜日。Mは、朝から近くの福祉センターで開かれる俳句教室に出かけ、お父さんは途中、二、三度家を出たものの、昼間はずっと書斎に篭りきりで静かな一日となりました。アタイは正直、家族だけで何事もなく時が過ぎてゆく。そういう平凡な日々が好きなのです。
途中、オトンが出かけたうちの一回は、近くの実家です。行くと、大お母さんは「いつも、いつも来なくていい」と言いながらも「これから、ぜんざいを作ってやるから食べていくといい。お母ちゃん、これからテレビで『百歳』という番組見るから」と、うれしそうでした。
ぜんざいを食べながらテレビを見ると、百歳になってなお、書道を教え朝食を自らの手でこしらえている、矍鑠(かくしゃく)たる男性の日常生活を紹介していました。オトンは、九十を超え、なお車を運転して農作業をこなし、手作りの野菜までわが家に届けてくれる大おかあさんを前に、「母が百歳になったら、どんな化け物になるんだろうか。決してテレビの男性に負けてはいない」と思ったと、サ。
そのうえ帰りには「家の畑でなったから」とミカンまでもらって帰宅しました。
夕方、お父さんは久しぶりに自宅近くの居酒屋「いっぷく」に行きました。真珠の海・英虞湾で取れたヒオウギ(桧扇)貝=別名・アッパッパ貝=が三重県志摩半島の友人から送られてきたので、それを少しだけ持参し暖簾をくぐったのです。
この「いっぷく」さんは姉さん女房の、七十代のご夫妻が営んでおり、料理に詳しいご主人曰く「これは、すごい高級品ですよ。ホタテの仲間です。このまま刺し身で食べた方がおいしいです」。
さっそく、みんなで食べたそうです。店では、いつの日からか、美千代さんという熱血女性が働くようになっていました。この広い宇宙での生活。生きていれば、ニンゲンいつだって、この世の中で初めての出会いがあるものです。アタイもシロちゃんだって。これでも毎日毎日が新しい未知の世界を探し求めて生きているのですから。オトンやMの心理だって刻々と、変わっていくのです。なんだか偉そうなことを言ってしまい、ごめんなさい。
☆「海女さん32年間で4分の1 9134人→2160人 海の博物館全国調査 三重7割減 愛知ゼロに」、「名古屋市長選 石田氏『出馬白紙に』 民主県連と会談、伝える」(18日付、中日朝刊)「民生委員 なり手不足 地域のつながり希薄化」「虐待、高齢化…増える出番 家族の肩代わりも」(18日付、中日夕刊)
☆米大リーグ・ツインズが、ロッテの西岡剛内野手(26)の移籍を正式発表した。3年契約で合意した。(18日付、毎日夕刊)
AKB48 ついに、あのデュオに並んだ。8日に発売された最新シングル「チャンスの順番」は週間シングルランキングで首位。これで今年の5作すべてが首位を記録した。女性アーティストでは、「UFО」などのヒットを飛ばした1978年のピンク・レディー以来である。拠点とする東京・秋葉原の劇場は250人が入れる。平日夜のライブは20~40代の男性を中心に、カップルや親子連れの姿も。…(18日付、毎日夕刊・,10 ひと 「ととのいました」チャレンジ精神の塊、から)
平成二十二年十二月十七日
お父さん、今晩は久しぶりに早く帰ってきてくれました。だから、とってもうれしかったよ。
お風呂に入ったあとは、Mとアタイ、シロちゃんを傍らに食事をしながら、ゆったりとした時が流れていきました。正直言って、アタイもシロちゃんも、互いに無言ではあってもこうして信じあい、くつろぐニンゲンたちの生活に同化している、そんなひとときが何よりもスキなのです。
そのうえ、今夜は中京テレビの金曜ロードショー特別版で劇団四季による吹き替え版初放送の「オペラ座の怪人」が上映されました。Mが見ないはずはなく、オトンもアタイもシロちゃんまでがテレビ画面に釘付けになったのです。
“地下に潜む謎の怪人! 美しく悲しい愛の物語”にMのつぶらな目が、久しぶりにキラリと輝いていました。
もっともアタイとオトンは時折、テレビの前で小説「乙女の密告」の登場人物そのもの、アンゲルカ人形とバッハマン教授さながらに、いちゃつきあい、アタイは思わずうれしくてお腹の底からゴロゴロ、ゴロゴロ……と悦びの声を流してしまったのです。あ~あ、恥ずかしい、たら。ありゃしない。
それでも、アタイは、オトンの食べ残したおからを代わりにたべました。それが、なんとおいしかったことか。あまりパクパク食べ続けるので途中、見かねたテレビ観戦中のMから「こすも・ここ、もうダメよ。おなかが悪くなっても知らないから」と、たしなめられてしまいました。
アタイは、何げない、こうした日々が大好きなのです。
政治、経済、社会、スポーツ、芸能、生活…と人間社会は、いろいろ不条理なものばかりが、山の如く積み重なっていくばかりです。暮れに入り、相も変わらず血なまぐさい事件が多発しています。なぜなのでしょう。これも神さまの為せるわざなのでしょうか。ふつうに、自然に生きていく。そうした平凡な生活こそが大切だと思うのです。ネッ、かわいいシロちゃん!
名古屋はきょう凄く冷え込みましたが、中日ドラゴンズ公式ファンクラブ・北海道通信員の会川桂市帯広ドラキチ会広報部長によると、帯広では、きのうも、きょうも氷点下20度で、まきストーブで暖を取っているそうです。旭川では昭和四十七年に氷点下、40度以上にまで下がったことがあるんだってサ。上には上があります。
昭和四十七年といえば、オトンとMが志摩半島で逃亡駆け落ち記者生活を始めたころで、二年後に長男が生まれた二月に小雪が舞い「南国・志摩に小雪舞う」という原稿を送った日々が忘れられないそうです。日本は、とっても広い。
☆「名古屋1・1度 津2・7度 今冬一番の寒い朝」、「バスに刃物男 13人けが」「茨城・取手駅前 中高生らに切りつけ 殺人未遂容疑で逮捕」、「名古屋市リコール 2月6日『トリプル』有力」「前例なし 選管ドタバタ」(17日付、中日夕刊)
平成二十二年十二月十六日
一昨日から三日間の連続飲み会、今夜はさすがに疲れた、とはお父さんの辛そうな表情です。
「現役の一宮支局長時代には、ほとんど連日でしたが、ケロリとしていたのに。年かな」とは、アタイの見解です。
今夜はよほどやめようとは思いながらも会場が徳川美術館東門を入った宝善亭と聞き、つい足をのばしてしまったそうです。
出席者は、小中陽太郎さん、佐藤毅さん、三宅雅子さん、名古屋経済大学短期大学副学長の野田さん、元毎日・論説委員、元中京テレビ編成局長…らで、吹き矢の専門家、本巣の富有柿栽培夫妻、さらにはピアノ教師、徳川美術館学芸員まで加わり、それは楽しい会だったそうですよ。
夜おそく帰宅すると、琴伝流大正琴会主・倉知弦洲さん(ウエブ文学同人誌「熱砂」メンバー、詩人・牧すすむさん)から手紙が届いていました。なんと豪華客船「飛鳥」からの便りで、きょうは瀬戸内海で大正琴の船上コンサートをしている、とのこと。なんともうらやましい限りです。
ことしも、こうして一日ずつ、月のかなたに消えていきます。
☆「検事総長 年内に辞任 証拠改ざん隠蔽、引責」「熱田で火渡り神事」(17日付、中日新聞)
平成二十二年十二月十五日
けさ未明、Mは夜空を何筋も走る“ふたご座”流星群を見たという。お父さんは、すっかり忘れてしまい、前夜のお酒の酔いもあり、いつもなら一緒に見るところを見れなくて、残念そうでした。
そんなことよりも、きょうはオトン、夜、名古屋市西区の料亭で愛知県柔道整復師会の皆さんとの暮れの懇親会に招かれ、帰りにリュウさん(柳田副会長)に誘われ、久しぶりに一宮は花岡の「小太郎さん」に寄りました。相宮よねよ姉さん、ケイコまま、かずくん…と皆元気そうで、とっても嬉しかったんだってサ。
リュウさんの息子さんが昔、名古屋大学の学生のころ、「小太郎さん」でアルバイトで働いており、オトンも一宮支局在任中にお世話になっただけに、話が弾みました。その息子さんも今は立派な銀行マンとして中国で大活躍されており、時のながれの重さをヒシヒシと感じたんだってよ。
ケイコまま自慢の娘さん・由佳奴こと、ユカちゃんも名古屋で元気で働いていると知り、本当にうれしそうでした。
☆「リコール住民投票へ 名古屋市議会」「出直し市長選 石田氏に再び出馬要請 民主市議団・本人も前向き」(15日付、中日夕刊)
平成二十二年十二月十四日
きょうは、このパソコンが突然、言うことを聞かなくなってしまい、お父さんがいつもなら深夜から未明にかけて行っている本欄・笛猫日記のアップが出来なくなってしまい、読者の皆さまに大変な迷惑をおかけしてしまいました。
幸い、おニイちゃんが夜、帰宅後に魔法の手を使って直してくれ、再びアップができるようになりました。肝心のオトンですが今晩は、夜、ある怪人二十面相との二人だけの飲み会でお酒を飲みすぎ、あれやこれやと少しばかり疲れてしまったみたい。ですので、アタイの取材時間も限られ、オトンも飲みすぎで辛そうでしたので、きょうはここいら辺りでペンをおきます。
あっ、そうそう。オトンはきょう午前中、Mの月に一回の受信に付き合いました。担当医師に「血圧は二日に1回でいいから、チャンと測らなきゃあ」と注意されました。いつも、受信日の二、三日前になりあわててオトンに言われて、いやいや血圧を測るMには困ったものです。薬を飲んでいて「上が150~160、下が80~110」は、「少し高いから注意してください」といわれてしまいました。
☆「名古屋市議会リコール 住民投票ほぼ確実 有効1万人超 あと1829人に」(中日、15日付)
平成二十二年十二月十三日
月曜日。Mは家の掃除をしたあと、歯医者さんへ。お父さんはいつもの通り会社に出かけていった。むろん、おニイは朝早々の出勤である。ゆったりとしているのは、おまえらだけだぞ、と言われそうだ。でも、アタイとシロちゃんが元気でこうして居ること、そのこと自体が即ち家族に安心感とエネルギーを与えるのだから。これまた良し、としてほしい。
というわけで、アタイもシロちゃんも、お布団の上だったり、ソファの上だったり、それぞれ、あったかい何カ所かある、それぞれの定位置のうちの一カ所でゆったりとしているのである。静かで何げない日常の流れ、こうした日々の暮らしこそが、ペットのアタイたちも含めて幸せというものなのだろう。
そして。毎年、暮れになるとMの瞳が輝きだします。
それというのも、これまで渡り歩いてきた各地方の友人たちからお歳暮が送られてくるから。むろん、わが家からも、これまでお世話になった方々には、それなりに季節の贈り物はしています。送り、送られ。人生、これ皆、相手を敬っての季節の礼は必要かと思います。
それでもオトンったら。「もう定年になり、五年近い。給料だって、現役時代に比べたら四分の一もないのだから。いっそ止めてしまったら。その方がスッキリする」と思い出したように言うのです。とはいえ「地方でお世話になったのだから」とMの気持ちがそれを許しません。おかげで、このころになると、能登、志摩、大津、大垣、小牧…の友人たちから毎年、思いがけなく多くの品々が届くのです。
届くのは、贈り物ばかりではありません。「毎年、気を遣っていただき、ありがとう。どう、ガミさん。ご家族もお元気でいますか」といったお礼を兼ねた声の便りがあちこちから届き、こうした電話には決まってMが出るのです。言葉数が極端に少ないMも何を話しているのか、オトンが驚くほどに長く話しており、嬉しそうな表情は手に取るようです。
志摩のDさん、能登のSさん、Yさん、大垣のHさん、一宮のUさん、Kさん、大津のAさん、Bさん、小牧のZさん、Gさん…。それこそ、お世話になった方々ばかりとの互いの音信が確認されるのです。毎回、中身こそ違いますが、南張ミカン、伊勢えび、かぶら寿司、寒ブリ、能登の海産物、能登は珠洲の地酒・宗玄、岐阜の富有柿、飛騨牛、大津の近江牛、落雁…といった類が各地から届くのです。これもオトンの交友関係の広さの証明ともいえます。
ところで、新聞記者をもじる言葉に「もらい乞食」があります。
読者は、書いてほしい、紹介してほしい一心で記者たちに贈り物をしてきます。オトンは、これを返せばかえって人間関係にヒビが入ってしまうので、一応受け取ってはきました(時に、見え見えの場合は、はねつけたことも何度かある)。その代わりに、真底から、お世話になった方々には、せめてもの気持ちからお礼に盆、暮れの些細な贈り物をするようにしており、それがまた相手から喜ばれ、季節のものが送られてくるのです。取材ばかりか、日常生活でも大変お世話になった、「もらい乞食」の罪滅ぼしがこうした結果となって、今に生きているのです。
「新聞記者って。仕事は厳しいが、恵まれ過ぎ。よほど、しっかりしなければ」と言うのがオトンの感謝のことばなのです。
☆「堂々新竜戦士 大野ら入団発表」「小沢氏招致を議論 民主役員会・党内対立が激化」「犬山市長に田中氏再選」(13日付、中日夕刊)「東浦女性遺体 遺棄容疑同居の男逮捕 『首絞めて殺した』」、「茨城県議選 事務所に保冷車突入 当選者のおじ死亡」(13日付、毎日夕刊)
平成二十二年十二月十二日
昨夜、懐かしい人から電話が入った。
電話が入る前に、その昔、スリを捕らえさせたら愛知県警ナンバーワン、警察庁功績賞にまで輝いた往年のデカ・タニさんから「オイ。ガミさんよ、シロウさんから電話がいくから、番号教えといたよ。頼むわネ」と電話が入るところが、デカ魂今にありで、なかなか面白い。
シロウさんとは、広畑史朗元福岡県警本部長(五十八歳)である。アタイのお父さんが新聞社の小牧通信局長当時に全国最年少署長として二十代で小牧署に着任され「ニュース前線」という囲み記事で紹介したことがある、という。
三十年も前になる。広畑さんの在任中は、事件取材でよく署長官舎を夜討ちしたものだ。そんな広畑さんが小牧で授かったお子さんが美雪さんだ。確か、雪の降る日に「近くうちのが出産予定だが、ガミさん、どんな名前にしようか」などと相談され、「女の子だったら、美雪にしようと思っているが、どうだろうか」などと相談され「それは、いいじゃないですか。奥さん、色白の美人だし、それが一番いい」などと酒を酌み交わした日がつい、きのうのようでもある。
その広畑さんからの突然の電話である。
あの穏やかな物言いは、昔と少しも変わらない。いろんな苦労を積み重ねられ、当時に比べたら一回りもふた回りも大きくなられた、そんな印象だった。電話の内容は、近く本を出版したいが、昭和五十九年五月十九日付で米国留学中の模様をガミさんに紹介された記事、「目耳録」を掲載させていただきたい、との由。私は「○○付、中日新聞とだけ付記していただければ、何ら構いません」とこたえ、あとは互いの近況談議で話の花が咲いたのである。
広畑史朗といえば、福岡県警本部長時代に「警察の視点社会の視点 県警本部長折々の主張」(啓正社)を出版され、多くの読者の共感を呼んだ。そして、これより前、栃木県警本部長時代に起きた栃木リンチ殺人事件での初動捜査の遅れについては、当時の広畑本部長自ら「家出人捜索願いを受理した段階で誤った先入観を持ってしまった。それがあとあとまで尾を引いた…」と反省の弁を述べられ、その謙虚な姿勢には胸打たれた人々も多かったに違いない。
あのころの栃木県警は、マスコミに叩かれに叩かれ広畑本部長の無念さを思うにつれ、オトン自らもテレビの前で悔しがっていた日々が、つい昨日のようでもある。
現在は「美雪も結婚して家を離れ、横浜に建てた終(つい)の棲家で、ふたりで暮らしています。地検の検事を相手に『危機管理』についての話をするなど業務に励んでいます」とのこと。懐かしさがこみあげてきたが、彼は彼らしくいつまでたっても謙虚さは変わらないな、というのがオトンの実感だった。それよりも、広畑史朗さんの新作、早くできないかな。大いに期待したいですよね。バックアップもしたい。
☆第二十五回中日体育賞の贈呈式が十一日、愛知県豊田市の市総合体育館で行われ、体操世界選手権で日本人初の個人総合連覇を果たした内村航平選手(二十一歳)=日体大=に、大島寅夫中日新聞社長から賞状とトロフィーが贈られた。
冬の夜空を彩る「ふたご座流星群」が、ことしは十四日深夜から十五日明け方にかけて観測のピークを迎える。月が沈む真夜中過ぎに観察するのがおすすめだという。
中日ドラゴンズ公式ファンクラブ主催のドラゴンズ新入団選手歓迎会が十二日、ナゴヤ球場のドラゴンズ屋内練習場で行われた。五人の新入団選手は、皆初々しく「日ハムの新入団選手・斉藤佑樹なにするものぞ」の気迫がうれしかった。五人にはこの先、日本プロ野球界を代表する選手に育ってほしい。
「(木村)伊兵衛 幻の写真 被爆2年後の広島撮影 (広島)県立文書館などに495点」(12日付、中日新聞)
平成二十二年十二年十一日
サンデー毎日の十二月十二日号編集長後記で「孤舟族」という面白い表現を知った。まだ読んでいないが、この言葉は作家・渡辺淳一さんの小説「孤舟」に由来するだけに、なんとなく説得力がある。
後記によれば、定年退職後、何をしていいかわからない。妻に『メシはまだか』とふんぞり返ったり重箱の隅をつつくように家族に注文をつける。こんな男性を「孤舟族」という、のだそうだ。この記事を読みながら少なくとも、そうは呼ばれないように努力しなければ、とオトンは思ったのだという。
でも、どう呼ぼうが、呼ぶ方は勝手だ。アタイに言わせてもらえば、もはやオトンはMに朝の出勤時などに「はやく、はやく行かなければ。ジイチャン、バス停で一人で待ってるよ(同じ仲間のジイチャンがバス停で待ってくれているのだから。早く行きなさい、の意味)。さぁさぁ、あなた。はやく。はやく。行かなくっちゃあ」と追いたてられているのである。
かといって、オトンの場合は、日ごろの執筆活動を中心とした文壇へのさらなる雄飛に始まり、横笛練習、日本各地も含めた世界漫遊の旅日記の構想実現など、まだまだ、やらねばならないことが山ほどある。自分では若いつもりでいるだけに、Mにこう言って送られるのは、甚だ心外なのである。
それはそうと、同じサンデー毎日で見た別の記事の見出しは「うさぎとマツコ大放談 整形とデブ」「マツコ・デラックスVS中村うさぎ」といったモノ。なんでも、サンデー毎日に連載された「うさぎとマツコの往復書簡」が単行本化され、それに併せて行われた発行記念イベントの異様なバトルトークが記事として紹介されてたみたいです。
それにしても、このところは太め、といっても超おデブさんがマスコミ受けし一世を風靡している。これまた、ひとつの人生劇場には違いないとはいえ、どこかしら、すっきりしない。肥満は「美」ではなく、明らかに「醜」であるからだ。なぜに、肥満女性がこれほどに社会受けするのか、がオトンにもアタイたちにも分からない。あるニンゲンが、かつてアタイにこう囁いたことがある。
「ニンゲンほどの悪はいない。生きものの中で、一番の悪だ。人の不幸を見れば見るほど、大喜びする。それがニンゲン。この世で一番低俗極まりないのが、ニンゲンたちだ」と。
☆中国がノーベル平和賞に対抗して、独自の「孔子平和賞」を設定し初代平和賞を、中国と台湾の架け橋となった台湾の連戦氏と決め、本人不在のなか、授賞式を行った。
日本ハムに入団したばかりの斉藤佑樹選手に「ゆうもあくらぶ会長賞」が贈られた。斉藤選手は、入団記者会見でインタビューにこたえ、ドラフトで自分を射止めた日本ハム球団社長のことを「持ってるね」と応える、など確かにユーモアの点での資質も抜群といってよい。ちなみに、女優の由美かおるさんも同賞に輝いた。こちらの方は、お風呂に入るシーンを二千回撮った栄誉で、とか。ゆうもあクラブ会長の元首相から表彰された。
東京・渋谷にある「戸川昌子さんのシャンソンバー 閉店ピンチに 支援の歌響く 東京『青い部屋』 資金難に・ゆかりの音楽家らライブ」、「東浦の遺体 名古屋の72歳女性 同居の男逮捕へ 死体遺棄、損壊容疑 殺害も認める供述」、「接続記録12件押収 テロ捜査資料流出・プロバイダー11社から」
平成二十二年十二月十日
勤め先の忘年会二次会でダーツなるものをやらされた。ところは、中区栄の○○ビル。デ、である。七、八メートル離れた円形の的に向かって手りゅう弾ならぬ手投げ槍を、手裏剣を投げるが如くになげる、古風なゲームである。
一ラウンド3本のダーツ投げを一度に八ラウンドまで五チームに分かれて投げ続ける。見るほうも、やる方も結構、体力というか、心の中から発散させるエネルギーみたいな、マグマのようなものが必要である。でも、たまらないほどに面白い遊びだ、と知った。
一言居士のお父さんのことだ。やっぱり、当初は、何を好んで、こんなにもつまらない遊びをやらされるのだ、と、そうは思いながらも、これが誠に奇々怪々のゲームだった。見ても、やっても一回一回の“投げ”が、すこぶる面白い。おそらく、外れても外れても、すぐその場でチャンスが与えられ、八ラウンドにもわたって延々と投げさせられる、その妙味が欲求の塊りでもあるニンゲンたち一人ひとりの心といおうか、そうした気持ちを奮い立たせるからではないのか。
チームを組んでチームごとにラウンドをこなす戦い方だが、つまるところは個人の戦い、大げさに言えば講道館柔道、プロ野球の投手と同じで、「心」「技」「体」が整ってこそ、この槍を投げることが出来る、そんなシロモノなのである。
というわけで、オトンは、ただ投げることにだけ、集中して投げた、投げた、そして投げ続けた、ほんとによく投げ、次回に可能性というような「何か」までをも、つかみとったのである。
まず腰を下げ、相手(投げる先)を定めた後、からだをジャンプさせるようにして的を絞りあげたあと一気にすばやく投げる。そして投げた、投げた、投げた。投げながら核心をつかみとっていった。
オトンが、小兵ながらも、かつて講道館柔道三段戦で身長百八十センチ、体重百キロ以上の相手四人全員を投げ飛ばし、あげくにさらに与えられた相手四人のうち三人をも投げ飛ばし(一人だけ引き分け)、名誉ある抜抜戦で実力三段をたった一日で勝ち取った、あの極意が今に甦ったのである(むろん、この後の形の試験に合格したうえでの段位昇格では、あったが)。
槍を投げる瞬間は、まさに柔道の審判の「はじめ」のあとに相手と組み合う瞬間そのものである。オトンは組んだ瞬間の大内刈り、さらには大内から背負い、内股への連続技、組む瞬間の足払い、小内刈りなどが得意技だったが、ダーツを知ることにより、久しぶりにその呼吸を思い出したのである。
また、ダーツをあの浅尾拓也投手(二十六歳)に例えては、チト失礼かも知れない。が、浅尾が投げる前にジャンプするあの姿、あれはまぎれもなく相手打者の懐をタマで射抜こうとする、その間合いを狙い、併せて自らの体調のリズムというようなものを探っている、ということを確信しもした。
浅尾投手といえば、きょう名古屋市内の球団事務所で契約交渉に臨み、6000万円増の1億3500万円でサインした。
ダーツひとつに時間を割いてしまったが、この夜は「来町(きまち)」という全国でも十軒そこそこしかない、と言われる、世にも不思議な珍しいお名前の販売局のお偉(えら)いさんとも会話を重ねることが出来た。そしてオトンのダーツは初めての挑戦ながら300点を超え、何やら冷蔵庫に入れると、その小兵がしゃべりだすへんつくりなモノまで賞品として、いただいた。(ちなみに、来町さんは、500点を超えた)。
すべてを忘れてただ的と向かい合うだけのダーツ。なるほど忘年会にはふさわしいゲームであった、とサ。Mいわく「私もやりたかったよ」だって(ここは、創作で~す。Mは寝てしまっています)。
そういえば、今夜の忘年会は過去二年間、公式ファンクラブの渉外・システム担当として情熱の業務にこれ務められた久保護さんを送る会も兼ねて行われたそうです。「久保さん、お疲れさま。これからもファンクラブをよろしくお願いします」とは、お父さん、すなわち“いがみの権太”からの心からの贈る言葉だってサ。
☆「主役不在で平和賞 中国・劉暁波氏に授与 根岸、鈴木氏に化学賞・ノーベル賞」、「海老蔵さん暴行男逮捕 警視庁『殴った』と容疑認める」(11日付、中日新聞朝刊)「死者2000人超…『悲惨』 コレラ拡大・ハイチ救え 地震に追い打ち・名古屋の医師ら現地へ」、「死刑求刑被告に無罪 裁判員裁判で初 高齢夫婦強殺事件・検察主張認めず 鹿児島地裁判決」(10日付、中日新聞夕刊)
2010年の世相を1文字で表す「今年の漢字」が「暑」に決まり、日本漢字能力検定協会(京都市)がきょう十日、清水寺で発表した。
平成二十二年十二月九日
前にも触れた。暮れに入り、このところは全国各地から「喪中のため年頭のご挨拶は失礼させていただきます」とか、「喪中につき年末年始のご挨拶をご遠慮申し上げます」といったはがきが、わが家に相次いでいます。
「父義廣が一月十七日に八十六才で永眠致しました」「ことし七月に母千代子が九十四歳で永眠致しました」「今年七月に母が九十四歳で永眠いたしました。」「義母花子が三月十日に九十歳で永眠いたしました」「去る五月二日 北村武九十四歳にて永眠いたしました」「今年九月 母シゲヨが九十八歳で永眠いたしました」
「本年二月 父尭信が享年八十五歳にて永眠いたしました」「母そらのが六月二十四日に九十七歳で永眠いたしました」「妻まり子が二月十一日に六十四歳で永眠いたしました」「妻日出子は七月十三日 六十七歳で未知の世界を旅することになりました」『八月に前社長が永眠いたしました」「夫 明男 去る四月六日七十二歳にて永眠いたしました」……。
どのはがきにも、その向こうには、家族のやりきれなさ、悔しさ、悲しさ、絶望感が横たわっている。けれども、みなさん、誰もがご家族で新しい世界を切り開こうーとなさっている。そのけなげな姿勢に、何よりもエールを送らせていただきたい。
実際、はがきをいただいて初めて、その死を知った方も多い。みな、どの死もわが胸には重くのしかかる。
妻の死。夫、母、父、弟、義父母、兄弟、同僚……
そこには容赦ない、避けられない死が横たわっている。
人間とは、かくも弱きものかな。悲しさという道を、ただヒタスラに歩いてゆく生きものなのだなっ、ともあらためて思う。合掌―
きょうは懐かしい名前を中日新聞・本紙朝刊の通風筒に見つけた。
「岐阜県大垣市の平野学園」で「同学園でデザインや洋裁、国際ビジネスなどを学ぶ計三百七十人の高校生と専門学校生が八日、授業で使った針やパソコンのマウスを供養した」というのだ。Mに言わせれば、失礼ながら「じゅんちゃん(平野順一学園理事長兼校長)、本当にいつだって頑張っていらっしゃる。学園で学ぶ生徒さんが幸せだよね」ということになるんだってサ。
きょうは、もう一つ。ある妙齢で、将来ある女性から、なんと「大吟醸」がオトンに贈られてきました。すなおに、ありがとう。いい仕事に期待していますからね。でも、現状に決して甘んじることのないように、とも。
☆「ノーベル賞喜び語る 根岸さん『50年間の夢』 鈴木さん『広く実用化』」、「あかつき失敗 姿勢乱れ逆噴射停止 エンジンのデータ解析 原因究明目指す」、「ウサギ年へ駆け足! 熱田神宮・破魔矢作り」(9日付、中日新聞朝刊)
平成二十二年十二月八日
▼歌手のクミコさん(56)にお会いした。暮れのNHK紅白歌合戦で「INORI」を歌う。広島市の平和記念公園に立つ原爆の子の像。そのモデルとなった佐々木禎子さんを悼み、静かに平和を訴える曲だ……▼69年前のきょう、日本は太平洋戦争に突入した。真珠湾から広島、長崎に至る44カ月、日本人だけでも300余万の命が失われ、被爆者の苦痛は今も続いている。どこかで戻る道はなかったのかと、今さらながら思う。▼本日はジョン・レノン暗殺から30年でもある。……戦争も平和も、つまりは人の意思である。皆がテレビを買い替えた年、同じ力強さで平和の輪が広がるよう祈りながら、(朝日新聞・天声人語から抜粋)
Mが帰宅したお父さんにこう、言った。
「(ビートルズメンバーの一人である)ジョン・レノン、ジョン・レノンって、ちまたは、そう言っているけれど、日本人は、重要なことを忘れてるんじゃないの」
「何を忘れてるのか」
「ジョン・レノンもいいけれど。きょうは日本が戦争を始めた日なんだから。日本がアメリカを攻めたんだよ。懺悔しなければ」
まったくもって、Mが言うとおりである。ジョン・レノンのイマジンの心もむろん、大切だけれど。日本人は自分たちが戦争を始めた、ということを、しっかりと反省する、そういう日でもあるのだ。二度と過ちを繰り返さないためにも。
☆「平和な世界 今もイマジン ジョン・レノン暗殺30年 NY・ファン集い追悼」、「あかつき軌道投入失敗」「減速足りず金星通過 6年後再挑戦」、 「海老蔵さん休演 御園座大わらわ」「大入り期待痛手 ファン『残念』」(いずれも8日付、中日夕刊)
平成二十二年十二月七日
暦のうえでは二十四節気の一つの大雪(たいせつ)。北風が吹き、雪が降るころとされるのに、きょうの最低気温は十一月上、中旬並みとなった。
文芸誌「北斗」十二月号(第573号)で文芸評論家・清水信さんの「我々は自由を選んだ(前編)」を読んでいて、私自身、同人誌活動に生きる名もなき一文人として、あらためて意を強くした個所がある。
それは次のような下りである。
――同人雑誌を選んだことで、我々は自由を選んだのだ(拍手)ここのところを、充分再確認してほしい。
四日市文章集団の機関誌『XYZ』に小生が書いたことは、そういうことだ。外圧を受けて、筆を曲げる必要もなく、誘惑に屈して、提灯記事を書く義理もないのである(笑い)コマーシャリズムの前に自由が立ちふさがっており、自己規制の前にも自由が立っているのだ。
この前編、実はことし七月九日に“清水先生卒寿と文芸「きなり」70号を祝う会”で清水さんが「華やかに ことばの花束を」を演題に話された中からの抜粋だが、これがまた現代文学界に一石を投ずる内容となっているのである。
それから「北斗」といえば、尾関忠雄全集でも知られる尾関さんの「タダオ・アフォリズム(20)」にある次のくだりも気に入った。
――自称、ドラキチ五十五年。四年ぶりのセ・リーグ優勝。優勝請負人の監督である落合博満はなにゆえにして、勝負に徹底して拘泥するのか。興行師でないことは明らかである。観客数が前年比十万人減となったが、そんなこと俺の知ったことか。先発投手が六回まで、七回は高橋、八回は浅尾、ラストイニングはストッパー岩瀬で、文句アルカー。ファンはそれで満足して真のドラキチ。勝つことは非情であり、至上の方程式を持たねばならぬ。選手は野球選手として、断じて満足してはいかんのだ。勝って己の「無知」を知れ!
といった具合である。となると、尾関忠雄さんみたいな真のドラキチとなると以外や以外、案外と少ないかもしれない。だから、観客も逃げてゆく…なんとかしなければ、という声があるのも事実だ。ここは真のドラキチになるほかあるまいか。
そういえば、九日発売の週刊新潮が「親子漫才ではしゃぐのに 『落合監督』ファン交流無視」といった見出しで興味半分のことを書いている。ちまたは、なんでもいうからたまったものでない。
☆ロンドン警視庁が七日午前、内部告発サイト「ウィキリークス」創設者のアサンジ容疑者を性犯罪容疑でロンドン市内で逮捕した。
七日夜、先に暴力事件に巻き込まれ大けがを負った歌舞伎俳優市川海老蔵さんが東京都内でお詫びの謝罪会見。松竹・迫本淳一社長は「公演への出演を、期限を定めずに見合わせる」と謹慎させることを明らかにした。
「日米韓外相 対北朝鮮 連携を強化」「共同声明 中国に高官派遣へ」、「『あかつき』逆噴射確認 金星周回めざす 通信が一時途絶」(7日付、中日夕刊)
東京高検が鈴木宗男前衆院議員(六十二歳)を東京拘置所に収監した。(7日付、各紙)
平成二十二年十二月六日
いつの間にか師走に入り、何日かが過ぎた。でも、自分のことは何ひとつ出来てはいない。お父さんがいう「何ひとつ出来てはいない」の言葉は、アタイが見る限り、その通りのような気がする。
言いわけめいてしまうが、オトンの新作を年内に完成させるには、もはや時間がない。やはり待ったなしだ。当然のことながら、物語の筋道をたてたり、文章を磨いたり、推敲する時間も限られてくる。
それでも、お父さん、ったら。自分のなかの欲望を抑えて書き続けようとしている。が、睡魔にはどうしても勝てない。
お父さんはアタイが見る限り正直言って、このところは仕事に追われるなどして自分のやりたいことが何ひとつ出来てはいない。別にオトンに限らず、この世のなか、どの人もみな、それぞれ限られた時間のなかで苦しみ、もがき、喘ぎながら生きているのだが。
みな口にこそ出さないが自分だけが時間がない、だなんて。そこを工夫して切り開かなければ。
アタイに言わせれば、それでもオトン、きょうは第111回文学界新人賞に輝いた吉井磨弥さんの受賞作「ゴルディータは食べて、寝て、働くだけ」を読み終えました。
最後の部分だけでも、ここに記しておこう。
ー理子は理子のために改装して広くなったトイレで小便をし、大便をし、またベランダに戻って肉を食べ、排泄し食べ、排泄し食べ、排泄し食べ、排泄し食べる。そして眠る。目を覚ます。決して夜明けを待つことはなく。
この小説の一体どこがよいのか。そう思われる読者は全編を読んでからにすると良い。そこには「ユウ(29歳)。ロリ・美少女系。身長158センチ。体重138キロ。B148(Hカップ)W120H148。O型。性感帯。探してください。……」の女性の生きざまが、とにもかくにも見えてくるのである。
☆「あかつき」あす金星へ 日の丸探査機“リベンジ” 12分間逆噴射・軌道投入目指す=6日付、中日新聞夕刊
Jリーグ初優勝を果たした名古屋グランパスの優勝報告会が五日、名古屋市中区の久屋大通公園「光の広場」であった。(中日、6日付、朝刊)
「韓国が海上射撃訓練 北朝鮮は強く非難」(毎日、6日付夕刊から)
平成二十二年十二月五日
日曜日です。
きょうのお父さん、M、おニイ(兄)ちゃんにとってのトップニュースは、なんと言ってもオトンの妹さんの長男ミノルくんの結婚披露宴への出席である。ミノルくんは、ピアニストと晴れてゴールイン。名古屋市内のとある場所で行われた披露宴は、いやはや、なんともステキな人前披露宴となった。
オトンとM、おニイは、江南から大おかあさんと一緒にタクシーで名古屋市内の会場へ。オトンの妹さん夫妻は、わが子の晴れ姿に感激の面持ち。結婚披露の宴とはいえ、簡素でシンプルな進行ぶりには、さすが妹のお子さんらしいと感心したのである。
式は縁結びのきっかけを作ったキューピット、Tお姉さん(私の兄の妻)のスピーチに始まり、花嫁のピアノ演奏(ショパンの「プレリュード」)とミノルくんとの共奏披露、花嫁の父の手品と続いたが、この手品がまたまた、花嫁のピアノ演奏に負けず劣らず、お見事であった。
新郎新婦をしっかり結んだ赤とシロのハンケチの突然の登場でおしまいかと思いきや、最後は生まれてまもない嬰児を真ん中に赤、緑、白の三色のハンケチで着地させるなど見事なものだった。
あげくに、新婦の父が真っ赤なジャンボ盃になみなみとついだ酒をミノルくんに飲ませ、ミノルくんも、これに応えて一気に飲んでしまうなど、なかなか微笑ましく楽しい会となったのだ。
思えば、戦後間もない昭和二十五年の一月七日だった。まだ四歳だったオトンは、ひとつと少し年上の兄と一緒に雪道を何度も転げながら、親類に向かったことがある。妹が生まれそうになったので幼いふたりで道の向こうの本家(ほんや)のおじいちゃんに「急」を知らせるためだった。あのときは、何度も何度も雪の海の中にちいさな足をとられて転び、それでも何度も何度も立ち上がってふたりで本家まで走った。
おじいちゃんに「よう、教えてくれた。ようきた。ようきたな」とほめられた日が、つい昨日のようでもある。だから、その妹の息子さんが結婚するとは。とても信じられないのだ。宴席でオトンと一緒に雪道を走った、オトンのお兄さん(弁護士)が、こう言った。
「ニンゲンの幸せとは、こういうことなのだな、としみじみ思います」とー
ミノルくんも、ピアニストの花嫁さんも、こうした過去、お母さんがいればこそ、今があることを噛み締めて、幸せになってくださいね。川崎から駆けつけたお兄ちゃん夫妻も、弟のおニイも、大おかあさんも、Mも、オトンも、みんな今日はお疲れさま。なんだか、しんみりしちゃい申し訳ありません。
あっ、そうそう。オトンたち、帰りには少し遠回りになったけれど銀杏吹雪で知られる祖父江に立ち寄ったそうです。あいにく先日の強風で銀杏の葉はかなり落下してしまっていました。でも、銀杏の園をバックにMと大おかあさんの美女ふたりの写真を撮ることができ、オトンったら。とても幸せそうでした。
それはそうとオトンったら。このところは寝ているさなかに事件を追いかけている夢ばかりを見ているみたい。寝言で「タマは、いつになったらつかまるんだ」「チャック、チャックするんだぞ」「なぜ、現場を踏まないのだ。ばかたれ!」「あす、ガサが入りそうだ」なんて。
訳の分からないことばかりを叫ぶんだから。新聞記者なんて。もう、とっくに卒業したはずじゃないの。どうやら、この夢見多発現象。先日、大津市立図書館で「記者の目と天秤棒文学」の演題で話をしてから、昔を思い出しておかしくなってしまったみたいだよ。
かわいそうだね、シロちゃん。
☆「東北新幹線 初日ドタバタ」「東京駅でドアを開けず ホームの200人・置き去り発車 乗客1万7000人に影響」「強風で8本運休」、「愛知知事選 『県民の暮らし向上』 共産推薦 土井氏が出馬表明」、「茂山千之丞さん死去 87歳 狂言師、他分野と交流」(中日5日付、朝刊)
平成二十二年十二月四日
土曜日です。きょうのオトン、久しぶりに時間が取れて会社を休みました。でも、自室にこもったままで、どこか鬼気迫る表情でしたのでアタイも掘り炬燵に入るのはやめて、昼の間は居間のフカフカ座布団の上で過ごしました。
なんでも一カ月ほど前に、あらあら完成させ、その後熟成させていた新作小説「月の夜は菜の花の海で魚になる」(仮題)の読み直しと補筆に時間をあてて居たみたい。でも、アタイは何してた? なんてツマラナイことは聞きません。以心伝心でご主人の『いがみの権太さま』が何をしていらっしゃるか、は、いつだってウスウス分かるからなのです。
そんなオトンですが、午後になると外出し二時間ほどで帰ってきました。
帰宅第一声は「あ~あ、またオフクロさんに叱られちゃった」というものでした。こうした時は、そのショゲカタでアタイには大体何があったのかは、すぐに分かるのです。オトンも決まってアタイだけには「実わな。こすも・ここ、おまえだけに言うが。内緒だぞ」と言いながら、あれやこれやと告白してくれる、だから分かるのです。オトン、すなわちバッハマン教授はアタイ、すなわちアンゲルカ人形に対しては恐ろしく甘いのです。(意味が分からない人は小説「乙女の密告」を読んでください)
では、きょうは何があったのか。
どうやら、最近耳が少しだけ遠くなった九十歳のお母上に向かって実家を訪ねたオトンが「どうして聞こえないの」と声を荒らげたため、大おかあさんがツムジをまげてしまい「もう、おまえなんか知らない。お母ちゃん、いっぱい年いっているのだから。もっと優しくしてくれなきゃあ。そんな大声たてたら、世間さまに笑われるよ」と一喝され、ションボリしちゃったみたい。だって、Mの告白によれば、オトンほどのマザコンは居ないそうです。あ~あ。一体、いくつまでマザコンなのだろうね、シロちゃん。
てなわけで、いったんは外出したオトンは再び帰り、また黙々と熟成中の小説の筋書きを一部差し替えたり補筆したり、でアッという間に時は流れていきました。
あっ、そうそう。Mの方は、今日は江南市福祉センターでの俳句教室に出たあと、忘年会に出席。あす、私の甥N君の結婚式があるため帰りに美容院に寄る、など大忙しでした。Mが忙しそうにしているのでアタイもシロちゃんも、すごくうれしい。
もうひとつ。オトンは実家を訪れた際、おニイがおばあちゃんへ、と買ってきた越前たまごとかいう銘菓のお土産も届けたそうです。これには大おかあさんも大喜びで、おニイを名指しで「Kはホントニいい子に育ったねえ。おまえの子とは、とても思えない。さっそくおじいちゃんの仏壇にお供えしなさい」との弁。オトンは、亡き父・北嶺院喜心専一居士の前で深々と頭を下げたんだってサ。
☆「師走の嵐 3人死亡」「東京など・列島強風、大雨 1人不明」、「愛知知事選 土井氏を擁立へ」「革新県政の会・名古屋在住医師」、「ウィキリークス 一時閲覧不能に サイバー攻撃」、「テロ文書流出 強制捜査」「容疑者不詳・業務妨害で 2社の接続記録押収 警視庁が初」(中日新聞4日付、朝刊)
平成二十二年十二月三日
雪深く弥陀も舞ふかや寿喜娘(水上勉)
きょうの絶品は、といえばーおニイが社の忘年会旅行で買ってきてくれた越前純米からつ・